表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/7

第三話 気付いたこと

 森の中――、人が行き来できるようにと整えられた平坦な道を歩き続け、ようやく古城の壁が見えてきた。だが、とても大きな古城に、見上げてもその天辺は見えず、周囲もどれだけあるのかもわからない。

 門番もなく、不気味なほど静かな雰囲気に、人の気配すら感じられず、ブラッドは顔をしかめた。

「……ここ、廃墟じゃないのか?」

 ぐるりと見回して、何かを探すように右往左往するブラッドの行動を目で追いながら、セスは一息吐いた。

「……見た目に惑わされてはいけませんよ」

 セスは門前まで足を進め、そして、木板でできている古びたドアの、錆びたノブを握った。

「……どんなものにも存在の理由はあり、触れられることを待っているんですから」

 セスがノブを引っ張ると、ギギギ……と鈍い音が鳴り、そこが開かれた。――まず最初に視界に飛び込んできたのは広間。赤い絨毯が床一面に敷き詰められ、そして大きな壁に大きな窓。部屋の中央には、部屋を映している大きな宝玉が黄金の台に乗り、その傍に三人の女性がいて、こちらを振り返った。

「ブラッド!!」

 大きく目を見開いて、すぐにイリアが走って来た。

 セスが大きく開けたドアから中に足を踏み入れたブラッドは、心配げな表情で走り寄ってくるイリアを見て、一瞬、飛びつきたくなった。けれどそれができず、ウロウロと目を泳がせて立ちつくす。戸惑っている風のブラッドの前で足を止めたイリアは、じっと彼を見つめ、ホッとした表情で大きく腕を広げて抱き寄せた。

「……よかった。無事でよかった。……本当によかった……」

 何度も何度も言いながら背中や頭を撫でる。イリアの優しい声が耳に響いて、ブラッドは「……うん」と微かに返事をして抱き返した。

「ギュウウゥー……」

 お腹から奇妙な声と違和感を感じ、ブラッドは「ああっ、ごめんごめん!」と、慌ててイリアから離れて「フニュ~……」と情けない声を出すお腹を撫でた。いつもと様子が変わらないことに安心したイリアは、深く息を吐いて、ドアを閉めたセスと、「よぉ」と笑顔で手を挙げるウェインを交互に窺った。

「二人ともありがとう。……疲れたでしょ?」

「このくらい平気だぜ!」

 胸を張って威張るウェインの隣、

「……何度も休憩をねだっていたのは誰です?」

 と、セスが無表情にバラす。

 イリアは小さく笑みをこぼし、お腹を撫でているブラッドを足下から頭のてっぺんまでジロジロ見てペタペタと体を触った。

「どこか怪我は? 怖くなかった? 大丈夫だった? 平気?」

 心配事を繰り返すイリアにブラッドは呆れるようなため息を吐き、背負っていた鞄を降ろして壁際に投げ置いた。

「あのなあ……、ガキじゃないんだからあ」

「もうっ。すごく心配したのよ」

 拗ねるように口を尖らせて、グリグリと頭を撫でる。子ども扱いにブラッドは目を据わらせた。

「その子がアレか? あの時の子だね?」

 枯れた声が聞こえ、ブラッドたちは顔を向けた。宝玉の傍、黒い衣装を身にまとった老婆がじっとブラッドを見ている。

 イリアは「そうよ」と返事をして、顔をしかめているブラッドに紹介した。

「ブラッドは初めてよね。あの人が、私がよく話してたクソバ……大魔女様よ」

 途中で訂正するが、大魔女は不敵に笑った。

「イリア、お前はいつかお仕置きだ」

「あらまあ怖ーい」と、イリアは愛想よく笑って、わざとらしく身体を震わせ腕を抱く。

 セスは深く息を吐いて、笑顔で睨み合う二人を交互に見た。

「……現状をご説明頂けませんか? ……邪気が近付いていますよ」

 彼女のその言葉で何か封を切ったのか、イリアと大魔女の表情に雲がかかった。

 ブラッドは、「……あれ?」と顔を上げた。

 ……そういえば、大魔女の言葉がわかる。ここはギーナレスは失われていないのか?

 不思議なところだ、そう思いながら部屋の中を見回したブラッドの目が止まった。

「……あ」

 宝玉の傍にもう一人の女性がいるのだが、誰かと思えば、グランバールにいた少女だ。そう、ペペルのことについて教えてくれた、あの少女。彼女の方もブラッドの視線に気付き、にっこりと笑いかける。

 その、目と目で通じ合う二人にイリアは顔をしかめた。

「知っているの?」

 問いかけると、ブラッドは「あ、ああ……」と返事をした。

「グランバールにいた。資料室でいろいろ教えてもらって」

「いろいろ? いろいろってなに? 何を教えてもらったの? そんな話し、聞いていないわよ? どういうこと?」

 訝しげに詰め寄るイリアに、「クラウディアのことだよっ」と、ブラッドは恥ずかしそうに目を据わらせる。

 ウェインはそれぞれ窺っていたが、深く息を吐いて何気に窓辺に近寄ると、そこから景色を見渡し、目を見開いた。

「……なんだ、ありゃ」

 愕然とした声に、セスは彼の背後に近寄って外を見た。ブラッドも、お腹を抱えて二人の後ろから覗き込み、顔をしかめた。――いつの間にか地上から離れている。確か、門を開けて入ってきたはずなのに、ここは地上から何十階も離れた高層区だ。

