第六章 タカシ
一
翌朝。タカシが、まだ寝ている圭を起こさないようにそっと部屋を出ると、廊下に愛理奈の姿があった。
――あれ?なんでこんなところに愛理奈さんが?
同じ宿に宿泊しているとはいっても、愛理奈たちの部屋は、タカシたちの部屋ともちろんグレードが違う。愛理奈たちは、立派な新館に部屋があるが、ここは古ぼけた旧館である。普通なら愛理奈がいるはずがない。
「あの……、なんか用っすか?」
不信そうにタカシは聞いた。彼は、その方面の事にはおそろしく鈍い。
「いえ……、あの……」
そう言った愛理奈の顔は、真っ赤になっている。
「あの……、なんでもないんです」
そう言うと、愛理奈は一目散に走り去ってしまった。
「なんなんだ?一体?真っ赤な顔して……」
首を傾げながら、タカシは集合場所である新館のホールへと向かった。
そこには、監督以下スタッフの他に、変身後のカッチャレンジャーを担当している役者らが、集まっていた。
今日は、アクションシーンのリハーサルから行われることになっている。
現場は昨日と違って、宿から歩いて十分ほどの石灰岩採掘場跡地。ヒーローものアクションの基本的場所だ。
現場に着くと、さっそくリハーサルが始まった。今日は爆薬を使うシーンが多い。それゆえに、いつもよりも念入りにアクション指導がなされている。
一歩間違えば大事故になりかねない。たった一秒のずれが、命の危険を呼び起こす。だから、説明をきくタカシたちの顔も真剣そのものだ。
いつもよりも長めのリハーサルを終えて、ようやくタカシたちが一息入れていると、松下ら、イケメンカッチャメンバーが現場に現れた。
この後は、彼らのリハーサルの予定なのである。
松下の隣には、分厚い眼鏡をかけた、見慣れないおばさんがいる。権現寺郁子。年は五十がらみといったところだろうか。
「いやあ、○×製菓の会長のお姉さまが僕のファンだなんて、本当に光栄だなぁ。」
松下は、わざとまわりに聞こえるように話している。
――○×製菓?ああ、番組スポンサーの一社かあ。ただのおばさんじゃないんだ。
そう思いながら良く見れば、確かに地味ではあるが、仕立てのよさそうなパンツスーツを着ている。となると、耳元の大きなダイヤのイヤリングも、本物かもしれない。
「いい年をしてと思われるかもしれませんが、あなたの活躍を見るのが毎週楽しみで」
「そうですか。よく言われるんですけど、やっぱり何度聞いてもうれしいですねぇ」
松下の声はさらに高くなった。
「郁子様は、バイオリンをなさるんですか?」
「ええ、あまり上手くはありませんけれど。このあとお稽古ですの」
郁子は、胸にバイオリンケースをしっかりと抱いていた。
「お持ちしますよ」
「いえ、いえ大事なものですので。車に置いておけばいいのでしょうが、とにかく側にないと不安で……」
郁子は、ちらりと松下を見た。
「おかしいですわよね」
「いあ、そんなことはありませんよ。僕もピアノをやるんでお気持ちは分かります。僕だって、できれば愛用のベーゼンドルファーを持って歩きたいと思いますもの」
「ですわよねぇ」
そう言うと、二人は顔を見合わせて楽しそうに笑った。
「ところで、ヴィルト・カッツェをやってらっしゃるのはどなた?テレビではお顔がよくわからないから……」
郁子はまわりを見渡しながら言うと、松下はとても分かりやすく嫌な顔をした。
「今日はいませんよ」
「あら?どうしてですの?」
「無断で撮影をすっぽかした挙句に、具合が悪いとか言って、今日は宿で寝てます」
「まあ……。宿でお休みになってますの。でも、それなら安心ですわね」
「え……、安心?何が安心なんですか?」
松下は郁子の言葉に怪訝な顔をした。
「え、あら私、そんな事言いましたかしら?」
「ええ、確かにそれなら安心ですわねって、おっしゃいましたけど」
「あら、嫌だわ。年をとるとほんの少し前のことまで忘れてしまって……。ごめんあそばせ」
「いや、年だなんて。郁子様は十分お若いですよ」
それから松下のお世辞は、延々と続いた……。
タカシにも二人の会話は聞こえていたが、あまり気にもとめず、無意識に愛理奈の姿を目で探した。知らずの内に、今朝のことが気になっていたのかもしれない。
はしゃいでいる松下から少し離れて、愛理奈は立っていた。が、その視線は松下とは間逆に向けられていた。
――本当に、大丈夫かしら……。
不安にかられながら、愛理奈はぼんやりと山の上の雲を見ていた。すると、山の上にいる二人の男の姿が、突然愛理奈の目に飛び込んできた。
それはほんの一瞬のことだったのだが、
――あの人たちは、昨日の!
