6
ガレヴィル先生は実習用の小ホールを使う許可をとった。小ホールは普通の教室より二回りほど広くて、強化材を使っているので未熟な魔術師見習いが魔術を発動させたぐらいでは傷もつかない。生徒が下校しなければならない時間までわたしたちで使っていいそうだ。
まず順番にガレヴィル先生がわたしたちの今の状態を見ることになった。
「マースティンは、何も六属性の全てを上手く発動させる必要はない。当然ながら六属性全てを扱える人間はいないからだ。どれか一つでも、通常より大きな魔術として発動させられる事が出来れば――それが君の属性だ。その属性一つに集中したらいい」
まるでお葬式にでも出てるような硬い顔つきでガレヴィル先生は言った。
わたしはとにかく首を縦に振る。先生はわたしを見て眉間のしわを深めた。こわ。
「魔術を発動させる時、何を考えている?」
わたしは魔術を使おうとする時、不安と焦りと失敗するイメージにつきまとわれている。どうにか魔術を発動させようとして成功をイメージするが、それすら上手くいかない。
一年生の後期の春――周りが大きな力を出せるようになっても、わたしはまだ小さな小さな魔術しか使えなかった。
その日、授業で両手を広げたサイズの炎を生み出した子がいた。そのすぐあとにわたしが技を披露する番になったのが、いけなかった。
生徒たちはわたしのちっぽけな火を笑った。それまでも笑われることはあったが、その時ほどひどくなかった。なにより当時の担任までわたしを笑った。
以来、わたしは誰かの前で魔術を使おうとするのを恐れるようになった。
「余計な事を考えてはいけない。その魔術の事だけを脳裏に浮かべなさい」
魔術師として長い時を過ごしてきた男性は言う。
「火の魔術を使うなら、燃える火だけを思い浮かべればいい。その大きさ、色、におい、熱、音、五感でそれを思い描け」
他のことは何も考えないこと。
自分の世界にたった一つ、その火だけが浮かぶ。それほどまでに意識を研ぎ澄ませろ――
心臓がどくどくと高鳴った。
息を大きく吸って、目を伏せる。
言われた通りにしようと心がけた。
わたしは今、暗い闇の中で手の平サイズの火と向かい合ってる。
色は赤っぽくもあるけど――オレンジ色。燃える火の先がゆらゆら揺れる。
その火に近づこうとすると、少し熱い空気がただよう。
ゆれる、オレンジ色――
目を開けた瞬間、想像にほど近い、小さな火が手の平の上に浮かんでいた。
想像よりは小さいが、この前の授業の時より大きな炎。
わたしがびっくりして集中を途切らせると、それはあっけなく消えてしまった。
あまりにもあっさり上手くいって、わたしはかえって信じられそうになかった。
でも、ウィルクスがちょっと意外そうな顔をしてるし、今見えたものに間違いはなさそう。成功したのだ。ガレヴィル先生を見上げると、彼はよろこびの表情を浮かべてはいなかった。
「先日よりは発動にかかる時間が短かったな。その調子だ」
声はいつもよりやわらかい気がした。それに言葉も励ましのもの。
なんとなく分かった。ガレヴィル先生は、去年の担任の先生みたいなことはきっとしない。目に見えて優しいわけじゃないけど、わたしみたいな落ちこぼれにも時間を作ってくれる――厳しくもいい先生。
わたしはガレヴィル先生に励まされたことなどなかったので、うれしくなった。
先生がウィルクスに視線を移す。
「さて、キルケンススは……最近私の授業を欠席し続けているな。どの程度魔術を抑えられるようになったか、見せてみなさい」
今度はウィルクスの番だ。ウィルクスはわたしたちに離れるように言った。わたしは一気に壁まで下がったけど、ガレヴィル先生はわたしほどじゃなかったので、ウィルクスがもっと下がるように伝えた。先生はわたしのとなり、壁際までやってくる。
ウィルクスが目を閉じて集中しはじめた。なんだかこっちも緊張してくる。
こうしてウィルクスが魔術を使うのを眺めるのは初めてで、なんとなく変な気持ちだ。
わたしがぼけっとしてるうちに、ウィルクスは人の頭ほどの火を生み出した。すぐにその火がぶれはじめ、一気に燃え上がる。まるでアルコールでもかけられたみたいに大きく。
ガレヴィル先生が庇うようにわたしを手で押した。
最後に見たウィルクスの炎は、ほとんど小ホールいっぱいに広がっていた。
熱い。
炎が消えた時、ウィルクスの悔しそうな顔が見えた。
こんなに大きな炎の魔術は、これまで見たことがない。開いた口がふさがらなかった。
ガレヴィル先生がわたしから手をはなし、自分の服にかかった火の粉を払う。ウィルクスはまたいつもの不機嫌顔に戻っていた。
驚きのあまり間抜けな顔をするわたしと違って、ガレヴィル先生は普段通りの冷静な顔だ。
「……ふむ。試験の時より抑えられるようになったではないか」
ウィルクス・キルケンススは進級テストの時に会場をひとつ破壊している。その時と比べたらまだマシなのだろうけど、わたしにはすご過ぎてよく分からない。
あんなに巨大な火の魔術。本当にウィルクスは規格外だ。コントロールさえ出来れば、わたしなんかと比べものにならないくらい優秀な生徒になるだろう。
「一人でしていた特訓の成果かな」
先生の言葉にウィルクスは驚いて顔を上げるが、すぐにそっぽを向く。
「……オレだって別に、誰かに死んでほしいわけじゃないんで」
もしかして……ウィルクスはこれまでも一人で特訓をしてた?
