闇は傍らに潜む
電車から降りると11時を少し過ぎていた辺りだった。
「飯どうすんの?」
「これから行く宿舎で食べるよ。歩いて1時間ぐらいだから正午には食べられるんじゃねえか?」
「はたまた随分長いわね…」
日はもうすぐで真上に昇りそうだ。余りの暑さに汗が滲む。
駅の外は山ばかりで透き通った藍に真っ白の入道雲が浮かぶ。それはまるで写真のような夏らしい雰囲気を醸し出していた。蝉の鳴き声がここを現実だと強調させる。
松本が歩き出し、私たちがその後に続いていく。
道は舗装しておらず砂利道で歩きにくい。子供の背丈ほどある夏草が露出した足に触れ何とも言えない気分だ。
「松本面白い話」
30分ぐらい過ぎたところで沈黙に耐えられず雛子ちゃんが口を開く。
「無理言うなよ…。僕が言うと絶対滑るし」
「確かにそうですね。そう言えば桜花をコミュグルに招待してないのでその話とかどうですか」
「コミュグル?」
聞いた事の無い単語に私は問い返す。
「ああ。僕たちが使っているチャットアプリの事だ。安易な名前だけあってシンプルで使いやすい」
「L○NEみたいなやつだよ〜」
「なるほどね。確かにメールよりチャットの方が便利だし」
「そんな訳でインストールしてくれ」
松本に急かされ、携帯を開き検索すると一発で出てきた。そのままインストールする。
「ちょっと携帯借りていいか?」
「いいけど画像とか見ないでよ」
「分かった見る」
「殺すわよ」
「すんません」
どこかで見たことのあるテンプレ会話をし、携帯を松本に預ける。
携帯を人に渡す時は細心の注意を払うべきだね!
遡ること3年間、私は過去に友人の携帯を悪ふざけで奪ったことがある。その友人は清楚でおしとやかでまさに大和撫子と言うに相応しい人物だった。その携帯の画像フォルダを覗くと男の子と男の子がキャッキャウフフしてる画像が大量にあった。…もう何が言いたいか分かるね!今思い返せば本当懐かしいわね!
20秒ほどで携帯が返ってきた。
「これでOKだ。プロフィール設定は自分でしてくれ」
「ありがとう」
そう言い、設定を開くとまた疑問が浮かんだ。
プロフィール設定画面。“穂高桜花”と入力しようと思ったら、花の文字を入力する前に“これ以上文字を登録できません”と出てきた。なんじゃこりゃ。
「…これユーザーネームって3文字しか入力できないの?」
「そうだけど」
「はぁっ!?シンプルにも限度があるでしょう!?」
本名でやるにしても3文字はいくらなんでも少なすぎる!皆一体どうしてるの!?
エデンのグループ一覧を見ると更なるカオスが広がっていた。
「私皆の本名知らないわ」
「何と無く分かるだろ」
松本が1番上にある“asahi”を指差す。
何と無くって言われても…。
「松本の本名って」
「松本朝緋だ。緋色の朝で朝日」
「本名なの?」
「疑うなよ…本名だ。」
というか厨ニ感が漂う。
「何故アイコンがハンバーグなの」
「実はそのアプリ、プロフィール画像の無断転載をさせないように自分で撮った写真しか登録できないんだよね〜。しかも変えられるの一回だけだし」
雛子ちゃんが横から口を挟む。
「…なんでこのアプリ使ってるの……?」
「シンプルだから?」
あんたらは老人か。
「雛子ちゃんのフルネームって…」
「有栖川雛子だよーっ!」
「有栖川…それでプロ画がアリスなのね」
しかもアリスが印刷された紙を写メしてある。これはギリギリ無断転載にはならないの?
