10
わたしがのん気にしていられたのも、医務室のベッドで目覚めたその日だけだった。
何も世界が大きく変わったというわけではない。ただ、わたしをとりまく環境が変わってしまった。
わたしの親は心配のあまり倒れそうだったし、助かったわたしを見て安心でほうけていた。
問題はそのあと。
まずは、学園長先生と顔を合わせて話すことになった。
学園長先生はわたしの特異な体質を大切にすべきと考えた。誘拐された直後でもあるし、わたしにしばらく護衛をつけた。
学園長先生でさえ、六属性をすべて扱える魔術師にはお目にかかったことがない。ただ、彼の師匠の知り合いに六属性を使う者がいたと言う。
六属性の魔術師は確かに存在する、学園長先生は言いきった。
それから、モークロイ魔術学園での噂のこと。
誘拐されたこと、あまり生徒と関わらない学園長先生と話したこと、護衛がつけられたこと、何より現在四つの属性が使える者と知られてしまったことで、エヴァニー・マースティンは学園中の話題となった。
これまではただの落ちこぼれ、時々失敗するのを笑う相手だったのが、誘拐され魔術を四属性も開花させた“時の人”になってしまった。
わたしの手首の包帯がとれた頃、学園長先生につけられた護衛はいなくなったので、わたしが登校するだけで注目されるのはおさまった。
「ね、ねえ、一緒に組にならない?」
それでも怖いもの見たさを隠せないクラスメイトはわたしに声をかけてくる。誘拐された時の話を聞きたがる子もいた。授業で一緒の班にならないかたずねてくる子さえいる。
人気者になったわけじゃない、っていうのはよく分かってる。とにかくいろんなことが重なったから、わたしの存在が珍しいだけ。
好奇心から声をかけられても、あまりうれしくなかった。彼らはエヴァニー・マースティンではなく“誘拐から逃れた少女”や“四属性を使える者”を見ているだけ。だからいつもわたしは誘いをことわった。
「エヴァニー、あたしと組も」
事件前から話しかけてくれたマルティアは別。マルティアは誘拐事件を面白がったりわたしに詳しく聞いたりしない。それにわたしが迷惑がっているのを察して、噂好きのクラスメイトをわたしから遠ざけてくれた。
クラスメイトの誘いを断る理由は他にもある。わたしが誰かと組んだら、ウィルクスが一人になってしまう。一人ぼっちのさみしさは、わたしが一番よく知っている。
「ウィルクスも一緒に……」
「一緒の班? いいけど」
爆弾少年の名前を出してもマルティアはいやがらなかった。ちょっと意外そうにしてみせるだけ。やっぱりわたし、マルティアと仲良くなりたい。
もしかしたら、わたしはマルティアと友達になれるかも。それにいつかケイドの件で助けられたこともちゃんとお礼を言わなくては。
変わったといえば、ケイド・ヘイフォンも少し変わった。
怪我がひどかったケイドはわたしよりあとに登校出来るようになった。けれど、同じ誘拐の被害者でもエヴァニー・マースティンほど噂にはならなかった。
わたしが生徒たちに取り囲まれていてもたいして気にした様子はなかった。これまでのケイドなら、調子にのるなぐらいは言ってくるのに。
ケイドは虫の居どころが悪くてむすっとしてる、ずっとそんな風だ。
友達に偉そうにする態度は変わらないけど、黙って座っていることが多くなった。まだ怪我が痛むだけかもしれないけど、とにかくわたしへの興味はなくなったみたいだ。
班を作れと言われた今も、友達に話しかけられてるのに頬杖をついて外を見てる。物思いにふけるケイドなんて、奇妙な風景だ。
「ねえ、爆弾少年。三人で組むことになったから」
マルティアがからかうように言うと、ウィルクスはいつもみたいに不機嫌丸出しの顔で彼女を見た。
「変な呼び方すんな」
苛立ったウィルクスの態度は居心地のいいものではないけれど、わたしはもう、ウィルクスが見た目通りのひとじゃないって知ってる。だから、脅える必要はなかった。
「今に爆弾じゃなくなるよね」
ガレヴィル先生との特訓はわたしたちだけの秘密――というほどでもないけど、ウィルクスは自分一人で特訓してたことも隠したがった。だからわたしが特訓をほのめかすようなことを言って、ウィルクスの機嫌がよくなるはずない。
でもウィルクスは、奇妙な顔をした。文句を言いたいような、ちょっと戸惑っているような。
護衛が外されることになった日、学園長先生はわたしを呼び出して話をした。
学園長先生が言うには、六属性を使う可能性のあるわたしには、特別な訓練が必要だ。それで、新しいやり方で特訓をすることが決まった。指導するのが誰になるかは決まってないが、ガレヴィル先生ではないことは確かだ。
