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五、婚約破棄 一

 数日後。


 いつもの日課……午前中の座学をこなしたあと、一階の食堂でアンは昼食にするところだった。


「アン様。お昼が終わられましたら、裏庭の廃棄物倉庫においでくださいませ。イリグム様のご命令です」


 サバルは事務的に伝えた。ここ最近では珍しく、彼女がアンに給仕をしている。用件そのものは、最初にだされた品……カボチャのスープをだす前にアンの耳にはいった。


「わかりました」


 裏庭の廃棄物倉庫……不思議な少年にみちびかれて、奇妙な体験をしたあそこ。


 細かい内容までは関心を持てなかった。どうせ、いかねばならないことにかわりはない。思うにサバルは、ある種の魂胆があるのだろう。だから自分がアンに避けられているのを知りつつ、わざわざ給仕役になったのだ。


 ならば、望みどおりにする。サバルがどれほどの力をもつのか、お手なみ拝見としゃれこもう。


 廃棄物倉庫といえば……。先日の一件からこちら、めまぐるしくアンはかわっていった。なにより、相手の考えや感情を自分から積極的に掴もうとするようになった。まだ漠然とした形でしかできてないが、はずれた試しがない。


 自分の力を自覚すればするほど、これまで歯車のようにきまりきった接しかたしかしなかった召使い達が勝手に恐れいって芯からうやうやしく仕えるようになった。


 アンは、生まれて初めて自分の能力を誉れに感じた。だから、サバルのなにやら策略めいた要望も丸のみした。


 食事がおわり、アンは一人で廃棄物倉庫へいった。


「ああ……いけませんわ、そんな……」

「よいではないか、よいではないか」


 倉庫の壁ごしに、そんな会話が聞こえてくる。家庭教師のエランとイリグムが、屋内で怪しげな雰囲気になっているようだ。


「あなたには婚約者が……」

「あんなのは飾りだ。私が本当に愛しているのは君だよ、エラン」


 呆れてよいのか失笑してよいのか。サバルは、これを見せつけてアンがどのくらいイリグムに本気なのかを見極めようとでもしたいのだろう。


 アンは、遠慮なくドアを開けた。


「な、なんだいきなり!」


 イリグムは、下半身が下着だけになっているところだった。もうちょっと時間をかければ、さらに滑稽な姿になっていただろう。さすがに、そこまでいくと自分の目が汚れる。


 エランは、対照的に上半身が下着だけになっていた。


 アンからすると、イリグムはどうでもいい。エランの反応はどうも腑に落ちなかった。反射的に自分の胸をかばうのが当たり前なしぐさだろうに、驚きはしても手は動いてない。


「どうやら私はお邪魔だったようですね」


 冷ややかにアンは告げた。


「ま、待て。これは誤解だ。エランは……」

「イリグム様、もういいではありませんか。アン氏は元婚約者になったと宣言なさっても。このお屋敷ではあなたが当主でしょう?」


 開きなおってか、エランはろくでもない提案をした。


「う……しかし……」


 頭を抱えるイリグム。


「どのみち私は追放でしょう、適当な理由をつけて。ならば、手間を省いて差しあげますわ。ごきげんよう」


 アンは身をひるがえした。このままさっさと実家にいきたいが、さすがに荷造りがある。とくに、ここまで作ってきた箱庭は放置できない。図らずも、多額の予算が費やせなかったので小さな作品ばかりなのは持ち運びしやすい。


 私室に帰り、さっそく私物の整理にかかった。それこそメイド一人使うことはできないので、すべて自力でおこなわねばならない。


 日没にさしかかり、おおかたの梱包が終わったとき。


 ドアのそとからガチャガチャゴトゴトと音がした。アンは手をとめて戸口へいき、ノブを回した。ドアはほんのわずかな幅を小刻みに押されたり引かれたりするだけだ。


 不可解にして不穏な様子は、ドアと床の隙間から差しこまれたメモで答えがもたらされた。


『アン様の浮気により、公爵家はアン様ならびにアン様のご実家とのかかわり一切を断絶することにきめました。つきましては、アン様に対する制裁がはっきりするまでお部屋にて謹慎していただくこととなりました。 サバル』


