3.助け舟
「お待ちなさい、ギヨーム」
誰もが息をのんだ。頬を伝う冷や汗が滴り落ちる音さえ、響きそうな沈黙の中。
ギヨーム殿下を制したのは、王妃陛下だった。
ギヨーム殿下の母であり、この夜会の主催者。
そして、ゲームでは断罪に一切関わってこないばかりか、セリフの一つもない、ただの背景でしかなかった人物。
王妃陛下は、国王陛下と共に静かに立ち上がると、ゆっくりとギヨーム殿下の目の前まで歩み寄った。
その表情は、普段の穏やかさとはかけ離れ、威厳に満ちていた。
カッと、稲光が豪雨の暗闇を切り裂き、轟音と、落雷の振動に窓ガラスがビリビリと鳴った。
「王太子ギヨーム。たかが一介の男爵令嬢に心を奪われ、王家と公爵家の盟約を破棄するとは、いかにも軽率ではないの?」
「え、は……?」
「誰か。そのティアラを……」
王妃陛下の言葉に、とっさに侍従の一人が床に落ちたティアラを拾う。王妃陛下の前に差し出すと、王妃陛下は丹念に調べて、もう一度侍従の手に戻した。
ギヨーム殿下は、王妃陛下の行動を、信じ難い様子で凝視していた。
「なんということを……。このティアラの意味も分からないとは。
それにお前たち。たかが王太子の友人の分際で、わたくしの夜会に乱入し、我が国最大の盾である公爵家の令嬢に、このような振る舞い……首の一つ二つが飛ぶ覚悟はできているのでしょうね」
「ヒィ……!!」
「も、申し訳ございません!!」
「どうかお許しを……!」
「許す……? なぜ……?」
王妃陛下に凄まれて、とりまきたちも勢いを失った。ジルベールは慌てて剣を鞘に戻し、私の拘束はとかれた。
アドリアンは今更ながら、立ち上がろうとする私の手を取ろうとする。当然その手を叩き落とし、私は侍従に助けを求めた。私の手を取ったのは、国王陛下だった。遠慮なくその手を借りて立ち上がった。
「怪我はないか」
「はい。見苦しい姿を晒し、恥ずかし限りでございます」
「そなたのせいではない」
国王陛下も必死だ。当たり前だけど。
ギヨーム殿下はその様子をぽかんと眺め、たちまち顔を赤くすると、まっすぐ私を指さした。逆上した声が、大食堂に響き渡った。
「しかし、この女は私の愛するリリアンをいじめたのですよ!」
「あなたの愛する……?」
王妃陛下はちらりとリリアンに目を向けた。
リリアンは、今では公爵家でも入手が困難な、虹絹を惜しげもなく使ったドレスを身にまとっている。それも人気の仕立屋の最新デザイン。
身につけているアクセサリーには、山岳国家のイリスティリアでは交易でしか手に入らない真珠が、ふんだんに使われている。
とても潰れかけの男爵家の娘が用意できるとは思えぬ豪華な装いと、無遠慮に組まれた二人の腕に、王妃陛下は僅かに眉を顰めるが、その変化に二人は気づかない。
「それが、なんだと言うの?」
王妃の静かな問いに、王太子はさらに声を荒げた。
「母上!」
「そのようなこと、我が国の危機の前にして、どれ程の価値があると? あなたはこの婚約の意味がわかっていないのかしら。
カトリーヌ自身の能力が、王妃にふさわしいかだけではないの。
王家と公爵家が強く結びつくことによって、貴族社会に無駄な権力闘争を生むことを避け、ひいては国民の生活が保証できるのです。
……戦に負け、重要な領地を奪われただけでなく、多額の賠償金を払わねばならない我が国において、国の安定と、たかが浮気心の浮ついた恋愛ごっこなど、比べるまでもありません」
王妃は、私に視線を移した。
「カトリーヌには幼い頃から無理を強いました。本来であれば、他の令嬢のように、領地で健やかな時を過ごせたでしょうに。幼い頃より王都に縛り付け、厳しい教育の日々。その結果がこのようなことに……。カトリーヌ、本当に申し訳ありません」
