その日まで。
突然だった。
出会いも別れも。
けれど。
あなたがうちの子になってくれて本当によかった。
赤いリボンをつけて小さなガラスケースの中でちょこんと座っていた。
数日前。。
新しい家族を探していくつかペットショップをめぐり悩んでいた私達。
結婚して1年が過ぎた頃だった。
偶然通りかかった商店街の入り口の金魚屋さんにその子はいた。
あきらかに犬用ではないゲージの中に。
小鳥も扱っているお店だったからきっと鳥用のものなのだろう。
どうでもいいように長細く切られた厚紙に黒いマジックで書かれた犬種と値段と女の子の文字。
きっと姉妹なんだろう。
白と黒の色合いが少しだけ違った2匹の子犬が私達を見ていた。
「知り合いのところで子犬が産まれて引き取り先が見つからないからここで飼い主さんを
みつけてるんだけどね。なかなかね~」
店主のおばちゃんが話しかけてきた。
いろんなペットショップを見てきた後だったこともありそこに書かれた金額は驚くほどだった。
「今決めてくれたらさらに1万円引くけど・・」
おばちゃんは小さな声で言った。
正直・・私はの求めている犬種でもなかったし。
女の子には見えない白と黒という色合いが気にかかっていた。
旦那さんがそのゲージの前にしゃがみこみ網の隙間から人差し指を入れた。
・・・「はむ」
1匹の方がその指を甘噛みした。
「少し考えてまたきます~」
社交辞令のつもりで私は店を去った。
旦那さんはさっきの子のことが気になっているようだった。
けれど家族に迎え入れるということはそんなに容易なことではない。
お互いが納得した上で結果を出さなければいけない。
私達は2時間ほど話し合いをしたのを覚えている
・・・すっかり暗くなった頃。
もう閉店しているかもしれないなんてことも考えず私達はさっきの店に向かっていた。
おばちゃんは店じまいをしているようだった。
「この近くでペットの美容院を経営しててね。さっきの子達はそこにいるから」
店じまいをすませたおばちゃんと3人でその美容院まで歩いた。
子犬なのにじゃれることもなくおとなしく2匹が並んでいた。
「抱いてみる?」
おばちゃんにいわれるままに私達は2匹を交互に抱き上げた。
ほんの少しだけ色合いが違うだけ。あとはそっくりな2匹。
どっちにする?って聞かれてもこっち!!という理由がなかった。
けれど。
旦那さんは違った。
「こっち!!」
抱き上げられたその子は体をピーンとさせて固まっている。
「さっき俺の指噛んだのこっち」
不思議だった。
旦那さんにはきちんと区別がついていたのだった。
「じゃ明日。。ここに迎えにきてね。きれいにしておくから」
おばちゃんは笑いながらいった。
明日から家族が増える。
黒と白のシーズーの女の子。
お世辞にもかわいい女の子って感じではないけれど愛嬌のあるとぼけた顔をした女の子。
新しい生活が始まる。
わくわくと不安となんとも言えない気持ちでいっぱいだったのを覚えている。
翌日。
赤いリボンつけたその子に私達は「もい」と名づけた。
特に名前に意味はなかった。
後に「もい」はフランス語で妹という意味だということを知った。
白いソファの下がもいのお気に入りの場所になった。
お気に入りのおもちゃやおやつをそこに隠していた。
ペットグッズがおいてあるお店でスイカの形をしたふかふかのおうちを見つけたので
すぐに買って赤い文字のアップリケで「もいのおうち」って貼り付けたのに。
もいはやっぱりソファーの下が好きだった。
いじけたような顔でモップみたいにぺたんとそこで寝そべってた。
目の周りは黒い毛だったから遠くからみると寝てるのか起きてるのかわからない時もある。
シーズーは無駄吠えしないってどこかで聞いたけど。
もいは全くといっていいほど吠えなかった。
遊びに夢中で部屋を走り回ってる時も私達が仕事から帰宅した時も