愛理奈は確信した。
――間違いないわ……。でも、どうしてこんなところに……?もしかして……。
タカシは気づかなかったのだが、愛理奈の顔は朝とは正反対に、どんどん青ざめていった。
愛理奈はいてもたってもいられなくなり、意を決して走り出した。
「あ、愛ちゃん!どこ行くの?もうリハーサルが始まるよ。ねえ、愛ちゃん!」
背中で松下の粘っこい声が聞こえたが、愛利奈はそれを無視した。とにかく人気のないところまで行かなければ……。
どれ位走ったのだろう。後ろを振り返り、誰も追って来ない事を確信すると、愛理奈はポケットから携帯電話を取り出した。
二
Kは指定された時間通りに、櫻井の事務所を訪れた。古びたビルの四階。エレベーターすらない。中に入らずとも、部屋の狭さは想像できた。
今日のKは例の格好とは対照的に、とてもラフな服装をしている。ジーンズにフライトジャケット、黒のタートルネックセーター。もちろん、その下にはしっかり薄手の防弾チョッキを着込んでいるが。
部屋の前まで来ると、Kはノックもせずにいきなりドアを開けた。
「来てやったぞ」
その態度に、若い衆がいきり立ったが、そんなことを気にするKではない。
「ボディチェックなんて面倒なことはするなよ。俺にはあんたらを消しても、メリットはないんだからな」
言いながら、Kはわざとジャケットをめくって、ショルダーホルスターに収められた銃を見せた。
「そうですかな?」
部屋の作りの粗末さに似合わぬ、上等なソファーに座ったまま櫻井が口を開いた。
「そうだろ。弾丸だってただじゃないんだ」
「以外と倹約家でおられる」
自分の目の前のソファーにKを誘いながら、櫻井はさもおかしそうに笑った。
「無駄なことをしたくないだけさ」
Kはうながされるままに、櫻井の前に置いてあるソファーに座りこんだ。
「それにしても、今日はまた随分とラフな格好でいらっしゃるのですね」
櫻井は何気なくそう言ったが、その声とは裏腹に、両の目はヘビのようにKを舐め回している。
「ああ、幸い、なにを着ても似合うもんでね」
その目を気にするでもなく、Kはぶっきらぼうに言い放った。
「なるほど」
櫻井は笑顔を見せたが、目の光かたは変わらない。
「さて、季節の挨拶はこの辺までにして、さっさと話をすすめてくれないか」
櫻井はKの言葉に頷くと、ポケットから一枚の写真を出して、Kに渡した。
「これが、ターゲットです」
そこには、銀色の髪と透き通るような青い瞳をもつ、北欧系の見本のような青年の姿があった。
「フィンランドの天才科学者、ヤルヒ・アシカイネン。今日の午後来日します」
「らしいな。それで日本中大騒ぎだ。アインシュタイン依頼の大物科学者の来日ってわけだ。最も、原爆の基礎を作っちまったアインシュタインと違って、こっちは平和の科学者って訳だ……」
Kは半分ひとりごちるように言った。
「こちらがスケジュールです」
櫻井はポケットから、今度は一枚の紙を取り出した。
「滞在は一週間……か。で、こんなもの渡して、俺に何をしろって?」
「何をって……?」
「俺はエスパーじゃないからな。依頼主の思惑と俺の考えが違う場合もある。だから俺は、依頼主に依頼内容をはっきりと言わせる主義でね。さっきも言ったが、無駄なことはしたくないんだ」
「なるほど……」
面倒な奴だ、と言った表情で櫻井はKを見た。
