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メロメロ、メッローン

作者: 佐藤コウキ


「佐藤さん。文学をやめたんだって」

 高木はテーブルに身を乗り出して、パソコンの前に座っている佐藤にたずねた。

「うん……、もう文学は分からないや……」

 小柄で小太りの佐藤は弱々しくつぶやくように言った。


 西向きの古い木造アパート、その1階の簡素な部屋。夕方にならないと日差しが入ってこない。

「それで、どうするんだよ。小説を書くのをやめるのか?」

 大柄な高木は、大きくて丸い顔に作り笑いを浮かべて座椅子にもたれた。30代の後半にしては老けた顔。

「……いや、これからはラノベを書こうと思う……」

 灰色のトレーナーを着た佐藤はキーボードを打つ手を止める。50歳にならんとしている彼は見るからに平凡で、うだつの上がらないオーラを漂わせているようだ。

「ライトノベルかよ。あれはガキの読むものだぜ」

 佐藤は、「ははは」という笑いを背中で受け取る。

 高木は勤め先の同僚だった。同じビルで設備管理の仕事をしている。彼も小説を書いていて、それが縁で付き合うようになったのだ。

「小説に垣根はないと俺は思う。その作品に色濃く出ている特色によって便宜的にジャンル分けしているだけだ。文学でもSFでも、エロ、ラノベでも基本は同じ小説さ。別に恥ずかしくはない」

 佐藤は、そう言って、またキーボードを叩き始める。

「そうかあ……違うんじゃないか? まあ、俺は文学を書いていると言っている方が格好良いと思うんだが」

「昔は文学の基準がはっきりしていたと思う。でも今は、公募の審査員が文学だと決めたものが文学なんだよ。……たぶん」

「ふーん」

 高木は立ち上がって佐藤の背後に寄り、画面をのぞき込んだ。

「あー、タイトルは『ファンタジー世界に転生した無職の俺は無敵で女の子にモテモテなんだが何か質問ある?』……かあ。長ったらしい題名だなあ」

 佐藤は迷惑そうに背中を曲げて高木の顔から離れる。

「えーと、この『エロ・ダイナモ・パニッシャー』てえのはなんだ?」

 画面を指さして聞いた。

「これは主人公の必殺技で、女の子の裸を見たり胸を触ったりしてエロパワーをチャージし、そのエネルギーで敵をやっつけるというものさ」

「かーっ」

 高木は喚いて古畳の上を転がった。

 やがて起き上がって佐藤を見る。その、ゆがんだ笑い顔には明らかに侮蔑が含まれていた。

「なあ、佐藤さんよお。もうすぐ50歳になるのに、パンチラちょいエロのマスカキ小説を書いていてどうするんだよ」

 佐藤は振り返る。にやついた高木の顔。

「いいかい、佐藤さん。仮にラノベの公募に入選したとしても、他の二十代の作家と一緒に記念写真を撮られるんだぜ。一人だけジジイがいたら目立つだろう。いい歳こいて中坊にコビコビのオナニー小説を書いていたことを親戚に知られた日にゃ、俺だったら恥ずかしくて自殺するね」

 佐藤は目を細めて言い訳を返す。

「小説というものは、そのほとんどがオナニー的要素を持っている。小説家は読者を気持ち良くさせるポン引き野郎だ」

「……意味が分かんねえな。第一、いくら大賞に応募しても佐藤さんの歳じゃ入選しないだろう」

「公募に年齢制限はないよ」

「文学はそうだろうけど、ラノベは違うさ。若い作家の方が伸びしろがあるんだから、同じレベルの作品だったら間違いなく年寄りは落とされる。見えない年齢制限があるに決まってんだろ」

