十一、修行、そして初めての仕事
次の瞬間、アンはウゴとともに森の中にいた。昼なお暗い木々の群れにあって、魔女グナフはおろか建物らしい建物など一つもない。
「ど、どういうことだ?」
ウゴは状況がさっぱりわからないようだ。アンも似たようなものだ。
アンは、自分がメモ帳を両手で開いたままの状態なのに気づいた。またなにかおかしなことが起こるかもしれない……そんな不安を抑えて、内容を読んだ。
「アンジロダケ?」
一頁目の一行目にそう書いてある。イラストも添えてあり、緑色の傘に赤い茎が付いていた。
「そりゃ、庭仕事にはつきもののお邪魔虫……というよりお邪魔キノコだ」
ウゴは、自分の知識が役にたちそうだと意識してか冷静さを取りもどしたようだ。
「知ってるんですか?」
「まあな。弱いが毒を持ってる。生垣の隅によく生えてるよ」
ウゴが間違ってないのは、メモ帳の説明書きからしても理解できた。
「おっ、よくみればそこにあるぞ」
「えっ?」
ウゴが指さした先に、アンジロダケが一本あった。
「これをもってこいってことでしょうか……でも、毒があるのでしょう?」
「素手で触れなければ大丈夫だ。簡単な手袋でもあればな……」
「手袋……」
アンは、ばくぜんとウゴの願いを繰り返しながら頭の中で手袋を想像した。その直後、彼女の目の前に突然一組の手袋が現れて地面に落ちた。
「ええっ!?」
「い、いきなり手袋が!?」
もっとも、でてきたのは貴族や金持ちの平民がお洒落で身につけるような薄い生地の華奢な手袋だった。
「なんなんだ?」
「さ、さあ……。でも、グナフ先生のお話からすると、これが私の力かも……」
「だとすると、たとえば金とか食い物とかはどうなんだ?」
「やってみますね」
パンだの金貨だのがでてくればと期待したが、なにもない。
「そうお手軽でもないか」
ウゴは特に気を悪くしてなさそうだ。
「ごめんなさい……」
「謝ることじゃないだろ? 習いたてなんだし」
「そうですね。もっと頑張ります」
アンは、我知らず笑顔になった。
「それにしても、手袋ならもっと実用本位でないとな」
あごをさすりながら、ウゴは地面に落ちたままの手袋をながめた。
「実用本位……とは、どんな……?」
「まず、余計な飾りや模様はいらない。生地は厚めの綿がいい。汚れの具合がわかるよう、色は白だ」
ウゴの説明から、アンは改めて心に次の手袋を思い浮かべた。すぐ、さっきと同じように二組めの手袋がでてきた。
「今度は役にたちそうだ」
ウゴは腰を沈めて、二組めの手袋を拾った。しばらくためらってから、彼は自分の手にはめた。
「な、なにか苦しかったり痛かったりします?」
自分の力で手袋がだせたのはアンにも察しがついた。だからこそ、ウゴによけいな被害を与えるのは避けねばならない。
「なんにもない。とはいえ、キノコを持って帰るなら袋がいるな。リュックでも肩かけ鞄でも。あと、じかに入れるとキノコが傷むから広口ビンもいる」
アンも、手袋で要領を掴みかけてきた。つまり、念じるだけで道具がだせるということだ。そこからはずっとなめらかにウゴが求める品々をだせた。肩かけ鞄に広口ビン、お安いご用。
「採集は俺がやろう」
「いえ、私にもやらせて下さい。手袋ならもう一つだしますから」
メモ帳には、このキノコを十個集めてこいとある。道具さえあればこどもでもできる役目だ。アンとしては、屋外で体を動かすのがこれほどわくわくするとは思わなかった。イリグム邸では体操も訓練のうちにあったが、すべて屋内だった。
「よし、わかった。なら、ビンも二つにしよう。手分けして採集だ」
「はい」
しばらくは、二人とも黙ってキノコを集めた。かがんだりたったりの繰り返しで、自分の受け持ち……五個をすませたときには我知らず腰に手を当てて背のびした。
「ウゴさんはどうですか?」
うしろを振りむいたアンの両目に、頭だけで彼女の背丈と同じくらいある茶色い大蛇が写った。体長となればその十倍はあるだろう。先の割れた舌をちろちろとだしいれしつ、鎌首を持ちあげたところだ。
「きゃあああぁぁぁ!」
「アン!」
大蛇ごしにウゴの叫びが聞こえた。ウゴは大蛇の背中を踏みつけながら、頭を抑えようと走った。大蛇は身をよじり、ウゴを地面に転がしてから彼に巻きついた。
「ぐぐぐっ……むむむ……」
「ウゴさん!」
大蛇はウゴの胴体をぎりぎり絞めあげ、彼の骨がきしむ音がアンの耳にも届いてくる。
真似獣を倒したときのように、大蛇もやっつけたい。しかし、大蛇の様子にはなんの変化もない。
