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5.祭前夜

 紅珠(コウジュ)が持ち出してきた軽い夜食をつまみながら、紅珠と明青(ミンセイ)の二人は長いこと話し込んでいた。

 内容はといえば、明青がこれから受ける皇立呪術研究所のことや試験のこと、吐蕃(トゥバン)、特に大都(ダイト)のこと、その他の地域のこと、各地で行なわれている春祭の話、王城の噂話などなど。くだらないことからけっこう面白いことまで、内容は広く浅く所々深くといった感じであった。

 紅珠と明青は会って二回目であったが、どうやら馬が合うようで、紅珠も久し振りに自分が、どうでもいいことで楽しんでいるのを感じていた。

 特に、庶民ではなかなか聞くことのできない城内の噂を聞くことができたのは、彼女にとって相当有意義であった。何故大都に来て一月ほどの明青が城内の噂を知っているのかといえば、それは彼女が幹部候補生養成所である皇立呪術研究所に出入りして勉強しているからである。彼女は宿舎に用意されている資料のみでは満足できずに、実際研究所に勤務している研究員に積極的に話しに行っており、そんな彼女をかわいがってくれる研究員が、特別に、と研究所にも彼女を招いてくれたりしているのだという。

 皇立呪術研究所は、(オウ)直属の研究機関で、そこでの研究成果が軍事、政治、宗教といった、吐蕃の重要な職で活かされている。研究員は同時に軍人であったり政治家であったり、神職であったりもするのである。当然の如く、城内の情報も耳に入ってくるというわけである。

 中でも、紅珠が気になったのは『皇公(オウコウ)会議』が行われるという情報であった。

「『皇公会議』?…何故、こんな時期に?それもまた随分急に……」

紅珠が眉を顰めるのを見て、明青が首を傾げる。


 明青は『皇公会議』というものを、研究員から聞くまで知らなかった。それも無理のないことで、彼女の出身は吐蕃皇国の東海岸地域にある山東(シャントン)県である。「県」は吐蕃皇国において自治権を認められていない。当然『皇公会議』に出席したり関わったりする立場にはないのである。恐らくそんなことが行われているという事実すら、一般には知らされていないのだと紅珠は推測した。しかも彼女の両親はごく普通の労働者であり、政治のことなど全く分からない生活だったのである。


 一方、紅珠は『皇公会議』のことも、前回の会議のことも知っていた。

 『皇公会議』とは国の大事な採決事案を話し合って解決するために特別に開催される会議のことで、主要な出席者は皇と北・東・西の各公か、その代理人の計四人である。この会議は、半分は皇国の統治が順調にいっていることを国の内外に知らしめるための儀礼的な意味合いも含んでおり、特に重要な議題がなくとも、数年に一度は開催されるのが暗黙の了解となっていた。

 しかし近年では、3年前に行なわれたばかりで、いかにも早すぎる。しかもこの会議は特に急な決定事項でもない限りは半年ほどの充分な準備期間を設けて開催されるのが常であり、決して、こんな二ヵ月程度前に開催が決定されるようなものではないのである。

 前回の『皇公会議』は皇位交代のために行なわれた。老齢の前皇から今上皇に皇位が譲られた。三公による皇の信任と、皇による北・東・西公国の公、および皇国の各職への任命、叙任式、そして新皇の即位式のため、三公が当時の吐蕃皇国の首都であった「江州(コウシュウ)」に集ったのである。

 そういったことは知っていた紅珠であったが、この夏に『皇公会議』が行われるという事実は、今が初耳であった。


「噂では皇妃様を決定するためだそうよ」

 紅珠の疑問に、明青が答える。

「皇様が即位してからもう三年になるし、そろそろちゃんと皇妃様を決めないといけないだろうって、言われ続けてたらしいから、多分それじゃないかって」

(立皇妃…ねえ……)

 それはそれでもっともらしい理由だと思いつつ、紅珠はそれでも納得し切れなかった。

 「皇妃」とは皇の妃として最も位の高いものに与えられる称号である。皇には数多くの妃がおり、彼女たちは王城である「円城」内にある後宮で暮らしている。しかし何人妃がいようと、「皇妃」となることができるのはたった一人である。そして一度「皇妃」が決定されると、それはめったなことで廃されるものではない。「皇妃」とは皇に次ぐ皇国の権力者であるからである。そして吐蕃皇宮内では唯一といってよい、女性の権力者でもあった。故に、その擁立も慎重に行なわれる。