 しかし、ウェインとセスが見ているのはそこではない。……そう、遠い遠い向こう――。

 ブラッドは目を見開いて、息を飲んだ。

 南の空にかかっていた薄雲がもう間近まで迫ってきている。……いや、薄雲じゃない。何かが蠢き合っている。……大群だ。

「……あそこは……キュラレラの手前ですね」

 セスが目を細めて呟いた。確かに、何者かの大群が止まっているところはキュラレラの湖の傍だ。

 ブラッドは困惑げにイリアを振り返った。――イリアは真剣な表情で大魔女の出方を窺っている。

 大魔女は、深く息を吐いた。

「ああ、わかってるよ。……事態は深刻だ」

 ウェインは振り返り、訝しげに腕を広げて身を乗り出した。

「いったい何が起こってるんスかっ? こんなこと……今まで一度だってなかった!」

 戸惑いを露わに視線を泳がすと、その隣、やはり冷静な表情で、セスは何かを見透かすように目を細めた。

「……フェルナゼクスは呪われた、……そうなんですか?」

 みんなの視線が大魔女に向いた。答えを待つ空気が広がったが、大魔女は何も言わずに目を閉じ、それを開けると、真っ直ぐブラッドを見つめた。

「小僧」

「ブラッドよ」と、イリアが不愉快そうに遮り突っ込むと、大魔女は「……ブラッド」と、訂正して改めて切り出した。

「お前と会うことはなかったが、ここからよく見ていたよ」

 意味がわからずブラッドは顔をしかめ、代わりにイリアが「いやらしい」と目を据わらせるが、大魔女は気にすることなく言葉を続けた。

「お前がこの世界に現れたとき、皆が戸惑った。お前が合図なんじゃないかと」

 ブラッドは「……合図?」と訝しげに繰り返すが、イリアはふてくされた様子で腕を組んだ。

「そうじゃないって言ったでしょ」

「だが、現にそうなった」

 二人の会話の意味するところがよくわからない。ブラッドが困惑げに二人を窺っていると、セスは彼の横に並び、大魔女へ再び答えを求めた。

「……現状をお聞かせください。……何が起こっているんですか?」

 大魔女は深く息を吐くと、「こっちにおいで」と、中央にある大きな宝玉に誘い、ブラッドたちが集まると彼らを見回した。

「宝玉に手を。……昔話を見せてあげるよ」

 みんなは目を見合わせて玉に手をついた。しかし、イリアは腕を下ろしている。どことなく不愉快そうな彼女を見てブラッドは首を傾げ、大魔女はため息を吐いた。

「イリア、こんな時にわがままはおやめ」

「わがまま? それはどっちなの?」

「文句があるなら後におし。今はお前と言い合ってる場合じゃないんだよ」

 イリアは頬を膨らまして、パシッと殴るように玉に手をついた。

 大魔女は呆れるようなため息を吐き、気を取り直してからみんなを窺った。

「……目を閉じて、目蓋のその先を見てごらん」

 言われたみんなは大人しく目を閉じ、暗くなった視界の先をじっと見た。ブラッドも同じように、目蓋の奥から目を動かす。すると、ぼんやりと何かが見え始めた。

 空から見下ろしているような景色だ。

 ――青空の下、森が広がっている。段々と景色が動き、視界が変わると、地上に近付いて、どこかの村の中に入った。見たことのないような建物がいっぱい並んでいる。数人の人もいるが、彼らも見たことのないような格好をしている。何よりも、それぞれが“動いている”。ギーナレスを使わずに、物を運び、歩き、動いている。

「これは遠い昔のフェルナゼクスだ」

 大魔女が言葉を発した。

「この当時は、ギーナレスを使える者がいなかった。……なんて不便な生活をしていたもんかねぇ……」

 うんざりして首を振りながらも、言葉を続けた。

「この時のフェルナゼクスは不運が続いていた。不幸が続けば、自ずと人は何かにすがりつく。すがりついて、助けを求めたくなるものさ。まず考えたのは、古典的なやり方だ」

 大魔女の言葉に合わせて目蓋の向こうの景色が流れた。

 ……どこかの森の中。木像がある。何を象ったものかはわからないが、そこに数人の人が集まっている。しばらくすると、森の奥からぐったりとした青年を抱えた人々がやってきて、木像の前に彼を下ろした。青年は息を切らしながら顔を上げ、虚ろな目でみんなを見回し、うなだれた。何をするのかわからなかったが、次の瞬間、ブラッドは「!?」と目蓋を強く閉じた。

 ――青年の首が地面に転がり、木像に吹き出た血飛沫がかかった。

「生け贄だ」

 大魔女が言う。

「病弱な者を連れてきては、ここで生け贄を捧げた。……いつか死ぬ運命ならば、生きる者のため、その命を神に捧げようと。そして、あらゆる災いを収めて貰おうと。人がすがったのは神だ。……災害が起こるたびに誰かが犠牲になった。神への生け贄として。……しかし、それでも収まらない災いが続いた時……考えたのさ。普通の人間だからいけないのかもしれない。……何かしらの力を持った人間ならば、神は受け入れてくれるかもしれない、と」

 目蓋の奥、今度は森から男たちに脇を固めたれた女性がやってきた。朝靄か何か、薄い白い膜がかかっていて視界はよくないが、女性は憮然とした様子で歩き、そして木像の前に立たされた。

 ――ブラッドは息を呑んだ。先ほどの青年のように病気にかかっている様子でもない。女性は木像に向かって何かを言う。何も音は聞こえないから言っていることはわからない。その言葉が終わると、木像から煙のような黒い影が現れ、そして女性を包み込んでしまった――。

「彼女の肉体は刻まれ、そしてフェルナゼクスの四方に埋葬された。それから、フェルナゼクスから災いが消えた。何年も、何年も。彼女の命が災いを消したと、誰もが疑わなかった。後に、皆にギーナレスが宿り、そして、彼女が眠る森には豊かな緑と水が育まれ、神聖な水神、カラナが宿った。……そして、今のフェルナゼクスがある」

 目蓋の奥が暗くなり、ブラッドは「……?」と思いつつ目をそっと開けた。そのとき、手を触れていた大きな玉に映る自分の顔の、その真横に見知らぬ誰かの顔が見え、驚いて思わず振り返った。――だが、背後には誰もいない。唖然とするそんな彼に、「ブラッド?」と、目を開けたイリアが問いかけた。