ウゴは悲鳴さえだせなくなった。口をぱくぱく開け閉めしているだけで、それも弱々しくなってくる。
せめて、大蛇の力が弱くなったら……。アンが必死に願うと、ウゴは両腕をつっぱらせて大蛇を押し離した。
「くそっ、せめて金槌でもあったらな!」
息を整えるひまもなく、大蛇をまたぐようにしてウゴは脱出した。同時に、彼の手の中に金槌が現れた。
大蛇は頭をウゴにむけ直し、牙だらけの口をかっと開いた。ウゴはためらいなく金槌を大蛇の口の中へ投げつけた。大蛇の上あごの内側に命中し、その打撃は脳を文字通り揺さぶった。図体の割に、呆気なく大蛇は地面に倒れた。
「ナイフだ! とどめを刺す!」
「はい!」
ウゴに新たな武器を渡すと、彼は脳しんとうをおこしてぐったりした大蛇の目を刺した。そのまま切っ先を沈め、脳を切り裂く。
「ど、どうにか……やりとげたな」
腕をナイフごと大蛇の頭から抜いて、ウゴは肩で息をついた。
「ケガはありませんか?」
「ああ。アンの魔法で助かった」
「魔法……」
そう。魔法というしか説明のしようがない。
「とにかく、作業を進めよう」
「はい。あっ、それと」
「なんだ?」
「この蛇の内臓もメモ帳にありました」
二頁目にあった。無毒の蛇だが、胸の悪くなる作業が待っている。
「こいつの腹をさばくのか?」
「……」
やらねばならぬものはやらねばならぬ。幸い、ナイフや広口ビンはいくらでもだせる。
ウゴは、アンを助けようとしたときにアンジロダケの入った広口ビンを投げ捨てていた。二人で探すと簡単に見つかった。
ならば、次は大蛇だ。
「俺がやるから、アンは見とけよ」
「いえ、私もやります。私の修行ですから」
一週間ほど前のアンなら、話を聞いただけで笑いだすか拒絶するかしていただろう。様々な意味で、彼女は変わった。
「臭いし汚れるぞ」
「かまいません」
ウゴはそれ以上なにもいわず、だまって大蛇の脇に膝をついた。腹を空にさらした格好で死んだのが、多少なりと運の良いことではあった。
ウゴがナイフを腹の途中から喉へとふるいだしたので、アンはウゴの出発点から尻尾の方へふるった。たちまち生臭い血やウロコの欠片が飛び散り、むせ返るような湯気がたちのぼった。
肉をさばく話ではないので、作業自体は比較的単純だった。ウゴの忠告どおりな経緯にはなったものの、不思議と吐いたり頭が痛くなったりはしなかった。むしろ、自分が成長しつつあるのを実感できた。
胃だの肺だのといった品々は、人間のそれよりずっと大きかった。むしろ、それらに応じた広口ビンが魔法でだせるかどうかが心配だった。物は試しと思念を集中すると、あっさりでてきて拍子抜けした。
キノコと大蛇を片づけたら、昼をすぎて夕方にさしかかっていた。無我夢中でかかっていたものの、帰り道の算段はどうするのか。まさか野宿でもないだろう。
「帰る前に、せめてシャワーを浴びたいですね」
「そんな代物が……」
二人の前に、シャワーが現れた。ただし、箱形の質素で小さなシャワー室にすぎない。壁やドアはなく、カーテンが仕切りになる。なんにせよ、一度に一人しか使えない。
「水道もないのに、使えるのか?」
「ちょっとやってみます」
アンはカーテンを開け、シャワーのパイプにあるバルブをひねった。たちまちちょうどいい熱さの湯がノズルからでてきた。
「じゃあ、着がえも……」
シャワー室のそばに、脱衣籠と着がえが二人分でてきた。
「ちょっと待て。晩餐会にいくような、高級ドレスをだしてみてくれ」
「はい」
むしろ、その方がこれまでのアンの生活からすれば想像しやすい。だというのに、なにも起きなかった。
「そうか。アンの魔法使いとしての力に応じた品だけがでてくるんだな」
「つまり、ごく簡単な刃物や施設だけですね」
自分の力量の限界を知るのは非常に重要なことだった。
二人は交代でシャワーを浴びた。アンからすれば、ウゴの自宅で世話になったのは水浴びに毛を生やした程度にすぎない。今回もそれに近いが、ただの水よりは湯の方がはるかにありがたかった。
心身ともにさっぱりすると、いよいよ陽も暮れかけてきた。
「このメモ帳を開いたらここにきた、ということは……」
アンは改めてメモ帳を開き、グナフといた部屋を思いうかべた。ここにきたときと同様、あっというまに景色が切りかわった。
「初仕事ご苦労」
出発したときと同じように椅子に座って、グナフは二人をねぎらった。まさしくアン達は魔女の家に帰ってきた。




