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予約投稿失敗してました。
穏やかな日差しの元、まだ牧草はまばらだが、羊たちは適当に散らばってそれを咀嚼しているものもいれば、固まって押し合いへし合いしているものたち、日当たりの良さそうな場所を選んで日向ぼっこ中、母羊の乳を飲んでいる子羊もいる。
「ブリジッタ」
その長閑な光景を眺めていたブリジッタに、声がかけられる。振り返ってブリジッタは微笑んだ。
「これは、カレル閣下」
最初にデザスタ領に来た時の彼女は、やつれて生気がなく、そのまま寝込んでしまったが。何もないこの土地が却って良かったのか、今はかなり元気を取り戻している。食も細かったが、年輩の侍女やら料理人やらが、あれ食えこれ食えとしきりに勧め、またカレルも領内の視察に連れ出したり乗馬をさせたりと体を動かすことからさせて、少しずつでも食べられるようにと気を配ってきた。その甲斐あってか顔色も良くなり、幾らかふっくらと肉付きも良くなったようだ。
今は実際に体を動かす仕事より、事務的な仕事や職人たちと商人の仲介、移民の面談などをやってくれている。ブリジッタはカレルの苦手分野に強いので、とても助かっているのが実際のところだ。
「羊も、だいぶ増えたなあ」
「ええ。……向こうより、こちらの方が合っているんでしょうね、」
買い取った羊らが仔を産んで、ふわふわもこもこした子羊たちが親羊にくっついて固まっているのは、とても可愛らしい、和む光景だ。
「……ブリジッタも、こちらの方が合っているようだな」
その光景を笑みを浮かべて見守るブリジッタに、ふとカレルは漏らす。
また羊たちに見入っていたブリジッタが気恥ずかしそうに振り返った。
「失礼しました。……そう、かもしれませんね。……エルスパス領は、大事な領地でしたが……あそこはやはり、母の所有だったと思うので」
「ああ……」
良くも悪くも、存在感の強い人だったブリジッタの母親は、未だに慕う者も多いと聞く。ブリジッタに対しても、イザベラの娘だから、領主として認めていた者も多い。特にイザベラをよく知る年嵩の者はその傾向が強かった。
そうした者たちは、シモンが領主としてエルスパス領へ赴くと、王族の彼を喜んで迎え入れたという。しかしそれを鷹揚に、むしろ当然のように受け止めたシモンは、実際の職務はぼろぼろの状態。同行したレイフォードも仕事ができない訳ではないがやることがいい加減で、仕舞いにはどちらも口の巧い者たちに良いように使われているという噂まで出ている。大量の人民流出は、それが原因だとも。
ブリジッタはその話を聞いてさすがに落ち込んでいたが、結局のところシモンに人を見る目が無いのが一番の原因だとカレルは思う。
第二王子として、その立場故に阿る者は多かったはずだが、何も学んでこなかったのか、と。
エルスパス領にしても、心ある者たちもいた。だが彼らは平民、せいぜい村のまとめ役だった。そのため、シモンたちに諫言しても受け入れられず、むしろ煩わしがって遠ざけられた。今は彼らのほとんどが、デザスタ領にきている。
そして彼らはブリジッタを慕ってもおり、カレルにプレッシャーを掛けてくる。苦労の多かった彼女を、今度こそ幸せにしてほしい、と。
「……デザスタ領には、ブリジッタが必要だ。あちらのことは忘れて、こちらを頼めるか」
「あら、もちろんです。……お役に立てる間は、ここに置いてくださいませ」
「いや、ブリジッタが望むのなら、いつまででもいなさい。皆も喜ぶ」
いろいろ外からは言われているが、カレルとしてはブリジッタに対する感情は色恋とは違うと思う。同情とか労りとかそちらが近いと思うし、まず年が違い過ぎる。
彼女と同い年のシモン、その叔父であるカレルは兄である国王よりだいぶ下とは言え、ブリジッタとの年齢差は十二才。貴族としては珍しくない年齢差だが、まずブリジッタの方で考慮の対象にならないだろう。
もっともその意見に彼の補佐官は、特大の溜め息を吐いた。