ご飯やおやつが欲しい時も散歩中に他のわんちゃんに吠えられた時も。
決して「わん」と言わないのだ。
「わん」の変わりに「んぐ~」という鼻からの音をよく漏らしていた。
鼻ぺちゃのわんちゃんにはよくあることだというがもいはそれが多かった。
もいが一番自分の存在を主張するのは寝ている時だ。
とにかくいびきがすごかった。
時々、楽しい夢を見ているのか・・いびきをかきながら尻尾を振っていた。
毎日が発見の連続。。
自転車の前カゴに乗せて出かけたり、リュックサックを買って背負わせてドックラン付きの宿に
旅行もした。スナック菓子が食べたくて見てない隙に袋に頭を入れて抜けなくなったこともあった。
車で海にも行ったし。近場のドックカフェを見つけては散歩がてら寄ってみた。
ワンちゃん用のかぼちゃのプリンをすごい勢いでたいらげて口の周りがプリンだらけになってた。
一緒に船にも乗ったね。風が強くてエンジンの音も大きかったから少し怖がってたっけな。
たくさん写真をとって。街で見つけた黒と白のキャラクターを見つけるとついつい
「もいに似てる」そんな理由で買ってしまう私達だった。
もいがうちにやってきて一年・・。
私達にもう1人家族が増えることになる。
わんちゃん・・・ではなく人間の男の子。
とりあえずは弟ができたってことになるんだろな。
妊娠を機に仕事を辞めた私はもいと過ごす時間が多くなった。
2人でいるのが当たり前になっていた。
初めての妊娠で情緒不安定になったことも多々あった。
わけもなく涙が出ることもあった。
そんな時もいは私の膝の上に前足をのせてほっぺたのあたりをなめてくれた。
妊娠中期になった私は不安定さが増してあまり外に出なくなった。
一方的になんだけど。。
もいだけには弱さを話せた。
だから旦那さんにもお友達にもいえなかったことをもいは知っている。
「うんうん。大丈夫」
そういってくれてるみたいだった。
あの時からもいはもう立派なお姉さんになってたんだね。
弟が産まれてからも。
もいはすごくいい子だった。
意地悪なこともしないし驚かすようなこともしなかった。
もいが寂しい思いをしないように。
新しい家族ができても私達はもいにこれまでと同じように接することを決めていた。
当たり前のことだけど。
その当たり前ができなくて。赤ちゃんができたからもう育てることができないと
家族を見放すようなニュースを何度も見聞きしていたから。
もいと弟を一緒にベビーカーに乗せて散歩した。
もいと弟はなんでも半分こ。
おやつの小さなドーナツも。お昼寝布団の場所も。
もいのおかげで弟は優しい子になったんだと私は思う。
最初は寝ることが仕事とばかりに一日の大半が睡眠だった弟もだんだんと起きている時間が多くなる。
手がかかることが多くなる。
ゆったりって言葉を忘れてしまいそうだったから。
私は早朝4時半に起きてもいと散歩に出かけることにした。
大きな声や音を出すと弟も旦那さんも起きてしまうから。
初日、私は迷惑にも寝ているもいを抱えて外に出て小さな声で「お散歩いこ」と言った。
次の日からもいは私が支度をすると静かに座って出かけるのを待つようになった。
家の周りを1周するだけだったけど。朝の空気はすごくきれいで澄んでいて。
木や電信柱のにおいを嗅ぎながら歩くもいの後ろ姿を愛らしく映した。
あの頃あの時間のことをもいはどう思っていたのかなぁ。
弟もなんとか歩けるようと大人の真似をしたがってもいのお散歩リードを持ちたいと言い出した。
どっちがお散歩されてるのかわからないお散歩。
行きたいところにいくのもままならず。
ゆっくりとしか歩けない弟は立ち止まることが多い。
「待って!!」
弟がもいに言うたびにもいは立ち止まって振り向いて座る。
ストレスたまってたかな?それとも優しいもいは「仕方ないなー」って思ってたかな?
