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吾輩は猫になる  作者: カニオトコ
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第二章 僕の通夜

 


 目を開くと強い西日が目に飛び込み、僕は驚いて目を強く閉じた。そして恐る恐る目を少しずつ開いていくと、見慣れた近所の公園が見えた。その公園の隅に僕は横たわっていた。

 ブランコと滑り台があるだけのあまり広くない公園だ。まだ六時ごろだろうが、人は一人もいなかった。なぜ僕はこんなところにいるんだ? 漠然とした不安だけが胸に残っていたが、頭は靄がかかったみたいにぼやけていた。

 記憶をたどってみる。そうだ。シシャノセカイへの入り口とかなんとかっていう場所で変なおっさんと話していたんだ。確か俺が死んだとか未練が残ったとか……。

「変な夢だったな」と僕は胸の中でつぶやいた。そして息を大きく吸い込み、吐き出した。何だか久しぶりに呼吸をした気分だった。

 顔をあげて夕日を薄目で見た。今まで数千回も見た光景だけども、まるで初めて見たかのような感動を覚えた。夕日が反射する窓ガラス、電信柱に泊まっているカラス、気持ちよさそうに風にゆれる木々がとても愛おしかった。

 ああ、僕が毎日死んだように生きていたから、神様か誰かがそれをいさめるためにあんな体験をさせたのか、と僕は思った。

 これからは生を精一杯楽しもう、なんて考えながら体を起こすと、違和感を感じた。視線が妙に低い。膝くらいの高さしかない。いやな予感がする。ゆっくりと視線を落とす。二本の茶色の小さな足が目に入る。茶色?ゆっくりと手をあげ、掌を見る。本来指紋があるはずの掌には肉球がついていた。後ろを振り返る。茶色の身体と茶色の足、茶色のしっぽが見えた。

「まじかよ……」深いため息が出た。

 僕は猫になっていた。

「どうしたんですか。さえない顔をなさって」

 聞きなれた声がした。声がしたほうを向くと太った灰色の猫がいた。

「おっさん?」

「おっさんとは失礼ですな」

「……夢じゃないんですね」もう答えは分かり切っていたが、聞かずにはいられなかった。

「ええ、当然です」

 がっくり肩を落とした。肩と呼べるような部位はほとんどなかったけど。

「仕方ありませんよ。いまさら悔やんでも仕方ありませんもの」

「まあそうだけど……」

「それにほら、こうしてまた現世に戻ってこれたわけじゃないですか。どうです。見慣れた景色でも素晴らしく美しく感じられるでしょう? 空腹は最高のスパイスって言いますからね。心が飢えているときにはじめてその素晴らしさに気づけるんですよ」

「まあ、確かに戻ってこれたのはうれしいけどさ、なんで猫なの?」僕は不機嫌に訊いた。

「中くらいのサイズ、と言ったでしょう」

「いや、まあ確かに言ってたけどさあ……」

「まあそう落ち込まないことです。実は人間よりも動物のほうがむしろいろいろと都合がいいんですよ。あまり怪しまれませんし、盗み聞きも容易ですしね。だから私たちの部署では何種類もの動物の肉体を用意しているんです。猫、犬、カラス、鳩、タヌキ、リス、中にはカバやマウンテンゴリラなんてものもありますよ」

「使うときあるの?」

「まだないです。でもそのうち使えるときが来るかもしれませんよ」おっさんは笑った。

「来るわけないでしょ」僕は鼻で笑ったか、おっさんは僕の嫌味を無視した。

「まあ、とりあえず、お通夜へ行きますか。ちょうど今から始まるようですよ」おっさんが、まるで今から夏祭りに行こう、と言うような調子で言った。

「通夜?僕の?」

「ええ、以外に誰がいます?」そういっておっさんは歩き始めた。

「まあ、そうか……」僕以外の人が、僕のために通夜を開いてくれているのにその事を僕は何も知らないし知るすべもない、という事がひどく不思議で、少し滑稽に思えた。

 しばらく無言でおっさんと二人家まで歩いて行った。空の雲、電信柱、近所の家、草木、虫をついばむスズメ。全部をしっかり目に焼き付けておこうと、周りを見渡しながら歩いた。今までずっとそこにあったはずだったが、全部が新鮮に見えた。ああ、こんなところに猫の置物なんてあったんだな。この草はススキだろうか?小さいころ葉っぱで手を切ったな。母さんが慰めてくれたっけ。ああ、この家は確か小学校の友達の馬場ちゃんの家か。もう四、五年あってないな。元気にしているかな。久しぶりに会ってみたいな。

 そんなことを考えながら歩いていると、僕の家が目にはいった。。もう、築三十年近いらしく、白い壁は軽くすすけている。気持ちの悪い虫がたくさん出るし、見た目は古ぼけているから僕はその家があまり好きではなかった。でも今はその家を目にするだけで胸が痛いほど愛おしくなり、あふれてくる涙をこらえるのに大変だった。あるべき場所に帰ってきたと感じた。だが、玄関に立っている僕の通夜が開かれていることを知らせる看板をみたとき、その場所はもうなくなってしまったことを僕は悟った。それと同時に、さっきこらえたのとは別の涙が目から溢れてきた。ああ、そうか。僕はもうここにはいないんだ。そう考えると涙が止まらなかった。死んだように生きてたとはいえ、今までいた場所に二度と帰ることができないのはやはり悲しかった。僕が泣いているあいだ、おっさんは気を使って何も話さないで横でじっとしていてくれた。

