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高安女子高生物語  作者: 大橋むつお
3/112

3:〔おこもりの元旦〕

高安女子高生物語・3

〔おこもりの元旦〕        






 良くも悪くも忘れっぽい。




 友だちとケンカしても、たいてい明くる日には忘れてしまう……ちゅうか、怒りの感情がもたへん。宿題を三つも出されたら一つは忘れてしまう。まあ、忘れへんのはコンクールの浦島の審査ぐらい。昨日も言うた? ええかげんひつこい。あたしには珍しい。


 で、忘れたらあかんもんを忘れてた。


 去年の七月にお婆ちゃんが亡くなったこと……。


 夕べお母さんに言われて、仏壇に手え合わせた。

 納骨は、この春にやる予定なんで、お婆ちゃんのお骨は、まだ仏壇の前に置いてある。毎朝水とお線香をあげるのは、お父さんの仕事。実の母親やねんから、当たり前言うたら当たり前。

 お母さんは、お仏壇になんにもせえへん。むろんお葬式やら法事のときはするけど、それ以外は無関心。

 佐藤家の嫁としては、いかがなもんか……と思わんこともないけど、そのお母さんに「喪中にしめ縄買うてきて、どないすんねん!」と言われたから、あたしも五十歩百歩。


 お婆ちゃんは、あたしが小さい頃に認知症になってしもて、小学三年のときには、あたしのことも、お父さんのことも分からんようになってしもた。

 それまでは、盆と正月には茨木市のお婆ちゃんとこ行ってたけど、行かんようになった。




 最後に行ったんは……施設で寝たきりになってたお婆ちゃんの足が壊死してきて、寝屋川の病院に入院したとき。


「もう、あかんかもしれん……」


 お父さんの言葉でお母さんと三人で行った。

 そのときは、JRの電車の中で、お婆ちゃんのことが思い出されて泣きそうになった……。


 保育所のときに、お婆ちゃんの家で熱出してしもうて、お婆ちゃんは脚の悪いのも忘れて小児科のお医者さんのとこまで連れて行ってくれた。

 無論オンブしてくれたんはお父さんやけど、あたしのためにセッセカ歩くお婆ちゃんが、お父さんの肩越しに見えて嬉しかったん覚えてる。


 粉薬が苦手なあたしのために指先に薬を付けて舐めさせてくれたんも覚えてる。その後、お母さんが飛んできて、一晩お婆ちゃんとこに泊まった。お布団にダニがいっぱいおって、朝になったら体中痒いかったんも、お婆ちゃんの泣き顔みたいな笑顔といっしょに覚えてる。

 それから、お婆ちゃんは脳内出血やら、骨盤骨折やら大腿骨折やらやって、そのたんびに認知症がひどなってしもた。

 お祖父ちゃんも認知症の初期で、お婆ちゃんのボケが分からんくて放っておけへんようになった。

 最初は介護士やってる伯母ちゃんが両方を引き取り……この間にもドラマがいっぱいあんねんけど、それは、またいずれ。




 伯母ちゃんも面倒みきれんようになって、介護付き老人ホームに。ほんで、お婆ちゃんは自分の顔も分からんようになって「お早うございます」と鏡の自分に挨拶し始めた。

「しっかりせえ!」

 お婆ちゃんの認知症の進行が理解でけへんお祖父ちゃんは、お婆ちゃんにDVするようになってしもて、脚の骨折を機に、お婆ちゃんだけ特養(特別養護老人ホーム)に行くことになった。

 それが三年のとき。お父さんは介護休暇を取って、毎日お祖父ちゃんとお婆ちゃんの両方を看てた。




 お祖父ちゃんの老人ホームと、お婆ちゃんの特養は二キロほど離れてた。お祖父ちゃんを車椅子に乗せて、緩い上り坂のお婆ちゃんの特養まで押していった。むろんあたしはチッコイのんで、手を沿えてるだけで、主に押してるのはお父さん。

 せやけど、道行く人らは、とてもケナゲで美しく見えるらしく、みんな笑顔を向けてくれた。お祖父ちゃんもあたしも気分よかった。

 その日は、たまたまお母さんが職場の日直に当たってて、あたし一人家に置いとくことがでけへんので、お父さんが連れて行ってくれたんと分かったのは、もうちょっと大きなってから。

 お父さんは、三か月の介護休暇中毎日、これをやっていた。


 お祖父ちゃんは11月11日という覚えやすい日に突然死んだ。中一の秋やった。

 あたしはお婆ちゃんが先に死ぬ思てた。

「お祖父さんが亡くなられた、お父さんから電話」

 先生にそう言われたときも、お婆ちゃんの間違いかと思った。


 そして、二年近くたった、去年の七月にお婆ちゃんが一週間の患いで亡くなった。


 見舞いは行かへんかった。お父さんと伯母ちゃんが相談して延命治療はせんことになってたので、亡くなるまで特養の個室に入ってた。お父さんは見舞いに行きたそうにしてたけど、お父さんは鬱病が完全に治ってない(このことも、チャンスがあったら言います)こともあって、伯母ちゃんから言われてた。


「あんたは来たらあかん」

 

 で、七月の終わりにドタバタとお葬式。それなりの想いはあったんやけど、昨日は完全にとんでしもてた。我ながら自己嫌悪。




 で、お仏壇に手ぇ合わせて二階のリビングに。で、観てしもた。


 テレビ朝日「あの名曲を方言で熱唱 新春全日本なまりうたトーナメント」




 東京で見る雪は こっでしまいとね

 とごえ過ぎた季節んあとで

 去年より だっご よか女子になっだ




 普通に歌うてたら、どういうこともないねんけど、方言で歌われるとグッとくる。熊本弁の『名残雪』なんか涙が止まらへんかった。

「なんでやろ……」

 呟くと、お父さんが独り言のように言った。

「方言には二千年の歴史がある。標準語とは背たろうてる重さがちゃう……」


 背たろうてる……


 なるほどと思った。方言は普段着の言葉で、人の心に馴染んで手垢にまみれてる。歴史を超えた日本人の喜怒哀楽が籠もっている。そうなんや……。


 そう納得した瞬間に、お婆ちゃんのことも、読まんとあかん台本も飛んでしもた。


 かくして、おこもりの元旦は日が暮れていった……。




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