「ターゲット、ヤルヒ・アシカイネンを日本滞在中にこの世から消して頂きたい」
わざと念を押すように櫻井が言うと、ニヤリとKは笑った。実に満足気に。
「これでよろしいですかな?」
「上等だ」
そう言うとKはソファーから立ち上がった。
「それは良かった」
「しかし、お前んとこのテロ組織が、死の商人もやっていたとはな。そとくりゃ、こんな奴に長生きされたら、たまったもんじゃないだろう」
ジャケットの裾を直しつつ、Kは櫻井の表情を窺った。
「何をおっしゃっているのか、私にはわかりかねますが……。余計な詮索をするのは、あなたのいうところの無駄なことになりませんか」
櫻井も心得たもの、表情を読ませない。
「俺をやとうのは安くない。本当に払ってもらえるのかどうか、確認するのは無駄じゃないだろう。一体どこから資金を調達してるのかと思えば、そんなおシャレなサイドビジネスをやっていたとはな」
言いながらKはドアへと歩き出したが、何かを思い出したようにふいに振り向いた。
「そういえば、腰巾着がいないな。尾行なんて面倒なことをされる位なら、助手席に乗せてやるぞ」
それを聞いて、櫻井は笑い出した。
「ご心配にはおよびません。あなたの無駄を省くために、大杉は別働隊を指揮しております」
「俺の無駄?」
「本来ならその件もあなたにお願いしたかったのですが、なにしろあなたはお安くないのでね。しかも、彼には科学者殿のような大袈裟な護衛がついているわけではない。大杉だけでも、なんとかなります。それに……」
櫻井はいやらしく間を開けた。
「いくらあなたでも、自分そっくりの人間を撃つのは、気が引けるでしょう?」
それを聞くと、Kは不遜な笑みを残して部屋を出た。
部屋を出ると、Kは彼独特の優雅な足取りで狭い階段をゆったりと下がった。
が、ビルの角を曲がり、尾行が着いてこないのを確認すると、Kの動きは突然忙しなくなった。
ビルの近くのコインパーキングまで全力疾走で向かい、停めてあった車に飛び乗ると、Kは急いでヘッドセットを装着した。
「F、聞こえますか」
「ああ、聞こえてるよ。首尾は上々だ。何もかも計画通りに進んでいる、安心してくれ。それより……」
「わかっています。これから急いで向かいます」
「そうしてくれ。いいか、先を越されるんじゃないぞ」
「はい」
そう言うと、Kは車を急発進させた。
三
同じ頃、たまりにたまった書類と格闘している北村の背後から、ドスの聞いた声が響いた。
「北村、竹之下は?」
係長だ。
「はい?あの、そこにいますけど……」
北村は目の前の席を指差した。
そこには、相も変わらずのんびりとたばこをふかし、スポーツ新聞を読んでいる竹之下の姿があった。
「……。珍しすぎて気づかなかったよ。俺はこの課に配属になってから、竹之下が自分の席にいるのを初めて見た気がする」
「いやいや、ほら、俺はいやな事はすぐに忘れる主義だから、ちょいちょい自分の席も忘れちゃうんだよねぇ」
竹之下は、スポーツ新聞をたたみながら言った。
ついでに、警視庁へ来る道も忘れて、二度とここに現れなければいいのにと、北村は思った。
「で、なに?もしかして、俺に用?」
「ま、がんばれよ!」
竹之下を無視して、係長は北村に紙切れを渡した。
それを見るなり北村は、げんなりとした声を出した。