「……もう大丈夫ですかな?」しばらくたって僕が落ち着いたのを見て、おっさんは言った。

「うん……。まあなんとか」

「よし、じゃあ行きましょうか」そういっておっさんは塀の上に飛び乗った。

「うん」僕はそれに続く。。

「すげ、こんなに飛べたの初めて」

「ええ、身体能力も猫ですから。どうです。なかなか猫も悪くないでしょう」

「ああ、いいね」僕は微笑んだ。

 裏の窓の前まできておっさんが言った。「さあ、覗きましょうか」

「覗きって……、気分悪いな」

「なに、今私たちは猫なんですから。状況が違います」そう言っておっさんは窓に近づいて中を覗いた。僕もそれに続いて中を覗く。

 そこからはちょうど、通夜の全体が見れた。奥の棺がある。棺の中はここからじゃ見えなかったが、僕が横たわっているのだろう。

 棺の近くに母さんと父さん、兄貴が座っている。母さんは号泣している。父さんは赤い目をしながら、列席者にあいさつしている。兄貴は青白い顔で放心状態だ。みんなこんなに悲しむなんて、と僕は驚いた。もうすでに夕食の時ですら家族との会話はほとんどなくなっていたし、父さんとなんてここ二年はまともに会話していなかった。なんだか、心が痛い反面、うれしいような、複雑な気持ちだった。

 列席者のほとんどは同級生や先生といった知り合いだったが、ちらほらと名前も思い出せない人もいたし、顔すら覚えてない人も何人かいた。しかし、当たり前のことではあるが、彼ら全員が悲しい顔をしていた。

「なんだか変な気分だな」僕は苦笑いした。

「自分の通夜を見ていることがですか?」おっさんが聞く。

「まあ、それもだけどさ。なんていうか、かかわりが薄かった人までも自分が死んでショック受けてることがさ。ああ、僕が死んでこの人たちはショックなんだなって。それで……」

「人が死んでショックじゃない人なんていませんよ」おっさんが口をはさむ。

「まあ、そうなんだけどさ。変な話、死んで初めて自分が存在していたってことに気づいたっていうか。いまさら生きていたことを実感したっていうか。それが変な気分でさ」

「できた空白で自分の存在がそこにあったことを知った、ってことですね」

「ああ、うん。そんな感じ。皮肉なもんだね」僕は苦笑いした。

 もう一度列席者を見ると、前から2列目の席に、見覚えのある後頭部があった――美希だ。肩を震わせてる。しゃくりあげる声がここまで聞こえてきそうだった。ああ、最後に話したのいつだっけ? 多分喧嘩した時だよな。あーあ、あんなくだらないことで喧嘩なんてするんじゃなかった。もっと大切にしてあげるべきだった。と僕は思った。

「あれが彼女さんですかな?とても悲しんでる様子ですね」おっさんが僕の視線を読んで言う。

「ああ、なんだか申し訳ないな」また苦笑する。

「彼女を残して死んでしまったことがですか?」

「いや、いま改めて考えてみたら、美希に対して何もしてやれなかったな、って思って。そりゃあ記念日にはプレゼントを贈ったし、デートも何回も行ったけど、もっと美希のためにしてできたこともたくさんあったんじゃないな、って思ったんだ。ちゃんと話を聞いてあげたりさ」

「海老名のデートのことですか?」

「まあそれもだけどさ。他にもいろいろと」

「そうですか」おっさんがにっこりと微笑んだ。

「まあでもさ」なんだか僕は恥ずかしくなって声を張り上げていった。「美希にはもっといい男と付き合ってほしいな。背が高くて、色が白くて、頭がよくて優しい男みたいなのとさ。俺が死んだくらいでくよくよしないで前を向いて生きてほしいな」

「ええ、そうですか」そういっておっさんはまた微笑んだ。「彼女さんと話している隣の男の子は誰ですか?」

「ああ、あれは友達の修也だよ。三年生のクラスで初めて一緒になったんだけどさ、なんだかやけに馬が合ってね。よく二人で遊んだよ。海に行ったり靴買いに行ったりさ。たまには美希もつれてさ、三人でカラオケ行ったり」

 昔のことを思い出すと胸がじんわりと暖かくなった。ああ、もうあのころには戻れないのか。懐かしさの温かみと哀しみの冷たさが、胸の中で混ざり合った。

「あいつになら、美希を任せられるな」そういった直後、別に僕は父親でも何でもないのに何を偉そうなこと言ってるんだ、と恥ずかしくなった。

 でもおっさんはそんなこと言わずに微笑んだ。

「ええ、お似合いの二人ですな」とおっさんが言った。

 その直後、修也が泣いている美希の肩に手をまわしたのが見えた。

「……」

「……」

 ぼくもおっさんは何も言わなかった。僕は少し困惑し、何を言うべきかわからなかった。おっさんが横でそわそわしているのが分かる。おっさんも僕に難を言うべきかわからないのだろう。