「どうしたの?」

「……、いや、……なんでもない」

 戸惑いながらも小さく答えるが、そんな彼に大魔女は目を細めた。

「見えたんだろ」

 ブラッドは愕然と目を見開き、大魔女を振り返った。

「見えたんだろ? 隠すことはない」

 見透かそうとするかのような大魔女に、イリアは訝しげにブラッドの顔を覗き込んだ。

「何か見えたの?」

 ブラッドは視線を泳がしながら俯き、少し息を飲んだ。

「……知らない、奴。……玉に映ってた……」

 困惑げにぽつりと答えると、イリアは訝しげに眉を寄せた。

「そいつが、おそらく今回の元凶さ」

 みんながブラッドから大魔女へと目を移した。

「災いを収めた女が、もっとも愛した男――。女を失った男の恨みがフェルナゼクスを呪っている」

「待ってください」

 ウェインがうろたえながら口を挟んだ。

「大昔の話しでしょ。今更呪いだなんて」

「呪いを信じるのならば、自らがその者となり、いずれ大きな災いをこの大地に注ぎ、生きる者すべての命を絶やしてみせる」

 大魔女は言葉を遮って、ゆっくりとウェインを振り返った。

「自らが災いとなって大地を焦がす。すべての命を根絶やしにしてみせる。……そう言って、男は女の後を追い、命を絶った。……そう言われている」

 恐ろしい空気を醸し出す大魔女に、みんなは愕然とし、そろっと目を見合わせた。

 ブラッドは、玉へと目を戻し、じっと見つめた。

 ――さっき映っていた奴が? ……悲しそうな顔をしてた……。

「けど、本当に可能なんスか?」

 ウェインが戸惑うように腕を広げた。

「この大地を焦がすほどの呪いなど……。たった一人の人間にできることではないはず」

「……そうでしょうか」

 静かに口を開くセスを、みんなが見た。

「……思いの強さなど、他人が理解できることではないでしょう? ……思いは、他人が思っている以上に強く、そして、時に残酷なものですよ」

 ブラッドは、口を閉じたセスから再びその目を玉に向けた。

 ……好きな奴を失った男の、呪い……。

「――でも……、あの女は自分から生け贄になるって望んだんだろ?」

 ブラッドが訝しげに小さく訊くと、みんなの目が大魔女に向いた。

「いいや、違う」

 大魔女の答えにブラッドは顔をしかめ、そして、横にいるイリアを見た。

「この前、自分からそう望んだって言ってたじゃないか」

「私もそう聞いていたからよ」

 と、イリアも不愉快そうに大魔女を睨んだ。

「ここに来て吐かせたのよ、本当の話しを」

 みんな、訳がわからずに互いの顔を見る。

 大魔女は深く息を吐いた。

「言い伝えじゃ、女が志願して生け贄になったとされていたが、事実はそうじゃないんだ。生け贄などに賛成をしていなかった女を殺してしまったんだよ」

「……なんてこった」

 ウェインが呆れるように眉を寄せた。

「ギーナレスを持った奴を殺すなんて。……待てよ、じゃあ、男の呪いじゃなくて、あの、生け贄になった女の呪いじゃ……」

「かもしれないね」

 大魔女はそう言って首を振る。

「いずれにせよ、それが元凶だろうと読んでいる」

「……どうなされるんですか? 見えない相手に立ち向かう術など、今の我々には……」

 セスが目を細めて窺うと、大魔女はゆっくりとブラッドへ目を向けた。

「小僧」

「ブラッドだ」「ブラッドよ」と、ブラッドとイリアが声を合わせて睨む。

 大魔女はため息を吐いて、「ブラッド」と、訂正して言葉を続けた。

「気付いているだろうが、段々とギーナレスが失われつつある。あたしらのギーナレスがなくなるのも時間の問題だろう」

 ブラッドはピクッと眉を動かし、そっとイリアを窺った。

「……、言葉もわからなくなる?」

 少し不安げな声にイリアは笑みを向け、ブラッドの頬を撫でた。

「大丈夫。私がいる以上、その力だけは絶対に失わないから」

 力強い声に、ブラッドは心のどこか、ホッとしたような安心感に包まれながら大魔女を見た。

「つまり……、ギーナレスがなくなれば、俺しか動けないってことだよな」

「そういうことだよ」

 大魔女は頷いて、腕を組んだ。

「シャクな話しだがね……。現状、お前に頼らざるを得ない」

「感謝しなさいよ」と、イリアが不愉快な顔で顎を上げるが、大魔女は無視をして言葉を続けた。

「ギーナレスがなくなるまで、お前のことはあたしらが守護する。その間に、お前は元凶を探っておくれ」

「……探る?」

 ブラッドが眉間にしわを寄せると、大魔女は頷き、室内を少し歩き出した。

「お前はギーナレスを使えない。どこかわからない世界からやってきた。おそらく、“ただの人間”だ。だから、同じくただの人間だった呪いの元凶と通じ合い、姿が見えたんだろう」

「……、ギーナレスを使えない者同士、か」

「お前なら、その元凶をどうにかできやしないか?」

「……そう……言われても」

 ブラッドは困惑気味に、のんびりと室内を歩く大魔女を目で追った。

「大体、大昔の奴なんだろ? ……セスの言う通り、見えない相手をどうやって探るんだ?」

「時空の扉を開けよう」

「……、時空の扉?」

 訝しげに訊くが、大魔女は答えずに「……セス」と彼女に目を向けた。

「お前も一緒に付き添うんだ、いいね?」

 大魔女は「……わかりました」と頷いたセスからブラッドへ目を戻した。

「キュラレラでヴィヴィールたちが頑張ってはいるが……。時期に、ここにも死に神共がやってくるだろう」

 ブラッドは顔をしかめ、室内の片隅に固まっている光る粒、ヴィヴィールたちを振り返った。

「……頑張ってる、って?」

 イリアに問うと、彼女は「……ヴィヴィール」と手のひらを向けて呼んだ。

「ヴィヴィールのこと、教えたことはなかったわね。……争いさえ起こらなければ、この子たちの存在はないも同然だったから」

 イリアの手のひらに、一人のヴィヴィールが止まった。

「……聖なる地、キュラレラに住むこの子たちには、絶対的な加護の力が備わっているの。攻撃ではなく……害を被る者を守護する力。……あなたが何者かに攻撃されそうならば、この子たちは、自ら身代わりになる」

 イリアの説明に、ブラッドは悲しげに眉を寄せた。

「古書で見たことはあるけど……。身代わり、って……、本当だったなんて……」

「それがヴィヴィールの役目なのよ」

 イリアは手のひらに止まっているヴィヴィールを見つめると「……ごめんなさいね」と小さく謝り、力一杯握り潰した。驚いたブラッドが「おい!」と、慌ててイリアの手首を掴み、手を広げさせたが、その時にはもう、ヴィヴィールの光は消え、手の中には黒い粒が一つ、残っていた。

