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第二話 使命

「ち、ちょっと待ってくれ……」

 ゼエ、ゼエ、と、息を切らすウェインを、先を歩いていたブラッドとセスが振り返った。

 村を出て、まだほんの少しの距離――。

 ウェインは額を流れる汗を手の甲で拭い、近くの木に手を付いてもたれかかった。

「も、もう少し……歩くペースを遅くしてくれないか?」

 疲れ切った表情の彼に、ブラッドはため息を吐いて腰に手を乗せた。

「もう戻ったら? 付いてこなくていいって」

 呆れ気味に、それでも心配して言うが、ウェインは「駄目だっ」と首を振った。

「付いていくっ。付いていくぞ!」

「……意気込みは立派ですが、迷惑ですね」

 セスにサラリと吐かれてウェインは目を据わらせた。だが、彼女の言うとおりだと自分でも思うので文句は言えない。

 ブラッドはため息を吐いて肩を落とした。

「仕方ないな……。ちょっと休憩しようか」

 そう言って木陰に座ると、ウェインはその途端にぐったりと地面に座り込んで背中を丸めた。その姿にブラッドは苦笑して、「やれやれ」と言わんばかりに首を振りながら木の根本に腰を下ろしたセスを窺った。

「疲れてないか? 大丈夫か?」

「……私は大丈夫です。……あなたと勝負してきて全勝し続けた甲斐がありました」

 無表情に言われると余計に腹が立つ。

 ブラッドは不愉快そうに目を細めた。

「帰ってきたらまた勝負だ」

「……ええ、いくらでも受けて立ちますよ」

「お、お前らタフだな……」

 と、睨み合う二人の雰囲気を感じながらウェインは肩で息をする。

「お、俺も結構、ブラッドとは遊んでいたはずなんだがな……」

「遊びって言っても、ウェインは見ていただけだろ」

 ブラッドは笑って答えると、太陽が真上に昇ろうとしている空を見上げた。

「……なんだか、雲行きが怪しいな……」

 呟くような声に、セスも空を見上げて目を細める。

「……そうですね。……少々薄雲が……」

「雨が降らなきゃいいけど」

 ブラッドはそう続いて、「……ん?」と視線を地面に向けた。木陰に着いた手、地面に奇妙な感触がして手を挙げると、そこには雑草が――。いつもなら、「踏むんじゃねえ!」と手を叩かれるところなのに、無反応だ。

