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吾輩は猫になる  作者: カニオトコ
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第一章 あの世の入り口

 

「いいですか、あなたはお亡くなりになったんです」


 僕が目を覚ますと同時に、目の間に座っているスーツ姿の恰幅のよい男が言った。そのあとの沈黙が気まずかったのか、言い終わった後に曖昧な笑顔を付け足した。

 当然、僕は混乱した。

 死んだ?何を言っているんだこいつは?そもそも僕はなんでこんなところにいるんだ。僕は確か、学校にいたはずだ。そのあとは確か……。思い出そうとしたが、出来なかった。まるで記憶の糸がそこからぶつりと切れてしまったようだった。

「あのう、大丈夫ですか?ええ、混乱なさるのもわかります。皆さんそうしてあなたのように、最初は自分が死んだということを受け入れられないものなのです」男が話しかけてくる。またしてもとってつけたように微笑む。

 周りを見渡す。シンプルな木造の部屋だ。部屋の真ん中に机があって、そこに男と向かい合うようにして座っている。男の背中の奥には色あせたドアがあった。面接室のような場所だ。だた、ひどく薄暗い。

「えーと、ここはですね、まあ言ってしまえば、死者の世界と下界をつなぐ入口のようなものです。つまりですね、あなたは昨日の七月七日の二十一時三十四分十七秒に亡くなって、魂があなたの肉体から離れて、死後の世界へ向かったわけです。ただし、最近は死者の世界もいろいろと面倒なものでございましてね。様々な手続きを踏まないといけないのです。ここはそのうちの一つってわけです。そして問題のない魂はそのまま、死者の世界へ行き、転生できるんですが、あなたはこの地縛霊防止科で検査に引っかかり、こうして話をしている、というわけなんです」男は何も言わない僕に懲りずに話しかけてくる。

 シシャノセカイ?ジバクレイ?魂が肉体と離れた?何を言ってるんだこいつは?狂人か?ドッキリか?はたまた夢か?

 僕は机の下で指をつまんだ。痛い。少なくとも夢ではなさそうだ。爪の跡が指に残る。つねったところだけがほんのり赤くなっている。どう見たって死んだ人間には見えない。 

「おや、どうやら納得していないようですね」またも男が話しかけてきた。

「そりゃあね、なんたって死んだ記憶がないからね」僕は語気を荒くしてそういった。何が何だかわからない。

「お、やっと口を開いてくれましたね」男が微笑んだ。その動作がさらに僕をいら立たせた。

「車にはねられて、バーンって飛ばされて、目が覚めたらここにいました、っていうんだったらまだ理解できるかもしれないけど。僕が本当に死んだって証拠を見せてくれないと」一息でそういって僕は机を強くたたいた。

 しかし男は全く動じずに「ああ、証拠でしたらこれをご覧ください」とだけ言い、机の下から分厚い百科事典のような本を取り出した。

「なんですか、これ」ぶっきらぼうに訊く。

「業帳面です」

「ごーちょーめん?」

「“業”帳面です」おっさんは机に指で漢字を書きながらいう。「今はカルマと言ったりもしますが」

「カルマ?あの仏教のカルマ?」

「ええ、あの仏教のカルマです」

 五秒ほどの沈黙が二人の間に流れる。男は本とぺらぺらめくり続けている。

「で、これのどこが俺が死んだっていう証拠になるんですか?」

 何も説明がないことににいら立って、僕は叫ぶ。

「えーとですね、これは生前のあなたの行動を文字に起こしたものなんですよ。この文書をもとに神様が来世の処遇ををきめるんです」分厚い本をめくりながら男が言う。

「ふっ。神様、ですか。となるとあなたは天使さん、ってところですか?私が思っていた天使とはだいぶかけ離れていますけどね。ほら、天使ってもっといわゆる可憐な美男子、とか千年に一度の美少女ってイメージじゃないですか?」男のベルトの上から垂れ下がっている腹をチラチラ見ながらあてこすったが、男は何も言わなかった。

「ほら、例えばここ見てください」ページをめくる手を止めていう。

「無視ですか?」

「今日から二日前の七月五日のぺージです。この日、あなたは彼女の美希さんと海老名へと映画を見にデートに行きましたね?」

「……何で知ってるんですか」

「そして映画を見た後にららぽーとのフードコートで夜ご飯を食べましたね。そこでひとしきり見た映画の感想を話し合った後、彼女は愚痴をあなたにこぼし始めましたね?」

「だから何ですってるんですか」

「友達のこと、元カレのこと、家族のこと、勉強のこと、部活のこと。まあ、よくある光景ですね。日々の中で積み重なる些細なストレスを、愛する彼氏にぶちまけて、受け止めてくれることで発散する。どこにでもいる普通の女の子です」