「……そうかな」

「そうさ、だって編集者だって年下の方が扱いやすい。自分の親父くらいの歳の作家を相手にしたくはないさ」

 佐藤は黙り込む。そして、逃げるようにパソコンの方を向き、キーボードを打ち始めた。

 何も言わずにキーボードを叩いていると、思い出したように立ち上がり、棚の上のスマホを起動させてラジコを開く。

 スマホの小さいスピーカーからはラジオ番組のアーカイブ放送が流れた。


「メロメロ、メッローン。田村ひかりのいたずら黒ウサギでーす。今夜もよろしくねー」

 舌っ足らずの甘ったるい声が、6畳の薄暗い部屋に広がる。

「一週間のご無沙汰でーす。元気してたあ? ひかりが今夜もあなたにいたずらしちゃうぞ」


 高木は口を開けて呆けたような顔をしている。

「佐藤さん。何、これ?」

「前に放送されたラジオ番組だよ。もう一回、聞こうと思ってさ」

 高木に背を向けて、パソコンの前に座った。

「こんなのを二回も聞くのかよ。これってアニメ系の番組だよな」

 高木はテーブルに座った。

「ああ、田村ひかりというアイドル声優だよ。ラノベ研究のために聞いているわけさ」

 ふーんと言って高木は胸ポケットからスマホを取り出して検索する。

「お、かなり美人じゃないか」

 しばらくしてスマホの画面を操作する指が止まる。

「えー。この田村ひかりって40歳じゃねえか。佐藤さんはオバサンが好きなのかよ……。まあ、あんたの年齢とは合っているけどなあ」

「好きと言うより、番組なんかでのトークが気に入っているんだよ。軽妙な語りというかパーソナリティというか……。小説の勉強のためさ」

 佐藤の視線がウロウロと壁を這う。

「なんだこれ? この女、般若って呼ばれているらしいぜ。ああ、この写真なんか、はんにゃという感じだな」

 薄笑いを浮かべてスマホを操作する高木。

「人の表情は常に変化している。写りの悪い画像だけを取り上げてバカにするのは間違っている」

 佐藤は憮然とした声でクレームをつけた。

 そうか、と言って高木はテーブルに身を乗り出してスマホの画面を佐藤に突きつけた。その画面には田村ひかりのゆがんだ笑い顔が映っている。

「はんにゃあ」

 そう言って高木は口の端を曲げて挑発した。

 勢いよく振り返った佐藤は高木の襟をひっつかんで、テーブルの上に置かれていたカッターナイフをのど元に当てた。いつの間にか押し出されていた刃は、あごの下のけい動脈を捉えている。

「ひかりんを侮辱するな」

 佐藤は目を細めて、冷静な表情で高木を見つめていた。

 刃物から逃げるようにのけぞっている高木が、のど仏をゴクリと動かす。彼のスマホが畳に落ちて鈍い音を立てた。

「冗談だよな……」

 高木の引きつった声。しばらくの間、沈黙が部屋を支配する。

 佐藤は息を吐くと、カッターの刃をチキチキと収納した。

「冗談だよ……」

 カッターをテーブルに置くと、黙って背を向け、またパソコンの前に移動した。

 高木は大きくため息をつき、のどを手でさすって無事を確認する。

 また沈黙が部屋の時間を止めた。

 大きく息を吐き、静寂を破るように高木が言った。

「そんなにラノベが好きなら俺の文学作品と勝負するか」

 佐藤が振り返る。

「勝負?」

「ああ、いつも小説を投稿しているサイトがあるだろ。そこに同時に二人の作品を提出して、感想の多さで勝ち負けを決めるんだよ」

 佐藤は少し迷ったように天井に目を泳がせる。

「うーん。いいだろう。高木さんと小説対決だ」

 よし、と言って高木がうなずく。そして、含み笑いを浮かべて佐藤に話しかけた。

「実は俺も田村の隠れファンなんだよなあ」

 高木は両手を頭の上に持ち上げてウサギの耳を形作る。

「メロメロ、メッローン。なんちゃって……」

 佐藤はそれを見ると、鼻で笑ってからパソコンに向き直った。

 舌打ちをして高木が立ち上がる。

「じゃあ、勝負だぞ。忘れるなよ」

 そう言い残して高木は部屋を出て行った。


   *


 数日後、西日が差し込んでいる部屋で二人は座ってパソコンを見ていた。

 はあ、とため息をつき精彩を欠いている高木の丸い顔。

「やれやれ、俺の『本当の人生の厳しさ2』の感想が26件で、佐藤さんの『ファンタジー世界に転生した無職の俺は無敵で女の子にモテモテなんだが何か質問ある?』は22件か。1万件くらい感想が付くと思ったんだがなあ。まあ、とりあえず俺の勝ちだな……」