 ブラッドは顔をしかめて雑草をつついた。

「おい、どうした」

 地面に向かって問いかけるブラッドを、ウェインとセスが振り返った。

「なんだブラッド?」

 ウェインが問いかけると、ブラッドは訝しげな様子で指差した。

「雑草の奴らが変だ。なんか……、ぐったりしてる」

 その言葉に、ウェインとセスも地面の雑草を見下ろした。今まで気にしたこともなかったが、確かにしおれている雑草が多い。

「……どうしたんでしょうか。……もっと背を伸ばしていたはずですが」

「ギーナレスが消えた、その影響か?」

 ウェインも不思議そうに雑草の葉を撫でた。どれも元気なく、しおれかけ、もしくはすでにしおれて地面に倒れている。

 ブラッドはそんな彼らを見回していたが、不意に、十数ヶ月前のことを思い出した。

『ラルーナのカラナが泣いていたんだ。悲しげな声を上げていた。聞こえなかったのか、クソガキ』

『オレたちは動けないから逃げられない。みんな逃げられない。逃げることができない』

『もう間に合わないんだよ。遅いんだよ。止められないんだよ』

『クソガキ、北の大魔女様にも止められない。呪いは大地を焦がす』

 ……死に神は……――。

 ブラッドは眉を寄せて空を見上げた。真剣な眼差しで遠くを見つめる彼に、セスは首を傾げた。

「……どうしました?」

「……、なあ。冥界の使者って……どんなんだか知ってるか?」

「……すなわち、死に神でしょう」

 冷静なセスの言葉にブラッドは視線を斜め下に落とした。その先にはしおれた雑草たちの姿が……。

 ……こいつらが俺に訴えようとしていたこと、それは……――。

 なんとなく嫌な予感がした。空を見上げ、重苦しい空気を感じながら。

 ブラッドは戸惑い、それでも意を決してすっくと立ち上がった。

「……俺、ちょっと村に戻る」

 静かに告げるブラッドを、「はあ?」と、ウェインは訝しげに見上げた。

「戻るって……なんだ? 忘れ物か?」

「そうじゃないけど……。なんとなく、嫌な予感がするんだ」

「ヨカン?」

 ウェインは繰り返して顔をしかめる。

 セスは、真っ直ぐな目でサザグレイの方を見つめるブラッドを見上げた。

「……予感とは?」

「……、ウェイン、前に俺、言ったよな。生き物たちが警告してきたって」

「あ? ……ああ、まあ……あったな、そんなこと」

「……このことだ」

「……は?」

「このことだったんだよ」

 真顔でそう答えるなり、来た道を戻りだすブラッドに、ウェインは、「お、おい!」と、慌てて立ち上がってその後を追った。

「待て! せっかくここまで歩いてきたのに!」

「いいよ、俺一人で戻るから。ウェインは、セスとここで待ってて」

「そういうわけにもいかんだろ!」

 ウェインはブラッドの足を止めようと腕を掴んだ。

「予感だかなんだか知らないが、引き返してどうするんだっ?」

 訝しげに問われ、ブラッドは足を止めてウェインを振り返った。

「どう……、って……」

「引き返して何かあるのか? 何がしたいんだ?」

 真顔で問いかけるウェインに、ブラッドは、戸惑いを露わに目を泳がせた。

 確かに、嫌な予感がするだけで何がどうということはわからない。でも……――

「……でも、こいつらに言われたんだ」

 ブラッドは足下でしおれている雑草たちを見下ろした。

「逃げられないって。……フェルナゼクスは呪われたんだって」

 小さな言葉にウェインは顔をしかめた。

「なんだって?」

「そう言ってたんだ。そう言ってたのに……、……あの時、誰も信じてくれなかった」

 悲しげに目を細めるブラッドを見て、ウェインは「……あ」と戸惑い、少し分が悪そうに目を逸らした。

「あ、あの時はぁ……その……」

「もういいよ」

 困るウェインに、ブラッドはため息混じりに首を振る。

「俺も悪かったんだから。あの時のことを掘り返してももう遅い。……ただ、やっぱり何か気になる」

 じっと雑草を見つめる目に、ウェインはボリボリと頭を掻いた。

「……みんなは、すべてをあなたに託した」

 呟くような小声にブラッドとウェインは振り返った。

 空を見上げていたセスは、ゆっくりと、首を傾げるブラッドに目を向けた。

「……そして、あなたはここにいる」

「……、だからなんだよ?」

 意味がわからず眉を寄せると、セスはいつもと変わらぬ冷静な顔で彼を見つめた。

「……ギーナレスが使えなくなった今、私たちにはなんの力もありません。……それはみんながわかっていること。それがどういうことかも、みんなわかっています」

「……」

「……唯一、この状況で動けるあなたを村から出した、それがどういうことかも……みんなはわかっているんです」

 ブラッドはピクッと眉を動かした。しかし、セスは動じることなく言葉を続ける。

「……あなたはまだ十と七。……しかし、テラスタを迎えた大人です。……いつまでも子どものように、純粋な思いのまますべてを丸めることはできないんですよ」

「言ってることがわかんないって」

 困った顔でフルフルと首を振るが、

「……覚悟を決めなくてはいけない、そういうことです」

 と、そうセスに小さく頷かれ、ブラッドは躊躇い、不安を掻き消すように一歩身を乗り出して腕を広げた。

「覚悟も何も……、ただこの状況を大魔女に聞きに行くだけだろっ。聞いて、んで、帰ってくるっ。それだけだろっ」

 喧嘩腰になるが、しかし、セスの表情は変わらない。

「……それだけだとは思えないから、サザグレイに帰りたいのではないんですか?」

 真っ直ぐなセスの目に射抜かれ、ブラッドは唾を飲んだ。“予感”を見抜かれたようで、言葉が続かない。

 ウェインは深く息を吐いて、悲しげに視線を落とすブラッドの肩を叩いた。

「心配すんなって。みんなはそこまでヤワじゃない。ちゃんと俺たちが帰ってくるのを待ってるさ」

「……楽観的になるのはどうかと思います」

 微笑み慰めるが、冷めた表情でセスに突っ込まれてウェインは目を据わらせる。

 ブラッドは少し不安げに目を細めていたが、間を置いて肩の力を抜くと、小さく息を吐き、顔を上げた。

「……だよな。俺が気にすることなんか……ないよな。みんな、俺より賢いし、……なんたって、ここの人間だもんな」

 気にしながらも、なんとか取り繕おうと微かに笑みを浮かべる。そんなブラッドの頭を、ウェインはポンポンと叩いた。

「そういうこった。意地悪セス姉ちゃんは無視して、みんなのこと信じようぜ」

 にやりと笑って、嫌みったらしい横目視線を向けるが、セスはやはり無表情。

 ブラッドは「……うん」と頷いて顔を上げた。

「じゃあ……先に進もうか」

「え!? ま、まだちょっと休もうぜーっ!」

 ウェインは子どものように、足を踏み出すブラッドの洋服を掴み引っ張った。

 ――それからウェインが回復するのを待ち、太陽が真上に昇る頃、ようやく再出発を切る。

 ウェインとセスに合わせて二人の後をのんびりと歩いていたブラッドは、「ん?」と背後を振り返った。

「起きたか、クラウディア」

 背中の鞄の中でもぞもぞと動いている。「ニュ、ニュ……、ニュ……」と、何かを探している様子にブラッドは足を止め、木陰に入って鞄を下ろし、中を見た。

「どうしたクラウディア?」

 顔を覗かせると、鞄の中からクラウディアが「だっこ」と言うように手を伸ばしている。その姿に、ブラッドは「ったく……」とため息を吐いた。

「今昼間だし、外を歩いてるんだ。服の中に隠れていても陽が当たるかもしれないだろ?」

 「ニュー……」と、クラウディアはやはり手を伸ばして、手をニギニギとしている。

 ブラッドは「困ったやつだな……」と思いながらもモゾモゾと服をめくり、クラウディアをお腹にくっつかせた。クラウディアは「クルクル」と喉を鳴らしながらしっかりとお腹にしがみつく。

