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この日の放課後も特訓があったけど、わたしはいつもより早く帰らなきゃいけなかった。うちにお客さんが来るので母さんの手伝いをしなくてはいけない。
相変わらずわたしの火は手の平サイズ、水はチョロチョロ流れる程度。でもわたしは用事があるからとことわって先に帰らせてもらうことにした。
いつもの小ホールから本館を抜けて校門を目指す。
小走りで中庭を進んでいると、少し前を女子生徒たちが楽しそうに話しながら歩いていた。
俯いて通り過ぎようとしたのだけど、マルティアがいることに気づいた。
「ねえねえ、学園長先生が体調悪いって話聞いた?」
「あ、聞いた。それってさあ、やばくない?」
よく見ると他の子もわたしと同じクラスの子だ。四人で歩幅を合わせてゆっくり歩いている。マルティアは何か気になることがあるみたいに一番うしろでぼんやりしてる。
「この街って、学長の魔術で結界張って守られてるんでしょ? 学長の具合が悪いなら、結界もゆるむんじゃない?」
女の子たちの会話は続く。
モークロイ魔術学園の学園長先生が体調不良なんて、わたしは知らなかった。友達がいないから、学園に関する噂もわたしのところには入ってこない。
やっぱり彼女たちを早く追いこそう。そう思って足を早めた。
「そうじゃん、やばー」
「ルスディオの結界ってかけたあとは本人と関係なしに働くんだって。定期的に重ねがけして補強してるし、学長の体調の影響はないよ」
すぐうしろの方で、マルティアの声がした。
わたしたちの街ルスディオに施された結界のことは、わたしも知っていたけどそこまでは知らなかった。マルティアって、物知りなんだ。言い方もハキハキしてなんだか格好いいし、わたしもあんな風に話せたらな。
「ふーん」
街の結界に問題はないと分かったからか、他の女の子たちは興味を失ったようだ。
内心わたしも結界が学園長先生の体調とは関係ないと知り安心して、校門へと急いだ。
わたしの住む街ルスディオはモークロイ魔術学園を中心とした学園の街。学園に通うほとんどの者がルスディオに住んでいる。町長は別にいるが、魔術で街を守っているのはモークロイ学園の学園長だ。
直接見たことはあまりないけど、学園長先生がこの街と魔術学園にとって大事な人だっていうのは分かってる。だから学園長先生が早く元気になるといいな、と思った。
ある日クラスメイトの様子がちょっと違うことに気づいた。どこかそわそわして落ち着かないみたい。それにみんないつもより、教本を手に真面目になってる――。
「もうじき試験となりますので、みなさんしっかり勉強してくださいね」
マルカム先生の言葉を聞いて、わたしは息を呑んだ。
そう、そろそろ学期末試験の時期。
それでみんな落ち着かないのか。
やばい。筆記の勉強、してない。
最近は魔術の特訓に打ち込むあまり、試験のことをすっかり忘れていた……!