 そのサイトは、感想を書いた人に対して作者が返事をするという形式なので、実際には感想件数の半分が読者ということになる。

 佐藤はいつもの灰色のトレーナーを着て、同じパソコンの画面を見ている。

「君の感想のうち6件は感想人とのケンカじゃないか。それを除けば俺の勝ちだ」

 マウスを動かしながら佐藤は無表情で言った。

 高木は、「あー」と大きく吐き出すように言い、後ろに倒れて大の字になった。

「ちくしょう。このサイトは俺の才能を恐れて嫉妬しているやつばかりだぜ」

 天井を見る顔は口を結んで不満をあらわにしている。

 佐藤はパソコンの前にあぐらをかき、ブラウザを閉じてストーリーエディタを立ち上げた。そして、黙々とキーボードを叩いて次回作を書く。

「あー、やめた、やめた!」

 高木が大声を上げた。

「もう小説を書くのはやめた。こんなことを続けても金持ちにはなれねえぜ」

 しばらく黙り込んだ後、ゆっくりと起き上がって佐藤の方を向く。

「なあ、先輩から良い仕事に誘われているんだけど……佐藤さんも一緒にやらないか?」

 小さな目をさらに細めて佐藤を勧誘する。

「仕事?」

 佐藤は手を止めて振り返った。

「ああ、ちょっと訳ありなんだが、あんたも一枚かんでくれよ」

「……どんなことをやるんだ?」

「うん、大きな声では言えないんだけど……仕事は簡単さ。ブツを韓国から持ってきて、それをまた返すというだけのことさ」

 佐藤は眉をしかめて首をかしげた。

「金を……つまりゴールドを密輸して、それを韓国に持って行くだけだ。出るときは正式な手続きをして消費税を還付してもらう。そういった仕組みになっているのさ日本は……。これが本当の錬金術ってやつだ」

 高木は身をかがめ上目づかいで、挑むように佐藤に視線を送る。

 彼は目を伏せた。

「それって違法だよな……」

 高木はあきれたように上体を起こす。

「だからどうしたんだよ。法律を守っていて金持ちになれるかよ。今の金持ちなんかよお、タックス・ヘイブンとかのグレーゾーンを使って税金をごまかしているんだぜ。俺たちのような底辺が、きっちりと税金を納めているのはバカみてえじゃないか」

 興奮して言葉をぶつける。

「大体、法律なんてものは金持ちが政治家に金をつかませて、自分たちに都合の良いように作っているんだぜ。そんなものを律儀に守ってどうするんだよ」

 一呼吸置いて続ける。

「なあ、佐藤さん。俺たちの上には見えない天井があるんだよ。それをぶち破らないと大金を得ることはできないぜ」

 高木はにらむように佐藤の返答を待つ。佐藤は逃げるように窓の外を見た。台所の窓には格子が入っていて牢獄のような閉塞感がある。

「俺には……ちょっと無理かな……」

 佐藤がため息のようにつぶやいた。

「なんでだよ! 佐藤さんの細心さと俺の大胆さが組めば、大きな仕事ができるぜ。せっかくのチャンスを捨てるのかよ」

 高木は佐藤は向き直って言った。しかし、彼は首を縦に振らない。

「俺には小説があるから……」

「はあ……小説?」

 高木は呆けたような顔で言葉を止める。

「……大体よお、なんで佐藤さんは小説を書くんだ。ブログにアップしても客がほとんど来ないだろう」

 うつむいて黙り込む佐藤。迷うようにポツリと言う。

「俺が……生きてきた証を残したいからかな……」

「生きてきた証?」

「ああ、俺が死んだ後でも、残った小説を誰かが読んでくれたなら、そこで俺は生きていると言えるだろう……。作家の魂は小説の中に残るのさ」

「ふーん。じゃあ、さしずめ古本屋は小説家の未練がフヨフヨと浮いている墓場ってことかい」

 それを聞いて佐藤が苦笑いを浮かべる。

「なあ、佐藤さんは小説にパスワードを掛けているんだろう。だったら佐藤さんが死んだ後で開けないじゃないか。印刷していたとしても遺族が少し読んで、つまらないと思ったら捨ててしまうだろう。投稿サイトだって数年も更新しなかったら削除しちまうよなあ……。仮に出版していても売れなければ古本屋にも残らないぜ」