 ブラッドは息を震わせ、イリアを睨み付けた。

「なんてことするんだよ! こいつっ……生きてたんだぞ!!」

 顔を赤くして怒鳴るが、イリアはそっと、手のひらから黒い粒を床に落とした。黒い粒は床に落ちると、芽を出し、葉を広げ、真っ白い花びらを開かせた。

「――ヴィアイド」

 目を見開くブラッドを余所に、イリアはそう言って腰を下ろし、柔らかい花びらを撫でた。

「ヴィヴィールは、死んだらこのヴィアイドになって生まれ変わるの。……永遠に枯れることのない花よ」

「……」

「あなたを連れて行ったことはないけど、ヴィアイドが多く咲いている所はね、ヴィヴィールが何かを護るために傷付き倒れた場所なの。……ヴィアイドが咲く場所は、戦いや、何か不幸があった場所。……そこで、みんなは平和を願う」

 イリアは呟くように言って腰を伸ばし、室内の隅に固まっているヴィヴィールたちを見た。

「私はヴィヴィールを殺した。……それでも、私のためにその命を懸けてくれるのなら、ここに来て」

 ヴィヴィールたちは、間を置くことなく集まった。

 イリアの周りを飛ぶヴィヴィールに、ブラッドは戸惑った。だが、イリアはそんな彼を真っ直ぐ見つめた。

「ヴィヴィールたちは自分の使命をわかってるの。この子たちにしかできないことがあることを。この子たちは、私たちが弱い生き物だということもわかってる。……だから、犠牲だとも思わない」

 ブラッドは苛立つように視線を落とした。

「……、だからって……、……殺すことないだろ」

 視線の先に、一輪のヴィアイドが咲いている。キュラレラに立ち寄った時の、賑やかな彼女たちが脳裏に浮かんでいた。

 イリアは、いたたまれない表情で奥歯を噛むブラッドの腕を撫でた。

「確かに、この教え方は残酷だわ。……でもね、とても大切なことを伝えたい時には、冷酷にならなくちゃいけない時もあるのよ」

「……」

「いい、ブラッド? ヴィヴィールは、あなたのことを命懸けで護ってくれる。それに甘えなさい。甘えて、命を救ってもらうのよ?」

「……、そんな」

「あなたは弱い人間なの。一人では生きられない。どうすることもできない。……ヴィヴィールは、あなたの弱いところを補ってくれるだけ。……その代わり、あなたはヴィアイドを見つけたらそこで感謝を捧げなさい。……それで充分」

