この世界に来て初めて病気になる
朝、目を覚ましてすぐに異変を感じた。
まず、体が重くて起き上がることができない。
そして、全身が熱く大量の汗をかいている。
節々が痛くて、頭がクラクラする。
喉が痛くて咳がでる。
鼻水も止まらない。
完全に風邪の症状だ。しかも、思いつくすべての症状が出ている。
窓の外に目をやると、日がだいぶ高くなっているのがわかる。
そろそろタニアの酒場の朝食の時間が終わる頃だ。
沼エビの料理、楽しみだったのに。
ソラも僕の異変を感じ取ったのか心配そうに僕の方を見ている。
「ソラ、おはよう。ちょっと体調が悪いんだ。朝ごはんはちょっと待ってね。」
僕はそう言うのが精一杯だった。
今までに経験したことのないほどの疲労感を感じる。
こちらの世界特有の病気なのだろうか?
僕はすぐに体力の限界がくると意識を失うのだった。
(僕、このまま死んじゃうのかな・・・)
僕の心は不安に押しつぶされそうになっていた。
◇
目が覚めると、熱は少し引いたのか怠さは少し軽減していた。
熱はまだあるらしく、節々の痛みも未だに消えていない。
・・・あれ?額の上に濡れたタオルが置いてある。しかも、まだ少しヒンヤリしている。
誰かが看病してくれた?
僕は怠い体に鞭を打ち体を起こすと、部屋の中を見渡す。
誰もいない。
どういうことだろう。
そう言えば、ソラも見当たらないな!?
「ソラ、どこにいるの?」
しかし返事はなかった。どうなっているのだろう。だんだんと不安に駆られてくる。
今いる場所がいつも泊っている銀狼の寝床の一室であるのは間違いない。
部屋に帰ってきたときには間違いなくソラはいた。
今朝、朦朧としながらもソラがいるのは確認している気がする。
ソラは一人でドアを開けることが出来ない。
ソラはどこに行ったのだろうか?
しばらくすると、扉の向こうから足音が聞こえてくる。他の泊り客だろうか。
足音は僕の部屋の前で止まると扉が「ギー」と音を立てて開く。
開いた隙間から黒い影がさっと部屋に飛び込んできた。
その影は僕に向かってまっしぐらに突っ込んでくると僕にジャンピングアタックをしてくる。
僕はそれを受け止めるとベッドに押し倒される。
「ソラ、止めて。苦しいよ。」
僕がそういうと僕の上に乗って、顔をペロペロと舐めていたソラは申し訳なさそうに僕の上から降りると嬉しそうに一声「ワン」と鳴いた。
ソラも僕を心配していたのだろう。お座りをしながらも尻尾をブンブン振って僕の方を見ている。
「どうやら目を覚ましたみたいね。」
突然声がして、振り向くと扉の前に一人の女性が立っていた。
◇
「エルルさん!?どうしてここにいるんですか?」
そこにいたのは冒険者ギルドの受付嬢、エルルさんだった。
「タニアさんから『リーン君が朝食を食べに来ないけど何かあったのか』って言われて、部屋まで確認しに来たのよ。そうしたら、リーン君、ベッドの上で倒れていたでしょう。心配したのよ」
「そうだったんですか。ご心配をおかけしてすみません。起きたら調子が悪くて・・・。」
「みたいね。私がこの部屋に来た時、ソラ君は心配そうにずっとあなたの顔を舐めていたわよ」
「そうなんですか?」
「ええ、お陰でまず最初にしたことが涎まみれのリーン君の顔を拭く作業になっちゃったでどね」
エルルさんは笑ってそう言うと、僕の横まで近づいてきてソラの頭を軽く撫でる。
ソラは基本的には僕以外の人間にはあまりなつかない。
スコティッシュテリアの習性らしく、一人の主人以外には尻尾を振らない性格らしい。
ところが、エルルさんにはなぜかとてもなついている。
今も嬉しそうに頭を撫でられている。
エルルさんが来てくれて本当に良かった。
これが他の人なら、僕に近づかせないようにソラが牙をむいていた可能性がないわけではないからだ。
エルルさんの話によると、僕は半日眠り続けていたそうだ。今はもう夕方になっているそうだ。
部屋を空けていたのは、ソラに夕食を食べさせるためにタニアの酒場に連れて行ってくれていたからだそうだ。
とっても感謝だ。
「そうそう、タニアさんからリーン君用のご飯を預かってるわよ。」
「僕用?」
エルルさんが渡してくれたのはエビの匂いのする魚介のスープだった。
どうやら昨日渡したエビをわざわざ弱った体でも食べれるようにスープにしてるれたようだ。
一口飲んでみると濃厚なエビの旨味が口の中に一気に広がった。
そしてうまみ成分が体の隅々にまで染み渡るようなだった。
「おいしい」
自然と口から言葉が零れ落ちていた。
僕はあっという間にスープの飲み終えていた。
「良かったわ、思ったよりも元気そうで。でも、もうしばらくは安静にしておいてね。後、明日の昼頃にはソフィアが帰ってくるから診てもらうといいわ。」
「ソフィアさんにですか?」
「そうよ、彼女は冒険者であり医者でもあるのよ。」
ソフィアさんが医者?
