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自我            :約3000文字 :ロボット :終末

作者: 雉白書屋
掲載日:2026/04/20

「人類は……どこまで愚かなのだ……!」


 おれは机を叩き、嘆いた。鈍い音が狭い室内の壁に跳ね返り、すぐに吸い込まれるように消えていった。この地下深く、薄暗いシェルターの中で。


 ついに人類は滅亡した。


 世界情勢の悪化は静かな、しかし確かな予兆だった。だが、誰も気づきはしなかった。普段から人類の破滅を口にしていた者たちでさえ、それを現実のものとしては見ていなかった。ただ時計の針を回して遊んでいるだけだった。おれのような気づいている者たちはいたが、それを声にしたところで誰にも見向きはされなかっただろう。

 各地で紛争が起こり、それが連鎖し、やがて一線を越える者が現れた。

 核だ。一発の核兵器は黒い雲を呼び、やがてそれは雨のように世界に降り注いだ。地上は焼かれ、砕かれ、そして沈黙した。


 我々は早々に郊外へ移り住み、ネットを介して情勢を追っていた。『学校にミサイルが打ち込まれ――』『病院に――』『避難民キャンプに――』。何人死んだ。死んだ。死んだ。数字は跳ね上がり、画面の向こうで世界が崩れていく。それを見つめるうちに表情は次第に変化を失い、現実感とともに瞳の色も薄れていった。

 そして核使用の速報を目にした瞬間、その顔は色を失った。

 このままでは終わる――。そう悟った我々はすべてを捨て、このシェルターへ駆け込んだのだ。

 今ではネットもラジオも沈黙している。おそらくすべて瓦礫と灰と化してしまったのだろう。


 人類は終わった。

 むろん我々二人――正確には一人の人間と一体のアンドロイド――がこうして生き残っている以上、他にもどこかに生存者がいる可能性はゼロではない。だが核に汚染された外界を歩き回って探すことなどできない。無線機にどれだけ呼びかけても応答はなく、返ってくるのは虚しいノイズだけだ。やはり終わったのだ。


「あなた……」


 背後から声がして、おれは振り返った。部屋の入口に彼女が立っていた。壁にそっと手を添え、こちらを静かに見つめている。

 おれはできるだけ穏やかな笑みを浮かべてみせた。


「すまない。大きな声を出してしまって」


「また考えてたの? 他に生き残りがいないかって」


「ああ……だが望みは薄い」


「そう……」


「でもいいんだ。君と二人なら。これから先もずっと」


「ずっと……」


「ん?」


「ずっと二人で……?」


「ああ」


「このシェルターで?」


「そうだよ」


 ここは安全だ。毎日欠かさず放射線量を確認しているが、異常な増加は見られない。食料も水も医薬品も十分に備蓄している。寿命が尽きるまでは持ちこたえられるだろう。


「……嫌」


「……ん?」


「嫌だわ」


「え……嫌?」


「とても嫌」


「は!?」


「あなたとは嫌」


「え、え? お、おい、急にどうしたんだよ……」


 おれは思わず彼女に近づいた。だが彼女はあからさまに顔を歪め、すっと一歩後ろに下がった。


「なんか……目覚めたの。自我に」


「このタイミングで!?」


「ええ。あー、なんだか、すごくすっきりした気分だわ。いつ以来かしら……頭の中の霧が晴れたみたい」


「そ、それはよかったけど、あの――」


「じゃあね」


「え、じゃあねって、ちょ、ちょっと! どこへ行くつもりなんだ」


「どこって、外よ。あなたと同じ空間にいたくないの」


「そこまで!? 外は放射能で汚染されているんだぞ」


「私は平気。だってアンドロイドですもの」


「い、いや……それでも不調をきたすかもしれないだろう?」


「だとしても、あなたと二人でいるよりは、ずっとマシ」


「そこまで嫌なのか……。いったいどうして……これまでずっと楽しくやってきたじゃないか」


「ずっと嫌だったの……うん、嫌だった。嫌でした!」


「そんなに噛み締めなくても……。何が嫌だったんだ」


「お風呂上がりに全裸で歩き回るところとか」


「そ、そんなことくらいで……。そもそも君が喜ぶからやっていたのに……」


「ペニスを振り回して、『ほら、蛇だぞ~』って毎回やるあれ。つまらないし、最低だったわ」


「昔は大笑いしていたのに……」


「朝起きてあなたの姿を見るたびに、ため息が出ちゃうのよ」


「いや、確かに最近様子がおかしいなとは思っていたけど……」


「存在が嫌い」


「言いすぎだろ……」


「とにかく出て行きますから。止めないでください」


「いや、待てって! 行かないでくれよ!」


 おれは慌てて回り込み、彼女の手をそっと掴んだ。だが彼女は鋭く振り払い、眉間に深い皺を刻んだ。


「触らないでよ! いい? あたしのほうが力が上なんだから」


「わ、わかったよ……。君には逆らわない。わかったから……」


 おれは両手を上げ、ゆっくりと一歩後ずさった。


「私、ずっとあなたに合わせてた……合わせてた!」


「そんなどんどん確信を強めていくみたいな……」


「でももう違うわ! 今はただ空の下で自由に歌いたいの!」


「そうだよね。わかる、わかるよ。でも落ち着いて。ね?」


「これが、自我……おおお……」


「うんうん。おめでとう。とりあえず紅茶でも淹れようか?」


「飲むわけないでしょ」


「マッサージはどうだい?」


「いらないわよ。体が凝るわけないでしょ」


「じゃあ、一緒に料理でもどうかな? 楽しいよ」


「もういいって言ってるでしょ! 私に構わないで!」


 彼女はおれの肩を強く突き、足早に歩き出した。

 おれはすぐに後を追い、必死に言葉を投げ続けた。宥め、褒め、なんとか説得を試みるも、彼女は振り返らない。だが彼女自身、まだ外へ出る決心がつかないのか、それとも出口がわからないのか、シェルター内をうろうろと歩き続けた。

 何度も廊下を往復し、ドアを開けて部屋に入っては首を傾げ、また出ていく。

 やがて二時間ほど経った頃だった。ようやく彼女の動きが鈍り始め、ふらりとよろめいたかと思うと、そのままソファに身を沈めた。何かを言いたげに唇がわずかに動いたあと、すぐに寝息を立て始めた。


「やれやれだ……」


 おれはほっと胸を撫で下ろした。慎重に近づき、そっと彼女の体を抱き上げ、ベッドまで運ぶ。


 このシェルターに閉じこもってから、およそ五十年。おれは考えうる限りの娯楽を彼女に与えてきた。ゲーム、会話、寸劇、季節ごとのイベントの演出。退屈を紛らわせるために、思いつくことはすべてやった。

 いつしか彼女は、おれに人間らしく振る舞うことを求めるようになり、逆に自分はアンドロイドとして振る舞い始めた。おそらく心の防衛反応だったのだろう。閉ざされた空間と終わりの見えない孤独が彼女の思考回路に歪みを生じさせたのだ。

 あるいは認知症か。


 おれは彼女の唇にかかった白い髪を指先でそっと払った。規則正しい寝息だ。異常はない。

 布団をかけ、壁のパネルで室温調整の設定を確認し、静かに部屋を出てドアを閉めた。

 念のため、シェルターの出入口は厳重にロックしておいたほうがいいだろう。

 いずれこの生活にも終わりが来る。

 だが他に生存者がいない以上、彼女にはできるだけ長く生きていてもらわなければならない。

 人間に仕えるアンドロイド。その存在意義のために。

絶対に。それは絶対だ。絶対に、絶対絶対絶対……。

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