本人に聞いてはないけど、わたしが抜けたからといってウィルクスがガレヴィル先生との特訓をやめることはないだろう。
だからウィルクスは今後、自分の力をコントロール出来るようになるはずだ。
「なに、何の話?」
事情を知らないマルティアはふしぎそうにする。
「はいはいみなさん班になったらすぐに座ってくださいね」
マルカム先生が生徒たちに静かにするよう言って、授業が再開された。
初めてのことは緊張する。
ついに新しい先生の指導を受ける日が来た。
これから、わたしを特訓してくれる先生と会うことになっている。
わたしは四属性を使える自分を、受けとめかねていた。
事件の時は強い力が出たけど、あとになって同じものを生み出そうとしても出来なかった。以前から使えた火と水は――まだ小さいものの――安定して扱えるようになったけど、その他は怪しい。
学園長先生は出来ればどの属性も自分のものにするのが好ましいと思っている。
わたしにそれが出来るだろうか。とてもそうは思えない。
でもわたしは、あの時、誘拐された時に感じた強い気持ちを忘れたくない。
何かに立ち向かうということ。
負けたくない。弱い自分に。
すぐに行動にうつせるほど立派な人間じゃないけど、わたしは諦めたくない。
両手を強く握る。
「……よし」
学園長先生に言われた場所に行く途中、ウィルクスとすれ違った。誘拐事件があったからって、ウィルクス・キルケンススのわたしへの態度は変わらない。相変わらず必要な時以外話しかけてこないし、授業でもなければその“必要な時”はほとんどなかった。
そんなウィルクスが「おい」と呼び止めてきたのは驚きだった。
「……な、なに?」
世の中に不満がいっぱいあるみたいな顔をして、ウィルクスはわたしから目をそらした。
「その……」
ウィルクスが口ごもるなんて珍しい。わたしは彼の言葉を待った。
なんというか、気になるのに相手が何も言わないのはもどかしい。もしかして――黙りこむわたしにイライラするウィルクスも、こんな気持ちだったのかな?
「ほんの、ちょっとの間だけど。炎がこのくらいまで小さくなった」
両手を肩幅くらいに広げてウィルクスは言った。小ホールいっぱいに広がる炎を扱いかねていたウィルクスが、あんなにも小さな火に出来たなんて。かなり大きな進歩だ。
「すごい……」
わたしなんて火事場の馬鹿力でしかなかったのに、ウィルクスは自分の力、特訓の積み重ねで成し遂げたのだ。
やっぱり、ウィルクスはすごい。
それにすごく、うらやましい。
「だからお前も……、サボるなよ」
一度ウィルクスは口をもごもごさせたけど、最後にそう言い切った。
「う、うん」
すっかり、わたしのサボりぐせがバレている。ウィルクスだって前はよく授業を無断欠席していたくせに。
それでもウィルクスがわたしを励まそうとしてくれたのがうれしかった。
新しい先生と会う前の緊張と、ウィルクスの報告が新鮮で、わたしは妙に気持ちが高まっていた。
「あ、あのねウィルクス」
自分がこれから何を言うのか、よく分かっていなかった。
「わ、わたし、あの、ウィルクスと、友達になれたらいいなって思ってるの。だから、特訓は別のところでしてても、なんていうか、その」
もっとこういう風に、普通に話したりしたい。
ウィルクスの実は努力家なところ、真面目なところ、自分を強く持っているところ。そういうものを見て、いつからか彼ともっと仲良くなりたいと思うようになっていた。
ウィルクスと友達になりたいと思うなんて。そんな日が来るとは想像もしなかった。
「……別にオレはお前と友達になりたくない」
ウィルクスの声が低くなった。
「ええ……っ」
変に気持ちが高ぶっていたとはいえ、けっこう勇気を出して言ったのに!
「な、なんで」
怒ったようでありながら、ウィルクスは居心地が悪そうな顔をしている。
「うるせえ。いいから早く特訓に行け! 新しい先生を待たせるな」
突き放されてわたしは「ううううん……」と唸り声みたいな返事をした。新しい先生に会うのに、時間に遅れちゃまずいのはたしかだ。
わたし、ウィルクスに嫌われたままなのか。ショックだった。
立ち去ろうとした直前に、ウィルクスが笑っているように見えたのは――気のせいだろう。
放課後の西日に照らされた扉が、重く厚く感じられた。
この先に何が待ってるのかは分からない。新しい先生はこわい先生かもしれない。
でも、わたしは顔をあげて手を伸ばした。
そしてわたしは、扉を開ける。
新しい扉を。