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人がひしめき合い、ザワザワと騒がしい。
まだたどり着いて間もないというのに、ここへ来たことをグレースは後悔し始めていた。
───まぁでも、選ばれるわけもないし、ここは簡単に来られる場所でもない。良い思い出になるか。
直ぐにそう考えなおしたグレースは、初めて見る景色に顔を綻ばせた。
数日前、国中に王城からのお触れが出回った。
《某日、王城にて働き手を募る。身分、性別は問わない》
長々と書き連ねてはいたが、要約するならばこのような内容だった。
仕事内容は分からないし、敬遠した人ももちろん大勢いたが、流石王城の仕事というべきか、給金が驚くほどよかったのだ。
そうでなければ、これほどまでに人は集まらなかっただろう。
グレースはと言えば全く興味などなく、へ~ふ~ん、面倒なことするなぁ、と他人事のように思っていた。
もちろん、面接に行くことなど考えてもいなかった。
だが、そう考えていたのはどうやらグレースだけだったようだ。
「行ってきなさい、お母さんちゃんとお弁当作ってあげるから」
住んでいる場所から王都までは、いささか距離がある。
何も食べ物を持って行かないのは、確かに心許ない。
しかし問題はそこではない、そこではないのだ。
「いやいやいや、何言ってるの、行かないよ。というかお弁当に釣られるとでも!?」
「大丈夫、あんたの好きなおかずだけ詰めてあげるから」
その言葉に、好き嫌いをなくすためだとか言う理由で、昔お弁当には嫌いなものもよく入れられていたことを思い出した。
だがグレースは知っている。そんな立派な理由ではなく、単純に残り物が詰められていたことを。
「お母さん、聞いて、私行かないから。大体食堂も私が居なくなったら人手足りなくなって大変でしょ」
家の近くにある食堂で、グレースは15の時から働いていた。
国の決まりで、15に満たない子供は働いてはいけないことになっている。それまではきちんと学校に通い、最低限の知識を身に付けるためだ。
貧しい家庭にはきちんと補助金も出る。
古くからの大国であり、富んでいるこの国だからこそ出来ることだろう。
「心配しなくていいよー代わりにあたしが働くから」
必死に言い募るグレースに追い打ちをかけるように、後ろからは母の援護射撃が聞こえた。
振り返れば、そこにいたのは今年で学校を卒業する妹。
「アリア」
「だからお姉ちゃんは心置きなく王都へ行ってきてください」
加えて、ビシ、と効果音が付きそうなほどの敬礼を披露する。
「ほら、アリアもこう言ってることだし、行ってきなさい」
「何でそんなに行かせたがるのよ、」
あまりの押せ押せぶりに、思わずため息が出るが、二人は声を揃えて答えを教えてくれた。
「「給金がいいから」」
「だったらアリアが行けばいいじゃない」
そうだ、それがいい。
自分である必要はどこにもないではないか。
おまけに、髪も瞳も真っ黒で、地味な容貌のグレースとは反対に、アリアは金髪碧眼の目鼻立ちのハッキリした美少女だ。
グレースも決して不細工なわけではないが、どうしても鮮やかな色を持っているアリアと並ぶと見劣りしてしまう。
王城に勤めるのだ、見た目も華やかな方がいいだろう。
そんなグレースの思惑は、直ぐに一蹴される。
「グレース、あんた、この頭空っぽな子が行って、選ばれるとでも思ってんの?」
「お母さんひどーい、でもその通りよ。あたしが行っても、恥をかいて終わるだけだわ」
我が子の頭が空っぽだと評する母も母だが、それを認める妹もどうなのだ。
「確かに、アリアの成績はあまり良くなかったみたいだけど…」
食堂のお客さんとして来てくれる、学校の先生たちから時々アリアの話は聞いていた。
グレースは外ではしゃぎ回ったりする子供ではなかったが、その分読書家で、休み時間も全て読書に費やしていた程だ。
それが功を奏したのかは分からないが、グレースの成績はとても良かった。
王都の学校へ進学する男子たちにも引けをとっていなかったのだ。
そして、そのグレースの妹であるアリアは、随分と残念な生徒だったようだ。
愛想の良い子であるから、先生からは可愛がられていたようだが、成績は芳しくなかったらしい。
『似ている所を探す方が難しい』
と、グレースとアリアを見て人はよくそう評する。
「あまりなんてレベルじゃないね、どうしようもない」
いくらなんでも言いすぎでは、とグレースはアリアの様子を伺うが、本人は全く気にしていないようだ。
「それにお姉ちゃん、王城に行けばお兄ちゃんに会えるかもしれないじゃない」
「!」
アリアのその一言は、グレースの心を揺り動かした。
長男であるセヴランは、王都の学校を卒業した後騎士団に入り、平民としては異例のスピードで出世している。
それ故に多忙で、滅多に家に帰ってくることもなく、しばらく会っていない状況だった。
そしてグレースは、自他ともに認めるブラコンなのである。
「あぁ、本当だ。あの子ったら全く連絡してこないで、生きてるんだかすら分からない。ちょうどいい。グレース、ついでに見て来てよ」
騎士団でかなりの地位にいるのだ、死亡なんぞすれば即座に連絡が入るだろう。
そんな大義名分など、母が王都に行かせたいが為だと分かっているが、抗い難い魅力だ。
───兄さんに会ってないのっていつから? 少なくともここ一年は全く会ってない。
迷い始めたグレースに、トドメとばかりにアリアは続ける。
「それに、ほら! 王都の図書館ってかなり大きいって聞くよ。もし王城で働けることになったらお城の中の図書館にも行けるかもしれないし、これはお姉ちゃん行くしかないよ!」
王都にある国立図書館、そして城の敷地内にある王立図書館。
どちらも希少価値の高い本を多数蔵書している。
殊に、王立図書館には近隣諸国を探し回っても中々手に入れることのできない書物が多いという。
もちろん、それほどのものを何の地位も持たないグレースが見ることは叶わないだろうが、それでも、それ以外の見たことのない本を山ほど目にすることが出来るだろう。
「決まりだね、お姉ちゃん」
してやったり、とアリアと母は顔を合わせた。