「ふ、まだ肩を抱いてるだけじゃん。慰めてるだけだよ」動揺を隠しながら言う。おっさんが横で気まずそうに相槌をうつ。

 すると、美希の頭が修也の胸にうずまるのが見えた。

「……」

「ほら、大切な人を亡くしたショックってとても大きいものですから、一人だけじゃ……」おっさんが僕を気遣ってくれるが、今は一番それが辛い。

「……」

「……」

 そのまま何も言わずに見ていると、とどめの一撃がきた。修也が美希のおでこに唇をつけたのだ。



「いや、おかしくない?普通、普通さ、普通彼氏の葬式で新しい男見つける?」

 僕とおっさんは僕の家から離れて、通りを当てもなくうろうろとしていた。もうあの場所に一秒たりとも居たくなかった。

「落ち着いてください。考えすぎですよ……」おっさんが必死に愚痴を言う僕をなだめていた。

「あんなに切り替え速いもんなの?女って」

「まあ、人にもよるでしょうし、まだ乗り換えたって確証はないんですから……」

「いや、あれは乗りかえましたよ。このスキンシップの少ない日本社会で、ましてまだ発育段階の高校生の男が、女のおでこに口づけをし、女がそれを受け入れたってことは、男女の関係の確固たる証拠ですよ」

「とにかく落ち着いて。すごい喋るじゃないですか」

「いや、確かに言いましたよ。『早くいい男見つけて幸せになってほしい』って。早すぎるでしょう。限度ってものがあるでしょう」

「落ち着いてくださいよ。いつもと口調違いますよ」

「もう、そんなの関係ない。こうなったら地縛霊になって二人を呪ってや……」

「うっせーぞお前ら!」突然後ろの上方から怒鳴り声が聞こえてきた。

 驚いて振り向くと、ぶち猫が塀の上に寝ていた。話に夢中になっていて僕らはまったく彼に気づかなかった。

 そのぶち猫は少し小太りでかなり年齢年上に見えた。とはいっても猫の年齢なんて見当もつかないが。首輪はつけてない。野良のようだ。

「最近猫を誘拐する奴がよく出るって話だ。あんま目立つことはしない方がいいぜ」ぶち猫が塀から飛び降り、近づいてくる。

「猫としゃべれんの?」僕はおっさんに聞く。

「ええ、もちろん。私たちは猫なんですから」

「何わけわかんねえこと言ってんだ?」ぶち猫が言う。

「あなたは、ここら辺に住んでいる猫なんですか?」おっさんが僕と最初にあった時に見せたような曖昧な笑顔で聞く。

「ああ」ぶち猫が答える。「そういうお前らは見たことないが、どっかから来たのか?」

「ええ、まあそんなところです」おっさんが言う。

「ねえ、この辺に住んでるんだよね?」僕はぶち猫に尋ねた「じゃあ、向こうの通りにある家についてなんか知っていることない?そこの子供が一人死んじゃったみたいなんだけど……」

「ああ、子供が一人自殺したらしいな。なんやら川に飛び込んだとかで……」

「自殺⁉」つい叫んでしまった。

「うっるせえな。でけえ声出すなよ。友達だったのか?」

「いや、まあちょっとね……」

急に様々な考えが僕の頭に去来した。

 自殺?僕は自殺したのか?なぜ?空白の記憶の間に何があったんだ?確かに死んだように生きてたけど……、かといって死を選ぶような勇気は僕にない。たった一二時間かそこらで考えが急に変わるとも思えないし。何があったんだ?僕に。喧嘩?家出?裏切り?浮気?家庭の崩壊?いじめ?

 僕に何があったんだ?

「何で自殺したか知ってますか?」おっさんがぶち猫に聞く。

「さあな、それがよく分からないらしいぜ。当日もいつも通りだったし、遺書も残さなかったってさ。まあいつもかったるそうに生きていたらしいからさ、それで死を選んだんじゃないかって言われてるぜ。もう生きてくのにうんざりしましたっていうようにさ。まあ俺も詳しくは知らねえけどさ。ほら、人間のシュフってやつらの噂程あてにならねえことってないだろ?」ぶち猫が答える。

 イキテイクノニウンザリシタ?そんなことはない。確かに毎日は平凡だった。だがわざわざ自分を殺すほどのことはない。だって痛いし、怖いし。確かに僕は人一倍人生に倦怠していたが、人一倍臆病者だ。自殺する勇気なんてない。

「自殺を疑うような余地はなかったんですか?ほら、川に突き落とされたとか」おっさんが聞く。

「さあな。噂を小耳に挟んだくらいなんだって。詳しく知りたいんならついてきな。散歩中に川に浮かんでる死体を見たってやつがいるんだ。そいつに聞いてみな」ぶち猫が答える。

「ありがとうございます。その方は今どこにいるんですか?」おっさんがぶち猫に訊いた。

「ついてきな」ぶち猫が歩き始め、僕らはそれに続いた。





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