ガストン・ド・ロシュフォール侯爵の後悔
王妃主催の夜会は、王太子とその友人たちの乱入によって、突如として中断された。
王太子は、向かって右に騎士団長令息のジルベール・ド・ボーモン、左にガストン・ド・ロシュフォール侯爵の息子アドリアンを従え、かつ、その腕にはガストンもよく知る、リリアン・ブランシュ男爵令嬢を抱いていた。予想外のことに、ガストンは二度見した。
何かの間違いかと思い、さらにもう一度、目を見開いて見る。
いや、しかし。
開け放たれたドアの前で、ドヤ顔でふんぞり返っているのは、間違いなく息子。王太子がその腕に抱いているのは、遠縁の娘リリアンだった。
その場の誰もが、思わぬ事態に言葉も出ぬ間に、王太子はリリアンと共に上座へと向かった。その場でカトリーヌへの断罪を始め、婚約破棄と処刑の宣告をした時でさえ、ガストンは「これは何かの余興か」と、半信半疑で見守っていた。
まさか。あの茶番劇が、王太子以下全員が、本気で臨んだものだったとは。
王太子の高らかな宣言に続き、カトリーヌが椅子から引きずり下ろされるのを目の当たりにし、喉の奥からの引きつった悲鳴をこらえることができなかった。
よりによって、王妃が目に入れても痛くないほど可愛がっている、カトリーヌ・デュ・ヴィリエ公爵令嬢を床に這いつくばらせて、その腕を後ろ手に押さえつけたのが、アドリアンだった。しかもドヤ顔。なぜそんな顔ができる!? 開いた口が塞がらなかった。
周囲の貴族の目が、ザッとガストンに向けられ、矢のように突き刺さる。隣で妻は震え上がり、今にも魂が体から抜けて昇天しそうだ。ガストン自身も、緊張と恐怖で体が硬直し、ただ息子のしでかす様を凝視することしかできなかった。
ドクドクと心臓が脈打つ音が、うるさいほど鳴り響いた。
やがて国王が片手をあげると、衛兵が大食堂になだれ込んできた。その中の一人、騎士団長のボーモンは、息子がカトリーヌに狼藉をはたらいたと見るや、その拳でジルベールの左頬を力いっぱいに殴りつけた。
ジルベールは耐えきれずによろめき、片膝をついて口元を拭う。ジルベールが立ち上がる間も与えず、ボーモンはその頭を掴むと、怒りのままに床に打ち付けた。
ジルベールは床に顔を突っ伏したまま、苦悶の呻き声をあげるばかりで、ピクリとも動かなかった。父親に似て、騎士にふさわしい逞しい体躯のジルベールが、力なくなすがままになっている様子に、ざわめきが広がった。失神しているのではないか。しかしボーモンは息子の頭を床に押し付けたまま、両膝をついて、必死に謝罪の言葉を紡いだ。
その勢いに、誰もが口を閉ざし、目は釘付けになった。
自分もあれに続かなければ。
そうは思うものの、国王と王妃の冷酷とも言える毅然とした態度や、躊躇いもなく息子の頭を床に打ち付けるボーモンの激しい謝罪の姿に、ガストンはすっかり萎縮してしまっていた。
隣に座る妻がふらふらと意識を失い、椅子から転げ落ちた。すかさず侍従が着付け薬を差し出し、回復させ、むりやり椅子に戻される。
いまだ呆然とした妻を介抱しながら、自身も罪の重さに耐えかねて、いっそ魂がぬけてしまえばいいのにと、願った。
そうやってモタモタしている間に、中座していたヴィリエ公爵が戻った。再び素早く夫人から状況を知らされたヴィリエ公爵は、ひたすら頭を下げ続けるボーモンを無視し、騒動の渦中に飛び込むやいなや、瞬く間に事態を掌握し、自らの有利な盤面へと作り変えた。
国王の介入さえ許さず、ボーモンの謝罪を無視することで無言で怒りを示し、王太子の言葉を封じ、その寵愛の対象のリリアンの本性を暴き、国王に謝罪までさせた。恐ろしい手腕だ。
ヴィリエ公爵にとって、リリアンと懇ろになった自身の息子シャルルは、リリアンに唆されて秩序を乱した痴れ者ではあるが、あの断罪による暴力に加担した加害者ではない。せいぜい情欲に溺れた恥晒し止まり。その罪の一端があったとしても、カトリーヌが大勢の貴族の前で受けた辱めと、比べ物になるはずもない。