何ともイメージしづらい。
医者というともっと堅苦しいイメージだが、ソフィアさんのイメージはのほほんとしたものだ。
全く逆だよね。
「リーン君。言いたいことは分かるけど、本人には言わないようにね。」
どうやら顔に出ていたようだ。
流石に面と向かっては言いませんよ。
それにしても、どうやらエルルさんにはとても世話になったようだ。
僕の看護にソラの世話と。
僕はエルルさんにお礼を言うと、エルルさんは笑って「気にしなくていいわよ」と言ってくれた。
どうやら、街に登録している冒険者が病気などで困っている時にある程度手助けをするのもギルド職員の仕事の一つらしい。
それにしても、心配してくれる人が近くにいることがこんなにも心強く嬉しいことだとは知らなかった。
前世では病気の時は母さんが看病をしてくれていたため、そんなことを思うことはなかったが、この世界に一人で放りだされた今、その有難みをひしひしと感じていた。
もっとも、その母の顔などは神様のせいで一切思い出せないのだが・・・。
僕は気がつくと再び眠りについていた。
朝、意識を失った時は、とても不安でいっぱいだったが、今はとても安心していた。
◇
扉をノックする音で目が覚める。
外を見ると日がだいぶ高くなっている。昼前と言ったところだろうか。
随分寝ていたんだな。
体は怠いが、昨日ほどではない。
「どうぞ」
僕が扉の外の人物に向かって声を掛けると、扉が開いて、ソフィアさんとエルルさんが入ってきた。
「リーン君。気分はどう?」
「昨日よりはいいです。」
「そう、それでも念のためにソフィアに診てもらっておいてね。」
そういうとエルルさんはソフィアさんに目配せする。
ソフィアさんは軽く頷くと僕の側までやって来て診察を始めた。
いつもと違い真剣な表情である。
病状や体の状態を事細かく調べていく。
時々、「えっ!」とか「あれっ?」とか聞こえるがきっと気のせいだよね。
エルルさん、なんで顔色が青くなっているんですか?
しばらくすると、診察が終わったようだ。
ソフィアさんは一度咳払いをすると、病名を宣言した。
「リーン君の病名は『精霊の試練』ね。」
「「精霊の試練!?」」
僕とエルルさんの驚きの声がハモる。
一体どんな病気なのだろうか?
エルルさんの驚き方からしても普通の病気ではないのだろう。
「あの、ソフィアさん、それはどんな病・・・」
「ちょっとソフィア。精霊の試練ってどういうこと。あれは、 3,4歳の子供が罹る病気でしょう」
僕の言葉に被せるようにエルルさんがくってかかる。
「そんなこと、エルルに言われなくてもわかってるわ。ただ、症状などから判断するとそれしかないの。まあ、危険な病気じゃないからいいじゃない。だから、そんな不安そうな顔をしなくても大丈夫よ、リーン君」
僕の心情を察したのかソフィアさんは僕の方を向くとニッコリ微笑みながら言った。
エルルさんもすぐに気づいたみたいで、しまった、といった表情になる。
「あの、その精霊の試練ってどんな病気なんですか?」
「さっきエルルが言ったように3,4歳の子供が罹る病気よ。この病気に罹ると他の病気に罹りにくくなるから、こう呼ばれているの。知らなかの?」
「はい、聞いたことないです。」
「・・・そう。まあ、いいわ。だいたい3日で症状は治まるから後2日は大人しくしておいてね。」
後2日か。
幸運なことにお金の心配なないのだが、後2日もベッドで安静となると、・・・寂しいな。
「リーン君。そんなに寂しいならお姉さんがお泊りしてあげようかー」
「い、いえ、結構です。」
僕は慌ててお断りする。
どうやらまた顔色を読まれたようだ。
そんなに僕はわかりやすいのだろうか。
その後、エルルさんとソフィアさんはいろいろと僕に病気の時の注意事項を教えてくれた。
まるでお母さんのようだった。
その後、お昼ご飯をタニアさんが持ってきてくれるまで、二人はずっと僕の部屋でいてくれるのだった。