 話が逆だ。理不尽をとおりこして、犯罪だろう。そもそも、どうやって浮気相手と接触できるのか。


 窓は自由にできるものの、ここは三階だ。飛びおりて、仮に無傷だったとしても逃げおおせるのは不可能にきまっている。


 アンは、自分も貴族の一員であるから平民ほどひどくはされまいと予測していた。公爵ほどの大貴族なら、体面を守るためにどんなことでもする。率直にいって甘かった。


 そこで、細かいがぬきさしならないほど大事な問題が頭をよぎった。


 室内には水道もあれば手洗いもある。大急ぎで蛇口をひねった。当たり前に水がでて、かなり安心した。最低限の生活は保てそうだ。


 いくらなんでも、公爵家がアンを飢え死にさせるようなことはしないだろう。ただし、飢え死にの恐怖をちらつかせて無実の罪を認めるよう迫る可能性は否定できない。


 などと思案するあいだに陽は暮れた。夕食がくる気配もない。


 とりあえず、水を一杯飲んだ。しかるのちに、梱包の一部を解いて作りかけの箱庭と材料や道具をだす。空腹を忘れて集中できることといったら、これしかない。


 アンは、自分でも驚くくらいに不安を感じなかった。むしろ、ほっとしてすらいた。実家にどんな迷惑がかかるか知らないが、どうせ自分は政略結婚の道具だ。道具がたまたま自分の意志をもったからといって、非難される筋あいはない。


 かくして、アンは箱庭に没頭した。今回の題材は、廃墟の神殿で休息する冒険者達だ。


 どうしてここまで箱庭にこだわるのか。自分でもよくわからない。箱庭作りのきっかけは、小さいころ父が誕生日の贈り物で買ってきてくれた。もっとも、豪華すぎて自分ではうまく作れず召使いに手伝ってもらった。アンは実家にそれほど愛着を持っていない。ただ、このきっかけだけはいまでも感謝していた。


 夜ふけまで、神殿の礎石や冒険者が持つ剣の鞘について材料をいじった。空腹は空腹ながら、そろそろ入浴して寝る時間となっている。濡れタオルで身体をふくくらいなことしかできないが、こればかりはどうしようもない。


 夜風にのって、焼きたてのパンと暖かいシチューの美味しそうな香りが漂ってきた。窓をつついた記憶はない。


「こんばんは」


 中庭でアンと会った、銀髪の少年が窓ぎわにたっている。髪と同じく、銀色の盆を両手で持っていた。盆には平皿と深皿があり、それぞれパンとシチューがいれてある。もちろん、ナイフやフォークもそえてあった。


「あら、こんば……あのう、どこからはいってきたのかしら?」


 サバルや公爵家のやっていることにはびくともしなくなったアンだが、どう考えてもこれは突飛すぎるだろう。


「窓から」


 にこやかに少年は答えた。


「はしごでもかけて?」

「いらないよ。それより、せっかくの差しいれが冷めてしまうね」


 アンも、そこは知らん顔しにくい。


「差しいれ……どうして?」

「しっかり食べなきゃ能なしイリグムと外面カンドに勝てないよ」


 柔らかな微笑をたたえながら、少年は毒々しい表現を吐いた。


「そうね。なら、頂きましょう。でも、あなたはいいの?」

「うん。僕は消えるから。でも、またくるから心配しないでね」


 少年は、箱庭の邪魔にならないように食事を盆からテーブルに移した。


「そういえば、あなたのお名前をうかがっていませんね」


 アンは、助けてくれたこともあり少年には心から丁重な態度をとった。


「ケムーレ。僕はケムーレ」

「アンです。今後ともお見知りおきを」


 食事はさておき、アンは席をでて貴族らしいお辞儀をした。スカートの両端を両手でつまんで。


 お辞儀が終わったとき、ケムーレの姿はどこにもなかった。窓も閉じられていた。熱々の差しいれだけはちゃんと残っていた。

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