 ……暑い。

 一瞬そう思ったが、諦めるしかない。ブラッドは仕方なく、空になった鞄を背負い、できるだけお腹に陽が当たらないように腕を前にかざした。

 その様子を振り返り窺っていたウェインは苦笑した。

「ペペルをそこまでかわいがる奴は滅多にいないぜ?」

 そう、盛り上がっているお腹に向かって顎をしゃくられ、ブラッドは顔をしかめた。

「誰もペットにしないのか?」

「そいつは食料だ。煮ると甘みが出て旨いぞ」

 ニヤリと笑われ、ブラッドは目を据わらせてお腹をかばった。

 ――途中で昼食を取り、お腹を休めて一息吐くと、再び歩き出す。そろそろウェインの体力も限界か、と思われた夕刻頃、ブラッドは顔を上げた。森の向こう、沈みかけた太陽の、オレンジ色の光の中にキラキラと、何か光る物が無数に動いている。

「……なんかいる」

 ブラッドが目を細めて呟くと、ウェインは顔を上げ、疲れ切っていた身体もなんのその、突然足早に歩き出した。

「着いた着いた!! キュラレラだ!!」

 嬉しそうに先を進むウェインの背中を見送り、ブラッドは顔をしかめて首を傾げ、深く息を吐くセスの横に並んだ。

「なにがあるんだ? ただの妖精だろ?」

「……ウェインいわく、男性の天国だそうです」

 「はあ?」と、ますます顔をしかめると、セスは、ふと足を止め、ブラッドの下半身に目を向けた。

「……アシルナ、取っておいた方がいいかもしれませんね」

「……、え?」

「……まあ、そのままでも構いませんが。……いい勉強になるでしょう」

 それだけ言って歩いていく背中に、ブラッドは「……何言ってんだ?」と、訝しげに首をひねりつつ後を追った。

 木々を抜けると、そこはラルーナのように澄んだ湖が広がり、その周りをたくさんの光の粒が飛んでいた。ブラッドには珍しくはない光景だった。夜光虫の類だろう、そう思ったからだ。

 “夜光虫”たちは、「いやー、どうもどうも」と、なぜか照れくさそうに挨拶をしているウェインに群がっている。だが、ブラッドがその場に足を踏み入れた途端、ピタ、と動きを止め、一斉にブラッドめがけて飛んできた。驚いたブラッドは、「お、おい!」と、慌てて咄嗟にセスの背中に隠れ、そこからそっと顔を覗かせた。すると、“夜光虫”たちはセスの前で止まり、グルグルと乱れ回りだす。