 小さく微笑んで頷く、そんなイリアに、それでもブラッドは躊躇っていたが、クルクルと、同意するようにヴィヴィールたちが飛び回る姿を見て、少し肩の力を抜いた。

「……、わかった。……でも……、もう駄目だって時じゃなきゃ、絶対、守護はいらないからな」

 ヴィヴィールたちは無視するように室内の隅へと飛んでいき、その姿にブラッドは目を据わらせた。

「やれやれ、知識のないガキはこれだから嫌なんだよ」

 大魔女に呆れるように首を振られたブラッドとイリアは彼女を睨み付けた。だが、大魔女の方は真顔で告げる。

「キュラレラでヴィヴィールが時間を稼いでくれている。この時間を無駄にしてはいけないよ」

 ブラッドはハッと顔を上げて窓に駆け寄り、薄雲が止まっているキュラレラの方角を見た。

「まさか……あそこで」

 愕然とした表情でイリアを振り返ると、イリアは深く息を吐いて頷いた。

「……ヴィヴィールたちが異界の者を相手に、この大地の命が奪われないよう守護してくれているの。……私たちの命を護るために」

 ブラッドは困惑げにみんなを見回した。

「ちょっと待てよ! ……助けに行かなくていのか!? ……このまま放っておいたら!!」

「言っただろ、それがヴィヴィールの使命だ」

 大魔女が真顔で言い切った。

「この大地を護ること、あたしらを護ることがヴィヴィールの使命さ」

「……、ふざけんなよ!!」

 ブラッドはグッと拳を握り締めて大魔女を睨んだ。ウェインが慌てて近寄って彼の腕を掴むが、ブラッドはグッと踏ん張っている。

「あそこにいるのに!! わかってて放っておくなんて!!」

「お前には、お前にしかできないことがある」

 キュラレラの方を指差して怒鳴るブラッドに、大魔女は深く息を吐いた。

「ヴィヴィールを助けに行っても、お前じゃどうすることもできないさ。……それは、あたしらもそうだ。……無力なんだよ、みんな」

 今まで態度の大きかった大魔女が、初めて視線を落とした――。

 ブラッドが言葉を詰まらせ、ウェインに引っ張られるまま体の力を抜いて俯くと、イリアはゆっくりと彼の腕を撫でた。

「……ホント、あなたは優しすぎて心配になるわ」

 苦笑気味に言われて、ブラッドは恥ずかしそうに、それを隠そうとして眉をつり上げそっぽ向く。

 大魔女は一息吐くと、宝玉に近寄った。

「ヴィヴィールの守護を受けている間、あたしらも、なんとかギーナレスを持ち堪えることができる。……ブラッド、お前はセスと一緒に元凶を探るんだ」

 ブラッドは間を置いて頷いた。

「時間がない。時空の扉を開くよ」

「もう少し待ってちょうだい。このまますぐだなんて」

 イリアが一歩前に出て腕を広げると、大魔女は真顔で首を振った。

「猶予はない。ヴィヴィールたちが頑張ってくれているが、それも時間の問題だ。死に神共が来ればここは保たない」

「わかってる。そのときは私もがんばるわ。だから」

「イリア」

 大魔女に詰め寄ろうとしたイリアの肩を掴み止めたブラッドは、躊躇う彼女になんとか笑顔を取り繕った。

「大丈夫だって。セスも一緒だし。心配することないからさ」

「……けどね、ブラッド」

「さっさと元凶を見つけて、呪いをかけるのを止めればいいんだろ? そしたら早くサザグレイに戻ろう。みんなが心配してるからさ」

 笑顔で言うと、イリアはその顔をじっと見つめ、か細く笑いながらブラッドの腕を撫でた。

「……気を付けるのよ、ブラッド」

「うん、わかってる」

 力強く頷くブラッドから、イリアはセスに目を向けた。セスは、いつもと変わらぬ無表情さで小さく頷いただけ。

 ブラッドは大魔女を振り返った。

「それで?」

「……ミティルア」

 大魔女が顎をしゃくると、グランバールの資料室で出会った少女が近寄ってきた。

「私が過去への扉を開けるから」

「……扉? ……どこ?」

 ブラッドが訝しげに問うと、ミティルアは笑って自分の胸に手を当てた。

「心の扉。思いの扉」

「……?」

「私は、扉を自在に操る力を持っているの。だから、迂闊にギーナレスは使えなかったんだ」

「……、どういうことだ?」

「開けてはいけない扉があるから、無意識にそれを開けてしまわないためにも力を押さえていたの」

 やはり意味がわからなかったが、大魔女は首を傾げるブラッドを無視した。

「元凶を見つけて、できるなら呪いを封印するんだよ。いいね?」

 セスは小さく頷き、ブラッドを窺った。

「……行きましょうか」

「あ? ……、ああ」

 セスが歩き出し、ブラッドはその後を追い、足を止めてイリアを振り返った。

 イリアは心配そうな目でブラッドを見ていたが、ウェインに肩を抱かれ、精一杯の笑みを向けた。

「行ってらっしゃい、気を付けるのよ」

「……うん、行ってくる」

 ブラッドは微笑んでセスの後を追う。

 セスはここに入ってきた扉の前に立ち、後をついてきたミティルアに目を向けた。

「……できうる限り、早急に手を打ちます」

「はい」

 ミティルアは頷いて傍に立つブラッドを見上げ、彼のお腹の膨らみに「ふふっ」笑った。

「クラウディア、懐いた?」

「ああ、おかげで。……教えてくれてありがとうな」

「ううん。いいよ」

 ミティルアは首を振って、どこか寂しげな笑みで息を吐いた。

「大したお話しができなかったのが残念だね」

「戻ってきたら話しをしよう。ギーナレス使ってなかったんなら、俺と話しが合うかもしれない」

「ふふ、そうだね」

「一緒に天敵を倒そうぜ」

「天敵?」と、横目でセスを見ているブラッドの視線を追い、小さく笑った。

「ああ、この人がそうなんだ?」

「……お話しのネタになれて光栄です」

 と、セスは冷静に言いながら扉のノブを掴む。

 ミティルアは深く息を吐いて笑顔で二人を窺った。

「……それじゃ、気を付けて」

 「ああ」と、ブラッドが頷くと、セスはノブを握り、扉を開けた。

 ――そこは森が広がっていた。外に出て辺りを見回すと、扉を残して古城が消え、代わりに木々が囲んでいた。訝しげな顔で見回すブラッドを隣にセスが扉を閉めると、扉自体もがフッと消える。

 セスは晴れた空の下、森の中をぐるりと見回した。

「……人の気配がしますね、行きましょう」

 歩き出したセスの後を、ブラッドも慌てて追いかける。

「ここが過去なのか?」

「……ええ、そうですね。……雰囲気が違います」

「そうか? 何も変わらないようだけど……」

 ブラッドは不意に言葉を切った。木々の向こうに人影が見える。何かをしているようだ。少し木の陰に隠れたセスに倣ってブラッドも木陰から窺うと、数人の男たちの姿が見えた。みんな、同じような黒い衣装を着て、何かを呟くように合唱している。

「……儀式ですね」

 セスの言葉にブラッドは目を見開いた。

「……止めなくていいのかっ……?」

「……私たちが恐れている儀式ではないようです」

 セスが軽く顎をしゃくったその先、森の中から黒い衣装をまとった者たちとは明らかに違う、別の男たちが現れた。その中の一人が布に包まれた何かを抱いている。何か掟でもあるのか、彼らは整列をして歩きだした。ブラッドとセスも木陰越しからその後を追う。

 森の中へと進むと開け放たれた場所に出て、そこには宝玉で見た木像が静かにそびえていた。それに近寄る男たちにブラッドは舌を打った。

「……なんの儀式なんだよ」

「……、赤子のようですね」

 セスの言葉に注意深く見ていると、布に包まれた何かを広げた男の腕から赤ん坊が現れた。

「……まさかあいつら……あの子どもを生け贄に……?」

 ブラッドが愕然としていると、布の巻かれた赤子はそっと木像の前に置かれ、その周りに整列した何者かたちがいっせいに言霊を唱え始めた。その様子に、ブラッドはグッと拳を握った。