「ねえ…あの」
スワイプした先に某ロボット掃除機のプロ画、ユーザーネームは“掃除機”。誰だこりゃ。
「それ風見っち」
「マジすか…」
絶えず変わりゆけとか山田ハーレムとか訳の分からない迷言を言ってたから何と無く真面目キャラじゃ無いことは理解してたけど…ギャップが酷い。
「俺の名前はそうじだからです」
「は、はぁ」
「風見奏士。奏でるに武士の士です」
「もう私は突っ込まないわよ」
「あれ?山田は?」
雛子ちゃんが美少女アイコンが設定された山田のアカウントを見ながら言う。
会話に入って来なかったから気が付かなかったが、山田の姿が見当たらない。
「やっと折り返し地点ぐらいだけど、仕方無いなあ。山田を探すか、桜花頼んだ」
「私ぃ!?」
「おそらくだが、お前の能力は〈神〉の目。予知できるはずだと僕は思うんだけど」
〈神〉の目。人の死相を覗き見るなんてとんだ皮肉だ。ただこれは死相だけでない。
見ることができるのは数秒先の未来もだ。
「〈神〉ね…。一回ぐらい会ってみたいものね」
膝を着きしゃがみ込み、目に全神経を集中させる。見えた。ここは…もしかしてーーー
「ねえ、風見さん。ここら辺で建物ってある?出来れば心霊スポットとして名前が上がりそうな…」
「なんで僕に聞かないの!?」
何か煩い奴がいるけど、いつも通りスルーしよう。
「そうですね…あ、近くに病院があります。それも廃れた病院です」
マップで地図を調べながら風見さんが指示する。
「…何か嫌な予感するね」
「いや、でも山田を信じましょう」
「分かったわ」
先程能力で見た光景を思い出しつつ、道を進む。
来たところを引き返し、茂みの方へと歩み続ける。
「なあ桜花」
緊迫が包む中、松本が私に話しかけた。
「何よ」
「お前って能力使う時って叫ばないよな」
「いきなり何を言い出すの!?」
確かにラノベのハーレム築けるイケメン主人公は能力を使う時、何かしら詠唱したり綴ったりするが私の身に宿った異形は特に媒介を使う訳でもない。例え呪文を唱えても逆に集中力が掻き乱されそうだ。
「いやー、別に呪文じゃなくても『この私、デッドジョーカーが貴様の死に呪縛をかけるわっ!』みたいなさ。そんなんでも良いと僕は思う」
セリフの所を裏声で言ったのが無償に腹が立ちましたよ。はい。
「…風見さんとか雛子ちゃんは言ったりするの?」
雛子ちゃんの方に振り向くと、彼女はにっこりと笑った。え?言わないよね?絶対人生の汚点になるよ?
「雛子はマジで凄いですね。特に気合いの入り方が」
「か、風見さん?」
「まあそろそろ見れるでしょう」
雑草と共に足元に絡みつく霊を蹴り飛ばしながら笑顔で言った。風見さんのスマイルを見る度二重人格という文字が横切るのは何故だろうか。
「あれ山田じゃね?」
明らかに霊が増えて来ている。
黒い塊が囲むその歩いた先に見えたのは金髪のDQNと古びた建物だった。建物の入り口に佇んでいる。その視線は遥か遠くを見つめているようだった。
「山田ー!もう何してるの!」
雛子ちゃんが駆け出した。…だがしかし、足元に蠢く黒い影に足を持っていかれてーーーそして盛大に転けた。
「だから雛子…霊が多いところは気を付けろよ。唯でさえ僕たちに近寄って来やすいのにさ。通算で転けるのこれで8回目か?」
松本が後ろから呆れる。しかし8回目なのか…。
「…ッ!!!もうっ!」
「ほら桜花、火が付きましたよ」
風見さんの発言に奇妙に思いながらも視線を雛子ちゃんに戻す。
確かに彼の発言通り火が付いていた。
「燃やし尽くしなさい、火怨の祈りよ」
ロングスカートの中からライターを取り出し、それを左手で上に掲げた。そして反対側の手で手刀を作り突き出す。
「ーーー怨恨の火花」
彼女を囲む霊が消失に化す。それも周りの雑草を焦がさず器用に燃やして行った。
物凄い熱量に思わず目を細める。