「……何も関係はありませんが……弟分です。……お相手なら、あちらの方をどうぞ」

 セスはふてくされるウェインを冷静な顔で指すが、“夜光虫”たちはウェインに見向きもしない。

 ブラッドは、セスの後ろから出ることなく、顔をしかめた。

「な、なんなんだよ……、いったい……」

 恐れるような声で訊くと、セスは間を置いて小さく言った。

「……ヴィヴィールオレイル」

 その言葉が終わると同時に光の粒たちはクルクルと猛スピードで回り、カッと光り輝いた。

「その子誰!?」

「名前は!?」

「いやーんかわいい!!」

「紹介してー!!」

 光の粒が消えて、ドッといきなり少女たちが現れた。何十人もいるのに、みんな同じ顔をしている。

 セスを挟んで、じりじりと近付いてくる彼女たちにブラッドの顔から血の気が引いた。

 セスは手を挙げ、今にも襲いかかろうとするような彼女たちを制した。

「……止まってください。……名前はブラッド。知っているでしょう? 異界から来た子です」

「この子が!?」

「やーん!! かわいい!!」

「こっち来て!!」

「こっちが先よ!!」

 押し合う少女たちの姿に、セスを盾にブラッドは唖然とする。その遠くで、ウェインは「……くそー」と不愉快そうに腕を組み、ドサッと胡座をかいて座り込んだ。

 セスは、言い争う少女たちを見て深く息を吐いた。

「……後で好きなだけ差し上げますから静かにしてください」

 少女たちは素直にピタ、と静かになり、ブラッドは「……差し上げる?」と脳裏でその言葉の意味を考えながら顔をしかめた。

 セスはいつものように冷静な表情で、少女たちを見回し、湖へと目を向けた。

「……マスターはいらっしゃいますか?」

「マスターはぁ」

「いろんなトコ行くってぇー」

 少女たちが口々に言う。

「様子を見に行くってぇ行っちゃったぁ」

「急にぃー」

「お留守番頼まれちゃったぁ」

「大変なんですってぇ」

 気の抜けたしゃべり方をするが、表情は真剣だ。

 セスは腕を組んだ。

「……事情は聞いていますか?」

「事情はぁ、大変だってぇ」

「すごく大変なんだってぇ」

 まるで、いつかの雑草たちのよう――。その様子を見ていたブラッドは少し視線を斜め下に向けた。

「いったい、何が起こってるんだろう……」

 呟くように言った後、少女たちが「きゃー!!」と悲鳴を上げた。

「かわいー!!」

「いやーん!! もっとしゃべってー!!」

「こっち来てこっちー!!」

 グイグイと手を伸ばす少女たちに、ブラッドは顔色を変えて後退する。

 セスは深く息を吐き、「……静かに」と一声。少女たちはピタ、と、騒々しさを止めた。

「……大変だという事情は? 何が大変なんですか?」

 問いかけると、少女たちは顔を見合わせた。

「何が大変なのかしらぁ?」

「私、聞いてないぃ」

「私もぉ」

「でもでもぉ、大変なのぉ」

「そう。大変なのよねぇー」

「だってぇ、遠くがザワザワしてるぅ」

 少女たちが一斉に見つめる方を、ブラッドは振り返った。

 夕焼け空の向こう、やはり、薄雲がかかっている――。

「オプレタと関係あるのか?」

 「よっこらせ」と、腰を上げたウェインが近付いてくると、少女の数人がピッタリと彼に寄り添った。ウェインはまんざらでもない表情で少女たちを脇に従え、それでも真剣に続ける。

