愛情を入れます。
公園に行き、一息つく。適当な本を選んで開いた。本を読むくらいしか、やることが思いつかない。
風が気持ちよかった。公園では、小さい子供とその母親たちが遊んでいる。世界は、私を取り残して愛で包まれていた。この感覚にはもう慣れていた。慣れているはずなのに、今日は一層、世界に冷たくされた気がする。ないものをない、とはっきりと言われてしまうことが、悲しかった。もしかしたら、少しくらいは母親に愛されているんじゃないかと、勝手な期待をしてしまっていたのかもしれない。
二十ページ程読み進めた本を閉じる。しまった、と思った。どうやら恋愛小説らしい。このタイミングで恋愛小説を読み進める自信はなかった。
一息、つく。別の本を読む気になれず、どうすることもできないので仕方なく、立ち上がった。
気づけば、本を抱えたまま愛情管理センターにきていた。犯罪をする気力もないから、無記名愛はいりません、というつもりだったのに、どういう考えなのか自分でもわからない。さっき、久しぶりに業務連絡以外の話を人としてしまったからかもしれない。閉じ込めていた人を恋しく思う部分が出てしまったのかもしれない。
「いらっしゃいませ。換金ですか?配当ですか?」
早い時間であるせいか、中にそんなに人はいなかった。
黙って先ほど漫画喫茶で渡された紙を差し出す。受付の女性はそれを受け取ると、しばらくお待ちください、と言った。
待ち合いのベンチに座る。先ほどのことを思い出した。
私と同世代の男性だった。ラフな格好をしていたので、仕事に行くわけでもなさそうだった。今日は休みだったのだろうか。それとも、学生だろうか。身長が高くて、かっこいいというわけではないけれど、爽やかな笑顔をしていた。それに、初対面であれだけスラスラと話せるようであれば、きっと彼は換金する側の人間だろう。私とは別世界の人だ。
「菅原様、お待たせしました」
名前を呼ばれ、立ち上がる。
「申し訳ございません。本日ちょうど、無記名愛の在庫を切らしておりまして……あ、すみません、もう少しお待ちください」
中にいる人に呼ばれ、受付の女性はまた中に入って行く。しばらくするとぱたぱた出てきた。
「今回初めての測定ですよね? 本当は、こういう、サプリみたいな形でお渡ししているんですが……今日入ってきたばかりの無記名愛があるんですね。その、まだ加工する前の。注射で入れることもできるんです。忙しいようであれば注射をお勧めしますが、後日サプリを取りに来てくださることもできるんですね。どうされますか?」
「忙しいので、注射でいいです」
嘘であった。仕事帰りに来ることだってできるし、休みの時に取りに来ることもできる。ただ、今日を逃すともうここに来る気力がなくなってしまうと思ったからだ。
「わかりました。ではご用意しますので、そこの隣にある扉で診察室に入っていただけますか?」
扉を開けると病院の診察室のようなつくりの部屋だった。
別の女性が入って来る。看護師のようだ。注射器を持って来ていた。
「サプリですと継続的に飲んでもらってじんわりと体全体に行き渡るようになっていて、それを一週間に一回飲んでもらうんですね。お注射の場合ですと即効性があって、一回きりでいいんですよ。ただ、加工前のものでしか、もちろんだめですし、回収したものは二十四時間以内に加工しないといけないんですよ。なのでお注射の時は事前予約になるんですね。もし、次も来て、お注射にしたい時は言ってくださいね」
一度配当される側になった人は、当分配当される側から抜け出せないだろう。
「診察室があるってことは、注射で受ける人が結構多いんですか?」
看護師は手際よく、私の腕をアルコール除菌している。優しそうな雰囲気に飲み込まれ、スムーズに言葉が出て来る。
「いえ、ここは配当の注射をするところでもあるんですけど、換金の人の愛を抜き取るところでもあるんですよ。そこの機械に座るところがあるでしょう?あそこに座ってもらって成分分けをするんですよ」
「注射ですか?」
「うーん、そうだなぁ。成分献血ってしたことありますか?」
私は、首を傾げた。
「献血の種類でね、血を抜き取って、その中から血小板と血漿を取って、残った赤血球とかを戻すんだけど、それと同じように、愛情が混ざっている血液から愛情だけを除いて体に戻していくのよ」
「痛い?」
「全然。むしろ赤血球が通れないほどの細さの針しか使えないから、あれ、今刺さったのかな、なんて思うくらいなの。すぐに折れちゃいそうな針なのよ」
チクリと注射が刺さる。誰かからの愛情が私の中に注がれていた。
「愛を回収されるのは痛みを伴わないのに、愛を貰う方は痛いなんてなんだか皮肉じみてますね」
「そうね、愛を貰うにはそれなりの代償が必要ってことなのかしら」
すべての愛情が入って来た。看護婦さんはアルコールの脱脂綿で押さえておくように言い、それからシールを貼り付けた。
「大体半年でじんわりと体に消えていくので、次の検査の時にもし愛情が出ていたとしたら、それは本当の愛ですよ」
そんなことはなく、一生ここに通い続けることになりそうだ。はい、と小さく返事をしながら、ため息をついた。
受付で簡単な書類と、今後の生活で体調の変化があった時の連絡先のある紙を渡されると、それで終わりだった。
先ほどまでの寂しさは少し消えたような気がして、おとなしく家に帰ることにした。
満たされたような気分に包まれながら、先ほどの恋愛小説を読んだ。こうやって、私も誰かに愛されているんだな。無記名愛なのに、愛は誰かから奪ったものなのに、もう愛の記憶はとっくに消されているはずなのに。それでもなんだか、幸せな気持ちに包まれていた。
本を読み終わると、すでに日が落ちていて、適当にカップラーメンを食べ、満たされた気持ちで早めに眠りについた。