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「お前もちょっとは成長したようだな。それならそれに応じた態度をしてやらないとな?」
気に入りのおもちゃでも手に入れたみたいにケイドは笑う。わたしへの嫌がらせをエスカレートさせるつもりなのだ。
やっぱり、逆らっちゃいけなかったんだ。
もう、なにもかもいやだ。
頭が重くてひどく疲れてしまった。
もう、わたしなんて――。
ケイドの腕が伸びる。わたしの肩を掴もうとして――
低い咳払いが聞こえた。
「……エヴァニー・マースティン」
飛竜組のみんなが一斉に声の主を見る。
「ガレヴィル先生」
誰かがつぶやいた。
五十ほどの男性が険しい顔で廊下に立っている。
「来なさい」
まさか……あのガレヴィル先生が、生徒たちの間に仲裁に入った?
笑顔を見せない衛兵のような態度で、授業中だって授業に関係のない話は一切せず、生徒に「調子はどうだ」とも聞くようなこともない、ガレヴィル先生が?
ケイドの手がおろされた。彼だけじゃなく教室中の生徒たちが気まずい顔をしてる。
眉間にしわを寄せた――いつものことだけど――ガレヴィル先生はわたしを見たあと、視線を別のところに動かす。
「丁度いい、ウィルクス・キルケンスス、君にも話がある」
「え、ウィルクス……?」
わたしのいる場所からは見えなかったけど、教室の外にはウィルクスもいるらしい。
わたしがウィルクスの背中を眺めていると、いつまでたっても自分のもとにやってこない生徒にガレヴィル先生は冷たい目を向けた。
わたしは、はっとなって教室を飛び出した。
ガレヴィル先生は自分の研究室にウィルクスとわたしを連れてきた。先生の研究室は本がたくさんで、研究に必要そうなものばかりそろっていた。
ガレヴィル先生は窓際に立って、外を向いている。わたしは研究室の窓からさしこむ夕方の光をぼんやりと見ていた。
「こんな事は言いたくないのだが……君たちは実技の成績が思わしくない。このままだと留年だ」
ぐさりと刺さるお言葉に、わたしはうめき声を上げそうになった。
それから、ガレヴィル先生はケイドとわたしがもめていると見なし助けに入ったのではない、と分かった。やっぱりガレヴィル先生はそういうタイプではないのだ。単純にわたしに用があっただけ。
「マースティンは未だにまともな魔術を使えないし、キルケンススは発動させた魔術を安定させる事が出来ない」
このままじゃ、留年――。
自分でも予感していたとはいえ、教師の口から語られると、とてつもなく重い。
才能がないからモークロイ学園にいてはいけないと言われるのか。
自分から退学を言い出せと突きつけられるのか。
魔術学園関係者ばかりのこの街にもいてはいけないのではないか。
これ以上はがんばっても、無駄――?
どうしたら――。
「二人共、放課後に訓練をしなさい。私も少し見てやるから。授業だと周りに人が多くて集中出来ないのも問題だろう」
冷静なガレヴィル先生の声。思わぬ言葉に、わたしは目を見開いた。
「分かりました」
ウィルクスはすぐに返事をした。渋々とか嫌々とかいう様子はない。ガレヴィル先生の言葉に納得したようだ。
「で、でも」
わたしが顔をあげると、ウィルクスがこちらを向いて睨んでくる。
な、なんでだろう。
教師に口ごたえするなって? でもウィルクスって相手が先生でもすました態度をやめるようなキャラじゃないし。
もしかして昨日“でも”や“ごめん”はナシ、って言われたことが関係してるのかな。
もじもじしてると、ガレヴィル先生がわたしに話を続けるように言った。
ガレヴィル先生の厳しい眼差しが見れなくて、わたしはスカートを握る自分の手を見下ろした。
「わ……わたし、いつもうまくできなくて、何回も、何回もやっても……それなのに、先生の自由時間をいただくわけには……」
魔術の練習を、というのは分かる。わたしに足りないのは繰り返しの練習かもしれないから。でも、だからといってガレヴィル先生に迷惑をかけたくない。
「マースティン」
先生の声はいつもと同じ、裁判官みたいに感情の読めない声。おそるおそるガレヴィル先生を見ると、こちらもいつもと変わらない眉間にしわの入った顔。
「子供が大人を気にかけなくてよろしい。監督役がいないと手を抜くか帰りそうでもあるから、見張りは必要だ」
後半は、言えてる……。
実際わたしはこの間、魔術歴史学の授業を休んでいる。ウィルクスもサボりぐせがあるし、監視は必要かもしれない。
「では明日の放課後から。教室を借りておくから、一度私の研究室に来なさい」
