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TRY HARDER!
トライ ハーダー、と読みます。
「もっとがんばれ」的な意味です。
モークロイ魔術学園二年生の飛竜組には、問題児が二人いる。ただの悪口と変わらない二つ名は“爆弾少年ウィルクス”と“弱虫エヴァニー”。ちなみに後者は――わたし。
ウィルクス・キルケンススは進級テストの時に炎の魔術で会場を爆発させたので、爆弾少年なんて呼ばれている。爆発事件以来、生徒も先生もみんなウィルクスを遠巻きにしている。とにかく“触るな危険”っていう要注意人物。
対するわたしは、ただひたすらに――臆病なだけ。
常におどおど怯えたような女の子を、誰も友達にしたがらない。性格も見た目も成績もパッとしないわたしには友達と呼べるような相手はいなかった。
「じゃあ二三人で組を作って調べものを始めて頂戴ね」
なんてことを授業で言われた日には、当然わたしは一人ぼっちになる。わたしとウィルクスには組になれと言われて振り向けるクラスメイトがいない。先生に適当な班に組み込まれるか、
「そこの二人で組になれるわね」
余りもの同士で組まされるだけ。
いつものパターンだというのに、わたしはおそろしくてウィルクスの方を見れなかった。
せめて実技の授業でなくてよかったと思うべきなのだろうか。今は魔術歴史学の授業中で、テーマに沿ったことを図書館で調べて発表する、という課題を出されていた。
「おい、どんくさいの」
低い声が飛んでくる。
「ヒィッ!」
わたしの心臓が飛び上がった。怒ってる! 爆弾少年がまたわたしとペアを組まされて怒ってる!
ほんとは振り返りたくなんかなかったけど、ウィルクスはとにかくわたしの行動が遅いって文句を言う。嫌そうな顔をしないように怒られない態度をとらないようにと自分に言い聞かせ、わたしは彼に目を向けた。
「めんどくせえからさっさと分担決めるぞ」
十二歳にしてあの苦々しげな顔。つまらなそうでもあるし、不満そうでもある。
わたしみたいな落ちこぼれと組まされれば誰だってあんな顔になるだろう。ウィルクス以外の子と組になっても、みんな失望の顔を隠さない。
「聞いてんのかよ、ウスノロ。各自で調べものしてまとめて終わりだ。それぐらいならお前だって出来るだろ」
グサグサ刺さるありがたいお言葉。
分かっていたけど、爆弾少年と仲良く調べものなんて出来るはずもなかった。
「何とか言えよ」
わたしをねめつけるその瞳が――こわい。
心臓が縮んでしまいそう。
あっちが目をそらすことはない。わたしが俯くしかなかった。
黙ってると、また怒られる。
なにか言わなくちゃ。
でも。
一体なにを?
ウィルクスが息を吸ったのが分かって、わたしは咄嗟に首を振った。
なにがしたかったのか分からない。反論はないって言いたかったのかもしれない。
「お前――」
彼が苛立ったのが伝わってくる。
「し、調べる、から」
わたしの声は裏返りそうだ。
いつもこう。いつも、自分の考えをうまく口に出来ない。頭の中も真っ白で、言葉も探せない。
まともな返事をしないわたしに、ウィルクスがわざとらしいため息をついた。
「……テーマはオレが適当に決める」
罵倒がもうひとつ飛んでくるかと思えば、突き放したような物言いしかやってこなかった。
ウィルクス・キルケンススは授業態度も出席率もあまりよくない。とはいえ、課題を出す程度のやる気はあるらしい。
わたしにとって悲しくも幸運なことに、ウィルクスと組んで提出した課題は――よい成績をもらえることが多い。つまりはわたし一人の成績はどうしようなく低いということ。
爆弾少年と二人でなんとか課題をこなすしかないのだ。
「授業中に調べもの済ませろって言ったよな?」