 何かが起ころうとしている――。その空気が恐ろしくて、今にも飛び出しそうになるブラッドを、セスが腕を掴んで押さえた。

「……冷静に。……今動いたところで何もできません」

「そんなこと言ったって、……あの子どもがっ……」

 焦るように見ると、子どもを置いた男はひざまづき、涙をこぼして祈り始めた。

 ブラッドはイライラが募り、じっと様子を眺めているだけのセスを見た。

「助けなくちゃっ……」

「……」

 セスは、不意に顔を上げた。何かを探すように、ゆっくりと辺りを見回す彼女に、ブラッドは間を置いて顔をしかめた。

「どうした?」

「……時空が歪みますよ」

 彼女の言葉が終わるか終わらないかのその時、「え?」と瞬きした瞬間に、ブラッドの視界が変わっていた。……また森の中だが、さっきの場所とは違う。

「……今度はどこだよ? ……さっきの木像がないけど……」

「……し。……誰かが来ます」

 低木の影から見守っていると、チョコチョコと、小さな少年が現れた。散歩の途中のような子どもに、ブラッドは訝しげな顔で首を傾げた。

「……こんな森の中で何してるんだ。……迷子かな」

「……」

 セスは間を置いて、右手人差し指を唇に当てた。

《……道行く少年よ。……何用でこの森を訪れた?》

 響き渡るセスの声に、ブラッドも、そして足を止めた少年も驚いた。

 少年は辺りをキョロキョロと見回している。

「お姉ちゃん誰? どこにいるの?」

《……私はあなたの傍にいる》

「そば?」と、少年は背後を振り返り、首を傾げた。

「いないよ? 隠れん坊?」

《……この森の名は?》

「知らない。でも、ここ、おもしろいんだ」

 少年は笑顔で答えながら低木の葉を千切って遊ぶ。

「僕が来たことは秘密だよ。あのね、お父さんに言うと、怒られるんだ。ここ、来ちゃダメなんだって」

《……なぜ?》

「こわーいお化けが出るんだって。でもね、隣の森に行っても言われるんだよ、こわーーいお化けが出るから行っちゃダメだ、って。お化けって、森に住んでるのかなあー」

 無邪気な様子に、ブラッドはため息を吐いた。

「……あいつがなんだってんだ? ……元凶と何か関係があるのか?」

《……少年よ、……名はなんという?》

「僕?」

 少年は顔を上げた。

「あのね、知らない人に名前は教えちゃいけないって、お父さんに言われてるんだ。教えたらね、僕、連れて行かれちゃうから。悪い人だったら、大変なんだって」

 ブラッドは顔をしかめた。

「……どういうことだ?」

《……どこに住んでいる?》

「あっち」と、少年は来た道の方を指差し、足下に落ちている枝を拾って、それを振りかざし、遊びだしたが、

「どこにいるのー! 隠れないでー!」

 半べそを掻くような少女の声に少年は顔を上げ、枝を捨てた。

「じゃあね、お姉ちゃん!」

 ニッコリと笑って、どこかに走っていった――。

 ブラッドは訳がわからないまま、腕を組み、セスに何かを言おうとしたが、再び時空が歪んで顔を上げた。

 ……また森の中だ。

 ブラッドはため息を吐いた。

「まさか、この世界の森を全部制覇しなくちゃいけない、ってことないよな?」

 呆れるように言っていると、誰かが木陰から現れた。十代前半の少年か……。俯いているので顔立ちはよくわからないが、元気がなさそうだ。拓いた場所に立つと、じっと俯き、地べたに座った。何をするわけでもなくじっとしている様子にブラッドは首を傾げた。

「……どうしたんだろう、あいつ……」

 セスは再び何か問いかけようとして口を閉じた。奥から男性がやってきて少年の傍に立った。

「……そんなに落ち込むな」

「……、だって……」

「今更言ったって始まらない。……黙って従うしかないんだ」

「……でも、……ジェラールも見たでしょ? ……あんなひどい事……」

「……」

「……みんなが何したって言うの? ……みんな何もしてないよ? ……なのに……」

 膝を抱えてそこに顔を埋め、肩を震わせる。そんな少年を見下ろしていた青年は、ひざまづいて少年の頭を撫でた。

「……お前はもう、何も見るな」

「……っ……っ」

「家に閉じこもっていろ。……そうすれば、少なくともお前はみんなより幸せな生活ができるんだから」

「……でもっ、……でもさっ、……ジェラールはっ? ジェラールはどうなっちゃうの?」

「俺は……、街を離れる」

「……。……っ」

「……心配ない。いつか戻ってくる。……きっと、また会えるさ」

「……ヤダよっ。……ヤダよ……。……行かないでよジェラール……」

「……。お前は変わらずにいてくれ。……純粋に、真っ直ぐに。……自分の信じた道を、誰にも譲らないでくれ」

 青年がそう言って立ち上がろうとすると、少年が止めるように彼の足にしがみついた。

「行かないでよ! ……ジュリアみたいになっちゃうよ!!」

「……」

「そんなのヤダよ!! もうっ……ヤダよ……」

 崩れるように地面に伏せる、そんな少年を見下ろした青年は悲しげに目を細め、拳を握った。

「……、……じゃあな」

 躊躇うようにそう言って、足早に歩いて行く。そんな青年を見ることなく、少年は地面に顔を伏せたまま大声で泣き出した。

 悲痛な声を耳に留めながら、ブラッドは悲しげに目を細め、間を置いて切り出した。

「……さっきの、ジェラールって男。……あいつが元凶か? じゃあ……ジュリアっていうのが……」

「……大魔女様の宝玉で見た男は、彼でしたか?」

 セスに聞かれてブラッドは思い出し、考えた。

「う……ん、……どうかな。よく顔が見えなかったし……。でも、様子を見ていると……」

 言葉を続けようとして再び時空が歪みだした。二人が窺っていると、再び森の中だ。霧がかかって周りがよく見えない。キョロキョロとしていると、どこからか、苦しそうな息遣いと、引き摺るような音が聞こえ、そちらを見た。

 ……霧の中、ボンヤリとしか見えないが、誰かが木にもたれながら、懸命に歩いている。とても苦しそうだ。

 ブラッドは身を潜めて顔をしかめた。

「……、どうしたんだ、あいつ……。病気なのか……」

「……そのようですね」

 セスが同意するように頷くと、その誰かは木に背もたれ、ズルズルと背中を擦りながら力なく座り込んだ。

「……はあ。……はあ。……、いるん、だろ……?」

 息も絶え絶えな男の問い掛けに、ブラッドとセスは顔を見合わせた。

「……いるんだろ? ……出てきてくれ……。頼む……」

 ブラッドは戸惑った。自分たちのことなのか? それとも――。

 セスに目で伺うと、彼女は小さく首を振り、「……まだ待ちましょう」と声を潜めた。

 顔形も背格好も霧でぼやけてわからないが、男が力なく項垂れたのはわかった。

「……、頼む。……教えて、くれ……。……俺は……なぜ、死ぬんだ……?」

 ブラッドは顔をしかめた。

「……呪いの、力なのか? ……それとも……他に、何かがあるのか? ……教えてくれ。……あいつを、……国を、救うためなんだ……」

 息を切らしながら、男は続ける。

「……もし……呪いの力が、あるなら……、本当に、あるなら……、……その力を、俺に、くれ。……俺の、命と引き替えに。……もう、長くはないだろうけど……、俺は、どうなってもいい。……魂が食らいたいなら、そうしろ。……ただ……俺に、力を与えてくれ。……頼む。……あんたなら……できるはずだ……」

