8
目が覚めた時には薄暗い場所にいた。
痛みに顔をしかめながら頭をおさえようとしたが、手が重くてうまく動かせない。
金属の枷をはめられていると気づいて、わたしの全身に鳥肌が立つ。
そうだ、わたしはケイドがさらわれそうになっているのを目撃して――
「ちっ」
舌打ちが聞こえた。
顔をあげれば、ケイドの姿がある。わたしと同じように金属製の手枷をはめられているけど元気そう。というか、不機嫌そうだ。
「お前、バカか? お前みたいな何も出来ないやつが追ってきたって意味がない!」
わたしは顔をしかめる。
そうだ、わたしはどうしてケイド・ヘイフォンを追いかけたりなんかしたんだろう。最近は勉強に忙しかったみたいだけど、ケイドはずっとわたしに嫌がらせをしていた相手だ。
でも別に――わたしはケイドに死にそうな目に遭ってほしいわけじゃない。
何年か前に、ルスディオで魔術学園の生徒が誘拐され死体となって発見された事件があった。だから、もしかしたらと思ったのだ。
「……ケイドが、死んじゃうと思って」
「死ぬかよ! ああもう頭も悪いし短絡的なグズだな!」
誘拐されてもなおケイド・ヘイフォンは強気だ。
苛立ったように吐き捨てられても、ケイドよりこの状況の方がこわかった。
わたし――わたしたち、これからどうなってしまうんだろう。
こわい。
殴られた頭が痛む。痛みと不安で涙が出そうだ。
誘拐事件の“最悪の結末”が頭に浮かぶ。
どうしよう……!
逃げる道はないの?
部屋を見渡すと、狭い山小屋のような場所だと分かる。窓には板が打ち付けられていて開けられそうにない。小屋の戸は当然閉じられている。
「開かねえよ。それくらいこのおれが調べないわけないだろ。なんか細工してやがる……びくともしねえ」
わたしもだけど、ケイドは足を縛られてるわけじゃないから、戸に向かって蹴りつけでもしたのだろう。
「あ……そうだ、魔術で……」
「ほんっとうにお前の頭の中はおがくずだな、エベニー! 一番に試したっつうの、バーカ。使えねーんだよ。この手枷が魔封じになってやがる」
最後まで言わせてもらえなかっただけでなく、わたしが見てないことまで知っていて当然、という態度。こんなのフェアじゃない。
だんだんとケイドに腹が立ってきたけど、彼の言葉の意味について考える必要があった。
ケイドとわたしの手にはめられているのは、くすんだ黄土色の板のようなもの。二つの穴が開いていて、そこに手が入るようになっている。この金属はただの金属ではなく、どうやら特殊な作り方をした魔術道具らしい。
「魔封じ……」
魔術を封じる魔具があるのは知っていた。特訓の時にもガレヴィル先生がウィルクスに言っていた。
ウィルクス――彼ほどの強い魔術を使えたら魔封じなんて関係ないのだろうか。
なんにしろわたしの小さな火や水では魔封じがなくとも役に立たなそうだ。
「じゃあ……どうしたら」
「知るかよ。とにかく誘拐犯のヤロウがまた来るはずだから隙をついて逃げてやる……。もちろんお前なんか知らないからな。自力でなんとかしろ」
自分が助かるならあとはどうでもいい――ケイドがそう言っても不思議でもなんでもない。ケイド・ヘイフォンはそういうやつだ。こんな時ぐらいはもうちょっと違うと思ったのに。
わたしはわたしだけで、なにか脱出の方法を考えないといけないのか。
そんなこと、出来るわけない。
誰か――誰か助けて。
誰もいないのは分かってる。
それとも、わたしが誰かを頼らずに済むくらい強かったらよかったのか。
何かを望むことさえ出来ないくらいに、わたしは弱かった。
戸が開いた。逆光になって顔は見えないが、男が一人入ってくる。
「移動だ、ガキども」
わたしたちが何か言う前に男がケイドの腕をつかんだ。ケイドが嫌そうに身をよじると、今度は手枷を引っぱる。
「さわるな!」
自由な足でケイドが男の足を踏む。その拍子に男に隙が出来て、ケイドは両手を振るう。
硬い枷の端が男の顔をかすめた。ケイドは顔の中心を狙ったんだろう。
ケイドは更に暴れようとしたが、男にお腹を殴られた。
「ケイド!」
少年の体が床に転がる。彼はむせた。
顔をあげたケイドの瞳は闘志を失っていなかった。よろよろと立ち上がろうとする。その手を、男は踏みつぶした。
「このクソガキ!」
体中を嫌悪感が襲う。
何、これ?