「ええ、またですかぁ……。結局この間のも、本当にガセだったし。これもどうせ、ガセなんじゃないですかぁ」
すると、次の瞬間、今日もきれいな銀河系が、北村の頭上を照らした。
席に戻っていく係長を憎憎しげに見送ると、北村は竹之下の方へ向き直った。
「竹之下さん、ありえないっすよこれ」
「ああん?」
「今日の午後、カッチャレンジャーのロケ地で麻薬取引、なんて……。誰がどう聞いても無理がありますよ」
それを聞いて、竹之下はケタケタと笑い出した。
――我が娘は、そういう手にでたか……。こりゃついでに、相手の男の顔もおがまんといかんな。
竹之下は、そういうことにだけは敏感だ。
「仕方ないだろう。お仕事、お仕事。私ら真面目な公務員。今日も元気に公務に励みましょう」
変な節をつけて歌いながら、竹之下は北村より先に立ち上がった。
「もしかして、熱でもあるんですか?」
その様子を見て、北村は見てはいけないものを見たような気がした。
「あ!さすがの竹之下さんもショックなんでしょう?そりゃそうですよね。こんなもの、真に受ける方が変ですよ」
ぼやき続けながら、北村も仕方なく立ち上がった。
「お前、感が鈍いなあ」
エレベーターの方へと歩きながら、竹之下は北村に言った。
「……?」
「もしかしたらこのヤマは、警視総監賞ものかもしれないぞ」
竹之下はわざと、少し真面目な顔をしてみせた。
「まったく、どうしてそう、口からでまかせがポンポン出せるんですかねぇ」
北村は相手にしていない。
「そりゃ、北村。亀の甲より年の劫って言ってな……」
「竹之下さん、それ微妙に使い方間違ってますよ」
「そう?」
「そうです。基本的に竹之下さんには、当てはまりませんから」
言いながら二人は、やってきたエレベーターに乗り込んだ。
四
圭が目を覚ました時、宿は閑散として物音一つしなかった。
――腹が減ったなあ。
そう思って周囲を見渡してみると、隅におかれたちゃぶ台の上に、おにぎりが二つと手紙が置いてあった。
圭はおにぎりより先に、手紙を手に取った。手紙には、
『先輩へ 現場に行ってきます。今日はおとなしく寝てなきゃダメですよ。先輩の好きなチーズケーキ買って帰りますから、楽しみに待ってて下さい。 タカシ』
と、書かれていた。
――タカシのやつ……。大丈夫、今日はおとなしくしているよ。
圭はお茶を入れると、台本を読みながらおにぎりをほおばった。
食事を終え、さて食後の一服と思ったが、箱にはタバコが一本しか入っていない。
最後の一本に火を点けながら、圭はタカシの顔を思い浮かべた。
――携帯かけて、帰りにタカシにタバコを買ってきてもらうか……。でもなあ、撮影はいつ終わるかわからないし……。タカシも、タバコを買いに行くくらい許してくれるかなあ?
一応、考える振りはしてみたが、圭の心はとっくに決まっていた。
――宿の中にタバコの自販機くらいあるだろうし……。でも、さすがにこの格好はまずいか……。
宿の浴衣は圭には丈が短すぎて、すねが半分見えている。まるで、懐かしのコントのようだ。さすがにこの格好で部屋を出る気にはなれず、圭は紙袋から自分の服を取り出すと、着替えにかかった。
古びたジーンズに、白いとっくりのセーター。
――これは、どうしようかな?ま、一応着ていくか。
少し悩みながら羽織ったのは、フライトジャケット!
