十二、掴みかけた人生
アンはグナフに収穫を説明しかけた。グナフは軽く右手をあげてアンを止めた。
「これから座学だ。アンは鞄をテーブルに置いて、そのまま着席。ウゴは、台所にいって自分も含めた三人分の食事を作る。食材や食器は好きに使っていいが、後かたづけまで全部ウゴがやるように」
「わかった」
グナフからすれば、ウゴはあくまで『おまけ』にすぎない。ウゴとしても、そこは心えていた。いや、ある意味で気苦労がなくてほっとしているのかもしれない。
「さて、アン。私の座学はいちいちノートをとったり呪文を暗記させたりするようなことはない。その分、集中して聞いてもらう」
ウゴとアンが指示のとおりにすると、グナフは即座に始めた。
「はい」
「今回お前が持ち帰ったのは、初歩的な薬品の材料だ。詳細はお前に預けたメモ帳にある。で、採集の様子について説明しろ」
「はい」
アンは包み隠さず語った。
「よし。第一歩として予想外に上出来だ。公爵家でのいきさつも含めるに、廃品倉庫にあった魔法の箱庭が重要なきっかけだな。ケムーレとやらは、箱庭の精霊だ」
「箱庭の精霊……?」
「たまにある。重要な……または、貴重な物品にはそれ自体に精霊が憑いていることがある。精霊自体に人間のような善悪の概念はない」
ケムーレは、あれでかなりな毒舌家だった。変なところで笑いがこみあがりかけ、アンはあわててとりつくろった。
「ケムーレは、お前が最悪の事態に至らぬようぎりぎりのところで助けにくる。なぜなら、お前の精神と魔法の箱庭が一体化しているからだ」
「で、でも……どうして私が……」
「箱庭造りに情熱を燃やしていたから、気に入られたのだろう。もっとも、あやふやだったお前の魔力に道筋をつけたのは私だ」
「ありがとうございます」
「お前と一体化した魔法の箱庭は、お前の力に応じて無から有を生みだす。むろん、一定の制限がある。質でも量でも」
「あまり高価なものはだめということですか?」
それは、森でウゴとたしかめた。
「だけではない。強力すぎるもの、お前の理解からあまりにもかけ離れているものなども含まれる。あと、私が判断する限り生き物もできない。生き物にじかに由来した品も強く制限される。量のほうは、これからおいおいつきとめていけばわかるだろう」
これは重要だ。たとえば、水はだせてもパンはだせない。
「真似獣をやっつけたときは……どんな力を使ったのでしょう?」
「そこだ。そこが私にもわからない。逆にいうと、当面はその謎を解くのがお前の修行における次の関門となるだろう」
「はい……」
「明日は、今日持ち帰った品で薬品を作る。ウゴを助手にしてよい。道具や消耗品は、メモ帳を参考にお前が自作しろ」
「わかりました」
ここで、ウゴが台所からもどってきた。
「飯ができた」
「よし。ここまで運んでくれ。アンは鞄を床に置くように」
こうして、牛肉とジャガイモとキャベツの炒め物が三皿やってきた。テーブルの中央にはクルミパンを満載した籠が置かれ、水を満たした水さしも抜かりない。コップも三人分あった。
「バターまではないが、我慢しろ」
グナフは軽く気をつかった。
「いえ、こんなによくしてくださってお礼の言葉もありません」
アンは心から感謝した。
「右に同じ」
ウゴも、いささか武骨ながらアンに同調した。
「では始めよう」
グナフの音頭で、食事が始まった。
遠慮はしつつも、アンの手はとまらなかった。長年の一人暮らしゆえか、ウゴの料理は地味だが美味だし栄養もあった。炒め物に使ったソースがクルミパンによくあう。
「ウゴ、とても美味しいです」
感謝してから、アンは気づいた。作ってくれた人に心からお礼を述べるなど、公爵家ではこれっぽっちも体験したことがない。
「それはよかった」
ウゴも笑って受けいれた。なぜかアンは気恥ずかしくなった。
「お前、この家の料理係に雇ってもいいぞ」
「俺の本職は庭師だよ」
「冗談だ」
「……」
ウゴはなんともいえない複雑な表情になった。
「あ、あのう……。このクルミパンも素晴らしいですね。自家製ですか?」
「そうだ。切り刻んで発酵させた野良犬の肉を肥料にした特別なクルミだ。魔法で促成栽培する」
「……」
アンはなんともいえない複雑な表情になった。
穏やかで、知的好奇心に満ちた食事が終わった。ウゴは洗い物のために台所へ食器を持っていった。
「さて、寝床だが。毛布や布団も自力で賄えるだろう。ウゴのも世話してやれ。どこでも好きな場所で寝ろ」
「ありがとうございます」
「明日も早いから夜更かしするなよ」
真剣に釘を刺すグナフであった。
「はい」
アンとしても、物見遊山のつもりはない。
「目覚ましは自動的にかかるようになっている。では、私は寝る」
「お休みなさい」
グナフは姿を消した。なにか、特別な部屋なり場所なりに移ったのだろう。
そこへ、洗い物を終えたウゴが台所からやってきた。
「グナフは?」
「寝ると仰って消えました」
「そうか」
「あの……ウゴさんのお布団とかは、私がだしますから」
「なんだか悪いな」
「いえ。今日も助けてもらいましたし」
アンは二人分の布団をだした。
「じゃあ寝るか」
「え、ええ……」
グナフがどこにいるかはともかく、またしてもウゴと一つ屋根の下。彼が自宅にかくまってくれたときは、アンからすれば非常事態としかいいようがなかった。
いまは、精神的にも肉体的にも余裕がある。
「お、俺はなるべく遠ざかったところへいくよ」
「いえ……隣にいてください」
「いいのか!?」
「あ、あの……。変な意味じゃなくて。やっぱり、いざ落ちつくといろいろ不安になりますし」
公爵家を追放されてからこの方、アンは百回生まれ変わっても想像だにしない人生へさしかかっていた。
ウゴが誠実な人間なのはとうに理解しているが、同じくらい重要なのは彼の平凡さだ。美形でも天才でもないからこそ、安心していっしょにいられる。
「ま、まあ……アンがそういうなら」
ウゴは布団を床に敷いた。アンは自分の希望どおりにした。
「明かりは……」
アンが呟くと、パッと消えた。真っ暗闇だ。
「あっ……」
「どうした?」
「寝巻きに着がえわすれました。歯磨きと髪のお手入れと……」
「じゃあそうしろよ」
「いいえ。面倒ですから。明日はそうします」
手探りで、アンは布団に潜りこもうとした。図らずもウゴとタイミングがあってしまい、手が触れた。
「きゃっ!」
あわてて手を引っこめたが、しっかりと感触は残った。
「す、すまん! わざとじゃない、わざとじゃない!」
「え、ええ。わかっています。こちらこそ、ごめんなさい」
改めて、アンは布団に入った。
「あー、その……」
ウゴが、遠慮とも用心ともつかない風で聞いてきた。
「はい」
「俺でできることがあったら、なんでもいってくれよ」
「嬉しいです。明日は先生の課題で薬を作りますから、手伝ってください」
「ああ」
それからしばらくは、闇の中で沈黙がつづいた。
「貴族っていっても……」
ウゴがぼそりと漏らした。小声なのでアンにはよく聞きとられなかった。
「え? なにかいいました?」
「なんでもない。寝よう」
「はい、お休みなさい」
そこから先は、のしかかる一日の疲れがすぐにアンを眠りへと導いた。




