プロローグ② 「狐の面」
『この放送を見ている視聴者の方々は、どうか後悔の残らないよう、残りの時間をお過ごしください』
時が、動く。
一番早く動いたのは聡明な妹だった。まだ学生だというのに世界の終わりが近くなるのを、それこそ感覚のように感じたのだろう。
「地球が、終わる? み、みんな死んじゃうの? 学校も、家も、お父さんもお母さんもお兄ちゃんもみんな死んじゃう……?」
妹の独りごちた絶望の声に当てられ、次に時が動いたのは父さんだった。
「ははっ…昨日の酔いが残ってるみたいだ」
錯乱しているのか頭を抱えてソファに横になる。
携帯の向こうで話していた親友は通話をそのままにしたまま何処かへ行ってしまったようだった。
『ははは、何の特番だこれ? 何の、何の冗談なんだよ!おい!答えろよおい!』
スピーカーからそんな大声が聞こえて、その後、鈍い音が聞こえたと思ったら通話が切れた。もう一度かけ直してみるが電源が切れてしまっているようで、繋がらない。
「ねぇ、あなた」
母さんが濡れたままの手で父さんを揺する。
父さんはその行為を意図的に無視する。
「ねぇ」
夢の中に入りたいという意思表示に母さんはさらに激しく揺する。
「なんだよ!うるさい!」
「きゃあっ!!」
激昂した父さんが母さんを突き飛ばした。
その時母さんはテーブルに叩きつけられ、幾つかの家具が割れる。
妹が悲鳴をあげる中、母さんは泣いて絶叫し、それを聞いた父さんが立ち上がって母さんにのしかかる。
「邪魔しやがって!」
母さんは必死に抵抗するが、力の強く、鍛えられている父さんに敵うはずもなく、押さえつけられる。
「やめてあなた!こんな時になんで!?」
「うるさい!」
父さんが母さんに向かって拳を振り上げる。
俺はその光景を呆然としか見ていられてなかったが、母であろうと、自分の大切にしている女性に降りかかる危険に体と心は即座に反応した。
「やめろ!!!!!!」
その一言に、父さんはピタリと動きを止め、やがて振り上げた右手を見て、自分が正気でないことに気がついた。
「あ…あぁ………ごめん、ごめん、ごめんなさい。ごめんなさい。夕里子……僕は……僕は」
父さんは未だに床に倒れていた母さんのお腹に頭を埋めるようにして抱きつき、涙を流して許しを請い、母さんはそんな彼の頭を慈しむように、抱く。
母さんのうなじをなぞるように血の線が一本落ちる。それでも母さんは涙も流さず、彼を癒した。
「ニシキ、ごめんな」
「いや……」
鼻声で俺に謝る父さんに俺は気の利いた言葉一つ思いつかなかった。
「お兄ちゃん…これ、本当なの?」
俺と両親の動乱を見て、冷静さを取り戻した妹はテレビを指差しながら言う。そこには昼の定番番組とも言える生放送政治番組が放送されていた。当然ながら今回の議題は政治ではなく、地球滅亡のことであった。
「……これが冗談だったら酷い冗談だ」
その一言で、聡明な妹は視線を床に落とした。俺の声も震えて頼りない。
俺たちの言葉を未だに抱き合ったままの両親も聞いていた。
母さんは少し意識が混濁し始めていたが、目を腫らした父さんが慌てて抱きとめる。
「夕里子……本当にごめん。痛むだろう?」
「………ふふっ」
父さんの力強い腕の中で、血を流しながら母さんは、いつかを思い出したように笑った。母親とはどこか違う、恋する乙女のような可憐な笑顔だ。
「どうしたんだ?」
「あぁ…ごめんね? 久しぶりに名前を呼ばれて、すっごく嬉しくって」
そして目をつむった母さんは、やがてみんなに視線を向けて言う。
「ねぇ、優希くん」
「なんだ夕里子」