たとえ何をしても、がんばって図書館を駆けまわっても、ウィルクスがわたしによくやったと微笑みかけることはない。というか、たぶんこのモークロイ学園の全員がウィルクスの笑顔なんて見たことない。
「だからお前、聞いてんのかよ」
ウィルクスが不機嫌なのは見なくても分かる。肌に刺さりそうな彼の空気で。
「……本が、探せなくて」
放課後になってウィルクスが明日発表する課題についてたずねてきた。わたしはまだ調べものが終わっていなかったので、それを伝えると――この通り。
「調べものもヘタクソなのかよ……ほんとにどうしようもねえな」
胸が焼けそうになる。
「どうせどの本がどこにあるかもよく知らないんだろ。そんなの司書のオバサンに聞けよ。なんのために司書がいると思ってんだ」
呆れきった声。
でも、図書館に来ていたクラスメイトたちはみんな自分で書棚をあさっていた。司書の先生がどこにいるかも知らないし、わたしだけ司書の先生に聞いていいのか分からなかった。
そんなのズルだって言われるかもしれないし、みんなが知ってることをわたしだけ知らないなんて思われたくなかった。
「ごめん、なさい……」
いつもこう。ウィルクスはわたしの失敗や鈍さにイライラして、怒っている。
わたしだって、もっとちゃんとしたい。人と同じになりたい。普通になりたい。落ちこぼれの、要らないやつなんて思われたくない――。
頭が痛くなってきたのは、涙の前兆。
ダメ。
ウィルクスの前で泣いたりなんかしたくない。ウィルクスの前で泣いたのなんて、まだ一回しかないんだから。
「だから、今からやるつもり、で」
早くここから逃げなくちゃ。
わたしは一歩後退した。
課題に取り組むためにも、ウィルクスの前で泣かないためにも。
泣いたって、いつもと同じ。すごく嫌そうな顔をされるだけ。
「待てよウスノロ。今度はちゃんと司書のオバサンに聞くか?」
彼に背を向けたわたしはコクコクと首を縦に振った。
「あと、調べ終わったら自分なりにまとめとけ。明日朝イチでオレにまとめたもん持って来い」
わたしはまた頷いた。
「分かったか?」
「は、はい!」
また心臓が飛び上がった。
もう何も言ってこないので、わたしはそれを合図に教室を逃げ出した――もとい、図書館に向かった。
「お前はどうしようなくアホだな」
翌日、なんとか図書館を駆けずりまわって調べたことを紙に書きウィルクスに渡した時のこと。
朝から不機嫌全開なオーラに迎えられた。
「調べた結果にムダなもんが多すぎる。オレでも分かるくらいに。使えねえ」
わたしはまた何も考えられなくなる。
でも、昨日は遅くまで残ってがんばったのに。司書の先生にだって、頼みづらかったけど探すのを手伝ってもらったのに。必要なことはたくさん書いておくべきだと思って、家に帰ってからもずっと机に向かっていたのに。
ぜんぶ、ダメだったんだ。
わたしのしたことなんて、無意味で、どうしようもない。
「ご、ごめ」
今度はウィルクスの長いため息。
「うるさい。いいからどっか行け」
同じクラスだからこの教室にいるしかないのに。
わたしは予鈴が鳴ったにも関わらず、教室を飛び出していた。
授業に出てこないエヴァニー・マースティンを探しに来る人は、この学園にはいない。
トイレはいつもの泣き場所だった。
クラスのみんなはわたしが泣き虫だって知ってるけど、だからって誰かの前で泣いたりなんかしたくない。みんなうんざりした顔になるだけだ。クラスメイトの前で泣いたのは三回だけ。
泣いたってなんにもならないのは分かってる。でも涙は勝手に出てくる。わたしの体なのにわたしの思う通りにはならない。実技の時と一緒。
わたしはこのモークロイ魔術学園で、まともに魔術を扱えない。
だからこそいつだって、自分のダメさ加減に泣きたくなる――。
いつからこんな風に泣き虫になってしまったんだろう。心当たりはあるにはある。でも、もうその原因と関係ない場所にいるんだから、忘れたっていいはずなのに。
それなのにわたしはいつまでたっても臆病な泣き虫のまま。
