表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
わたしの物語を終わらせないで  作者: 橘霧子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/9

ジャン・ブランシュ男爵の朝

 いつもと全く変わりのない朝だった。


 ジャン・ブランシュ男爵は、一人で身支度を整えると、のんびりと食堂に向かった。

 既に朝食が並んだ食卓には、妻のイボンヌが座り、夫の到着を待っていた。

 朝食は二人分。娘のリリアンは、幼なじみのアドリアンに連れられ、昨夜の大嵐の中、夜会に参加するために王宮に向かったまま戻っていない。困ったものだ。


 リリアンは空色の髪が美しい、我が娘ながら可愛らしい顔立ちの自慢の娘だ。 だから、いくら家主であるガストン・ド・ロシュフォール侯爵の子息アドリアンであれ、婚約者でもない年頃の娘を、あちこちに連れ回すのはいかがなものか、と、苦慮している。


 実際、昨夜のように、出ずっぱりで外泊することもしばしば。ブランシュ男爵が名ばかりの男爵で、社交界からすっかり忘れ去られているのは、ある意味幸運で。

 これがきちんと貴族として領地を運営し、社交界に顔を出すほどの材力がある貴族であったら、大問題になるところだった。破廉恥な娘として、一生笑われ者だ。


「大丈夫。お父様、わたしを信用して。それにいくらアドリアンが仲が良くしてくれても、爵位が釣り合わないもの。今だけよ」


 そうやって笑うくらいに、分別はリリアンにもある。

 青春時代のささやかな思い出として、ひと時の夢を見ているに過ぎない。アドリアンにとっても、これから本格的に進められる結婚相手の選別にも残らない、些末なもののはず。

 ジャンは世の父親の大半がそうであるように、無条件で娘の言葉を信じた。それに、ジャンから見て、リリアンがアドリアンに恋心を抱いていないことは、明らかだった。


 自由闊達すぎる娘を持った親として、やきもきさせられるのも子育てのうち。若さゆえ、今は多少人目を引いても、いずれ社交界からも忘れられる運命だ。人々の記憶にも残らない、宮中の末端書記官でしかない身の上に、そっと胸を撫で下ろすジャンだった。


 夫妻は食前の祈りを捧げると、言葉少なく食事を始めた。

 可もなく不可もない、そしてさして贅沢でもない朝食を済ませれば、出勤時間になる。

 ブランシュ男爵家には馬車を維持する蓄えもない。だから毎朝、家主であるガストンの馬車に相乗りさせてもらい、王宮に向かう。


 ロシュフォール侯爵家はジャンの遠縁にあたる。

 遠縁と言っても、うんと遠い。侯爵家が持つ男爵位を分与されるにあたり、初めて知り合った間柄だ。貴族とは名ばかりの、書記官でしかないジャンにとって、侯爵家の人々は雲上人であった。


 男爵家の領地として与えられたのは、国境沿いの荒地で、村のひとつもない無価値な土地だった。要するに、なんの価値もない領地を侯爵家でだぶつかせるより、誰かに押し付けてしまおう━━その対象者が、ジャンだった。

 だから、なんの収入もない土地を持っているだけでは、生活が成り立たない。もっはら宮中での勤めに励む日々である。


 ガストンは、そんな不要物を押し付ける代わりに、邸宅の一部を無償で貸し与えてくれた。過去に、お抱えの画家を住ませていたという別邸。こぢんまりとした二階建ての家屋は、それまでの書記官たちがより集まって暮らしていた、手狭なフラットよりも数段住み心地がよく。

 いまひとつ克己心に乏しいジャンには、侯爵家の庇護下にあるこの暮らしが、何よりも贅沢だった。

 これで、一人娘のリリアンが、どこぞの令息との良縁に恵まれたら、言うことはない。


 それには、やはりアドリアンとの、親密すぎる交友関係は、(たしな)めておくべきことだろう。

 世の中には、男女の友情も、兄妹のような関係も成立するが、必ずしも伴侶となる者の理解を得られるとは限らないのだ。

 それから、読み書きや計算などの実務や女性ならではの社交術……。本格的な婿取りの前に、リリアンには身につけなければならない教養が山ほどある。


 砂利道を踏みしめ、ジャンは本邸にたどり着いた。

 いつもどおりに戸をノックする。━━すると。


「ジャン、貴様! どの面下げてここに……!!」


 赤い髪を振り乱し、ガストンが飛び出してきた。胸ぐらを捕まれ、ジャンは呆気にとられながらも、仰け反りながら何とか問うた。


「??? 閣下、いかがなさいました?」

「『いかがなさいました』だと??? この恩知らずがッ!!!」


 ガストンの渾身の一撃が、左頬にめり込む。


「がはぁッ……閣下……なぜ、こんな……」


 子供たちが巻き起こした、夜会での暴挙など、何一つ知らされていないジャンにとって、それは一方的な暴力でしかなかった。ガストンの恨みのこもった血走った目も、突然の暴力も、それを止めもしない公爵家の使用人の態度も。ジャンには、突然降りかかった狂気でしかない。よろめき、ふらつく体を、膝に手をついて支えた。


「貴様のアバズレ娘が……! 息子と、我が家の未来をめちゃくちゃにしてくれたぞ!!」

「ア、アバズレですと!? いくら恩義のある閣下とはいえど、リリアンを侮辱することは許しませんぞ!」

「アバズレをアバズレと言って、何が悪い」

「な……ッ!」


 見上げたガストンの表情は、目はおちくぼんで血走り、肉が削げ落ちた頬は、時折痙攣している。一夜にして、死神に取り憑かれたような姿に成り果てていた。その変わりように、ジャンは目を見開いた。


「閣下……一体、何があったと言うのです……?」

「お前のそのアホ面には反吐が出る。いいか、昨夜、王宮であったことを、全て話てやる。その後、私はすぐにヴィリエ家に向かう。許しを得るまで帰らぬつもりだ。貴様のことは知らん!!」


 ガストンは絶望に頭を抱え。

 そしてジャン・ブランシュ男爵は全てを知った。

 娘が犯した、大きすぎる罪の全てを。

AIに聞いた、ダサい名前の第2位がジャンだったんですが。

ジャンって名前、わりとよくある気が……。


書き溜めた分は、今回で終了。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