数十年と名前で呼び合うことを気恥ずかしさからやめてしまった二人が見つめ合う。
「せめてみんなが助かるように、もしダメだったとしても、みんな天国で幸せになれるように、祈りに行かない?」
その言葉に父さんは間をおかず頷いた。
「そうだな。車を出すよ」
「父さん、私も一緒に行く」
「もちろんだ。絵里、ニシキ、みんなで最後に神社へ行こう」
車で1時間。
国道沿いにしばらく車を走らせ、神社の近くにある駐車場にNボックス止めて、神社への道のりを家族揃って歩く。
「懐かしいわね」
「ん?」
父さんと母さんは俺と妹の一歩先を歩いている。
母さんの頭には包帯が巻いてあり、まだ少し不安定な母さんを支えるように父さんが寄り添って歩く。母さんは父さんにくっついていたいのか恋人つなぎをして体を密着させたまま離れるつもりはない。
もはや街は喧騒に包まれてはいるものの、事件なんかが起こっているわけではない。
未だに戸惑っている人間がほとんどで地球が消滅する実感が来ていないのだ。
その中で、こんな古びたちっぽけな地方の街をこんなに幸せそうに歩く両親を見るのは、端から見る僕らが恥ずかしいというもの。
父さんは母さんのつぶやきに首をかしげる。
「優希くんと出会ったのも、初詣の日の、あの神社だった」
「あぁ、あの時、巫女服を着てアルバイトをしていたなぁ。あの姿は未だに覚えてる」
「あれから何度も私に会いにきてくれた」
「うん、デートに誘う時は心臓がはちきれそうなほど緊張したなぁ。年上の美人だから、それも手伝って余計に緊張した」
思い出を自分ん達の中で落とし込むようにポツリポツリと語っていく。僕たち兄妹だって知らない馴れ初めだ。まるで実際に見たことでもあるように鮮明に想像できる。
「お父さん達今日はすごい仲が良くない?」
隣の妹が声を潜めて僕に問いかける。その問いには「もともとだよ」と返してあげると妹は首を傾げた。
程なくして神社の一枚目の鳥居を潜り、一体何段あるのかわからないほど長い階段を登る。
「はぁ…やっぱりこの歳になると堪えるな」
父さんが息を切らせて、ため息を吐く。
その様子を上から見下ろしていた妹と俺は軽快に階段を登る。
「やっぱり若さかなぁ…」
そう言いつつ、父さんは母さんを支えながら石段を登りきった。
俺と妹はそれよりも一足早く石段を登りきり、とても大きな鳥居をくぐる。
どうやら参拝客は自分の他にも沢山いるようで、その賑わいぶりといえば元旦の初詣と大差ないほどだった。
ただ、願っていることや参拝する理由は皆一様に酷く後ろ向きな理由であるためこれを延々と聞く神様もきっと耳が痛くなって腹痛に悩まされていることだろう。
小銭を取り出して、賽銭箱へ放り投げ、参拝の礼法に合わせて手順を経てから柏手を打つ。
「……思いつかねえや」
今年の願い事は確か「そろそろ身を固めたい」だった。21歳の若造のくせにこんな高望みしていたのがなんだか今更のように思う。
地元に顔が広く、名前だけは他校にも知られていた。俺の顔の造形は外人のような深さを持っていたのが原因ではないかと思う。両親には先祖返りだと教えてもらったが、うちの家系は何代も続く氏族の家系だ。
だが俺の顔は決して平たくない。
地元で飲みに行った時、同級生が飲み屋で働いていて、久々に会った時「老けた?」って言われた時はさすがに軽く凹んだ。
「せめて来世ではシュワちゃんみたいな男になれますように…」
「これ以上渋くなる必要あるわけ?」
「そりゃあ、一度は体ムキムキマッチョマンのベリダンディに………ん?」
一瞬、横にいた妹が突っ込んできたのかと思って横を見るが、妹は妹で「来世では手越君みたいな彼氏が出来ますように」とミーハーなお願い事をしていた。
