十六、公爵邸ふたたび 二(完結)
足が沈みそうなふかふかの絨毯には、アンも含めて三人分の足が乗っている。がたがた震えてないのはアンだけだ。
「どっち?」
アンは、二人をかわるがわる眺めながら聞いた。
「ど、どっち?」
カンドは馬鹿みたいに繰り返した。
「グナフ先生を殺すよう、オロー隊長に命令したのは」
二人はたがいに見つめあい、すぐ視線を切った。
「まあ、どっちでも似たようなものか 」
「ま、待って! 事実を全部話すから、助けてちょうだい!」
エランの願いは、あながち演技とも思えなかった。
「それで?」
「あ、あたしはよその国から派遣されたスパイなの! 貴族の坊っちゃんを色じかけで誘惑して、いろんな情報を引きだしたり宮廷工作したりするための」
さすがに、そこまでは予想していなかった。
「た、たしかに最初はイリグムに近づいた! でもね、イリグムがたまたま一番落としやすい男だからであって、あなたに敵意があったんじゃないから!」
どうもエランは、婚約者の座を奪われたからアンが怒っていると誤解しているようだ。アンは、あえてそれを正さなかった。
「その証拠に、すぐ私はカンドに乗りかえたの! カンドはしつこくあなたを追おうとしていたけど、私は必死に止めたのよ!」
「な、なにをいうか! オローまで使ってアンを追わせるように求めたのはお前だろう!」
カンドも、ここで黙っていては我が身が危ないと理解しているようだ。
「信じて! カンドは私に責任をなすりつけているだけだから!」
「話が逆だ、ふざけるな!」
「召使いまでいなくなったのは?」
アンは、泥仕合を新たな質問で封じた。
「それもエランだ! 私が公務で留守にしているあいだに勝手にやったんだ!」
「カンドが口封じのためにみんなクビにしたの! 財産を処分して私の母国へ亡命するとかいいだしたの!」
「そんな必要がどこにある! すべてお前の都合だろう!」
冷静に考えて、エランの主張はかなりおかしい。そもそもカンドは、外面のよさにだけこだわる凡人だ。召使いをいっぺんに全員クビにするなど想像しにくい。
だが、アンは腑に落ちないものをぬぐえなかった。そういえば、千里眼の力はまだ残っている。
「イリグム邸ではイリグムも召使い達もみんな死んでいたけど、あれもあなた達の仕業?」
「私じゃない! エランがオローと部下にやらせた! そうか、わかったぞ! 最初からお前は公爵家を乗っとりたくてイリグムに近づいたんだろう!」
「それこそただのスパイにそんなことができるわけないじゃない! あなたが、イリグムに私を奪い返されるのを恐れてやったんでしょう!」
アンは、千里眼を改めて使った。今度は二人に集中して。
「だからって実の弟を……ぐぐうぅっ!」
とつぜん空中に浮かんだロープが、カンドの首に巻きついた。指をロープにかけて必死に暴れるカンドだが、びくともしない。
エランが仰天する暇もあればこそ、カンドはアンの魔法で絞首刑に処せられた。
「私に冤罪をなすりつけようとしただけで、万死に値するからね」
「や、やっぱりカンドが悪いってわかったわけね」
「まだすんでないから」
アンは、エランとともに地下牢へ瞬間移動した。カンドの死体には、もはやなんの価値も認めなかった。
カビと汚物の臭気が重苦しい湿気にくるまれ、階段を除けば外界につうじるのは要所要所にこしらえた成人女性の握り拳大くらいな空気穴のみ。明かりは松明でまかなっているが、隅々まで照らすのは到底足りない。
そんな空間に成人男性が二人ならぶのがやっとの通路があり、通路に沿って等間隔に牢屋がある。ほとんどが空だが、もっとも奥のそれにだけ人がいた。
「エラン、ウゴを助けてあげて。牢屋の鍵は私がなんとかするから」
牢屋と廊下を区切る鉄格子を前に、アンは頼んだ。
「え……?」
「私、汚れるのは嫌だし。あなたの主張を認めてあげたのだから、そのくらいしてもいいよね?」
アンがエランに顔を近づけると、エランは泣き笑いを浮かべた。
「も、もちろん。もちろん助けるから」
「そう。ありがとう。なら、しかるべき配置にしなきゃ」
アンは、鉄格子をそのままにしてエランを魔法で牢屋の中に入れた。さらに、ウゴと立場を入れかえた。つまり、エランが両手を鎖につながれウゴが解放されている。もっとも、エランだけでなくウゴもいまだに牢屋にいた。ウゴは、あれだけの傷を受けたのにしっかりたっている。
「ちょ、ちょっと。なんの真似?」
「先入観って恐ろしいものね」