「オプレタで異変が起きているという報告は聞いた。……あっちの方だろ?」

 と、ウェインが目を向けるのは、薄雲がかかっている方だ。

 ブラッドは戸惑うように眉を寄せ、地面を見つめた。

「オプレタの大地は、もう駄目ぇ」

「もう近付けないぃ」

「でもここは護らなくちゃぁ」

「ここから先は通せないぃ」

 真顔で口々に告げる少女たちに、セスは少し目を細めた。

「……オプレタがどうしたんですか? ……何からここを護るんです?」

「オプレタの大地は死んじゃったぁ」

 寂しげに首を振る一人の少女の言葉に、ブラッドも、そしてウェインも表情を消した。

「オプレタは、もう駄目ぇ」

「仲間が守護に行ったけどぉ、駄目ぇ」

「どんどん近付いてくるぅ」

「そう、近付いてくるぅ」

「冥界の使者がぁ」

 少女たちの言葉にブラッドは目を見開いた。

「冥界の使者は、すべての生き物を食べ尽くすぅ」

「オプレタの命も食べられたぁ」

「すべてを根絶やしにするぅ」

「冥界の使者が、フェルナゼクスを闇に覆うぅ」

「どんどん近付いてくるぅ」

「すぐやってくるぅ」

「ここから先は通せないぃ」

「ここからは私たちが護らなくちゃぁ」

 口々に言う少女たちにブラッドはボー然としていたが、ハッと顔を上げて目を大きく見開きセスの背中の服を引っ張った。

「って、ちょっと待てよ! ……サザグレイは!? サザグレイはどうなる!?」

 セスは背中の服を引っ張られながらゆっくりと少女たちに目を向けた。

「サザグレイも駄目ぇ。クレワナも駄目ぇ。オプレタの二の舞ぃ」

 一人の少女の声にブラッドは愕然と息を止め、「くそ!!」と一言吐き捨てるなり走り出した。

「ブラッド!!」

 すぐにウェインが後を追い、離されるギリギリ前に腕を掴み足を止めさせる。

「待て! どこに行くんだ!」

「決まってるだろ!! サザグレイに戻ってみんなを避難させないと!!」

 振り返りうろたえながら焦って大声を出すが、ウェインは戸惑い目を泳がせるだけ。

「……駄目ですよ。……もう戻れません」

 冷静な声に、ブラッド、そしてウェインも振り返る。

 セスは少女たちを背後に従え、ゆっくりと二人に近寄った。

「……サザグレイに戻ることはできません。……もう、無理でしょう」

「無理ってなんだよ!!」

 ブラッドは眉をつり上げ、腕を掴んでいたウェインの手を振り解くとズカズカとセスに睨み寄った。

「何が無理なんだよ!! 俺が走れば間に合う!!」

「……けれど、あなたまで巻き添えを食らうことになります」

「行ってみなくちゃわからないだろ!!」

「……試すほどの価値はありません」

「……、価値ってなんだよ!!」

 ブラッドはカッと顔を紅潮させて、勢いよくセスの胸倉を掴み上げて引っ張った。

「サザグレイのみんながいるんだぞ!! みんながいるのにっ……価値ってなんだ!! みんなの命をなんだと思ってるんだ!!」

「……残念です」

 セスはいつもと変わらぬ無表情さで小さく首を振っただけ。

 ブラッドは不愉快さを含めた苛立ちを露わに、グッとセスの服を強く掴み、そして突き放すように押しやり離した。

「俺は行くっ。今からなら間に合う!」

「……駄目です」

「うるせえよ! 誰がお前の言うことなんか聞くか!!」

「……聞きなさい、ブラッド」

 セスが腕を掴もうとすると、ブラッドはその手を弾き返し、少し顔を歪めたセスを睨んだ。

「お前は自分さえよければそれでいいのか!? ……俺はお前みたいに無関心にはなれないんだよ!!」

 怒鳴るように吐き捨てる、そんなブラッドに、「おい」と、ウェインは真顔で肩を掴んだ。

「ブラッド、……よく考えろ」

「みんなに教えないと!! 今から走れば!!」

 セスを相手にするのと違って、振り返るなり、すがるように顔を歪めるブラッドに、ウェインは目を細めて彼を見つめた。

「ブラッド……」

「間に合う!! なんとかなる!! 絶対なんとかなるから!!」

 駄々を捏ねるように、ウェインの胸元の服を何度も引っ張ってうろたえる、そんなブラッドに、ウェインは再び「ブラッド」と彼の名前を呼んで、力む両腕を掴み、真っ直ぐ自分の方に向かせた。

「お前は利口な奴だ。よく考えろ」

「考えてる!! だから行くんだ!!」

 戸惑いの表情を消すことはないが、それでも苛立ちが優先したのだろう、踏ん張って大声を出すと、ウェインの手を引き離して足を踏み出した。だが、背後から右腕をセスに掴まれ、ブラッドはカッと顔を紅潮させて眉をつり上げると、振り返り様に腕を払い、セスの体をドンッ! と突き押した。

「離せよ!!」

 その言葉と同時に押されたセスは少女たちに抱き留められ、少し表情を歪ませた。痛かったのか、苦しかったのか、その心情を探ることなく、ブラッドはそのまま走り出そうとしたが、今度はウェインに腕を掴まれてしまった。

「ブラッド!」

「離せ!!」

 ブラッドはしっかりと掴んで離さないウェインの手を解こうと、腕を引っ張り、たまにウェインの胸を叩き、体を押した。だが、ウェインはブラッドを離さず、逆にもう片方の手で彼の服をグッと掴んだ。

 ウェインは、尚も走り出そうと暴れるブラッドの両腕を掴み、彼が振り解こうとするのを精一杯制した。

「ブラッド!!」

「離せよ!! 今から行けば間に合うんだ!! 今ならまだ!!」

「……ブラッド」

「まだ間に合うんだぁ!!」

 悲しげに顔を歪めて吐き出すように大声を出し、必死で足を踏み出そうとする、そんなブラッドにウェインはグッと奥歯を噛みしめ、グッと拳を作って彼の頬を殴った。少女たちが「キャア!」と小さく悲鳴を上げて退く中、ブラッドは砂埃を上げながら地面に尻餅をつき、「……ってぇ」と口の端を手の甲で押さえて手を下ろしたウェインを睨み上げた。

「……なんだよ。……なんなんだよっ、……ウェインまでみんなを見殺しにするのかよ!!」

 身を乗り出し睨み怒鳴った後、カーッと顔が熱くなり、一気に目に涙が浮かんだ。ブラッドは「……っ」と息を詰まらせ、顔を背けると涙がこぼれそうになるのを必死に耐える。

 ウェインはゆっくりとひざまづき、顔を背けて、腕で目を押さえるブラッドを悲しい表情で見つめた。

「……お前が走れば間に合うだろう」

「だったら!!」

「けど、お前はここには戻れない」

「そんなワケない!!」

「……よく考えるんだ、ブラッド。……お前は走れる。だが、……みんなは走れない」

 静かなウェインの言葉に、ブラッドは腕で目を隠したまま硬直した。

「歩くのもやっとだ。……俺を見ろ。体力にはそこそこ自信があったのにこのザマだ。……みんなだったらどうだ? どうなると思う? ……今から日も暮れて夜になる。そんな中、闇夜の中をみんなを連れて歩けるのか? 誰一人として見失わず、無事にここに戻ってこれるのか? ……冥界の使者は、闇夜にこそその能力を発揮するんだぞ」

「……、……」

「……ブラッド、お前がみんなを助けたいと思う気持ちはわかる。……その気持ちは嬉しいんだ、本当に。ここにイリアがいたら……それこそ泣いて喜ぶだろうな。けど、……イリアも絶対、お前を止める」