 今現在、「皇妃」に最も近い立場にいるのは、「皇妃」に次ぐ高位の称号である「王妃」の位にある東公(トウコウ)の娘姫である。普通に考えるならば、王妃がそのまま皇妃に任命されるであろう。

「でも今、大都では火晶(カショウ)様が人気あるからね…」

 現在大都の、いや、吐蕃皇国民全体のアイドルである火晶妃は、皇の妃だが無位の姫である。出身は北方。詳しく言うなら西域諸族の一部族である(ショウ)氏の娘である。一部族とはいえ、昌氏は北の公国にも強い影響力を有する大諸侯である。しかし王妃の父親、すなわち沢東(タクトウ)公とは、家柄も勢力も桁違いである。

 にも関わらず、「皇妃」に火晶の名が挙がるのは、一般の民に馴染みのない東公の娘姫よりも圧倒的に火晶の方が民に人気があり、何より現在皇の寵愛を一身に受けているという事実があった。

「みんなは火晶様が皇妃様になればいいのに、って言ってるわ」

 無邪気に笑いながら言う明青に、紅珠は苦笑する。

「しかし火晶妃は後ろ盾が弱いからな…それに東の姫君は、とても皇妃に相応しい器量をお持ちだと聞く。火晶妃が皇妃になるのは少し難しいだろうな……」

「…紅珠ってば、夢がない」

 生真面目な表情で分析する紅珠を、明青は少し呆れたように笑った。



 そんなたわいもないことを話しながら、二人は夜の大都を歩いていた。もう夜も遅いので、明青の宿舎へ送っていく途中なのである。どうやら紅珠が心配したような、「何か」が明青にあったわけではなく、ただなんでもない話ができる相手が欲しかっただけらしい。


「それにしてもあなたって不思議な人ね」

 ふとしたように明青が言う。

「よく言われるよ」

紅珠がさらりと言って、笑った。しかし明青は笑わず、真面目な顔でじっと紅珠の顔を見詰める。

「…………」

 あまりじっと見詰められすぎて居心地が悪くなったのか、紅珠が苦笑いしながら首を傾げる。しかし明青はめげずに何かを考えているようにじっと紅珠を見詰めている。

「ねえ、それ…」

 明青が何かを言いかけたその時、紅珠が不意に明青を制した。そのまま何気ない視線で周囲を一瞥する。

「明青、あなたは術者だったね。戦ったことがある?」

 歩く速度を変えないまま、ちらりと明青を振り返りながら紅珠が訊ねる。

「え?戦うって…?」

 確かに明青は術力を持っていたし、そのためにいじめられたりしたこともあり、術を他人に使ったこともあった。しかしそれは喧嘩と呼べる程度のものではあっても、戦ったことがあるかといわれれば、彼女は戸惑うしかなかった。

「…構わない。自分の身を守ることができればそれでいい」

 明青の思考を読んで、紅珠が言った。そして厳しい視線で振り返った。

「すぐそこの角を右に!」

 視線は後方に向けたまま、紅珠が鋭く明青に指示する。明青は戸惑いながらも素直に従う。その道は馬車一台がやっと通れるくらいの幅で、両側には高い塀が続いていた。既に彼女たちは大都の行政区の辺りを歩いていた。深夜であるために、周囲には人気がなかった。

 明青に続いて角を曲がった紅珠が、身構えながらすぐに振り向いた。謎の紅珠の行動に明青は戸惑っているだけであったが、次の瞬間、闇の中に人影を見つけて、びくりと心臓が跳ね上がる。

「きゃあ!」

 思わず悲鳴を上げる明青を背中にかばうように、紅珠が道の角から現れた男たちの前に立ちはだかる。

(1、2、3……5人?)

