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三、二人の箱庭

 数日後。また休日がやってきた。


 イリグムとの『婚約生活』を別とすれば、アンは果たすべき訓練を……訓練そのものが目的化しつつあるが……果たしてはいる。だから、アンとしても休日は遠慮なく楽しむ。


 もっとも、起床から就寝まで私室をでることはほとんどない。ひたすら箱庭を作る。


 名代を果たしたときから、サバルはこのままだと婚約破棄になるかもしれないと機会を見ては警告してきた。


 もしそうなったら。実家で新しい婚約者が探しだされるか、修道院にでもはいるか。


 口が裂けても表にできないが、アンは後者になりたかった。建前上、修道院は神のもとにだれもが平等とはなっている。実態は、修道院にどれだけの財産を寄付したかで待遇がきまる。アンの実家としても、貴族の体面を鑑みればあまりケチくさいことはできないだろう。ならば、趣味の箱庭作りに没頭できる。


 前者なら、せめてここよりはましな家にいかされるよう祈るばかりだ。


 平民より多少はましなくらいの昼食も終わり……上げ下げには、いつもサバルの冷ややかな礼儀正しさがついて回るのだが……箱庭作りに舞いもどった。


 彼女は、箱庭そのものにはなんのこだわりもなかった。もっぱらこれまでに読んだ本のなかで気に入った場面を再現する。


「あー、わかったわかった! いけばいいんだろ、いけば!」


 投げやりな承諾が、窓を伝ってやってきた。イリグムだ。


 無視して作業に没頭したい。しかし、知ったからには見ないと気になる。


 窓ぎわから様子をうかがうと、中庭に馬車がとまっている。オロー隊長に、なかば引きずられるようにしてイリグムは馬車へとのせられるところだった。長兄カンドと、領地の視察にでもいくのだろう。


 あとで、サバルからぐだぐだいわれるかもしれない。未来の妻としてイリグムのていたらくを諫めねばならないとかなんとか。


 アンからすれば、だらしないのはあくまでイリグム本人だ。婚約者だからといってアンまで叱責される筋あいはない。


 馬車が出発し、どのみち話は切れた。植えこみの隅から、小さな男の子が手まねきさえしなければ。


 八つ九つという年ごろだろうか。イリグムの家族にも、召し使いにもあんな子はいない。にもかかわらず、彼はあきらかにアンへと視線を送っていた。


 召し使いの家族が、道にでも迷ったのか。それにしては、自信たっぷりな合図のようだ。距離は遠いしアンは目があまりよくないので、顔までははっきりわからない。


 箱庭はひとまずおいて、アンは部屋をでた。無関係な人間なら、事情を聞いて対処を判断せねばならない……ふだんならサバルか、執事のコンゾがやることではある。いつもいつもサバルにいいたい放題されているので、たまにはだしぬいてやりたくなった。


 男の子のいる植えこみまでは、だれともあわずにすんだ。彼はにこにこしながら待っていた。


「こんにちは」


 やわらかなボーイソプラノで、彼は挨拶した。耳をおおうくらいにのびた銀色の髪も、声と同じくしなやかで豊かに波打っている。


「こんにちは。ご機嫌いかが?」


 頭に叩きこまれた社交が、素直にアンの口から流れでた。


「はい、うるわしく」


 男の子はわざとらしく答えて、くすくす笑った。


「どんなご用でここにきたんですか?」

「アンの願いを叶えにきたよ」


 初対面の少年に、ずけずけと名前を呼び捨てにされた。そればかりか『叶えにきた』とは。


「まあ、嬉しいです。でも、私の願いとはなんでしょう?」

「クソ婚約者とクソメイド頭とクソ貴族から逃げたいんでしょ?」


 虫も殺さなさそうなかわゆい顔から、下品で粗雑な推察が発されあそばした。


 その推察を耳にした瞬間、アンは目を白黒させた。ついで、プッとふきだした。身体を半分にまげて肩をふるわせ、どうにか露骨に笑うのを食いとめている。


 ここにきて初めて、アンは心から笑いたくなった。


「こっちにおいでよ」


 大胆にも、少年は右手でアンの右手首をつかんだ。


「あっ……」


 アンの八割くらいな体格しかないくせに、少年はぐいぐい彼女を引っぱっていく。


 二人は、裏庭にあるみすぼらしい小屋にいきついた。ドアには錆びた南京錠がぶらさがっている。


 知識として、アンは知ってはいた。かつては壊れた道具を溜めておく場所で、まとまった量になれば業者に買いとらせていた。むろん、捨て値でだが。それを管理していたのは庭師で、数年前の不始末でクビになった。そこからは放置されている。


 現在、庭の手入れは不定期に業者を雇って解決している。それはそれで一見識だが、画一的で没個性な庭が維持されているだけだった。


 少年は、アンから手をはなして南京錠に触った。まるで透明な鍵でも当てたかのように施錠がはずれた。


 アンが目を丸くしているひまもあればこそ、少年はドアを開けて彼女をうながした。


 戸口の奥は、薄暗くてよく見えない。日光にあてられたほこりがかすかに点滅しているくらいだ。


 年端もいかない少年に振りまわされるのはまだよいとしても、南京錠がひとりでにはずされるのは異様だ。アンも魔法や錬金術を……じっさいに効果があるのもふくめて……知らないのではない。しかし、呪文や道具を使わずにやりとげるなどとは想像もしていなかった。


 ましてや、そこまでして開けられた小屋に進入するのは。


「さあ、必要なものを手にするんだ」


 少年の、大人びたというよりは正体がちらつくような勧めがアンの足をつきうごかした。


 屋内にはいると、暗いさなかに一つだけぼんやりと輝く品がある。鈍い黄色の光をはなつそれは、手のひらにのる大きさをしたミニチュアの宝箱だった。


 魅せられたように宝箱へ近より、アンは恐る恐る右手をのばした。まず人さし指でこつっとつつき、害はないと確信してから手にとる。重さはないにひとしく、片手でも蓋を開けられそうだった。


 右手のひらに宝箱をのせたまま、アンは左手で宝箱を開けた。金色のまばゆい輝きが解きはなたれ、アンはまぶしさのあまり目をつぶった。


 左手で両目をかばっていると、光はわずかずつ落ちついた。


「お屋敷……?」


 箱の中身は、アンが生活している邸宅そのものだった。中庭や裏庭まで忠実に再現されている。箱庭作りに夢中になっている人間として、これほど精密なものをこれほど小さく作るのは超人的な技術が必要だった。


「魔法だよ。魔法の箱庭」


 少年の説明は、いかにも当たり前すぎて不十分だ。しかし、アンの心には二重の欲求が湧いてきた。こんな箱庭を自分も作りたい。こんな箱庭を作った人間と会ってみたい。


 その直後、宝箱は蓋を開けたままひとりでに宙にういた。予想もしていなかったことだらけで棒だちになる彼女の胸に、宝箱は言葉どおりの意味で飛びこんだ。痛みどころか衝撃一つないまま、宝箱は彼女と一体化して消えた。

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