結局わたしには反対する理由なんてなかった。
こうして、ウィルクスとわたしの特訓が決まった。
突然のガレヴィル先生の訪問でうやむやになったけど、ケイドのこともある。ガレヴィル先生の研究室を出てから思い出した。
次々と予想外のことが起こるので、なんだかもう自分でも訳が分からない。
明日からケイドのことも心配だけど、魔術の特訓も――楽しいことにはならなさそう。
わたしの口からは長い息があふれた。
この前の魔術実習の授業と同じだ。せっかくガレヴィル先生が気を利かせてくれてもわたしは――
「どうせまた……失敗する」
やっぱり、先生には時間の無駄づかいをさせてしまう。
「失敗がそんなに嫌か」
ウィルクスがまた強気な目で見てくるから、わたしは縮こまった。
「そ、そんなの……当たり前」
「誰にだって、何に取り組んだって間違いや失敗はある。だから次はその失敗をしないように気をつけるんだろ」
またウスノロとかアホとか言われると思ったから、わたしは目をしばたいた。
「失敗は次に成功させるための道しるべみたいなもんだ。一つ失敗したなら、道しるべが一つ増えたってよろこべばいい」
たとえば石につまづいて転んだら、次は石に気をつけて歩けばいい。ごく当然のこと。だけどそういうことが出来る場合と出来ない場合がある。
わたしには気をつけて歩いてもつまずくことばかり。
でも、今は――
「……ウィルクス」
ちょっと不機嫌そうだけど、わたしを睨んでいるわけではない。ウィルクスの顔つきは、またあの時みたいに真面目そうに引きしまっている。
「なんだよ」
わたしが言葉を続けないので、今度こそウィルクスは苛立った顔になる。
「な、なんでもない」
わたしは急いで視線を逸らした。
だって、言える訳がない。
まさかウィルクスが、わたしなんかと普通に話してくれるなんて。まるで、励まされているみたいな、背中を叩かれているみたいな、なんていうか、うまく言えないけどウィルクスが「もっとちゃんとしろ」って言ってるみたい――。
わたしがもっとがんばったら、出来ることが増えるって思われている。そんなこと、あるだろうか? あのウィルクスに?
たびたびペアを組まされて、わたしに出来ることなんてほとんどないってウィルクスは知ってるはずなのに。
だけど。
明日からの特訓が、そんなにも悪いものではないように感じられた。
ケイド・ヘイフォンは昨日のガレヴィル先生の登場を、真実とは違う風に受け取ったらしい。つまり、ガレヴィル先生がわたしたちの問題を見かねて割って入ったのだ、と。
それでケイドは目に見えて大人しくなった。もちろんわたしが視界に入れば嫌そうな顔をするし、あからさまにぶつかってくることもまだある。ただ授業中や周りに人がいる時にはわたしをあまり気にしないようになった。
だけど――時間のたっぷりある放課後まで待っていただけのようだ。この日の授業がすべて終わり、わたしが席を立とうとした時に、ケイドがやって来た。
自分が世界を手中にしたのが愉快でたまらないみたいな顔で、ケイドはわたしに何か言おうとした。
「エヴァニー」
教室の扉の前にウィルクスが立っている。わたしだけじゃなくケイドもウィルクスを怪訝そうに見た。
「ガレヴィル先生に呼ばれてただろ」
ウィルクスは特訓のことを言っているのだ。もちろん忘れたわけじゃない。
わたしはケイドが睨んでいると分かっていたから、すぐには動けなかった。
嫌な空気だけど、とにかく席から立たなくては。急に自分の椅子から教室の外までが遠い道のりに思えた。
ケイドが苛立っているのが気配で伝わってきて、わたしは急かされるように自分の席から離れる。荷物をまとめる暇もなかった。
「遅い」
ウィルクスは不満げだ。いつものことだけど……。
「ごめん……」
歩き出したウィルクスの背を追うと、彼はわざわざ音を立ててため息をついた。一度教室を振り返ると、またひとつ息を吐く。
「そっちじゃねえから」
「え?」
そっちって、どっち?
特訓に行く支度が遅いんじゃなかったら、何だっていうの?
ウィルクスは時々意味が分からない。
人のこと言えないけど、ウィルクスは自分の脳内にある言葉のごくごく一部しか語らない時がある。それって、他の人からしてみれば急に話が飛ぶというか、話し方が下手というか、不器用というか……まあ、ほとんどわたしみたいなものだ。
とにかく何が言いたいのかよく分からなかった。
ウィルクスは自分の言葉なんて理解されなくてもいいと思ってそうだけど。
とにかくわたしたちはガレヴィル先生の研究室へと向かった。