「美希から聞いたんですか?」語気を荒げて質問する。しかし、男は話を続ける。

「いいですか、そういう場合、たいてい女の子は話を聞いてもらいたいだけなんですよ。それなのにあなたは正義漢ぶって『他人の愚痴を言うのはあまりよくない』だの『そのケースだったら君が謝るべきだよ』とか、無駄なことを言って彼女を怒らせましたね?彼氏なんてのは裁判官や教師ではないんですよ。むしろ彼女からしたらペットの猫に近いもんなんですよ。彼女が欲しているのは正しい判決でも適切なアドバイスでもなく、共感なんですよ。そこを理解しとくべきでしたね。理解しておけばあんな無駄なケンカなどせずに済んだでしょうに」

「どうせ美希から聞いたんでしょう」

「言ったでしょう、あなたの行いはこの帳面に全部記載されているんです」

「美希から聞いたんでしょう」また語気が荒くなる。

 男はわざとらしくため息をついて続ける。

「なるほど、そういうんでしたらあなたしか知らないはずの秘密を教えてあげましょう」そう言って男はまた本をめくり、別のページで手を止めた。

「ほら、これなんかいかがでしょう。小学校三年生の時、放課後誰もいない教室、で当時好きだった葵ちゃんのリコーダーをなめましたね」

「ちょっ、なんで……」

「しかも数回にわたって」

「ちがっ、あれは出来心で……」

「それを数日間行いましたね」

「ほらっ、若かったから……」

「ほう、五年生の時は体操着ですか」

「……」

「あれ、大丈夫ですか?」

「ごめんなさい……」

「どうして私に謝るんですか?謝るんなら葵さんにでしょう。でも、これで信じてもらえたでしょうか?」

「はい……」

「なに、そんな縮こまらないで。私も少し大人げなかったですな」おっさんが陽気に笑いだす。

 穴があったら入りたい思いだ。こんなおっさんに最大の弱みを握られているなんて。

「大丈夫ですかな」ひとしきり笑った後におっさんが顔を覗いてきた。顔を背ける。

「信じてもらえましたかな?」

「……はい」

 事実、それは僕だけしか知らない秘密だった。墓場にまでもっていくつもりだったのに……。いや、それは達成したのか。

「……あの」

「なんですかな?」

「じゃあ、やっぱり、僕は死んでるんですか……」

「ええ」

「そうですか……」顔が青ざめるのが自分でもわかった。今まで見てきた光景、あってきた人、はなした会話、現世に残してきたものすべてをもう見ることはできないのだと考えると、まるで胸の中が巨大な空白になったように感じられた。

「まあ仕方ないです。生きとし生けるもの、いつかは死ぬものですから」黙ったままの僕を見て、おっさんが気をつかう。よく分からないが、そういうセリフは遺族への言葉であって、死んだ当人に使うものではないのではないか。と僕は思った。

「はい……」

 また二、三秒の沈黙があって、おっさんが口を開く。

「しかし、まあなんでしょうか、こう申してはあれですが、あんまりショックをお受けになっていないようですね」

「え、そうですか?結構ショックなんですけど……」僕は驚いて聞き返す。

「いえいえ、大抵ここに来るお若い方は自分の死を受け入れられずに泣いたりわめいたり、時には暴れたり、ひどいものですよ。それに比べてあなたは多少顔が青ざめたくらいでおちついたものです。まだ若いのにしっかりと自分の死と向き合えている。素晴らしいです」

「え、いや、まあ、そんな向き合えてるわけじゃないんですけど…」突然思わぬ方向から褒めらて少し戸惑ってしまった。

「……多分死に向き合えてるわけじゃないですよ。まだ実感もしていないですし。……でもそんな名残惜しくもないなって。最近家族とはほとんど会話もないし、彼女とは喧嘩したばっかだし、学校は退屈でしたし。いや、もちろんショックではありますよ。もう二度と通学路の光景が見れないって考えると胸が痛くなるような気持ちですし。だけど、正直僕は毎日死んだように生きていたんです。なんとなく時間を消化するような日々をおくっていたので。だからだと思います。死んだように生きていたから死んでも大して変わらないっていうか……」

 一つ一つ言葉を選ぶようにして自分の複雑な感情を説明した。言葉にして説明すると自分でもわからなかったことに気づいていく気がして、まるで自分に対して説明しているような気分になった。そうか、僕は何も現世に残してこなかったのか。そう思うと少し悲しくなった。

「ええ、そうでしたか。じゃあ来世はキチンと生きましょうね。前を向いて生きていれば必ずいいことがありますから」おっさんが微笑む。

 なんだか恥ずかしい気持ちになって僕はうつむいた。

「あの、一つ聞きたいんですけど」しばらくして僕は口を開く。

「なんですか?」

「自分が死んだって記憶がないんですよ。朝起きて、学校行って、目が覚めたらここにいたんです。それで、あの、僕はどうやって死んだのかな、って思って」

「そうなんです、それが問題なんですよ」神妙そうな顔でおっさんが言う。

「どういうことですか?」

「実はですね、あなたはお亡くなりになった時のショックで、死ぬ一二時間前までの記憶がごっそり抜け落ちてしまったようなのですよ」

「記憶がない?」

「ええ、まるっきり」

「そんな小説みたいなことあり得るんですか?」

「ええ、事実は小説よりも奇なり、ですよ。それに人が死ぬ場面となるとかなりの衝撃が必要ですからね。頭を損傷するなり精神がむしばまれるなりで記憶を失ってくる方はそう少なくはありません」