廊下に出て、ホールへ向かうと案の定そこに自販機があった。がしかし、日ごろ圭が愛煙している銘柄がそこにはなかった。
――黙ってりゃわかんないか。それに、何か甘いものも食べたいし……。
一瞬にして圭の心は決まった。
フロントで、コンビニの場所を聞くと、国道沿いを歩いて、十分ほどのところにあるという。道は単純だ。
まだ痛む足をかばいながら、圭はゆっくりと教えられた道を歩いていった。
国道の狭い歩道を数メートルほど歩いたところで、圭は何気なく後方を見やった。
青年が、五十メートルほどうしろを歩いているのが見える。それと、自転車に乗ったおばちゃんが一人。
――人、少ないなあ。この辺も過疎化が進んでいるのかな。
なんとなくそんな事を考えていると、おばちゃんの乗った自転車が勢いよく圭を追い越して行った。圭はそれをよけようとして自分の靴ひもを踏んでしまい、危うくこけそうになった。
――あぶないなあ、まったく。狭いんだから、無理に歩道走らなくても……。
ひとりごちて、圭は靴ひもを結びなおそうとしてしゃがみ、安全確認のため再び後方を見た。先ほど見た青年が歩いている。距離は、やはり五十メートルくらいか。
足の痛みでゆっくりとしか歩けない圭は、青年を先に行かせてしまおうと考え、わざとゆっくり靴ひもを結んだ。
その様子に気づいたのか、青年は少し早足になって圭に近づいてきた。背は百七十センチくらいだろうか。歩幅はあまり広くなさそうだ。
青年が圭の横を抜け去りると、圭は立ち上がって再びゆっくりと歩き出した。前方の青年との距離は徐々に離れて行く。目当てのコンビニに着く頃には、その姿はまったく見えなくなっていた。
圭はタバコとチョコレートを買うとすぐに店を出た。そして、宿の方へと二・三歩歩き出したが、愛読している雑誌の発売日が今日だったのを思い出して踵を返した。すると……、先ほどの青年が遠くの方から圭を見ている。青年はすぐに姿を隠したが、その様子がさらに圭を不安にさせた。
――もしかして、尾行されてる……?
今の圭には思い当たるフシがありすぎる程ある。
――逃げなきゃ!
とっさにそう思って、圭は足の痛みも忘れてやみくもに走り出した。男が追ってきているのか、確認する余裕すらないまま、ただがむしゃらに走った。
尾行されていたとなれば、当然宿のことも知っているだろう。
――どこに逃げりゃいいだよ!これじゃ、昨日と同じじゃないか!
前方に国道が交わる交差点が見える。幸い信号は青になったばかりだ。圭は加速をつけて交差点を渡ると、感を頼りに右へと曲がった。
すると、すぐに信号のない小さな交差点があり、その角からは三メートルを越す高さの塀が延々と続いている。
――確か、あいつ背はそんなに高くなかったよな……。
走りながら圭は、タバコとチョコレートをポケットにねじ込み、交差点を渡ると、勢いよくその塀に向かってジャンプをした。すると、手がギリギリ塀の縁にかかった。
――こういうのも、昔よくやったなあ。自衛隊に入ったのも、実は無駄じゃなかったのかも……。
圭は腕の力だけで塀をよじ登ると、一気に塀の中へ飛び降りた。振り返って壁の上方を見る。聞き耳を立てた。しかし、追って来る気配はない。それを確認すると、圭はその場に崩れ落ちた。
「まったく、なんなんだよ。今度はどっちだ?」
取り合えず落ち着こうとして、圭は買ったばかりのタバコの封を切り、常に内ポケットに入れてある百円ライターで、タバコに火を点けた。
ふうっ、とおいしそうにタバコの煙を吐く圭の眼前には、荒涼とした風景が広がっている。
――どう見ても、石灰岩採掘場だよなあ。と言う事は、今日の現場だよな、ここ。
思わず、タカシの怒った顔が頭に浮かんだ。