あれだけの力だ、魔術実習の授業に出たがらないのも頷ける。周りの生徒を危ない目に遭わせないため――無断欠席をしていたのだ。
意外、だった。周りのことなんてどうでもよさそうにふるまうウィルクスばかり見てきたから。
もしかすると、ウィルクスはわたしや周りが思っているような人じゃないのかもしれない。
「見てんじゃねーよ」
ギャングみたいな鋭い目を向けられて、わたしは飛び上がりそうになった。ウィルクスの感じが悪いのに変わりはない。
ガレヴィル先生に言われてわたしは一人で魔術を発動させる練習を再開させた。
こうして、ほとんど毎日のように特訓の日が続いた――。
ケイド・ヘイフォンの嫌がらせはなくなったりしなかった。ただ、やり方が変わった。わたしの教本がなくなったり、持ち物に悪口が書かれたりするようになった。
もちろん嫌な気分になったけど、わたしはこの時少しずつ、本当に少しずつだけど上手く魔術を扱えるようになっていたから、ケイドが直接立ちはだからないなら、それでいいと思った。
特訓の邪魔をされたくなかった。
「火が少し大きくなったな」
ガレヴィル先生はわたしが思っていたより、ねばり強い教師だった。わたしたちの進歩がごくわずかでも、飽きることなく訓練につきあってくれる。
今のところ、わたしは火と水の魔術が使えるようになった。
ふつう魔術師の扱える属性はひとつだが、魔術を習いたての頃にはふたつの属性を使えることも多々ある。魔術師として成長するうちにその人にもっとも適した属性だけが残る。だからわたしも、火か水のどちらかが自分の属性になるだろう。
同級生の中にはふたつの属性の間で揺れ動いている子もいるけど、一つに決まった生徒もたくさんいる。ウィルクスは火属性、ケイドは水属性、というように。
ちなみに――あの赤いリボンの女の子の属性は風。
あの子の名前は友達に呼びかけられている時に知った。マルティアだ。ファミリーネームはまだ知らない。
あの子が風ならわたしも風属性がよかったのに、なんてちょっと思った。
属性は本人の意思で決められるものではないけど、まったく関係ないわけでもないらしい。
とはいえ、わたしはまだまだほんの少しの間しか火を出しておけないから、まずはもっと長い間魔術を出せるようにならないと。
ウィルクスも、たぶん前より炎を抑えられるようになった――気がする。わたしと同じくその変化は分かりにくいけど。
「魔術道具で力を抑える方法もあるが、それは一時的なものでしかなく、道具が壊れてしまえば無効となる。だが感覚を掴むためには一度くらい試してみるのも悪くはないだろう。使ってみるか?」
ある日ウィルクスはガレヴィル先生にそう提案されて、少し悩んでいた。
「……でも、あんまりズルはしたくない。一月たっても炎が変わらなかったら、また考えます」
彼ははっきりと言った。
特訓の日々を一緒に過ごすうちに、ウィルクスが魔術師としての自分の在り方を真面目に考えていると分かった。楽をしようとしない、わたしみたいに簡単に諦めようとしない、それからズルが嫌い。
いつからかわたしも特訓が嫌とは思わなくなっていたけど、時々上手くいかな過ぎて投げ出したくなる。でも、ウィルクスは自分の炎がちっとも小さくならなくても、弱音を吐いたりしなかった。
ウィルクス・キルケンススは――努力家だ。
そのことをクラスのみんな、いいや、学園中のほとんどが知らないのだ。それをわたしとガレヴィル先生だけの秘密にしたいような気もしたが、学園のみんなに知ってほしいような気もした。