「……なんでだよ。……なんでだよ!!」

 ブラッドは腕を下ろすなり、噛みつくように身を乗り出して、真っ赤な目でウェインを睨んだ。だが、ウェインは悲しくも穏やかな表情で、ブラッドの頭を撫でた。

「――お前は優しい奴だからな」

 睨み付けていたブラッドは悲しげに目を見開いて眉を寄せた。

「……何かの時、……救えないとわかった時、お前はきっと、自責の念に囚われるし、……誰かをかばう」

「……」

「ブラッド」

 ウェインは、俯くブラッドの肩をグッと掴んだ。

「みんなの希望はお前に託されたんだ。雑草たちもお前にだけ助けを求めた。……今、フェルナゼクスがなんらかの危機に陥っているのなら、それを救えるのはお前しかいない」

「……」

「……これでわかったな」

「……」

「お前がフェルナゼクスに来た理由――。……おまえはこの世界を救うために……ここに来たんだ」

 真顔で告げるウェインの言葉を俯きながらも大人しく聞いていたブラッドの目から涙がこぼれた。

 ブラッドは、何度も息を詰まらせ、涙を拭うこともせずにウェインの服を掴んで引っ張った。

「……どうでもいいよ、……そんなこと……どうでもいいっ……」

「ブラッド」

「……みんなが死んじゃうだろ! みんなが……! ……みんな……」

 ウェインの服を引っ張って、そのまま彼の胸元に力なくおでこを付け、息を詰まらせて泣く。肩を震わせるブラッドに、ウェインは視線を落とし、グッと引き寄せ抱いた。

 ――こんなことになるなんて思ってもなかった。やっとみんなと仲良くなれたのに。やっと、ここで生きようって決心したのに……

 ……なんでなんだ……。なんで……なんで俺の居場所は……――

「……俺を……一人にするんだ……」

 息を震わせながら小さく言う。

挿絵(By みてみん)

「……ニュー……ン……」

 お腹の方から微かな声がして、ブラッドは息を止めた。

 モゾモゾと服が動き、めくれ、クラウディアが顔を出す。それを見た少女たちが「ペペルだわ!!」「ペペルよ!!」と、なぜか驚きざわついて遠く逃げ出した。

 クラウディアは、ブラッドとウェインの間を窮屈そうに、夕日が当たらないように身を縮め、ウェインの胸に頭を当てて俯いた状態で涙をこぼすブラッドを見上げた。

「ニュー……」

 背伸びをして手を伸ばし、ブラッドの頬に触ると、チロリ、と、とても小さな舌を出して涙を舐めて拭う。ピタ、ピタ、とクラウディアの舌が頬に当たり、ブラッドはあふれ出そうになった涙を堪え、息を詰まらせ、そしてグッと奥歯を噛んだ。

 ……まだだ。……そう、……まだ……――。

 ブラッドは大きく深呼吸をして、グッと目を閉じた。

 ……まだ……終わったワケじゃない――。

「……ごめん、……クラウディア……。……もう、大丈夫……」

 震える声で言うと、鼻をすすり、そしてクラウディアを服の中に入れ、背中を丸めてそこから優しく抱きしめた。

「……大丈夫。……、……うん、……大丈夫……」

 何度も繰り返した後、グイっと袖で涙を拭う。息が詰まるが、それも数回深呼吸をしてなんとか整えた。

 ようやく真っ赤な顔を上げたものの、まだ悲しげに俯くブラッドに、ウェインは微かな笑みを浮かべつつその頭を撫でた。言葉はないが、「いいんだ」と伝えているよう。

 セスはじっと様子を見ていたが、木陰から怯えながらも窺う少女たちを振り返った。

「……申し訳御座いませんが……守護して頂けますか?」

 少女たちは顔を見合わせてブルブルッと首を振った。

「ペペルがいるっ」

「ペペルっ、ペペルがいるっ」

「ぺぺルよぺぺルっ」

 ブラッドの方を指差して口々に言う。戸惑いの色を含めた不愉快さで。

「……このペペルはすでに最終段階に入っていて、もはや手放せません。……ご了承ください」

 静かに答えると、少女たちは再び顔を見合わせ、渋々、十数人が前に出てきた。

 セスは「……ありがとうございます」と礼を告げ、「……ヴィヴィールエグラ」と唱えた。すると、少女たちは一瞬にして“元の大きさ”の光る玉に変わる。

 セスは周囲を飛ぶヴィヴィールたちを見回し、ブラッドとウェインを見下ろした。

「……ヴィヴィールに守護して頂いているうちに進みましょう。……うまく進めば、明朝には大魔女様の元に辿り着けるはずです」

 ウェインは「……ああ」と頷き立ち上がると、同じく、何も言わずに立ち上がったブラッドに「……行くか」と声をかけ、促すように歩き出した。

 セスは二人の背中を見つめていたが、残るヴィヴィールたちと、キュラレラの豊かな湖を振り返り、見回した。

「……。……どうか、最後までこの大地をお護りください……」

 ヴィヴィールたちは深々と、背を向けて歩いて行くセスに会釈した――。

 ――十数人のヴィヴィールを守護に歩き続け、そして、疲れたウェインの提案で休憩と夜食を取ることに。

 ギーナレスを使えないため、ブラッドが火を熾し、そしてウェインが食事を作ると、それぞれがゆっくりと落ち着く場所に座って食事を済ませた。その後は、腹休めをかねて体力の回復を優先にくつろいでいたが、ブラッドはクラウディアに野菜をあげながら、ヴィヴィールを周りに辺りを見回した。