「じゃあ僕がどうやって死んだかもわからないんですか?交通事故とか、殺人とか」

 おっさんが残念そうな顔で首を横に振る。

「そうだ、その業帳面ってものには書いてないんですか?」

 またもおっさんは首を振る。

「これは本人の記憶をもとに作成されるものなので、死んだ本人が覚えてなければ意味がないのです」

「はあ」

 なんてことだ、自分の死に方さえも分からないなんて。僕は頭を抱える。

「それでですね、さらに問題なのはあなたが死んだときに強い未練を現世に残してきたってことなんです」

「強い未練……?」

「ええそうです。強い未練です」

「記憶がないのに未練が残るの?」

「ええ、記憶は肉体、未練は魂の働きです」

「未練って何?」

「それが、わからないのです」

「……美希と仲直りすること?」

 おっさんが首を縦に振る。「いいえ、恐らくそんなことではないでしょう。もっと強いものです。そんなことは未練とは言いません。ただの後悔です」

「……幸也に借りてたCDを返すこと?」

 おっさんはまたも首を横に振る。

「いいえ。そんな小さなことじゃありません」

「……バスケのインターハイ?」

「あなた帰宅部でしょう。いいですか、そんなくだらない見栄なんかはってないで、よく聞いてください。あなたがほんの一分ほど前におっしゃったように、あなたには未練なんてのはないんですよ。いや、なかったんですよ。少なくとも記憶が残っている間はね。でも死の直前の一二時間で、あなたの身に何か大きなことが起きてそれが未練として残ってしまったんです。ですから、あなたはそれを調査して未練を解決しなければならないのです」

「はあ。幽霊とかになって、ってことですか?」

「いいえ、それを防ぐのが私たちの役目なのです。いいですか、本来強い未練を持った魂がなくなるとですね、黄泉の世界に行くことを魂が拒否して現世にとどまろうとするわけです。ですが、本来存在してはならないものがいるわけですから、その魂は普通の形ではなく、異質なものとして現世に現れるわけです。それが所謂地縛霊であったり、妖怪であったりする訳なんですよ。ところがそういうものが生まれると現世の人々に危害が加わったり、死ぬはずのない人間が死んだりといろんな弊害が生まれてくるわけなんです。だから、それを防ぐために私たちがこうして悪戦苦闘している訳なんです。でもまあ、あなたは心配なさらないでください。こちらできちんとした現世に対応できる肉体を用意してきますので」おっさんは用意してきたテキストを読み上げるかのように語った。多分今まで幾度となく同じ説明を繰り返してきたんだろう。

「まあ、しかし如何せん未練の種類が未知数なものですからな、どのような肉体を用意すればよいのか見当もつきません。まあ、とりあえず中くらいのサイズのものを用意しておきましょう」

「まあ、なんだかよくわからないですけど、それでお願いします」

「なんですか、あまり乗り気じゃないようですね。もう一回下界に戻れるんですよ。うれしくなんですか?」

「いや、まあ、会いたいっちゃあ会いたいんですけど……、その反面怖いんですよ。もし俺の葬式で誰も泣いていなかったらって思うと…」目を背けて言う。

 おっさんが笑う。

「なんだそんなことですか。大丈夫ですよ。死んで悲しまれないような人間なんていませんよ。実際私もこうして数えきれないくらいの未練を持つ霊を見てきましたけどね、死んで喜ばれた人間なんて二、三人くらいしかいませんでしたよ」

「僕がそっち側の人間だったら?」

「まあともかく、これは規則でしてね。たとえ戻りたくなくてもあなたは戻らなくてはいけないのです。そうしなければあなたの残った未練が現世に悪影響を及ぼしてしまうのですから」

「また無視ですか」

「でも大丈夫、何も心配はいりません。下界でもしっかりアフターサービスがありますので」

「アフターサービス?」

「まあ、細かいことは現地で話しましょう。じゃあ、早速行きましょうか」

「え、いまから?」驚いて、甲高いが出てしまった。

「ええ、もたもたしてる暇はないですよ」

 そういいながらおっさんは立ち上がり、部屋の隅のドアに近づいた。そして錆びかけたドアノブをまわし、ドアを開けた。ドアの先には真っ黒な暗闇が広がっていた。

「さあ、行きましょう」おっさんが陽気に言った。

「うわ、真っ黒だな。この奥には何があるんですか?」ドアを覗き込む。

「奥?奥には何もありませんよ。私たちがこれから行くのは下界です」僕がその言葉の意味を理解するより前に、おっさんは僕の手をつかんで扉へ飛び込んだ。

「うわわわわ!」そうして、僕は叫び声をあげながらおっさんと暗闇の下へ落ちていった。





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