このままでは――実技のみならず、筆記でも悪い点をとってしまう。
なにせわたしは筆記も得意じゃない。留年しそうなのは実技の点数だけの話じゃないのだ。
わたしは少しの間だけでも、筆記の勉強をすることに決めた。
「……きょ、今日はお休みしても、いいでしょうか……?」
早速、その日の放課後ガレヴィル先生にお願いした。
「また家の用事か?」
ガレヴィル先生は不正を許さない役人のような顔でたずねる。険しい顔の方には言いにくい。それも、内容がバカっぽい。
「……あ、あの……その……」
「はよ言え」
わたしがもごもごしているとウィルクスが苛立った。鋭く言われてわたしはスカートの裾をつかみながら、口を開ける。
「じ、実は、筆記試験の勉強をしていなかったので……」
横目でわたしを見ていたウィルクスが、わざわざ顔の正面をわたしに向ける。ガレヴィル先生も少し驚いたみたいな目だ。二人とも、わたしが試験が近いのに勉強をしてこなかったので呆れているのだろう。
恥ずかしい……。でもここで言わなきゃもっと悲惨なことになる。
自分でもうっかりしすぎなことは分かってる。だからこそ早く遅れを取り戻さなきゃ。
「……ふむ。では、しばらく放課後の訓練は休みにしよう。キルケンススにも勉強の時間は必要だろうし」
ガレヴィル先生はそう提案してくれた。時々いろんな事情があって特訓が中止になることはあったけど、これまでは一日か二日の短さだった。試験が終わるまでの十日間が特訓なしの期間。
試験は七日後。それまでにわたしは、かなりがんばらなくてはいけない。
試験前になると生徒に自習をさせる先生もいる。教室は静けさに包まれて、ペンでものを書く音やページをめくる音だけがうるさかった。ケイドでさえ試験前は大人しくなっていた。
わたしは休み時間も教本を読んだり、放課後は図書館に行ったりした。焦りばかり先だって、正直あんまり集中出来た気がしない。
周りの子みんなが頭よく見えて、わたしが今更なにかしたって意味なんかないように思えた。
そんな時は教本を開いても言葉が頭に入ってこない。
でも、ガレヴィル先生の特訓までことわったくせに勉強しないなんて、最低なやり方だ。
それにもしかしたら、ヤマカンが当たるかも。なんとか教本を読み続けるしかない。
わたしはランチの時でも教本を眺めていた。おかげで次の授業の時間が近づいてるのに気づかなかった。
急いで教室に向かう。始業時間に少し遅れて教室に入ると、また自習時間になっていた。
みんな、自分の勉強に必死になっている。わたしはその間をぬって席に向かう。
そういえばウィルクスも最近ちゃんと自習授業に参加している。普段なら自習で先生がいなくなった途端に教室から消えるのに。もしかしてウィルクスも筆記試験にあまり自信がないんだろうか。
ここのところウィルクスとまったく話していない。特訓もないし、もともと友達でもないから気軽な会話なんてしたことない。だから、おかしなことはないんだけど――。
なんだか少しだけ、何かが噛み合わないような変な気持ちになった。
試験初日が明日に迫った。
明日に備えて早めに帰る生徒が多い中、わたしは人の流れに逆らって忘れ物を取りに教室に戻っていた。
忘れ物を持って中庭に出た時に、なんとなくだけど――見知らぬ気配を感じた。
ここにいてはいけないものが、立ち入っているような。
試験日直前の学園には生徒の姿がほとんど見られなかった。
きっと気のせいだ。それより早く家に帰って明日の支度をしないと。
明日は魔術歴史学の筆記試験からはじまる。歴史学は嫌いじゃないから、他の教科より少しはいい点をとれるはずだ。問題は、ちょっとでも自信のある教科が歴史学以外にないということ。
校門を出てもモークロイ魔術学園の敷地は続く。林が広がり、街が見えてくる手前でわたしは人の声を聞いた。
「はなせよ!」
ひときわ大きな声にわたしは思わず顔をあげる。聞き覚えのある声に、辺りを見回した。
「……ケイド?」
林に少し入ったところで、ケイドと誰かがもみあっている。相手はケイドより上背のある大人の男。
心臓がざわめいた。
見知らぬ気配――その元は、ここだったのだ。
誰かに知らせた方がいいのではないか。男はケイドを無理に連れ出そうとしているのだから。でも学園への道も街への道にも誰もいない。
誰か、助けを呼ばなくては。
周囲を見回しているうちにケイドは男に抱えられ、林の奥へと入っていった。
どうしよう……!
このままじゃケイドを見失ってしまう。
今更になってわたしは思い出した。魔術師の卵は時に、お金や魔術目的で誘拐されることがあるという――。
いつの間にか足が動いていた。ケイドたちが消えた林の方へと向かって。
カサカサと枯れ葉が踏まれる音。それより大きなわたしの心臓の音。
どうしよう。
ケイドと男の背が見えたけど、わたしの中にためらいが生まれる。
わたし一人ではどうしようも出来ない。引き返すべきだ。
一瞬、振り返ったケイドと目が合ってわたしは何か言おうとした。大声を出せば誰かが気づいてくれるかも。
口を開いたその時、わたしは頭を殴られた。