王妃陛下の謝罪に、周囲はざわめいた。王太子は完全に逆上し、私に掴みかかろうとした。とっさに王妃の護衛によって羽交い締めにされてもまだ、諦めずに腕を振り上げている。
「なぜ、母上が謝罪するのです! この女は……!」
「あなたは少し、お黙りなさい」
王妃の声は冷ややかだ。
「どうして分からないのかしら。
あなたのその浅慮で軽率なところが、一国の王としての気質に足りぬというのです。幼い頃から、それがあなたの欠点。
わたくしも陛下も、どれほど苦心してあなたを教育したことか……。しかし、育てば育つほど、あなたの欠点は顕著になるばかり。
ゆえに、幼い頃からしっかりと教育の行き届いた令嬢を伴侶に、と。王家からヴィリエ公爵家に頼み込んでの婚約だったのですよ」
「いいえ、母上は騙されているのですよ!」
「……騙されてなど、いません」
ギヨーム様は体の自由を奪われながらも、必死に私の方への腕を伸ばす。その手を無視し、王妃陛下は私の手を取った。そして身をかがめ、私の手に額を近づけて、まるで祈りを捧げるかのような姿で、再度、私に謝罪したのだ。
「本当に、ごめんなさいね……」
「王妃陛下……」
「でも、でも! 私はほんとうに酷い言葉を言われて、傷ついたんです! ちゃんとカトリーヌ様を罰してください!」
その声に、王妃陛下の眼差しは厳しくなり、眉間のしわが深くなった。私はゾッとした。
リリアンが、王妃陛下に向かって叫んだのだ。
王妃陛下は私の手を一撫でしてからそっと離すと、ゆっくりとリリアンに振り返った。そして、私を庇うように、一歩前に出た。
周囲のざわめきが、よりいっそう大きくなった。
王妃のこの行動は、明らかに私を擁護し、リリアンを敵とみなすものだったのだ。
それもそのはず。
私がギヨーム殿下の婚約者であることは、貴族なら誰でも知っていること。そして王妃陛下がその私に対して、日頃から我が子のように、心を砕いていることも、広く知られていることだ。
リリアンはそんな、王妃陛下のお気に入りの私に向かって、断罪を諦めないのだ。ましてや、恐れ多くも王妃陛下に向かって叫び、抗議するなど。
「なんということかしら……」
「幼子にも劣る。ブランシュ男爵とやらは、躾をしなかったのか……」
貴族たちのわざとらしい囁きに、ギヨーム殿下は焦り、周囲を見わたした。 周囲の貴族の冷えきった眼差しに、明らかに狼狽えていた。
しかし、おかしいわね。
ゲームでは、私は性悪の悪女で、貴族社会の鼻つまみ者だったはず。
このゲームのエンディングは、そんな悪女を断罪し、心から愛し合う二人が、この大食堂を埋める多くの貴族や両親に認められ、婚約。晴れて結婚した暁には、全攻略対象との爛れた、エロエロな幸せを手にするのに。
それが今、王妃は真摯に私に謝罪し、寄り添う国王は無言ながらも、地獄の魔王のような苛烈な表情で、ギヨーム殿下を睨みつけているではないか。
外野である貴族たちも、誰一人として私に悪意を向けない。嫌われていない悪女って、ありえるかしら。
ギヨーム殿下は、自分の思い描いたように物事が進んではないことを、ようやく理解し始めたようだった。
リリアンに攻略された攻略対象たちも、数分前の自信たっぷりの私への断罪劇はどこえやら。思わぬ王妃の反撃と、リリアンの最悪な無作法に、顔色は青を通り越して真っ白だ。彼らは震える声で殿下に訴え始めた。
テンプレの断罪って、よく解らないなーと思いながら、書いております。
頑張って週一で連載したい。なんとなく、後ろからせっつかれているようなプレッシャーがありますが。
今回、長かったので二分割しました。