――だからって、一人で宿に帰るわけにもいかないし……。ロケ隊見つけて、事情を説明するしかないよな……。
またタカシに心配をかけるのかと思うと、圭は気が引けた。
――仕方ないよな。早くしないと、またどんな目にあうかも分からないし……。いくらなんでも、俺ももう限界だあ。
一服し終わると、圭は重い腰を上げた。
その時!どこからか、ドーンという爆破音が聞こえてきた。
――ああ、やってる、やってる。
圭はそう思って、せっかくだからタカシの熱演を見ようと、爆破音のする方へと歩き出した。
ドーン、ドーン。連続して爆破音が炸裂する。
――今日は派手だなあ。
と思っていると、眼下に逃げ惑うタカシことケッツ・ヒェンの姿が見えた。
だが、見えるのはタカシの姿とカメラ用のクレーンだけだった。スタッフは、ずっと後方の安全なところにいるのだろう。
――へえ、案外とやるじゃないか。
ケッツ・ヒェンは、次々と襲い来る爆破を、すんでの所でかわしながら逃げている。実に絶妙なタイミングだ。スリル満点。
――これなら、レギュラーになるのも確実だな。
そう思って圭は思わずニコリとした。
が、次の瞬間……。今までに聞いたことのないような凄まじい爆破音が、連続して圭の耳をつんざいた。と、同時にものすごい爆風が起こり、その爆風で吹き飛ばされたタカシの姿は、みるみるうちに立ち上がる巨大な爆煙に飲み込まれていった。
「タカシ!」
考えている余地はなかった。圭は思わず、その爆煙に向かって走り出した。
「タカシ!タカシ!」
もうもうたる爆煙の中、圭は必死にタカシの名前を叫んでいる。
爆煙でまわりがよく見えない。煙が目にしみる。それでも、圭は手の甲で目をこすりながら、懸命にタカシを探した。
「タカシ!どこだ!返事をしてくれ!タカシ!」
しかし、いくら叫んでも返事は帰ってこない。
「タカシ!」
ようやく倒れているタカシを見つけると、圭は急いでそのぐったりとした体を抱き起こした。
「大丈夫か?しっかりしろ!」
「先輩……」
タカシの衣装はボロボロに破け、ところどころ皮膚がむき出しになっていた。そして、数え切れない程の破片が体中に突き刺さり、体の至るところから勢いよく血が溢れだしている。骨も何箇所か折れているようだ。手足が不自然な方向に曲がっている。
「タカシ、大丈夫だ。今助けてやるから」
励ましながら、圭はタカシのボロボロになった猫型のマスクを外した。
「先輩……」
「しゃべるな、タカシ。体に力をいれないで!」
圭はジャケットの袖口で、血に染まったタカシの顔を丁寧に拭いていやった。
その二人の様子を、高台から大杉と岩本がみていた。
「ばかやろう!また間違えやがって」
大杉の鉄拳が、岩本に飛んだ。
「すいません。この落とし前は、きちんとつけさせてもらいます」
そう言うと岩本は圭たちに向かって自動小銃を構えた。
「やろう!ふざけたまねしやがって」
その声に圭が振り返った。
「今度こそ、ぶっ殺したる!」
そう吼えると、岩本は圭たちに向かって自動小銃を乱射し始めた。すると、大杉も負けじとライフルを構えた。次々と弾丸が圭たちに襲いかかる。
「危ない!来るな!逃げろ!」
異変に気づいて近づいてきたスタッフを一括すると、圭はタカシを抱えて爆発でできたくぼみに身を潜めた。
スタッフがその光景に驚いて、あわてて逃げて行く中、一人圭たちの方へ向かってくる人影があった。カッチャ赤のファンだというあのおばちゃん、権現寺郁子だ。
「タカシ。心配するな。大丈夫だから。絶対に助けてやるから……」
後方を気にしつつ、圭はタカシに精一杯優しく話しかけた。
その時、圭は気づかなかったのだが、銃弾をかわしながら、圭たちから五メートル程離れたくぼみに、バイオリンケースを抱えたままの郁子が飛び込んできた!
