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「……よろしく、お願いいたします」
言って深々と頭を下げたのは、過ぎるくらい痩せぎすの少女だった。
「……ブリジッタ・エルスパス令嬢……?」
些か間の抜けた問い掛けに頷く彼女は、確かにそう呼ばれていた人物ではあるのだが。化粧っ気のない青白い顔、質素な衣服に持ち物は小さな鞄一つ。本来ならばたった一人で、この辺境まで来るはずがない人間なのだ。
ブリジッタの母イザベラは、元々王の従姉に当たる女性だった。その美貌を讃える者は多いが、実は彼女はその優美な外見に反してなかなか苛烈な性格でもあり。娘のブリジッタには、過酷な教育を施した。
一般に貴族令嬢は、一通りの教養と常識が身についていればそれで十分だ。もっともそれは最低レベルであって、大概は素質や希望に合わせてプラスアルファを得る。近隣諸国で通じる外国語だったり美しい歌声だったり華麗な刺繍の手だったりと、それぞれに異なるが。もちろん容姿や振る舞いも必要最低限に達しなければ、社交に入れてもらえない。
ブリジッタは、容姿はあまり母に似なかった。黄金の巻き毛とエメラルドの瞳の華やかな美貌を持つ母に対し、瞳の色こそ母に似たものの真っ直ぐな銀糸の髪は父に似た。顔立ちも彼の、切れ長の目や通った鼻筋にすっきりした細面を受け継ぎ、美しくはあるがどこか冷たい印象を与える。
「良いですか、ブリジッタ。女性だからと着飾って甘えてばかりの娘になってはいけません。教養深く振る舞いは淑やかに、そして采配は確かで信頼のおける、そういう貴婦人にならねばなりません」
「はい、お母様」
言葉通りブリジッタが物心つく頃から始まった淑女教育は厳しく、殆ど遊ぶ暇もなかった。もちろん衣食住に不自由すること等なかったが、ドレスは布地がどこの産でどの店で仕立てられたものか、刺繍や飾りの意匠はどのようなもので何を意図しているか、一つ一つ指導と確認が入る。果物や砂糖をふんだんに使った美しい菓子も材料の産地や手法、流行を気にせず口にすることは出来ない。屋敷内の諸々はもちろん、領地の産物を他領のものと比較してどう違いどのような利点或いは欠点があるか、瞬時に答えられねばならない。
もちろん多忙な母のみならず、彼女が厳選した教師が幾人もつけられた。皆厳しく容赦なく、時に鞭まで打たれるほど。その厳しい教育についていけたのは、ブリジッタ自身能力があったからなのだろう。幼い彼女が必死に頑張ったのはもちろんのこと。
その母イザベラが亡くなったのは、ブリジッタが8歳の年だ。前日までは茶話会に参加し、にこやかに語っていたのに、夜になって「気分がすぐれない」と早めに寝室に入り。そしてそのまま目覚めることなく永眠した。
急な病であろうというのが医師の見立てだったが、それ以上の原因はわからない。
父親の侯爵は、一見冷たそうな容姿と仕事上の有能さで誤解されやすいが、案外に気の優しい人間だ。しばらくは愕然とし、仕事どころか自身の生活さえままならない程落ち込んでいた。
見るにみかねて家令が頼ったのが、まだ8歳のブリジッタだという辺り、侯爵家の人材不足を示している。