 職業柄鍛えられた夜目で、暗がりに身を隠している人影を数え、紅珠は内心首を傾げる。

「こ、紅珠…?」

 上ずった明青の囁きに、紅珠は振り向かずに頷いてみせる。

「落ち着いて。私はあなたをちゃんと守る」

紅珠の揺ぎ無い言葉は、驚きと不安にどきどきしていた明青を、少し落ち着かせた。

「明青。落ち着いて。後ろを見て。誰かいるか?」

「…いない」

(……)

明青の言葉に紅珠は僅かに眉を寄せる。その間にも人影は近づいてくる。紅珠たちが自分たちに気が付いたことが分かったためか、もはや姿を隠す必要もないと思ったのか、ぞろぞろと二人に近づいてくる。その無造作な動きに、紅珠は益々疑問が胸に湧き上がる。

(…何だ?こいつら)

「そうだ。おとなしくしていろ。怪我をしたくないならな」

 逃げようとしない二人を、怖がって足が竦んでいると誤解したのか、人影の一つから声がする。その嘲笑うような酷薄な声に、明青は表情を強張らせた。しかし紅珠は表情を変えず、更に疑問が胸に積もるのを感じる。

(私の敵…ではないな。明青?……それにしても)

「お前らは幸運だぞ。何といっても神のお役に立てるのだからな」

しかし続いた台詞に、紅珠は本格的に首を傾げる。

「…明青、聞き覚えのある声か?」

「……そんなわけ、ないじゃない」

明青がむっとしたのが背中を向けていても紅珠には分かった。

「いくらあいつらが馬鹿でもこんな狂信者使うほど人生捨ててないはずよ」

 明青が『あいつら』と呼ぶのは、彼女同様、受験のために宿舎に入っている者たちのことである。世界一厳しい試験の受験生同士は、どうやら協力するよりも足を引っ張り合う傾向にあるらしく、明青はそのターゲットにされてしまったらしい。先日、彼女を追いかけていた「使役獣」は、受験生の一人が彼女に差し向けたものであったことが、既に判明している。

 しかしいかに秀才揃いの受験生とはいえ、暗闇で人を襲うような怪しげな人間と関係のあることが分かれば、受験資格すら危うくなる。そんなリスクを背負ってまで明青に嫌がらせをする理由はない。

 ばさり、と音がして、地面に何かが投げ出される。

(…網!?)

「捕らえろ!!」

 それを合図に、人影が飛び掛ってくる。暗がりでは見辛かったが、どうやら棒状のものを持っているらしいと見て取り、紅珠は手加減しないことにする。何しろ紅珠は今、完全な平服であり、武器を持っていないのである。

「壁に背を付けて、自分の身は守りなさい!」

 紅珠は一度だけ振り返って明青に指示すると、そのまま地を蹴った。



 数歩助走をつけると、そのまま足を跳ね上げる。革のサンダルが黒装束の顔面を蹴り飛ばす。そのまま身体をひねり、左肘をもう一人の胸に叩き込む。

 一気に二人を倒した紅珠に、黒装束たちの間に戸惑いが広がる。彼らはか弱い女二人を捕らえるだけのつもりだったのだろう。反撃され、しかも自分たちがやられるということは考えていなかったに違いない。

 紅珠は向き直って再び体勢を整える。その時、黒装束の下の顔が月影に微かに浮かぶ。それを目にして、紅珠はやはり内心首を捻った。

(…狂信者の表情、では、ない?どちらかといえば役人っぽい…?)

 しかしのんびり考えている場合ではない。紅珠は軽く身を沈めると、再び跳ね上がった。

「こ、このやろう……!!」

 驚いたではあろうが、まだ自分たちの有利を、彼らは疑っていなかった。手に手に棒を構え、向かってくる紅珠を迎え撃つ。


(す、凄い……)

 紅珠の言った通り、壁に背中を預けて身を守っていた明青は、目の前の紅珠の戦いにあっけにとられつつ、じっとその行方を見守っていた。いや、目を奪われていたといっても過言ではない。

 三対一、いや、胸を強打された男は立ち上がったので四対一となっていたが、それでも紅珠の身体には、一発も打撃は打ち込まれていない。紅珠は身軽に動き回って巧みに彼らと一対一の状況を作り、打撃を受け流しつつ、確実に急所に攻撃を打ち込む。一人は首筋に、もう一人は腹に蹴りを受けて地面に昏倒した。

 紅珠の動きはまるで先ほどの舞を見ているようで、しかし確実にそれとは違う凄みと力を振るう。武器を持った男たちを相手に素手で圧倒する紅珠に、しかし明青はふと疑問を覚える。

(あの人、武器を持ってないのに…なんで…?)

