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一般的に貴族令息は家を継ぐ嫡子はその生家や領地のことを学び、その兄弟は補佐もしくはいざというときの代役たるべく教育される。もちろん家を出て自身の能力で身をたてる者もいるが、なかなか難しいのも確かだ。
令嬢の方は、ブリジッタのような家付き娘でなければ嫁ぎ先を選ばねばならない。幼いうちに婚約を決める場合もあるが、そんなのは家を継ぐ(予定の) 者が大半だ。希に互いの抱える産業や領地の関係でそれ以外でも繋がりを作ることはあるが、次男三男以下の婚約は割と珍しい。
国内の政治体制はここ数十年以上安定しているので、派閥はあるが、そこまで厳密でもない。庶民の間では互いに好き合って婚姻を結ぶ、所謂恋愛結婚も流行り出しているというが、貴族社会はまずない。本人達が望んでも家が許さないのが普通で、許されるとしたら家同士で利がある場合だ。
今のブリジッタは、淑女教育だけでなく、侯爵家のための勉強も始めている。領地はそれほど広いものではないが、王都に程近くそれなりの賑わいもある。彼女も幼い頃はそこで過ごすことも多かった。
しかし一番の理由は、父があまり領地の運営に熱心ではないことだ。父は官吏としては優秀らしいが、自分で判断したり人を使って物事を進めるのは苦手だという。領主として与えられた土地を治め、そこに住む領民の生活を守って繁栄させていく、という気概に欠ける。
生前は母がそちらを請け負い、領地を回って産物を確認したり現地の代官や他の民の訴えを聞いて対策をたてたりと、精力的に活動していたそうだ。
今のブリジッタではまだあまり出来ることはない、知識も経験もない子どもの彼女では学ぶことの方が多い。それでも領地の代官や侯爵家の家令は、ブリジッタの判断を仰いだ。
「エルスパス侯爵家は、イザベラ様が預かったもの……それを受け継ぐのは、イザベラ様のお産みになられたブリジッタ様なのです」
「そのことを、領民にも知らしめておかねばなりません」
彼等は良くも悪くもイザベラの信奉者であって、その意味ではブリジッタの良き理解者だった。母の遺したものを守り栄えさせる、それは彼女とっても悲願であり己が使命と心得ていた。大変なことは多く、まだまだ学ぶことも果てしないが、やる気はある。
幸いブリジッタのその心構えも良い方に作用したのか、勉強はそれなりに順調だった。
ブリジッタは決して天才ではなかった。だが努力を厭わず時間をかけることの出来る人間だったので、幼いうちからそうして少しずつ蓄積していった。
最初は子どものお遊びといい顔をしなかった周囲の大人達も、彼女の本気を認めざるを得ないくらいに。
「でもねえ、ブリジッタ。詰め込むばかりでは良くないわ、息抜きも覚えなさいね」
伯母はおっとり微笑んで宣い、ブリジッタ自身頷きはするものの、なかなか難しいとも思う。
とにかく時間が足りない。基本的な貴族令嬢としての教育は概ね身に付けたが、流行だの社会情勢だのは常に変動するため、終わりがない。日々情報を更新し続けていく必要がある。
婚約者の第二王子は、稀に王宮で会うが仲良くなったとは言えない。そういう時は大概、王妃がお茶会に息子を呼び出して連れて来るのだが、本人あからさまに不本意だという顔をしている。
第二王子シモンはブリジッタと同い年。金髪碧眼の、如何にもといった『王子様』だ。兄である第一王子が優秀なので王位に就くことはまずあり得ないが、それ故ブリジッタの婚約者にしてエルスパス侯爵家を継ぐことになった。
「侯爵家の娘だから妥協してやる。ぼくのためによく努めよ」
母たる王妃のいない席でそんなことを宣う、些か甘やかされたお坊っちゃまでもある。
「心得ております。よろしくお願い致します、殿下」
ブリジッタとしても、彼自身に思い入れがある訳ではない。政略結婚の必要性は理解しており、彼がその相手として十分だ、というだけだ。王家と母の実家、パーサプル公爵家とで決められたのであろう。
父の意見はこの話におそらく含まれていない。元々エルスパス侯爵家は母イザベラのために興された家であり、父は婿の立場で発言権がないのだ。