弱すぎる自分がいやだった。
二時間目の授業は魔術歴史学だった。ウィルクスとあんなことがあったあとで、歴史学には出れなかった。三時間目の授業が終わった頃になってお腹がすいて、わたしはトイレを抜け出した。
わたしが教室に入っても誰も注意を払わないけど、いつものこと。のそのそと歩くうちにウィルクスの席が近づく。もちろん彼に声をかけるつもりはなかったが、二時間目の授業のことが気にかかって相手をうかがってしまった。
ウィルクスと目が合ったのに、ばっちり逸らされてしまった。わたしから顔をそむけることはよくあるが、あんなあからさまなことはされたことがない。
すでに嫌われているのは分かっているのに、もっと嫌われてしまった――。
胸の奥がふさがったように息苦しくなる。
誰にも好かれてないって知ってるのに、それでも嫌われるのがこわい。
わたしは、わたしはなんてことをしてしまったんだろう。
それまで以上にひどく落ち込んだのは言うまでもない。
一日の授業がすべて終わった。わたしはまたウィルクスに怒られる前に帰ろうと焦っていた。
「あら、エヴァニー・マースティン。今日の私の授業にはどうしていなかったのかしら」
魔術歴史学のドリアート先生に呼び止められた。授業を無断欠席したことに心当たりがありすぎるわたしは、何も言えなかった。
勝手にサボったことや、ひどい課題の発表について怒られるに決まっている。
何と言えばここから失礼なく立ち去れるのか。
「あなたのペアのウィルクス・キルケンススは私が思っていたよりよい発表をしていたわ。きちんと調べてあったのね。あなたはあのウィルクス・キルケンススと違って授業も真面目に受けているようだから、あなたが調べた結果ね? その調子でがんばるのよ」
まるで――そう、まるでほめるようにドリアート先生は言った。わたしは目をしばたいた。
どういうことだろう。
「それと、発表の時には授業に出てほしいわね。具合が悪かったのなら仕方がないけれど」
わたしは心配させてはいけないと首を振ろうとしたが、それでは欠席の理由をたずねられるだけだと思い俯く。
「すみません……」
とりあえずで発した言葉を、ドリアート先生は気にした様子はなかった。
「それじゃあ、気をつけて帰るのよ。最近、生徒の登下校路を不審者がうろついているって話もありますからね」
わたしは先生の話を半分も聞いていなかった。まだ二時間目の授業について考えている。
ウィルクスが一人で課題の発表をしたのは分かる。でも、いい評価をもらえたのはどうしてだろう。ウィルクス・キルケンススは爆弾少年だけれど、頭が悪いわけではないから一人の力でも課題の発表くらいこなせる。それとも、わたしが調べたことが少しは役にたったのだろうか。
わたしは廊下の向こうに去っていくドリアート先生の背を見つめた。
朝のウィルクスはわたしの調べたことは使えないと言っていたのに、考えが変わったのか。
そうでなくとも――ドリアート先生の言葉が心に残った。
『あなたは授業も真面目に受けているようだから』
魔術歴史学のドリアート先生は、わたしのことを知っていたのか。名前と顔が一致しているだけではなく、授業態度まで彼女の記憶に残っていたなんて。エヴァニー・マースティンなんて飛竜組の教室には存在しないも同じだと思っていた。覚えてもらったとしても、落ちこぼれという認識だけ。
今日の授業は出なかったけど、歴史学はそんなに嫌いじゃない。ドリアート先生のことだって、いつかお話ししてみたいと思っていた。
そんな先生に、覚えられていたのだ。わたしが日頃から授業をちゃんと聞いていたのもムダじゃなかったのかもしれない――。
わたしは、このモークロイ学園にいてもいいのだろうか。
答えは出ないけど、うれしかった。
そんな浮き足だった気持ちも、翌日には打ち消されるとは知らず、わたしは軽い足どりで帰宅した。