 そんな考え事をしていたことが油断となったのか、明青は目の前に男がいることに気が付くのが遅れた。

 はっとする明青の目に、両手で網を持った男が、荒い息をつきながら近付いてくるのが映った。

「いやあ〜〜!」

 表情と声を引きつらせて、明青が悲鳴を上げる。その声にはっと紅珠が振り向く。

「明青!術を!」

(わ、分かってるけど…)

紅珠に言われるまでもなく口と手を動かしかけていた明青だが、一旦動揺してしまったため、その全てがちぐはぐになってしまっている。そんな明青を、男は歯をむき出して厭な声で嘲笑った。そして壁際の明青に飛び掛りつつ、網を投げた。

(!!……)

 明青の焦る表情が一変し、ぎっときつい目で網と、飛び掛ってくる男を睨みつける。

「私に触れるな!!」

明青の怒鳴り声と同時に眩い光がほとばし迸り、男が背中から吹っ飛ぶ。彼は地面に叩きつけられてくぐもったうめき声を上げると、しばらく痙攣した後、ぐったりと動かなくなった。その側に落ちた網は、瞬時に炭化したように真っ黒になっていた。

(…炎の術力、か…?それにしても術を為していない、純粋な術力だけであの威力。相当なものだ)

 その様子を目の端で確かめつつ、紅珠は横から明青に近付こうとしていた男の懐に飛び込む。そして全身の体重を乗せた肘撃ちをその腹に叩き込んだ。



 全員を斃したのを確かめると、すぐに紅珠は明青を連れてその場を離れた。

 襲撃者の正体も、その目的も不明なままではあったが、明青がいる以上、彼女の身の安全が最優先事項であった。

 宿舎への道を急ぐ紅珠を、やっと息を落ち着けた明青が引き止める。

 繋いでいた手を引っ張られて、紅珠が振り返った。

「なんで?」

怒りの表情の明青に、紅珠は不思議そうな表情を返す。

「なんで?何であなた、あんな戦い方なの?」

「何故と言われても。私は戦士だからな。武器も持っていなかったし」

当然のように答える紅珠に、明青はぶるぶると頭を振った。

「だって、あなた術者でしょう!何で術を使わないの!術具だって身に着けてるんでしょう!?」


 明青は今こんなことを言うべき場面ではないことを、頭の片隅では冷静に理解していた。これは単なるヒステリーであるということも。しかし襲われて怖い思いをし、それ以上に武器を持った多人数相手に素手で戦う紅珠の姿を見せつけられて心配に胸を痛めた反動は、止められなかった。

 頬を紅潮させて睨まれて、紅珠は僅かに苦笑した。

「落ち着きなさい。あなたは勘違いをしている。私は術者ではない。術具は確かに身に着けているが、これは攻撃用ではない」

 あくまで穏やかな表情と口調で、紅珠は明青を宥める。

「嘘よ、あなたは確かに術力を持っている。でなきゃあなたは術力に対抗できるわけない。私の術力を測れるわけない。私、分かってんだから。実力を全く持たない人間は術者の能力を測れない。強さとか、能力の内容とか、見抜くことができるのは術を持っている人だからだし、だから私だってあなたに術力を感じてるんだし。あなただって私が戦えるだけの術力を持っているって分かったんでしょう、そういうことじゃない」

 明青の言葉は、正しいものであろう。しかし紅珠は静かに笑いながら頭を振っていた。

「例え術力を持っていたとして、それが戦闘に使えるか否かは別問題でしょう。それに多分、あなたが感じている術力というのは、私の身を守っている術具のものだわ」

 言いながら、紅珠は髪留めを外して明青に差し出した。鈍い輝きの銀細工で、暗がりでは判読できないほど細かく何やら文字のような、紋様のようなものがびっしり刻まれていた。

「これは私の養父(ちち)が私の身を守るために、特別に作ってくれた護身の術具なの。養父は術で身を守ることのできない私のために、たくさんの護身用術具と攻撃補助術具を持たせてくれた。それらはこの世に二つとないものばかりだし、間違いなく最高級の能力を持った術具ばかりだわ。だから、私は今まで無事に旅を続けてこられたの」