 息も絶え絶えで苦しそうに願う、その途中、声が震えだした。

「……あいつを……死なせたく、ないんだ……。……助け、たいんだ。……もう、あいつを……苦しめないでくれ……」

 泣き声で訴える男の声に、ブラッドは目を細めた。

「……幸せに……なれると、思っていたんだ……。……もう……笑って、いられる、って……。ずっと……、……ずっと……――」

 そのまま言葉が途切れ、ブラッドは視線を落としていたが、隣のセスを窺った。

「……ジェラールかな?」

「……どうでしょうか。姿がよく見えないので断言は」

 言葉を続けようとして再び時空が歪みだした。二人が背を伸ばして窺うと、視界がぼやけ、次第に形がハッキリとなってきた。――大魔女の部屋に戻ってきてしまった。

 ブラッドはキョトンとして一度辺りを見回していたが、戻ってきた二人の傍、ミティルアが背中を丸めて息を切らしているのに気付いて「……おいっ?」と近寄って背中に手を置いた。

「大丈夫かっ?」

「……う、うん」

 ミティルアはなんとか息を整え、笑顔を取り繕った。

「ひ、久し振りだった、から……かな。……へへ。ち、力が……続かない……」

 苦しそうなミティルアに、ブラッドは不安げな顔で近寄ってきたイリアを焦って見上げた。

「ギーナレス、ヤバイのかっ?」

「……アンデッドの勢力が増してるわ」

 イリアがそう教えて、キュラレラの方角へと顔を向ける、その隣に大魔女が近寄ってきた。

「どうだった? 元凶を見つけ出せたかい?」

 問われたセスは軽く首を振った。

「……それらしき人物を見ましたが、時空が変わってしまったので」

「……ご、ごめんなさい……、私、役不足で……」

 ミティルアが申し訳なさそうに謝ると、「何言ってんだよ」と、ブラッドは小さく首を振った。

「名前はわかったんだ。ジェラールって奴。女の方がジュリア。これだけでも成果はあったよ」

 慰めるように告げるブラッドに、ミティルアは「……そっか……」とか細く笑った。

「よかった……。手がかりが見つかって……」

「そいつが誰かわかったんなら、大魔女様で探って、どうにかできないんスか?」

 ウェインが訝しげに訊くと、大魔女は「ふむ……」と視線を斜め下に置き、宝玉に近寄りながら「ブラッド、おいで」と呼んだ。

 ブラッドは大魔女の後を付いて、宝玉の傍に立った。

「手を付いて、その男のことを名前と一緒に思い浮かべるんだ。あたしがそいつを見つける」

「……その後は?」

「話しがわかる奴だったら問題ないさ。だが、聞く耳を持たぬ奴ならば……」

 大魔女が言葉を止め、ブラッドは少し不愉快そうに目を細めた。

「説得の仕方の問題だろ。……、あいつ、そんなに悪い奴には見えなかった。……きっと、話しを聞き入れてくれる」

「それはどうかね」

 大魔女に呆れるようなため息を吐かれ、ブラッドはムッとしたが、宝玉に顎をしゃくられて、渋々そこに手を付いた。そして、頭の中で先程見た光景を思い浮かべた。ジェラールの名前と、そして、ジュリアの名前を繰り返して。

 ――段々と、宝玉に何かが映し出され、みんなが宝玉を見つめた。

 どこかの街のようだ。大きな建物が並び、見物でもしているのか、たくさんの人がいて何かを取り囲んでいる。しかし、彼らの表情に生気がない。中には目を逸らしている者もいる。何者かの視線を辿るように場面がゆっくりと変わり、それにつられてブラッドは訝しげに眉を寄せた。

 ……何か様子が変だ。……この空気はなんだろう……?