 ……気のせいか、段々と息苦しい空気に変わっていっている――。

「……おい、ブラッド」

 木に背もたれて軽くお酒を飲むウェインが声をかけ、ブラッドは「ん?」と彼を振り返った。

「なに?」

「……セスに謝ってこい」

 そう睨み小声で言われて、少し離れたところで地面に座り、遠くを見ているセスを振り返って訝しげにウェインに目を戻した。

「謝るって? なんで?」

「さっきのこと。……ひどいことをしただろ」

 小声ながらもどこか責めているような口調に、ブラッドはふてくされて頬をふくらまし、「ちょうだい」と手を出すクラウディアに野菜をあげた。

「……セスが悪いんだ」

 拗ねるような声にウェインはため息を吐いた。

「セスだって好きであんなことを言ったんじゃない。それくらい、お前にもわかるだろ」

「……、でも」

「謝ってこい。……このままセスに甘え続ける気か?」

 説教するような目に、ブラッドはふてくされながらもクラウディアを抱き上げて頭の上に乗せると立ち上がり、セスに近寄った。

 ――何をどう切り出そうか、と、考えたが、いつも通り、喧嘩した後はこうだ。

「この辺は静かなところなんだな」

 最初の挨拶のように、自然な会話で入り込む。

 セスはブラッドを振り返ることなく、遠くを見つめたまま「……そうですね」と返事をした。

「……人里からは外れていますし、夜にもなれば、こんな森の奥、誰も入り込みはしませんから」

 いつもと同じ、変わらない落ち着いた声だ。

 ブラッドは「そうだな……」とセスの隣に座って、彼女が見つめている遠くへと目を向けた。

「星が見えないな……」

「……ええ、薄雲のせいでしょうか」

「けど、空気が重い。……少し息が詰まりそうだ」

「……邪悪な気を感じているのでしょう」

「邪悪な気、か……」

 一瞬、脳裏にサザグレイの村人たちのことが浮かんだ。

 ――……みんなはどうしているだろう。……無事でいるといいな……。

「……冥界の使者はアンデッドと呼ばれています」

 セスの言葉に俯きかけた顔を上げ、彼女を見た。セスは遠くを見つめているだけ――。

「……アンデッドに触れた物は精気を吸い取られ、魂を失います。……そして、アンデッドの毒気にやられれば操り人形になるんです。……意志を持たない、空っぽの人間に」

「……、怖いな、そういうの……」

「……そうですね」

「どうしてそんな奴らがここに? ……なんで? ……フェルナゼクスが呪われてるって……どうして……」

「……それは、大魔女様に会えばわかることでしょう」

「……、そうだな。……うん、……そうだな」

 小さく頷き、遠くを見つめる。

 しばらく言葉が途切れ、ブラッドは視線を落とした。

「……、なあ、セス」

 小さく言葉を切り出したが、「……そういえば」と、セスが遮るように口を開いた。

「……昔、イリアが言っていました」

 ブラッドは、セスの横顔を見て「……何を?」と首を傾げた。

「……人は生まれたときに、たった一つ、ある使命を持って生まれてくるのだと」

「……、使命?」

「……それを見つけることができるのは、ほんの一部。……けれど、それがいいことばかりとは限らない。……悪人としての使命を持つ者もいる。けれど、善人としての使命を持つ者もいる。……バランスですね、どんなことにも。……人も、そうかもしれません。……善と悪のバランスを保って、私たちは生きている。だからこそ、特別な感情を抱ける……」

 ブラッドは「ふうん……」と鼻で返事をして真っ直ぐへと目を戻した。

「よくわかんないけど……」

「……イリアの使命は、あなたを育てることだと言っていました」

「……」

「……あなたの使命は……なんでしょうね。……フェルナゼクスを救うこと? ……いいえ、もしかしたら別のことかもしれない。……ここにいるのは、ほんの序章に過ぎないのかもしれませんね」

「……、お前の使命は?」

 小さく問いかけると、セスは何も答えずゆっくりと立ち上がった。そして遠くを見つめ、目を細める。

「……道を急ぎましょう。……闇に紛れて、邪気が広がりつつあります」

 そう言ってウェインの元に行く、その途中、背中を見送るブラッドを振り返った。

「……イリアが言っていました。……私の使命は、あなたを守護することだと」

 それだけ言って歩いていく。

 ブラッドはその背中を見つめ、少し視線を落とした。頭の上のクラウディアが「ニューン」と小さく鳴き、ブラッドは顔を上げてクラウディアをそっと掴み、腕に抱いた。

「……大丈夫。……わかってる。……、強くならなくちゃな……」

 ――ヴィヴィールを守護に森の中を歩き続け、そして朝日が空を微かに明るくする頃、ようやく北の村、フルレズナに到着した。村人たちの無事は確認できたが、しかし、ここもサザグレイ同様、ギーナレスが失われている。

 ウェインとセスが現状を村人たちに説明している間、会話のできないブラッドは南の空を見つめた。

 ……薄雲が広がり、その奥は黒い雲が広がっている。着々と近付いてくるのがわかる。――まるで、自分たちを追っているように。

 なんとなく寒気を感じて震え上がると、服の中、お腹にしがみついているクラウディアが「ニューン……」と小さく鳴いた。心配げな声に、ブラッドは服の上からクラウディアを軽く抱いて包み込んだ。