そして、紅珠はにっこりと笑った。

「今、私がここにあるのは養父のおかげ…養父の持たせてくれた術具が私を護ってくれているからなの。私は、養父に感謝してもし足りない。それぐらい養父のことを愛しているのよ」

紅珠の笑顔は純粋で、明青は思わずどきりとして見入ってしまった。それからはっとして気をそがれたように俯く。

「さ、それよりも早く。またあいつらみたいなのが襲ってこないとは限らないんだから」

 紅珠がやはり穏やかな声で言い、明青に手を差し出す。明青は俯いたまま、頷いた。

「…ごめんなさい。取り乱してしまったわ」

自分の言葉が単なる恐怖の体験の反動からのヒステリーであったことを自認して、恥じ入っている明青に、紅珠は無言で頭を振った。




「あなたは何故、たたかっているの?」


 不意に聞こえた声に、紅珠は首を回らす。しかし闇の中、誰の姿も、光すら見当たらなかった。

(この声は…)

 しかし紅珠にはその声に心当たりがあった。ここのところ、何度も聞いている声であった。


「あなたは、何故そんなにたたかっているの?」


「そんなもの、戦わねばならないからに決まっているだろう」

 重ねられた問いに、紅珠は答えた。一片の迷いもなかった。

「人には色々な生き方が用意され、与えられているのであろう」

「そこにはたくさんの選択肢が用意されているのかもしれない」

「でも、きっと人が自分自身のために選ぶ選択肢は、きっと始めから一つしかないのだ」

「私は、私の信ずる道を選んだのだ」

「それは、戦うことで道を切り拓く道だった」

「それは、偶然であり、必然であったのだ」


(……?)

 語るうちに、ふと紅珠は違和感を覚える。

(…何故?)


「そんな選択肢は存在し得ないと言ったら?」


(……?)

 姿なき声に心が反応する。その事実に、紅珠の内心が戸惑っている。


「人生に選択肢など在り得ない。人に与えられた道はたった一つしかない。それは誰がどう足掻こうと、決して違えることなど叶わない。何故なら人はその生き方を背負ってこの世に生まれてきたものなのだから」


「そんなことはない」

(ちょっと…待ってよ)

 紅珠が心で叫ぶうちにも、言葉は止まることがない。

「私はもしかしたらあの時、死んでいたかもしれない。もしかしたらあの時、砂漠に迷って野垂れ死んでいたかもしれない。もしもあのとき、あの人の言葉に従っていなければ、命を失っていたかもしれない。私はたくさんの偶然に偶然を重ねてこの世に生まれ、そしてここまで生きてきた」

(何で、私はこんなことまでしゃべろうとしているの!)

 紅珠の内面が、強烈に反発する。喉を押さえようとするが、そうできた実感もなかった。

「沙漠で生きると決めた、それも私の選択だし、ちち養父に剣を、戦い方を習ったのも私の選択だ。私は無数の選択肢を選んで、ここまで来た。お前に会おうと決めたのも選択肢の一つだ」


「それだって、仕組まれているのかもしれない」

「あなたは、ここまで、導かれてきているのかもしれないよ」


「それならそれだって構わない」

(……私、は)

 紅珠の内心はともかく、言葉には迷いはなかった。

「私を導く者がいたとして、その道を踏み外すという選択肢は常に無条件に存在しているはず。私はそれを選択しなかった。それならそれで、私が今ここに立っているのは私の意思の結果だ」

(そう、迷っては、いないわ)

「私は、お前に会いたいと思ってここまで来たのだ。お前に会って、力を借りたい。お前の助けを得たい。それが例え仮に誰かに操られた結果であったとしても、今の私は私の意志でお前に乞う」

「私に、お前の力を貸して欲しい」


 紅珠の言葉に、闇の中のどこかにいる者が笑ったような気配が、微かにあった。


「本当に、あなたという方は………なのですね」


「?」

 笑いを噛み殺しているような言葉のために、紅珠には一部分が聞き取れなかった。しかし反問する前に、再び言葉が続けられた。


「あなたの言葉を聞くことができました」

「あなたの心を聞くことができました」

「承知いたしました」

「あなたに道を開きましょう」


「え…」


 そこで紅珠は目を醒ました。


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