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十四、死と新たな力

 変化点……良かれ悪しかれ。


 ケムーレは、グナフの死になんの責任もない。責任がないのはアンも同じではある。


 アンは、胸の奥になにか穴のようなものが開いた気持ちを味わっていた。正確には、その穴から通りいっぺんの感情……人の死をいたんだり悲しんだりする要素が落ちていくのを味わった。グナフが亡くなり、師弟の契りは無効となった。予想もしなかった中途半端さも、穴を大きくしている。


 悲しい? ひどい? そんなことより復讐だ。


 腹だたしくも、ケムーレを目にすることで初めてアンは自分の変化に気づいた。


「だれ……だれがこんなことをしたの?」

「さぁ」

「ウゴさんはどこ?」

「さぁ」


 こんなときなのに、ケムーレは冷淡で意地悪としか思えない。


「せめて……矢を調べたら」

「毒が塗ってあるかもね」

「そ……そこまで……」


 復讐には、まず用心深さが不可欠だ。


「ウゴがただ逃げただけなら、一人で森を抜けられるわけないよ。敵が引きあげたころあいを判断してじきに帰ってくる」


 ケムーレは、やっと役にたちそうな考えを口にした。


「逃げたんじゃないなら……?」


 その方向は、想像だにおぞましい。さりとて予想せずにはいられない。


「グナフを殺した犯人に捕まったのかもね」


 グナフを一撃で葬ったほどの敵なら、ウゴを拉致するのも簡単だろう。


「ま、まだ敵がどこかに隠れてるんじゃ……」

「もしそうなら、アンはとっくに襲われてるよ」


 だからといって胸をなでおろすわけにはいかない。


「先生……」


 アンは衛兵ではない。死因を詳しく調べて犯人を類推するのは無理だ。しかし、復讐を決意するのとはべつにグナフの遺体をこのまま腐らせてしまうのは避けたかった。アンの筋力からすれば一苦労だが、とにかく埋葬くらいはしたい。


 ものいわぬグナフを担ぐつもりで、遺体と抱きあうように両脇の下に手をのばして背中へと回そうとしたとき。


 ガチッと音がして、あさっての方角からなにかがアンめがけて飛んできた。


「うぐぶぅっ!」


 アンは背中から胸を、師匠と同じように太い矢で刺し貫かれた。胸から矢尻が突きでている。


 初歩的な間抜け罠。遺体を動かすと、隠して仕こんであった細いワイヤーが引っ張られる。ワイヤーは、小指の爪ほどの滑車をいくつか経由してボーガンの引き金と連結している。ボーガンそのものは、遺体とまむかいに設置してある。むろん、部屋の調度品に紛れてわかりにくくしてあった。


 アンは傷口だけでなく、ぱくぱく開け閉めされる唇の間からも血をほとばしらせた。痛みもさることながら、全身が燃えるように熱くなり頭がふらふらする。矢傷だけが原因ではない。


「ど、毒……」


 それだけ呟くのがやっとだった。


「グナフの膝のしたに紙切れがあったよ。『まだ生きているならカンド公爵の屋敷にこい』だって」


 アンとしては、ケムーレの目敏さよりも無慈悲さを責めたくなった。まずアンの手当てが先だろう……助かる見こみがあるなら。


 どうもそうではないようだ。視界が闇に閉ざされ、アンは命が身体から失われたのを自覚した。


 にもかかわらず、アンは夢を見た。


 彼女は死んだはずなのに、いまいる部屋のなかでグナフと会っていた。


『先生……生きているんですか?』


 我ながら、まぬけな質問だった。


『そうでもありそうでもない。ここはお前の心にある世界だ』

『私は死にましたよ』

『死んだ瞬間、お前に一体化していた魔法の箱庭がより強い力を発揮したようだ』

『どういう、ことでしょうか……?』

『簡単にいうと、お前は自分自身をふくむ生き物の命をある程度まで好きに使えるようになった』

『使える?』


 少しも簡単に思えない。


『死んだ人間の魂を、自分の心に保存できる。記憶とか思いでとか、そんなあやふやなものじゃない。お前が表にだしたければ現実にでてくる』

『そ、それって……』

『ふつうの魔法における常識では、とても無理だ。しかし、お前は可能になった』

『ど、どうやってですか?』

『お前の心にある箱庭のなかに、私の魂が引っ越した形になる。もっとも、お前はまだ修行中だからはっきりした空間はできてない』

『先生は生き返られるんですか?』

『そうだといいたいが、限られた時間しかいられない。一日につき、せいぜい五分が限界だろう』

『じゃあ私は? 私自身はどうなるんですか?』

『お前は言葉どおりの意味で復活する。ただし、この一回だけだ。それから、あと何人の魂をとっておけるかは私にもわからない』

『先生は私がくるときには亡くなっていましたよね? そんな状態でも問題ないんですか?』

『お前が本心から執着する相手なら、いつ死んだかは問題ない。死体がなくともかまわない』

『そ、それなら……』

『はっきり死んだと自力で確認できなければ、この力は無効だ』


 ウゴがもし死んでいれば、いっそ敵の裏をかけたのだが。


『なんにしろ、どうせここはお前の心だ。完全にではないが、お前に起きた重要な出来事は……あやふやではあるが……私にも伝わる』

『ケムーレが教えてくれたことからしても、公爵からの追っ手ですよね』

『そうだ。しかも、こっちの魔法を無力化する手だてを持っている。さらに、むこうはむこうで自前の魔法を使っている』


 でなければ、いくら手練れでも壁ごとグナフを射抜くような矢は放てない。


『そんな人達に、私の力が通用するんでしょうか……』

『むろんだ。私の魔力をそっくりお前に渡す。ただ力が増すだけでなく、これまでにない系統の魔法になる。だから既存の魔法破りは効き目がなくなる』

『でも、先生の力がなくなります』

『どうせ私は死んだ人間だ。それに、公爵への仇討ちこそが私の目的でもある』

『わかりました。ウゴさんも助けないと。でも、公爵家まではかなり距離がありますね』

『私のメモ帳を開いて、白紙の頁を見ながら公爵邸の記憶を集中的に思いだせ。そこをでてまだ日が浅いから、きっと自動的にいけるはずだ』

『わかりました』

『では、そろそろ私の魔力を授けよう。複雑な儀式はいらない。魔法使いの師弟契約があれば、簡単にすむことだ』

『ありがとうございます』


 感謝をいいきるかいいきらないかの内に、アンは目を覚ました。


 身体はもちろん、衣服まで元どおりになっている。そのくせグナフの遺体は椅子のままだし、アンを一度は殺した矢が床に落ちていた。


 ケムーレはどこにも見あたらない。いまは関係ない。


 アンは、グナフの教えどおりにメモ帳をだした。白紙をにらみつつ、公爵の屋敷を頭に思いうかべる。


 なにもなかった紙面に、見慣れた邸宅が透明な筆でも操っているかのごとく鮮やかに浮かんだ。


 その直後、彼女の姿はグナフの家から消えた。

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