「…雛子か?」
山田がゆっくりと振り返った。
「雛子か、じゃねぇ!!僕もいるよ!」
「松本は黙ってなさいよ…」
松本を黙らせ、目の前にどっしりと石のように立つ廃墟を見上げる。
「隔離病棟ですね。そのせいで霊が多いのでしょう。しかし何故山田は此処へ?」
「呼ばれてるんだ」
青く澄んだ空を仰ぎながら呼吸するように言う。
「霊が俺を呼んでいるんだよ」
「はいはい厨ニ乙」
「松本!てめえに1番言われたくねえわアホ!」
「そんなこと言わないでとりあえず中入ろうぜ。…?なんだこれ…」
足元に転がる医療廃棄物を踏み付け、目に映る光景に眉を寄せる。
「心霊スポットって言うから覚悟はしてたけど…。これは異常だろ」
中はまるでホラーゲームのステージみたいだった。もしかしたらもっと酷いかもしれない。ゴミが散乱し壁には落書きがある。昼間だから恐怖を感じないが、薄気味悪い。深夜に侵入したら明らかにお化けが出そうだ。
「風見っち。隔離病棟って言っていたけど一体此処で何があったの?」
「原因不明の病が流行ったそうですよ。それは伝染病と恐れられてこの山奥に隔離されたのでしょう」
私は風見さんの説明を聞きながら前へと歩み、風化して殆ど文字の消えた新聞を広げる。
「多分、病が流行り出したのは今からーー」
「8年前ね」
説明を遮り言った。そして右手に握られた地方新聞を捲り上げる。
「8年前、何が起こったか分かるかしら?」
「あっ…でもそれは…」
始めに口を開いたのは雛子ちゃんだ。
「原因不明の病と、都内に限られた地震。それって〈神〉の死とは関係あるの…?」
「関係無いとは否定出来ないよな。こんだけ霊がいるんだし。人々の思いが重すぎる」
私の手にした新聞を見ながら松本は呟いた。色褪せた文字で『ダム工事』とだけは辛うじてよめる。そしてダム湖ができたのも8年前である。
「呼んでる…嫌だ…嫌…」
突然山田が叫んだ。
「やめろよ…?ユズリハ?誰だよそれ…。知らない。俺は何も知らない…」
「山田?大丈夫ですか?」
風見さんの問いかけをスルーし、山田が過呼吸状態になる。異常な程汗を流しとても苦しそうに見えた。
「嫌だ…嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だッ‼︎‼︎‼︎」
言葉が繰り返される。今にも張り裂けそうに。
「風見さん少しずれて」
少々使いすぎな気がするけど、今はこれしか方法はない。
「こっちを向いて」
汗で額が濡れた山田の頭を掴む。焦点の合わない彼の瞳と私の両目を合わせた。
気付いた事がある。私の能力の一つ、死相の宣告は〈能力者〉相手には通用しない。初対面で松本の目を覗いた時、彼の記憶に映ったのが違ったというのが断言できる根拠である。
これは死相ではない。彼ーーー山田の運命に関係する僅かなパズルのピースだ。
毎度お馴染みの三半規管を弄ぶあの感覚が翔ける。平行感覚が麻痺し、何方が上か下か分からなくなった。
そして私の瞳に投影されるーーーヒマワリ、少女、湖…但しそれは情報が欠落しすぎて理解しがたい。
「桜花、何か見えたのか…?」
我に帰ると目の前の山田がこちらを見上げていた。DQNの癖に威厳なんて無いししかも童顔だなと余計な事を考えてしまった。
「山田…?大丈夫なの?」
「ああ。大分落ち着いた。皆迷惑掛けてごめん。気が付いたら呼ばれていたんだ」
「ねぇねぇ。呼ばれてるって一体誰に?」
「テレビで放映されたあの事件の犯人だと思う」
じゃあ私がさっき見たアレは何なんだ?
「やっぱり何か見たんだろ?」
「見たけど欠落しすぎて読み取れないわ。とりあえず山田が元に戻って良かった…。早く移動しましょう」
再び私の側に集まって来た霊を横目で流す。
「そうだね。ここは何かとやばい」
そしてそのままこの廃病院を後にした。
受験、合格しました