「K!大丈夫!」
叫んでみたが、その声は銃声にかき消された。
「先輩……。俺……」
「しゃべるな、タカシ!頼むから……」
圭はなだめるように、タカシの頭をなでた。すると、タカシは圭の顔を見て微かに微笑んだ。
しかし……。
「俺……競演、したかったっす……」
そう言って、一瞬遠い目をすると、まぶたはすぐに閉じられ、そしてその瞳は二度と開かれることはなく……。
「タカシ!タカシ!」
圭の悲痛な叫びも、もうタカシには聞こえない……。
圭は強くタカシの体を抱きしめた。涙が頬をつたう。激しく続く乱射の音すら、耳に入らないかのようだった。
その様子に心を痛めながら、郁子は急いでバイオリンケースを開けた。中に入っていたのは、M4カービン、小型のライフル銃だ……。
郁子は、分厚い眼鏡を乱暴に放り投げると、ケースからライフルを取り出し、手慣れた様子で弾倉を装着した。
銃声はやみそうもない。しかも圭の至近距離に、次々と弾丸が降ってくる。岩本はともかく、大杉の腕は悪くないらしい……。
郁子がちらりと横をみやると、圭が静かにタカシの体をその場に寝かせ、自分のジャケットを脱いで、その上に掛けてやっているのが見えた。
郁子はライフルを構えると、岩本に照準を合わせた。そして、引き金を引こうとしたその瞬間……、それに気づいた大杉の放った銃弾が、郁子の右手を打ちぬいた。
「きゃあ!」
悲鳴を聞いて、圭は初めて郁子の方を向いた。と、同時に、衝撃で郁子の手から離れたライフルが目に飛び込んできた。
とっさに手を伸ばした。が、届きそうで届かない……。その間も弾丸は雨のように降ってくる。圭は手を伸ばしたり、ひっこめたりしながらも、なんとかライフルを取ろうとした。
と、圭の手を狙った一発の銃弾が、ライフルをかすめた。するとその衝撃で、ライフルの位置が少しずれた。
――しめた。届くぞ……。
圭が急いで手を伸ばすと、その手が今度はしっかりとライフルをつかんだ。
ライフルを持った途端に、圭の脳裏でタカシの悲愴な姿と、両親の面影とが重なった。最早圭に躊躇する気持ちはない。今圭の心の底にあるのは、燃えたぎる憎しみの炎だけである。意を決した圭は、文字通り復讐の鬼と化した。
腹ばいになり、窪みに体を隠しながら圭はすばやくライフルを構えた。大杉と岩本までの距離はおよそ百メートル。圭にとっては、短すぎるといってもいいくらいだ。
その姿を見て郁子は焦った。
――Kとは構え方が違う……。ということは……。どうしてここに!