お昼や夕方はそんなお散歩だったから余計に早朝のお散歩が私にももいにも貴重な時間になった。
いつの頃からだろう。
弟がもいより大きくなったのは。。。
元々おとなしかったもい。
年をとって活発に動き回る弟とは反対にもいは寝てる時間が多くなった。
それでも大好きなチーズのにおいには反応が早かった。
前足を膝にのせいつもの「んぐ~」を連発するのだ。
元気がない時もチーズはもいの特効薬だった。
春はもいの生まれた季節。
川沿いの桜が散る頃もいは1つ年をとる。
お誕生日には必ずケーキを買ってチーズを買ってみんなで食べる。
弟が年長さんになった年。
初めて弟がもいにチーズをプレゼントするんだっていったのを覚えている。
食欲は変わらないのにもいはだんだんと小さく軽くなっていく。
人間の老いと同じようにもいにも老いが来ていた。
お散歩にもあんまり行きたがらなくなり。大きな声で呼ばないと反応しないこともあった。
仕事から帰宅しても気づかないようで私が部屋に入ってもいに声をかけて初めて尻尾をふる。
当たり前の日々。
いて当たり前のもい。
それがずっと続くわけはない。
わかってたことなのに。
11回目の春を迎える前のクリスマス。
小学校3年生になった弟と私は帰りが遅い旦那さんには悪いけど3人で先にケーキを食べていた。
ケーキを買った帰り道。
コンビニでもいの好きなチーズ味のお菓子も買った。
いつものようにそのチーズのにおいに大興奮し弟の指も食べちゃうような勢いで
もいはクリスマスを過ごした。
いつもと変わらなかったよ。
食欲も。「んぐ~」も。私を見上げる真ん丸な瞳も。
なのに。
それなのに。。
年が明け。11回目の桜を見ないままもいは旅立った。
犬はよく最期に大きな声を上げて鳴く・・なんていうこと聞いていたし。
私が実家で犬を飼っていた時も実際母親の横で声を上げて鳴いた逝ったという話も聞いていた。
最期までもいはいい子だったのかもしれない。
誰にも気づかれないように静かに。
遠くから見たらいつものもい。
大きな声で呼んだらきっと起きるに違いない。
ほんとに眠ってるようだった。
苦しんだ表情でもなかった。
ただ違うのは。
その体が異常なほどに冷たいこと。
そしてその体が硬く動かなくなっていること。
何度も何度も私は呼んだ。
「もいちゃん」「もいちゃんお散歩行こうよ」「もいちゃんご飯食べようよ」
呼んだところで叫んだところで反応がないのはわかってる。
頭では理解できてる。
でもね。
気持ちってついていかない。
突然のことだったから?
うぅん。違う。なんとなくその日が近いってわかっていても同じ感情だったと思う。
ただ。後悔の量が違ったのかもしれない。
大好きなチーズ・・・・好きなだけ食べさせてあげればよかった。
もっともっと抱っこしてあげればよかった。
もっともっとかわいいっていってあげたらよかった。
弟も保育園や小学校に行くようになって私も仕事復帰した。もちろん旦那さんも仕事をしている。
1人で過ごすことが多くなってたことに気づいてあげていなかった。
だから一緒にいる時はもっともっと近くにいたらよかった。
そんなことにさえ今の今まで気づけもしない。
日常って慣れって怖い。
ごめんね。
もいはうちの子になって幸せだったかな?
あの日私達に出会ったことどう思ってたかな?
1度だけ話してみることができるなら。
聞いてみたい。
たくさんの幸せ。笑顔。元気。癒し。優しい気持ち。おだやかな気持ち。
全部もいにもらったもの。
だからね。
私たちは忘れないよ。
もいと過ごした日々。
抱っこした時の感触。
うるさいくらいのいびきも。
今も。。
いつももいがいた場所を無意識に見てしまう自分がいる。
受け入れるまでにはまだまだ時間がかかるかもしれない。
思い出すと涙が止まらなくなるから。
それだけもいの存在は大きかったんだ。
出会ってくれてありがとう。
うちの子になってくれてありがとう。
どうかそっちの世界でもみんなに愛されるもいでいてね。
いつか必ず私もそこにいく日が来るから。
そしたらまた2人でお散歩しよう。
そっちの世界ではもいのが先輩だからいろんなところ案内してね。
それまで。
少しの間さようなら・・・。
当たり前というのは恐ろしい感情なのかもしれない。
安定や安心。そういえばよく聞こえるけれど。
慣れすぎた日常は感謝する心を失う。
ふとしたときでかまわないから。
この先の人生の中で少しだけ立ち止まって。
日常にありがとうと思うことを忘れないでいたらいいなと思う。