「あははははは。よく見破ったね!」
ウゴが、本人の声音で本人からは似ても似つかぬ言葉を吐いた。
「危うく両方殺すところだった。もう芝居はやめて。ウゴさんがかわいそうだし」
「いいよ」
鎖に新しくつながれたはずのエランは、ずたずたにされたウゴになった。反対に、さっきまでつながれていたはずのウゴはエランになった。
「オローに特別なボーガンを授けたのはあなたね」
「そうよ、男なんてみんな似たようなものだから! 公爵家乗っとりをそそのかしたらイチコロだったよ」
「イリグム邸の人達もあなたがオローをそそのかしたんでしょう?」
「ええそうよ、足がついたら困るから」
「オローの部下やカンドの召使いをここから遠ざけたのも」
「みんな私! 邪魔が入ると困るから。ねえ、どこにやったの? 魔法の箱庭を!」
「もうあなたが知る必要はないね」
アンからすれば、ウゴにまで化けていたエランの執念などお菓子を欲しがってむずがる幼児とかわらない。
ケムーレと何度も話をしていて、自然にわかった。魔法の箱庭は、ケムーレが認めた相手にしか力を貸さない。つまり、アンだけだ。
「ふんっ。詰めが甘いよね。ここにいる元庭師と同じ牢屋にしてなんのつもり? あなたこそ私の要求を聞かないと、大事なお仲間が……」
「ウゴさん、聞こえるならそこをでて」
魔法で鎖を外すと、ウゴはうめきながらも一歩踏みでた。なにか喋ろうとしたエランは、鉄格子ごしに牢屋とむかいあった壁の一部がぱかっと開いたのを呆然と見守った。時ならぬ窪みには矢をつがえたボーガンがセットしてある。即座に発射された。
矢は鉄格子の間を抜け、エランの胸に深々と刺さった。彼女が盾となった形で、ウゴには至らなかった。
「おぶぇえっ! ごぼぼーっ!」
エランは血反吐を口からほとばしらせ、がっくりと床に倒れた。
「オローはあなたに内緒で、あらかじめこの仕かけを用意していたのね」
わかっていたら、エランはみすみすひっかからなかっただろう。
「そ、そんな……こんな……はずじゃ……」
「あなたがオローを裏切ったら、仕かけを外す人間はいない。どのみちあなたはこうなる運命だったのよ」
「やだ……い……や……死にたく……ない……」
エランの野心は、彼女の死とともに終焉となった。
「ウゴさん! もう大丈夫です。私、すぐに薬が作れますから!」
鍵を処理するのももどかしく、アンはウゴまで駆けよった。ウゴは緊張の糸が切れ、倒れかけた。すかさずアンは両腕で受けとめ、グナフの家まで瞬間移動を用いて帰った。
そこからは、アンにとって目が回るほど忙しくなった。ウゴの手当てと看病は当然として、グナフの遺体を埋葬して簡単な墓をつくった。こうした場合、師匠の遺産は弟子が任意に受けつぐのでまずは目録をこしらえねばならない。
それやこれやが一段落するのに、一週間ほどかかった。
ウゴは無事に回復し、アンが引きついだグナフの家で家事を引きうけつつ森番もつとめている。アンはというと、自分の心に残るグナフからちょいちょい助言をえつつ様々な魔法の修行を続けている。
そんなある日、グナフの家で久しぶりにケムーレがやってきた。ウゴは街へ雑貨を買いだしにいっており、不在だ。
「なにもかも解決できてよかったね」
ケムーレはあいかわらず上機嫌だった。
「お陰様で」
「それに、グナフは僕をとても気に入ってくれたし」
「そういえば……あなたを作った人ってだれなの?」
「さあね。気がついたらこの世にいた」
「そう」
あっさりとかわされたが、これからじっくり調べる楽しみができたともいえる。
「グナフがいうには、アンの心の中は居心地がいいって。僕も同じ」
「なによりです」
「アンは、ウゴとはどうなの?」
「どうって?」
「僕、これまで全然知らなかったことをグナフから教わってるんだ」
「へえ。たとえば?」
「たとえばね……」
ケムーレは、背のびしてアンの耳になにやらひそひそ話した。アンはなぜか赤面した。
「まぁっ。ケムーレったら! 先生も!」
「アンもがんばってね」
ケムーレは消えた。絶妙のタイミングでウゴが帰ってきた。
「おーい、ただいま」
「お、お帰りなさい」
「なんだ、顔が赤いな。病気か?」
「い、いいえ。違います。でも、そろそろ床に布団を敷くのじゃなくて……ベッドにしませんか?」
「あ、ああ。俺はどっちでもいいけど」
「大きいベッド……一つだけで足りそうですよね」
「なんの話だ?」
「今晩にでも、わかりますから」
終わり