 ぎこちなくうなずく佐藤。

「あんたの生きた証なんて残らないんだよ! そんな死んだ後のことをグズグズと言うよりも、今現在の生きているときに楽しむことを考えなきゃ」

 口を半開きにしたまま佐藤は無言で視線を外している。

「佐藤さんは金を儲けて、今までバカにした奴らを見返してやりたいんじゃなかったのか。大きな家に住んで美人と結婚するんだろう。フェラーリ買ってよう、クルーザーを手に入れて人生を楽しみたいって言ってたじゃないか」

 うん、と佐藤は小さく肯定する。

「だったらチャンスに掛けてみようぜ。男なんてものは、大金を手にして高級車を乗り回して良い女とやりまくれば、それで満足する生き物なんだよ。……そんなものさ、そんなもん」

 高木は興奮して息が荒くなっていた。

「俺は天井を突き破って浮き上がってやる! フェラーリを買って女を助手席に乗せるんだよ。その後は女に乗せてもらう。そして、フェラでもしてもらうかな……フェラーリだけに、なーんちって」

 彼はグフフと笑った。佐藤もつられて口の端を曲げる。

「なあ、佐藤さんよお。俺と一発、勝負してみねえか。大きな仕事をやろうぜ」

 佐藤は無表情になって黙り込む。薄暗くなった静寂の部屋でパソコンのファンが小さくうなっていた。

 やがて、首を小さく横に振る。

「うーん。俺には似合わないかな……」

「なんだよ! 勝負しないのかよ。そんな腰抜けでどうするんだ……。じゃあ、これからもビル管理の仕事を続けるのか。毎日、メーターの検針をやってよお、蛍光灯を交換してトイレの詰まりや水漏れを直して、そんなことを定年まで続けるのかよ。それで後悔しないのか。安い給料でさあ、年金なんて当てにできないぜ」

 佐藤はゴシゴシと両手で顔をこすった。

「……小説を書くことをやめたら、後悔するような気がする……」

 ため息をついて高木は軽蔑をあらわにした目で見る。

「そんなあいまいな理由で書き続けるのか……それこそ後悔すると思うがなあ」

 じっと考え込む佐藤。この部屋の時間だけがゆっくりと流れているようだ。佐藤はぽつりと言う。

「理由? 理由……か。俺が小説を書き続ける本当の理由……それは小説を書くのが楽しいから……かな……」

 それを聞いて高木は大きなため息を吐き出した。

「救えねえな……」

 そう言ってテーブルの上のスマホを胸ポケットに入れた。

「じゃあな佐藤さん。せいぜいガキンチョのチンポをおっ立たせるよな小説を書いていろよ」

 立ち上がって玄関に向かう。

「俺は大金を手にしてフェラーリを買うからよ。そのときは乗せてやるよ……助手席にな」

 高木は部屋を出て行った。

「俺にはフェラーリのハンドルを握る資格はないということか……」

 小さく独り言。そして佐藤はパソコンに向き直り、小説の続きを入力する。


 日が沈んで暗くなった部屋。カチャカチャというキーボードの音が響いていた。

 しばらく執筆した後、ゆるりと立ち上がって棚の上のスマホを操作する。

 そこからは田村ひかりのラジオ番組が流れ始めた。かび臭い部屋に異世界から来たような、お気楽トークが小さく充満する。

 佐藤は満足したように口をほころばせてパソコンの前に座った。

 真っ暗な空間、画面の明かりに照らされた佐藤の顔だけが浮かぶ。

 キーボードを打つ手が止まった。

「メロメロ、メッローン」

 そうつぶやいて薄笑いを浮かべると、また佐藤はキーボードを叩き始めた。


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