ケイドが痛みにうめき声を上げている。
男の足はぐりぐりと靴の裏をケイドの手に押しつける。
なんで。
なんでこんなことに。
あんな暴力的なこと、いじめられたわたしだってされたことない。
男が足を止め、つま先でケイドのあごを持ち上げた。痛みに顔をゆがめるケイドだが、まだ男を睨みつける気力はあった。
それが男の気に入らなかったのだろう、ケイドは首もとを引っぱられ――顔に拳を叩きこまれた。
「……っ!」
焦りが、鳥肌が、恐怖が、骨の上を走る。
男は一発でやめたりしなかった。
やめて。
ケイドの口から血が出ている。
こんなことやめて。
どうして。
わたしだって本当に、ケイドが死ぬところなんて見たくない。
やめて……!
言いたかったのに、声が出ない。
いやだ。こんなのはいやだ。
こんなのおかしい。
どうして。
なんで。
こわい。
いやだ。
ケイドが――死んじゃう。
ぱたりと、しずくの落ちるような音がした。
誰か助けて。
誰かケイドを助けて。
わたしを、わたしたちを――
「たすけて……、ウィルクス」
しずくがいくつも落ちる。
焦りが心臓を重くする。
助けて。
助けて――
だれも、こない。
どうして。
どうしてわたしは何もできないの?
相手が誰だって人の死なんて見たくない。
死んじゃう。
お願い。
お願いだから、
この手よ
うごいて
「やめて……」
こわい。
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい
でも何より
暴力なんて、死なんて
見たくない
「やめてっ!」
動け
ふるえるな
負けるな
こんなのいやだ!
二人の間に入るつもりが、足がもつれた。
這うようにケイドの前に進む。
「うるせぇな。ガキはぴーぴーとよぉ」
邪魔者を排除する男の腕。
わたしは放り投げられた。
背中が硬いものにぶつかり、痛みに顔がひきつる。
視界の端に見えたのは、また腕をあげる男の姿。
「っ、はなれて……っ!」
わたしは男をこの小屋から引きはなしたかった。
そのことを、強く願った。
みし、と何かのきしむような音がした。
知らずのうちにつむっていたまぶたを開けると、吐く息が白く見えた。
目の前に広がっているものが、信じられなかった。
氷の彫像。誘拐犯の男は氷の中に閉じ込められていた。
それだけでなく小屋の壁や床まで凍って白くなっている。
「お、お前……」
わたしを呆然と見るケイドの姿が物語るものとは――。
「まさか、わた、し」
今、氷の魔術を使ったの?