 異様な空気を感じる。そう思った瞬間、見えた光景に驚いたブラッドは咄嗟に宝玉から手を離して後退りし、愕然とした。見ていたみんなも唖然と目を見開いた。

「……違う奴だったか……」

 大魔女がため息を吐いた。

「……そ……んな……」

 ボー然とするブラッドに、イリアが「……大丈夫?」と心配げに彼の背中を撫でた。

 ――見えた光景。街の広場か、空き地か……。開かれたその場所で、大勢の人間が血を流し倒れていた。その中に、ジェラール自身の姿も……。

 ウェインは唖然としたままの表情でゆっくりと大魔女を見た。

「ど、どういうことッスか? ……な、なんなんだ、今の。あんなに大勢が……。なのに……みんな……」

「……腐った時代だね」

 大魔女はそう吐いて肩の力を抜き、キュラレラの方へと顔を向けた。

「……こりゃ……為す術はないか」

「ま、待って下さい!」

 ミティルアがグッと身を乗り出した。

「もう一度っ……、もう一度扉を開けます! だから!」

「今のお前は集中力も乏しい。……違う扉が開いてしまったらどうするんだい?」

「……、それは……、……でも……」

 ミティルアは戸惑うように視線を泳がしていたが、ハッと顔を上げるなりイリアを振り返った。

「イリアさんの力を借りたらっ……。力を少しでも分けてもらえればなんとかっ」

 ブラッドは目を見開いてイリアを振り返った。

 確かに、イリアは大魔女に次ぐギーナレスを持っている、という話しは聞いたことがある。だが、実際それだけのギーナレスを使っているところを見た事がない。

 窺っていると、イリアは困惑げに目を泳がせた。

「……イリア」

 名を呼ばれて、イリアはチラッと目を向けるが、その視線の先、セスが間を置いて頷くと、その行為にグッと口を噤んだ。まるで、拗ねて、嫌がる子どものよう。

 ブラッドは二人を交互に見て顔をしかめた。

「……なんだよ? どうしたんだ?」

 訳がわからずに問うが、イリアもセスも何も言わない。

 ウェインは肩の力を抜いて、間を置き切り出した。

「……セスは、ギーナレスで生かされてるんだ」

 最初はキョトンとしていたブラッドは、次第に真顔になり、セスを見た。

 セスはいつもと変わらぬ無表情で続いた。

「……あなたが現れる前ですから……もう十年以上ですか。……イリアの元で修行中、自らのギーナレスの暴発で、私は一度、命を落としたんです」

「……」

「……目覚めた時、イリアのギーナレスで私の命を繋ぎ止めているんだと聞かされました」

「私の一番弟子だもの。当然でしょ」

 肩をすくめて何事もないように答えるイリアに、ミティルアは悲痛な顔で胸を押さえた。

「わ、私っ……すみませんっ。そんなことになってたなんてっ……」

「……気にすることはありません」

 セスは小さく首を振ると、闇に染まるキュラレラの方を見つめた。

「……いつまでもイリアのギーナレスに頼っていてはいけないと思っていましたし。……潮時でしょう」

「潮時ってなんだよ!!」

 ブラッドは顔を真っ赤にしてセスに詰め寄った。

「生かされてるかなんだか知らないけど、諦めるようなことを言うなよ!!」

 怒鳴るブラッドに、それでもセスは冷静な顔を向けた。

「……私一人の命のために、皆の命を絶やすわけにはいきません」

「……っ……他に方法が!!」

「……人の命を繋ぎ止めるだけのギーナレスがあれば、もしくはアンデッドを一時的に退かせることも可能でしょう。……イリア」

 セスは、苛立ちと戸惑いを混ぜて拳を作って視線を泳がすブラッドからイリアに目を向けた。だが、イリアは頷くことなくふて腐れた顔でそっぽ向く。

「私の力を侮るんじゃないわよ。あんなアンデッドの大群くらい、今でも充分追い払えるわ」

 ツン、とした表情で胸を張るイリアに、大魔女はため息を吐いた。

「見栄を張るのはおよしよ」

「事実よっ」

 イリアは大魔女を睨んで、またそっぽ向いた。

「……諦めるモンですかっ」

 いじけているようにも見えるイリアに、ブラッドは悲しげに視線を落とす。

 大魔女は再びため息を吐くと、窓の向こう、遠いキュラレラを見つめた。

「……フェルナゼクスの運命、って奴かね……」

 静かな声に、みんなが俯いた。

 すっかり空気が沈み込む中、ブラッドも俯いていたが、「……ニューン」と、服の中、お腹にくっついているクラウディアが寂しげに一声鳴いてもぞもぞと動き出し、ブラッドはそっと手を当て、服の上から優しく撫でた。

「……じっとしてろ、クラウディア……」

「……ニューン……」

「……大丈夫。……俺が……」

 ブラッドは、クラウディアを撫でていた手を止めて不意に言葉を切った。

 ……、俺が……――?

『私がちゃんと面倒を見てあげるから。……何も怖くはないから――』

『困ったことがあったらなんでも言ってね』

『確か……今日でブラッドはテラスタだったな』

『誰にもらったか知らないけど、でも、それはブラッドのためになることだよ』

『オレたちは動けないから逃げられない。みんな逃げられない。逃げることができない』

『大丈夫。あなたのことは私が護ってあげる。だから、いい? ……あなたも私のことを信じてね?』

『――お前は優しい奴だからな』

『……イリアが言っていました。……私の使命は、あなたを守護することだと』

 数々の場面を思い出し、ブラッドは表情を消していたが、ゆっくりと瞬きをすると、深く息を吐いて目を細めた。

 ……そうか……。……俺……――

 ブラッドは腰に携帯してある、サザグレイでもらった剣の柄をギュッと握った。

「……、イリア……」

 名前を呼ばれたイリアは顔を上げて振り返った。視線の先、ブラッドは背中を向けたままで軽く俯いている。

「……俺がフェルナゼクスに来た理由。……知らないままだったよな……」

 力のない出だしに、イリアは訝しげに眉を寄せた。

「……ブラッド?」

「……俺……。……父親に殺されかけたんだ……」

 イリアが、そしてみんなが目を見開き、ブラッドに注視した。

「……覚えてるんだ。……湖に沈められたこと。……、俺はたぶん……、その時に死んだんだ。……そして……ここに来た」

 元気のない声を聞きながら、イリアは悲しげに目を細めた。

「……ブラッド……」

「……ここのみんなにとって、俺は何者かわからなくて、厄介者で……。……元の世界でも……殺される程の人間で。……オレの居場所は、どこにもなかった。……でも、……イリアに会って、……イリアが、オレの居場所を作ってくれた」

「……」

「……ここが、俺にとってどういう場所だろうと、ただ、……俺が唯一、存在を許された場所だったんだ……」

 ブラッドは俯いたまま、みんなに背を向けたまま柄を握る手に力を入れた。

「……サザグレイのみんな、きっと、俺に何か期待して見送ってくれた。……でも俺、……俺、何もできそうにない。……不安で……、……怖いんだ」

「……ブラッド……」

 イリアは心痛な思いで手を伸ばしたが、「……ただ」と言葉が続き、背中に触れかけた手を下ろした。

「……俺にとって、ここは……大切な場所なんだ。……やっとここで未来を見つけたんだ。だから……、……」

挿絵(By みてみん)

 ブラッドはそっとリアを振り返ると、首を傾げる彼女を見つめて微笑んだ。

「今まで、たくさん護ってくれて、ありがとな」

「……え?」

「今度はさ、俺がみんなを護る番だから」

 そう言うなり、ブラッドはダッと駆け出して、「ブラッドォ!!」と叫ぶイリアの声を無視して部屋を飛び出した――。











 ――そよぐ風が心地いい。

 ふわりと浮いては額に落ち着く髪を、ジョージはそっと摘み、避けた。

 たまに顔を歪めるブラッドを見ては、頭を撫で、気を落ち着かせようとした。しかし、それだけで癒せないことはわかっている……。

「……あなたはいったい、何を背負っているのですか……」

 小さく問いかけても、眠っているブラッドが答えることはない。

 ジョージはゆっくりと湖の方へと目を向けた。

「……あの時、……たとえ国王とご一緒であろうとあなたの傍を離れるべきではなかった。……あなたを苦しみに追いやったのは……わたしのせいです……。……わたしが至らなかった……」

 ジョージは呟きながら目を細めた。

「……クレア様を御護りすることで、その罪を洗い流そうとした。……わたしは……許されるべきではないですね……」

「……う……、……」

 動き出したブラッドに、ジョージは彼を見下ろした。

 ブラッドは顔を歪め、小さく呻った。そして、

「……ん……、俺が……、……俺が護るんだ。みんな……助け、なくちゃ……」

「……」

 ジョージは寝言を言うブラッドじっと見つめて、苦笑気味に頭を撫でた。

「……兄妹ですね。……クレア様もよく、同じ寝言を言ってましたよ……」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