「圭太郎君!駄目よ。やめて!」
しかしその声は、今の圭の耳に到底届くはずはなく……。
圭はじっくりと間合いを計った。
時を同じくして、竹之下と北村は、圭のいる位置とは反対方向にある、倉庫らしき小屋にようやくたどり着いた。小屋の窓からは、大杉と岩本の姿が見える。
「思ったより簡単にここまで来れちゃったねぇ」
大杉と岩本は圭たちに夢中で、背後にしのびよる竹之下と北村には全く気づかなかったらしい。
「……」
この期に及んでも、のんびりした口調の竹之下に対し、北村は緊張のあまり口も利けなくなっている。
いくら背後から忍び寄ったとは言っても、いつ何時気づかれて銃口を自分に向けられるか分からない状況だったのだ。その上、小屋にたどり着くまでには、隠れる場所など何もなかった。北村はそれを考えると、生きた心地がしない。
しかし、竹之下のペースはいつもと全く代わらなかった。
「それにしても、まあ、派手なことしちゃって……」
「……」
「面白いから、もう少し見学してる?」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!」
「あ、やっと口利いた」
「……」
「仕方ないなあ。北村ちょっと、お前の拳銃貸して」
「何するんですか」
「いいから、いいから」
そう言うと、竹之下は北村の手から拳銃をもぎとり、窓をそっと開けると、岩本と大杉に拳銃の照準を合わせた。
「無理ですよ竹之下さん!その銃で狙うには、距離がありすぎます!」
「そうなの?じゃあ、やめとこうかな……」
竹之下は素直に、銃を持つ手をおろした。
同時刻、Kはまた別の角度でライフルを構えていた。壊れて放置されているショベルカーの後ろに身を隠しながら……。距離は約二百メートル。
ほんの一瞬、銃弾が途切れた。
――今だ!
圭の全身を緊張が覆う。競技会の時とは全く違う種類の汗が、じわりと皮膚に滲み出てきた。
――タカシ!これが俺の出した答えだ!
悲壮な決意の元、照準を合わせ、圭が引き金を引こうとしたその瞬間……!
どこからか、発射音が数発聞こえた。が、無常にも弾はまったく大杉と岩本ににかすりもしなかった。と、それとほぼ同時に、別の方角から二人に向かって二発の弾丸が飛んだ。すると、こちらの弾は実に正確に、大杉と岩本のくるぶしを打ち抜いた。
「ぎゃあ」
悲鳴をあげながら、大杉と岩本がもんどり打って転がり落ちてくる。
それを見て圭は立ち上がり、今度はゆっくりと二人に照準を合わせた。
――タカシ!見ていてくれ!
その時!
「圭!やめろー!やめるんだ!」
徳永の声が、荒涼とした大地に響いた。
圭が声の方向を探すと、彼方から徳永が叫びながら走ってきている。
が、次の瞬間またもや圭は照準を合わせなおした。
「やめろ!聞いてくれ!圭!」
喘ぎながらも、徳永はさらに叫んだ。
「とめないで下さい。トクさん!」
「ダメだ!やめるんだ!」
徳永はそれでも、走りながら必死に圭に叫び続け、ようやく圭の側までたどり着いた。
しかし、圭は照準を合わせたまま、ピクリとも動かない。獲物を狙う猛獣のように冷酷な目をしている。
その瞳に不安を覚えつつ、徳永は喘ぎを必死に抑えて静かに口を開いた。
「圭、あのテロの首謀者が捕まったよ」
「え……?」
徳永が何を言い出したのか、一瞬圭には理解できなかった。
「今さっきニュースでやっていた。取り合えずは、別件で逮捕したらしいが、テロの首謀者である証拠も、警察はすでに抑えているらしい」
「……」
それを聞いても、獲物を睨み付けるような圭の瞳は変わらない。
「首謀者の櫻井って男は、子供の頃、冤罪で父親を処刑されたそうだ。それで、世間への復讐を胸に誓って、テロリストになったらしい……」
「そんな……」
圭の脳裏に、優しく笑う両親の姿が浮かび上がった。
「復讐は復讐を呼び起こす。どこかで断ち切らなきゃならん」
そこまで言って、徳永は一呼吸おいた。
「それが一番良く分かっているのは、圭、お前自身じゃないのか……?」
圭の手から静かにライフルが離れた。
「トクさん……」
徳永は静かに圭に近寄ると、その肩を背後から握り締めた。
「今は何も言わなくいい。言葉で考えようなんてことはするな。ここで分かってりゃいいんだよ」
そう言って、圭の胸をポンポンと叩いた。
圭の目はいつもの優しげな瞳に戻っていった。が、そこに涙はなく、その代わりに今まで圭の瞳にはなかった、意思の強い光が加わっていた。