そんなはずがない。
「なんで、魔封じがあるのに」
腫れた頬のケイドは声が少しかれていた。
そうだ。わたしは今、魔術道具によって魔術を封印されている。魔封じは属性を一つ感知したらそれを封じる。それなのに魔術が使えるなんて、ありえない。それに――
「わ、わたし、こんなに強い力なんて……」
もし強い魔力で魔封じを破れるのだとしても、それはウィルクスみたいな存在だけだろう。わたしには部屋を爆破させられるような力はない。
げほげほとむせるケイドに、わたしは我に返った。
とにかく今は考えている暇はない。
わたしはまだうずくまるケイドに駆け寄った。
打たれたあちこちが痛むのだろう、ケイドは苦しそうだ。どうしたらいいか分からないままわたしが手を伸ばすと、ケイドは肘でそれを払った。
わたしはむっとしたが、ケイドの力が弱かったのも分かった。
「くそ……っ」
ぶつぶつ言うケイドは一人で立ち上がろうとした。お互い手枷があって動きにくい。ただ、わたしの手枷は氷の魔術のせいで霜のようなものにおおわれて白くなっていた。
体を起こしたケイドはすぐに膝をついてしまう。わたしが何か言おうとすると、それを制するように睨んだ。
「誘拐犯は、一人じゃない……ッ、おれが見た時には、二人いた!」
寒気がした。捕まった時、ケイドを抱えた男とわたしを殴った者がいたのだから、相手は複数人に決まっているのに。
このままここにいてはいけない。わたしは小屋の出入り口を振り返った。
幸い男は戸を開けたままだった。
ケイドを見たけどすぐに駆け出せるほどじゃないみたいだ。わたしは先に出口に向かう。
一刻も早くここからはなれなくちゃ……!
でも、もう一人いるという誘拐犯は外でわたしたちが出てくるのを待ちかまえているかもしれない。
その時わたしには何が出来るのか。
もし本当にさっきの氷の魔術がわたしのものだとしても、また使える気なんてとてもしない。さっきは必死だったから――。
ケイドは怪我をしていて、まだ魔封じを外せていない。わたしもだ。
凍りかけたわたしの手枷を、なんとか外せないかと地面に叩きつけてみたが、金属が手首に食い込んできて痛いだけだった。
わたしがもたもたしているうちに、ケイドがわたしを通りすぎる。慌ててわたしも小屋を出た。
空は暮れはじめていたが、曇り空だ。小屋の周りはいくらか拓けているけど、木々に囲まれていて、近くに小さな荷馬車があった。その荷台に顔をつきだしていた小太りの男が、振り返った。
わたしたちは何かをする暇もなかった。ケイドは歩くのが精一杯で、わたしは身動きがとれなかった。
「お前ら……?」
その男はいぶかしむ表情を、すぐに別のものに変えた。ケイドとわたしを突き飛ばし、小屋の中をのぞきこむ。
わたしがケイドを見ると、痛み以外の理由で顔をしかめているのが分かった。仲間がやられたのを知って、男が黙っているはずがない。
早く逃げなくては。
「何だよあれは!」
少しも時間をかせげず、男は戻ってきた。わたしは肩を引っぱられ、簡単にころばされる。
空は雨雲でどんどんと暗くなる。まるでわたしたちの未来を思わせるように。
手をついて体を起こそうと、うつ伏せになった。
「うあっ」
背中を踏みつけられ、肺がつぶれそうになる。
「魔術を封じる道具をつけただろうが!」
どん、と男の怒りが筋肉を伝わってわたしの背を押さえつける。
次の物音は、ゴロゴロと唸るような雷の音。黒い雲は雷雲だったらしい。それに力を得たかのように、男の踏む強さが増す。
「やめ……っ」
胸が苦しい。
頭を蹴られた。
こわさを感じる暇なんてなかった。
ただただ呆然とした。
衝撃で頭がうまく働かない。
「エベ……ッ」
誰かの声が、雷鳴にかき消された。
男の気配が少し遠ざかる。
「見習いでも魔術師なんてロクでもない……!」
カチャリと何かの音がして、思わず顔をあげると男が短剣を手にしていた。
「せっかく結界がゆるんだ時を狙ったのに……。魔封じも効かねえなんてよ……こんなの、どうかしてる」
男がわたしを立たせた。もう片方の手で短剣を握ったまま。
あれが何を狙っているか。
分からないはずがない。
小太りの男の短剣の切っ先が、光る。
「いや……っ!」
死にたくない。
こんなところで。
こんな弱虫なままで。
死にたくない。
やめて。
誰か、助けて……!