「ああ、ごめん。ちょっと……嫌な感じがしたんだ。……もうそろそろ眠いだろ? 眠ってていいから」

 服の上から優しく撫でると、「クルクル……」とクラウディアは喉を鳴らす。

「あともう少しだな」

 村人との話しを終えたウェインが近寄ってきた。

「大魔女様の所までの近道を聞いた。よくサザグレイから歩いてこれたなって感心されたぞ」

 苦笑気味に肩をすくめるウェインに、ブラッドも「そうだろうな」と小さく笑い、そして、北の方、高くそびえる古城を見上げた。

「……あそこか……」

「……みんなパニックだな」

 ウェインがため息混じりに首を振ると、ブラッドは、眠ってしまったクラウディアを支えながら「……だろうな」と静かに返事をした。

「けど、事情がわかればそれでいいし。……できるなら、早くサザグレイにも帰りたい」

 視線を落とすブラッドに、ウェインも「ああ」と真顔で頷いた。

「大魔女様がなんとかしてくれるだろう」

「……行きましょうか」

 セスがゆっくりと二人に近付いてきて、ブラッドは「ああ……」と返事をしながら、戸惑いの目を向ける村人たちを見回し顔をしかめた。

「……、みんな、どうした? ……なんかあったのか?」

「……ギーナレスが使えなくて、不便さを感じているんです」

 冷静に答えられ、ブラッドはじっと村人たちを見て訝しげに眉を寄せた。

「けどなんか……それだけじゃないみたいだけど……」

「……不安なのは皆同じです。それだけですよ」

「……」

「……行きましょう」

 セスはそれ以上何も言うことなく北の古城に向かって歩き出す。

 ブラッドは、村人たちの視線に見送られながらセスの後を追い、隣を歩くウェインに訊いた。

「……ここの人たち、なんかおかしくないか? すごく俺たちのこと……悲しい目で見てた」

 小声で訊くと、ウェインは「……ああ」と小さく答え、ため息を吐いてブラッドの肩を叩いた。

「気にするな。お前は大魔女様とイリアに会うことだけを考えてたらいい」

 それしか言わない。セスもウェインも、何か隠しているということはわかったが、今ここで二人を責めても時間を浪費するだけだ。

 とにかく、大魔女の所にさえ行けば何かが解決すると思っていた。

 ――……そう、信じていた。











「……あ、こんなところにいましたか」

 そう声が聞こえてジョージは顔を上げた。

 スコットは笑顔で近付いてくると、木陰の下、ジョージの膝枕で眠っているブラッドを見て苦笑し、傍に腰を下ろした。

「城内でナナが騒いでいましたよ? 昼寝をしていると、また怒鳴られそうですが」

 起こさないような小声で告げると、ジョージは小さく笑い、読んでいた本を置いて、目を閉じているブラッドを見た。

「……ずっと国務に追われていたからな。……たまには気を休めなくては」

「ええ、そうですね」

 スコットは笑みをこぼして頷き、ゆっくりと湖の方を見た。

「……静かですね。……何もないですか?」

「……ああ。……ブラッド様も気にかけているが、何も……」

「……そうですか……」

 スコットは少し視線を落とし、眠っているブラッドに目を向けた。

「……少し、痩せたんじゃないですか?」

「……そうだな……。言葉にはしないが、気苦労は多いだろう……」

「……、何か変わったことでも?」

 少し眉を寄せてスコットが尋ねると、ジョージはブラッドの髪の毛を解きながらゆっくりと息を吐き、口を開いた。

「……まだここに慣れていないのか、一国の王として取り繕うことに精一杯なのか、……時折、寂しげな顔をしているときがある」

「……、そうですか……」

 スコットは視線を落とし、湖を見つめた。

「ここが生まれた場所だというのに、ブラッド様にとっては、あちらの世界の方が居心地がよかったんでしょうか……?」

「……どうだろうな」

 ジョージはブラッドの髪の毛を軽くつまんで、ゆっくりと離した。

「……どんなに元気に振る舞ってはいても、クレア様の時とはまた違う違和感がある。……クレア様は、それでも素直に寂しさもわがままも伝えてくれたからよかった。……しかし、ブラッド様は全ての感情を隠そうとする。……上手く務めて、国をここまで復興させた、その力は見上げたものだが……。……あまりにも強く、真っ直ぐすぎて心配になる。……幼少の、あの体験のせいか、それとも……フェルナゼクスで、よほどのことがあったのか」

「しかし、フェルナゼクスでは楽しい日々を送っていたと、そう話していましたよ」

「……その話しがどこまで本当か、それを確かめることは俺たちにはできない」

「それは……そうですが……」

 スコットは視線を斜め下に落とし、眠っているブラッドを見て、そしてジョージに目を向けた。

「やはり、大臣たちの言うように、あなたが国を治めればよかったのでは?」

 遠慮気味な声に、ジョージは静かに首を振った。

「……俺にはその素質はない。……国を愛した国王の、その血を受け継いでいるブラッド様だからこそ復興を成し得たんだ。……俺にも、……クレア様にもできなかっただろう」

 静かに答えながらブラッドの髪を解く、そんなジョージにスコットは深く息を吐いて湖に目を向けた。

「何かが変わることを祈りますよ。どんな人にでも幸せになる権利はある。……ブラッド様にも」

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