好きになっていまいます。
ピンポーン
ドアのチャイムの音で目がさめる。安いアパートなので、隣の部屋かと思ったが、もう一度なったので、私の部屋だと確信した。きっと集金か営業だろう。起きたままの格好で、でる。
「おはようございます」
あぁ、来たのか。と妙に落ち着いていた。そこにいたのは愛情測定委員の中村さんだった。
「朝、早いんですね」
「仕事ですから」
土曜日でも仕事がある彼女を少し気の毒に思った。立ち話という訳にもいかないので、上がってもらう。
テーブルの向かい側に座る彼女はスーツ姿で背筋がピンと伸びている。一方私はよれよれのパジャマ姿だった。もうこんな情けない姿を見せたところで、恥ずかしいことはなかった。恥ずかしいことはすでにたくさんやってきた。
「申し訳ございませんでした」
口を開いたのは、彼女が先だった。頭がついていかない。謝るのは私の方なのに。
「こちらの手違いで、無記名愛の記憶をうまく消せないまま菅原様に注射で打ってしまいました。完全にこちらのミスです。申し訳ございません」
「いえ、あの、こちらこそ、管理センターに行けなくて、ごめんなさい」
彼女の堂々とした態度が羨ましかった。自分のミスですら、うまく謝れない、不器用な私が嫌だった。
「無記名愛についてなんですが、一度体内に入れてしまうと、中に入れたまま記憶を消す、ということはできないんですね。ですが、取り出すことができます。今回はそのお願いで伺いました」
彼女はカバンから茶封筒を取り出した。二センチほどの厚みがある。
「これは私たちのサポート保証金となります。これで、愛情の抽出、及び、配当し直しを行ってもらいます」
彼女の目は、まっすぐと私を捉えていた。逃げられない。
「この保証金と引き換えに契約書面にサインをして頂きたいのです」
渡された書面に目を通す。要は「口封じ」の為のお金だろう。
「中村さん。私からお聞きしたいことがあります。これって要は口封じってことですよね?」
中村さんは少し黙って私を見つめると一息ついた。何かを決心したようだった。
「そうです。これは個人情報の漏洩に繋がってしまいます。おそらく、菅原さんは特定の誰かから、突然恋愛感情を持たれましたよね。その方から抽出された愛が、菅原さんに配当されました。その際に記憶を一部消し損ねてしまった部分があるんです。そのまま菅原さんに配当されることで、菅原さんへその方からの好意が向いたということなんですね」
「それって、つまりは、その、その人へ向かっていた愛のはずがその人からの愛に変わって、私に配当されたってこと……?」
「そうなりますね」
私に入っていたのはかけるさんがもらっていた愛情だったのだ。かけるさんもきっと私と同じ日が審査日だったのかもしれない。そして私が管理センターに行った時にあった無記名愛はかけるさんから抽出したてのものだったのかもしれない。平日のあの時間に、私服であの場所を歩いていたことも、そうなれば辻褄が合う。胸が苦しくなる。
「半年経ったら、かけるさんはどうなるんですか?」
「おそらく、無記名愛のように自然と愛情がなくなっていくのかと。記憶がなくなるわけではないので、急に菅原様へ負の感情を抱いたりする、というわけではありません。無関心に戻っていく、という感じでしょうか」
記憶こそなくならずとも、愛情は期限付きということか。
「ごめんなさい。お金は受け取れません。いや、お金はいりません」
「それは、どういうことですか」
空気が冷たくなったのがわかる。中村さんが私を警戒している。
「お金は、いらないので、半年間、ほっといてほしいんです。だって、かけるさんは半年経ったら、私のこと、好きじゃなくなるんでしょう。だったら、その半年だけ、私に自由にさせてください。かけるさんがその時間を返せというんなら、そのとき、かけるさんをサポートしてください。自分勝手だって、わかってますよ。卑しい女だっていうのも、承知です。でも、こんなこと、今までなかったから。こんなに幸せな出来事、今までなかったから。あなた方のミスに乗っかって、いい気になってることも、わかってます。でも、どうせならその嘘の幸せを味あわせてください。お金じゃどうにもならないんです。お金なんてないし、お金は欲しいけど。でも、違うんです。私は、愛が欲しかった」
涙で顔がぐしゃぐしゃになっている。こんなこと、美人の彼女にはわからないかもしれない。今の自分がすごく惨めで、ちっぽけな人間だと思う。それでも私は、嘘の愛でもいいから、愛が欲しかった。誰かに愛されたかった。
「わかりました。大丈夫ですよ、菅原さん。では、困ったことがあったらすぐに私に連絡してくださいね。くれぐれもこれは私たちの責任ですので、菅原さんが後ろめたく思うことは一切ないですからね」
中村さんは、私には連絡先を渡した。
「データとして、愛情測定だけさせていただいてもよろしいですか?」
涙と鼻水を拭いながら、腕を出す。前回よりも抵抗がないのは、かけるさんからの愛があるからだろう。
ピッという音とともに数値が印字される。
「菅原さん」
中村さんは数値を見ると私に優しく笑いかけた。
「好きになっちゃったんですね」
私は黙って、頷いた。
帰り際、今後のことをもう一度話していた。もし万が一、嫌になったら迅速に愛を取り出すこともできるということ。そのほかは、近況をこまめに連絡して欲しいとのことだ。私が外部に漏らさないためだろう。
「それと、本当にどんな些細なことでも、相談していただいて大丈夫ですからね。私個人の連絡先なので、いつでも。デートの相談にも、乗りますからね」
彼女は美しく笑った。こんな人を好きになったら、かけるさんも幸せだったんだろうな、と思う。