強く願った。
男の声が、遠くから聞こえた。
上の方から。
ひどく怯えた声が。
知らずのうちにつむっていた目を開けると、目の前には誰もいなかった。それどころかさっきはなかったはずの巨木がある。
巨木というより、いくつもの木がからまりあってひとつになっている。
訳も分からず、わたしはその木を上まで見上げる。周りの木々よりもはるかに高い木が生えていて、その途中で小太りの男が枝にからめとられていた。
何これ。突然巨木が生えて、誘拐犯を捕まえた……?
「エベ……エヴァニー、お前……どういう事だ……? 木属性まで、こんなに強い力で……」
わたしは体を起こしケイドを見た。彼はこれまで見たことがないくらい間抜けな顔をしている。
「え……?」
この、不自然に生えた木がわたしの力?
もう一度巨木を眺める。小太りの男は表情も動きも固まったままだ。
わたしには木の属性はないはずだし、何より今は魔封じをつけられている。思って、自分の手枷を見下ろせばいつの間にかヒビが入っており、ほとんど割れそうだ。氷の魔術で冷えた金属が衝撃に弱くなりヒビが入ったのだろうか。だから、魔術が使えた?
いや、それにしたって理解が出来ない。
遠くで雷が鳴っている。
「わたしが、やったの……?」
何度見ても信じられない。この巨木をわたしが生み出した、なんて。
「お前しかいねえだろうが。おれは水属性で、しかも魔封じがある」
ケイドがぼやくように言った。いつものような強い口調ではない。
「で、でも」
普通、人が使える魔術は一つ。魔術師の見習い時代でも最大で二つ。二つ使えるのは強さではなく、魔術師として未熟だから、自分の力をコントロール出来てないだけ。
わたしが使えるのは、火と水の魔術。しかも、本当に弱い力しか発揮出来ない。
そんなわたしが、三つの属性を扱えるなんておかしい。
「なんだよ……これは」
かすれた声が、その男の存在を知らせた。振り返った先には、小屋の中で凍らせたはずの誘拐犯の一人。
なんで――と思ったけれど、魔術師が未熟だと魔術はすぐに解けてしまうのだ。
「こんな、今まで、あり得なかっ……」
よろよろとおぼつかない足で、男が近づいてくる。
まだ諦めてないの?!
わたしは後ろ足でゆっくり下がる。でもそれは、逃げ場をなくすだけだった。
どうしたら、いいの。
魔封じの手枷をはずそうと手間取るうちに、男に接近を許してしまった。
あっと思う間に、男は疲労しきった虚ろな目を間近に見せた。
「伏せなさいマースティン!」
大地が、ふるえた。
地を這う魔力が岩石の柱となり、男の体を打ち付けた。
伏せる間もなく顔に小石が飛んできたけど、わたしは無事だった。こんなすごい魔術は見たことなかったけど、懐かしい気配だ。
男は完全に気を失ったようで、うめき声もない。
「エヴァニー!」
聞き覚えのある声に、わたしは耳を疑った。
ウィルクスだ。それから、土の魔術の持ち主は――ガレヴィル先生。先生はいつにも増して深刻そうな顔をしている。ウィルクスも、まるでわたしが死にかけてるみたいに血相を変えていた。
「どうして……」
今、ガレヴィル先生が魔術で助けてくれたのは分かる。先生の魔術を見るのは久しぶりだけど、属性が土ってことぐらい知ってる。
「お前……一体何があったんだ? 風の魔術を使えるなんて……いや、それよりこいつらなんなんだよ」
うろたえたウィルクスがあちこちを見ながらわたしに問いかけた。
こっちこそウィルクスに聞きたいことがたくさんある。なんで先生とここに? なんでウィルクスはわたしが風の魔術を使ったなんて勘違いをしてるの?
ウィルクスはわたしが答えないので少し眉を寄せた。
ほんとにもう、訳が、分からない。
頭がくらくらしてきた。うまくものを考えられない。
思考力を薄められているような、頭から脳が外されているような感覚に、立っていられなくなって――わたしは意識を手放した。