公爵はけっして声を荒らげることはなかった。むしろ貴族として、臣下の礼を尽くしていた。しかし、その静謐な怒りを湛えた眼差しは、国王にさえ、言い逃れを許さぬ圧迫感を与え、陥落させた。
その冷え冷えとした眼差しが宴席に向けられる度、ガストンは息もできぬほどに緊張が高まって、俯くことしかできなくなってしまった。
それでは駄目なのだと、家名と一門を守るために、幾度と気持ちを奮い立たせるが、結局、尻は座り心地抜群の椅子にピッタリと押し付けられて、微塵も動かない。ガストンは謝罪の機会を逃した。
カトリーヌを陥れようとした王太子とその仲間が、衛兵によって捕縛され、退出させらた後に宴も終了となり。貴族たちは順番に帰宅をすることになったのだが。
やはり、王宮を出るまでの周囲の視線は冷ややかで、そして貴族らしいあからさまな小声で、アドリアンとリリアンを含めた王太子周辺の乱れた交友関係を囁くのを聞き続けた。
もはや、一滴の冷や汗も出なかった。周囲がこれほどまでに詳細に知っている息子たちの乱交に、同居している親が気づかなかったのは、明らかに怠慢である。
囁き声のような嘲笑が、長い夜の静寂に溶けていった。自分より遥かに家格の劣る男が、名を呼ばれ、勝ち誇ったような一瞥を投げ捨てて、先に馬車に乗り込んだ。
広場に残されたのは、ガストンと妻。呼び出しの侍従が手元の帳面を閉じ、ランプを消した。ついに、ロシュフォール侯爵夫妻の名が、最後まで呼ばれることはなかった。
再び倒れそうになる妻を支え、ガストンはただ暗闇を見据えていた。腕の中の妻は、今にも崩れ落ちそうに震えているだけだ。
「……馬車を出せ」
呼び出しを待つのを諦め、馬を抱き抱えながら、ゆっくりと馬車に向かった。誰にも手を貸されることもなく、妻を馬車に乗せ、掠れた声で自ら御者に命じた。それが、かつて王国の柱石と謳われ、息子を次代の側近にと望まれた男の、あまりに惨めな夜会の幕引きだった。
帰宅しても気持が休まるどころか、後悔で胸が押しつぶされそうだった。
「一体、なぜこんなことに……。いや、今はそれどころではない。すぐに謝罪の手紙を届け、明日の朝、一番の面会を果たさなければ」
王国内で、ヴィリエ公爵に睨まれては、生きていけない。ガストンは震える手で、謝罪文を綴り執事に届けさせた。
忠実な執事は、嵐の中をたった一人で馬を走らせたが、公爵家の対応はけんもほろろだった。
夜更けに対応はできぬと、門前で追い返されてしまったのだ。
ずぶ濡れで、しかし主の手紙をほとんど雨に濡らすことなく持ち帰った、忠実なる執事に、ガストンは「なぜ、なんとしてでもその手紙を手渡さなかった」などと、言えるはずもなかった。
悪いのは執事ではない。
息子とリリアンが親密になっていることにも気づかず、好きに交流させていた親であるガストンと妻であり。
どちらがより悪いかといえば、貴族の作法を問われる場で、臆病風吹かれて震えるだけだった、自分に違いないのだ。
それでもなぜ━━そう思ってしまう。
侯爵家の嫡男と、無名の男爵家の娘が、馴れ馴れしく交流することを許してしまったのか。
なぜ、そんなありえない非常識を黙認してしまったのか。
そもそもの始まり。それはガストンがジャン・ブランシュに男爵位を譲ったこと。そこから両家が結びつき、交流が始まる。
それもおかしいのだ。爵位など、誰がいくつ持っていようと、良いはずなのに。それが最善だと信じて疑わなかったことは、まさに魔が差したとしか言いようがない。
あの日、良かれと思って下した決断が、今や首を絞める鎖となってガストンに絡みついている。いっそ、一思いに縊り殺してくれたなら、どれだけ楽であろうか。
ガストンは己の不覚を呪わずにはいられなかった。
AIに「フランス系の男性のダサい名前」を聞いたら、ガストンが出てきたんですよ。
ふた昔前の名前らしいですね。
ガストン、私は嫌いじゃないですけどね。何となく力強いイメージ。




