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エルスパス領は他の多くの領地と違い、主食である麦の生産には向かない。牧羊とそこから産する布製品や酪農品を主力産物として、職人を育てながらやりくりしている。
カレルのデザスタ領も麦には合わない土地なので、エルスパス領は参考にさせてもらっていた。
かつてエルスパス領を与えられたイザベラはカレルにとっても従姉にあたり、はっきり言って結構おっかない人だった。
確かに美人ではあったが、笑顔を武器に頑固な重鎮を味方につけ、百戦錬磨の商人たちを納得させる、凄腕の政治家だと思っていた。しかも相手にそう感じさせない辺りがなおすごい。
そしてカレルは、おそらく唯一、イザベラがライアンを結婚相手に選んだ理由を聞いていた。
曰く『余計な派閥や係累がなくて、私が領地を回すのを邪魔しない人だからよ。計算も強いし、最低限の能力はある。……それに、子どもを産むのに嫌悪を感じない程度の容姿だし』と。
儚げにさえ見える容姿とは裏腹に、現実的かつ実利的な彼女らしい言い様だと、当時は素直に納得していたのだが。
今回の事情を聞く限り、ライアン自身はまだしも彼にくっついている内縁の妻や娘が、なかなか有害そうだ。しかもその『妻』は、結婚前からの付き合いだという。
よくその女と手を切らせて結婚にこぎ着けたものだ、と今更ながら従姉の手腕に感嘆する。その一方で、聞いた話だけでも地位や財産に執着の強いらしいその妻が、当時はよくぞ引き下がったものだとも思う。
ブリジッタが、カレルの治めるデザスタ領に来てから半年ほど経つ。精神的な衝撃が落ち着くと、彼女は自分にも何か仕事をさせてもらえないかと頼んできた。
じっと大人しくしているだけでは、余計に考え込んでしまうから、と。
その気持ちはカレルにもわからないでもなかったし、何よりデザスタ領はまだまだ未開の土地、屋敷で大人しくしていてもその無聊をかこつ以外することもない。
溜まっていた肉体的な疲労は癒えたようだったし、若年ながらエルスパス領を切り盛りしていたブリジッタだ。何か参考になる話でも聞ければ、と思ったカレルに対し、動き出した彼女はなかなかに働き者だった。
最初は屋敷の使用人たちと話しながらその仕事を見せてもらい、実際に手伝いもする。効率が悪く使える品も少なくても、辺境故のことだ、仕方がない。
そしてブリジッタはそれを決して否定しなかった。
旧式の井戸で水を汲み、やたらに重いバケツでそれを運ぶ。洗い物も、灰やらで汚れを落とすしかないが、それを一心にやる。
料理も食材が、獣肉は獲れるが野菜や麦は他で買い込むしかなく、量は限られる状態で、若い娘にはきついだろうが文句も言わない。
そうして少しずつ、周囲に溶け込んでいった。
麦の栽培に向かないデザスタ領では、牧畜も考えているが、なかなかこれといった目処も立っていない。
「牧畜、というと……牛ですか、それとも羊?山羊?」
「むう……この辺りは冬は結構冷え込むからな、野生の獣も多い。下手に導入して全滅は避けたいのだ」
「そうですね……でしたら、最初は数も絞ってはどうでしょう。小屋を作ってやれば、寒さや獣の襲撃はある程度防げるのでは?」
「うーん、なるほど」
正直なところ、デザスタ領はようやく食っていけるようになってきた、という辺りだ。畑作ができないので何か他の産業を、という話も出たばかりでまだ本格稼働していない。
そこへもってきてブリジッタは領地運営の経験者だ。今までカレルがデザスタ領の唯一の統治者で、部下たちもあまりそちらの知識はなく、伝手もない。その意味で相談でき、経験談を語れる彼女は有難い。
「寒さに強い種の羊もいますよ。しかもその種は羊毛も上質です」
「うん、少し入手できないか当たってみるか」