しかも一瞬聞こえた口調はやっぱり妹のものとは違う。俺は首を傾げながら神社の方へと向き直ると……。
「へっ?」
「えっ?」
まるで金糸のような綺麗な橙色の髪にまるでかぐや姫たるやといった厚みのある着物を着た、狐の面を被った少女がそこにいた。
神社の神殿の淵に綺麗に足を揃えて育ちの良さを表すように背筋もピンと張り、気品に溢れている。
しかも、橙色の頭頂部からは、ぴょこんと同じ色をしたツンととがった狐の耳を生やしていた。
一瞬コスプレの類かと思った。そういった職業の人がヤケを起こしてこんなところで承認欲求を求めて意味ありげにここにいるのかと思った。
だが違う。
周囲を見回して見ても、誰一人として彼女には視線を向けていない。
目の前にこれだけ目立つ格好の女性がいれば嫌でも目を引くだろう。たとえ自分たちの命が終末を迎えていようと。
もっとも想像力豊かな人々は彼女のことをなんらかの神様なのかと思える人もいるだろう。
少なくとも今さっきの変な願い事にスッパリとツッコミを入れてくる神様がいるとは思えなかった。
俺の基本的な神様のイメージは、高貴、尊大、神聖だ。
まさかコマンドーのような血生臭く渋い映画を見るような神様なぞ信じるわけがない。
「あ、貴方、ワタシが見えるわけ?」
やべえ、まさか神様にお祈りに行って心霊現象に会うとは思わなんだ。
周りの環境に合わせて、見て見ぬ振りをする。流石に往来の面前で、家族の前で幽霊とお話しするのは気がひける上に、もしかすると精神がおかしくなった俺の幻想なのかもしれない。
「ま、待って!待ちなさい!貴方、私が見えているんだったら、もしかするとーー」
「さぁ父さん母さん帰ろう!なんだか俺お腹ペコペコなんだよ!」
狐の面の少女が何やら大声でこちらに訴えてくるが、無視、全力投球無視だ。早く船から遠ざかれ。鹿児島のフェリーの避難の心得にも書いてあることだ。
「どうしたのニシキ? なんだか様子がおかしくないかしら?」
母さんが疑問の声を投げかける。余計なことをするんじゃないと思ったが理不尽な怒りは向けられない。母さんだからね。
「やっぱりあんた見えてるし聞こえてるわけね!無視すんなっての!」
狐面の少女が背を向ける俺に触れると、肩をするりと通り抜けてしまった。
「ーーー!!!!!!」
声にならない悲鳴をあげて俺は走って逃げ出した。
やばいやばいやばい!本物だ!マジの心霊だ!アンビリーバボーでしか見られないレベルのかなり濃ゆい心霊体験だ!
「やっぱり見えてるわけじゃない!お願い待って!話を聞いてくれるだけでもいいから!」
走って逃げても、あの狐面の幽霊は追いかけてくる。
その体は、まるで空中を泳ぐように浮いていた。
「ひいいいいいい!?」
神社をゆきかう人たちの間をさながらパルクールのように颯爽と駆け抜けていく。実際はそんなに綺麗な避け方はしてないが。
「だから待ってっていってるわけ!んもう!なんで話を聞いてくれないわけ!?」
幽霊はそんなことを言っているが、聞いている余裕なんて俺にはない。むしろ聞きたくない。
俺は全力で走りきって鳥居をくぐり、飛び降りるように階段を降りる。
「だから待ってってーーふぎゅん!」
っと幽霊少女が、何か見えない壁のようなものにぶつかって止まる。なんだかわからないけどチャンス!
「なんで無視するわけ!もういいこうなったら呪ってやる!あんたなんて神罰が当たればいいのよー!」
後ろで物騒なことを言っている狐面の幽霊少女がなんか恐ろしいことを言っていたのを聞いて、俺は家にむかう逃げ足を早めたのだった。




