十、契約と修行
のしかかるようなグナフの圧迫感は、本人がのばしているレンガ色の長い髪さながらに燃やされるような恐ろしさを生んだ。当人は落ちつきはらっており、冷ややかでさえあるというのに。
「お前も魔女なのは当然として、どこで学んだ? それとも生まれつきか?」
どうしたものか。そのいずれでもない。
「私……私にもわかりません」
正直に答えるほかなかった。
「わからない? これまでに何度か使ったことがあるのだろう?」
「いえ、あれが初めてですし意識してどうにかなったのでもありません」
「ますます不思議だ。きっかけ一つなかったのか?」
これを聞き逃しては先に進ませないといわんばかりのグナフ。そのとき、ウゴが寝言混じりにうめいた。
「あ……そういえば……。銀色の髪をした不思議な男の子がいて……」
「ほう?」
「まだ公爵家にいたときに……」
「公爵だと!?」
先ほどまでの冷静さはどこへやら、急激にグナフは態度をかえた。
「は、はい。いいわすれましたが私はそのとき四男のイリグムと婚約していて……」
「イリグム!」
「ご、ごめんなさい。つい呼び捨てしてしまって」
「そこはどうでもいい」
唐突に素で冷静になるグナフ。
「はい」
「つづけてくれ」
求められるままに、アンはいきさつを語った。そこからは、グナフも口を挟まずに聞きいった。ケムーレ云々も、もはや隠す必要はなかった。
「よく理解できた。ならば、私もはっきりさせよう。私の一族は、公爵家によって根絶やしにされた。いわゆる魔女狩りだ」
「なんですって!?」
公爵家にかぎらず、貴族は領民の不満をそらすためにしばしば実行した。本当に邪悪な魔女がいることもあるので、なにがしかの大義名分がたつことも少なくない。一方で、無実の犠牲者をだしてしまうこともしばしばあった。
ここ十年は、弱い魔女が狩り尽くされもし強い魔女からの報復が恐れられもしで下火になっていた。
「もう十五年ほど前か。ここはそもそも私の一族が領有していた森だ。都合のいいときには我らの魔力で領地経営を円滑にさせたりしていたくせに、外道な連中だ」
グナフが苦々しげに吐き捨て、アンは逆説的に心強くなった。敵の敵は味方だ。
「だから、我らで公爵を倒そう」
グナフの台詞は、飲み物を口にしていたら吹きだしていた。
「あ、あのう……どうやって……」
「お前が魔力を制御するすべさえ身につければ、公爵どころか王家とも戦える。私はそれを授けられる」
「で、でも……」
「まさか、亡命とやらがうまくいくとでも思っているのか?」
「え……?」
「必要な情報を絞りとったら、さっさと殺して知らん顔だ。お前も公爵のやり方から学んだろう」
ならば、ウゴの提案は的外れだったのか。
「もちろん、こうなるまでのお前と仲間に亡命以外の選択肢がなかったのも事実だ。つけくわえるなら、亡命を試みたからこそ私と会えた」
グナフは、まるっきり人情にうといわけではないのを示した。多少なりと安心はできたものの、『逃亡』から『反撃』に至るには距離が遠すぎる。
「修行って……どのくらいかかるんですか?」
「お前の学習ぶりによる。素質と素質をのばす素質は、似て非なるものだ」
そうはいっても、政治経済の座学などとは話が違う。身体を鍛えるのともまた異なる。
「ウゴが……」
「お前の話によれば、どこに亡命しようがウゴはお前よりさらに値打ちがない」
ぐさりとグナフはいいきった。
「だからって、私達だけで……」
いいおいて、アンは自分自身にはっとした。相手に気がねなく、のびのび意見を口にするのは生まれて初めてだ。深刻な話だというのに、かかわらないところで気分がよくなった。
「お前はいつまで逃げまわる? 死ぬまでか? 戦って死ぬのか利用されつづけて死ぬのか、いますぐ選べ」
後者を選んだらどうなるかは、アンでなくともわかる。追いだされるにきまっている。そもそも、ウゴはアンにとって命の恩人だ。アンは魔法とやらで森の化け物を倒せるだろうが、ウゴを守るほどには使いこなせてない。見捨てて自分だけ先にいくような冷酷さは彼女の心に存在しなかった。
グナフも、そこまで察したのではないだろう。ただ、彼女が主張するあつれきや公爵への復讐心は本物だ。
公爵家にいたときも、ケムーレとあってからは目の前にいる相手の本音が把握できた。あのときは、たとえば眉根にしわがよっているから不機嫌だと判断するくらいな感覚だった。
いまや、よりはっきりと明らかになっている。まるで、相手の心境を箱庭にして覗いているような。
「わかりました。私にどれほど力があるかわかりませんが、よろしくお願いします」
「よし。では、そろそろウゴにも起きてもらおう」
グナフがいうが早いか、ウゴの放ったあくびがひょろひょろと天井へ昇っていった。
「二人とも、寝るのにはもう飽きただろう」
グナフの言葉とともに、布団が消えた。
「こ、これは……」
当然ながら、ウゴはずっと意識がなかったのだから事情がさっぱりわからない。
「私達は、こちらのグナフ様という方に助けられました」
アンはまず、もっとも大事な結論をウゴに明かした。
「助けられた……?」
「はい。少なくとも私は、真似獣という魔物に襲われました」
「ああ、あれはそういう奴だったのか」
「そういう奴……?」
「アンがいきなり俺の前にきて、手招きしてきたんだ。俺のあとをついてきたはずなのにおかしいなと思っていってみたら、かなり歩いてからいきなりクマだかトラだかわからない姿に変身した。わけがわからないまま必死に逃げたよ」
「つまり、真似獣が二体いたということだ。たまには頭がいいのもいるだろう。私が最初に助けたのは彼の方で、それからアンの魔力を感じとった」
「そりゃあ、助けてくれてありがたい。あー、その……疑うつもりはないが、どうしてあの場にいあわせたんだ?」
「私は魔女で、この森の所有者だ。自宅の庭を歩いてもおかしくなかろう?」
グナフの説明に、ウゴは黙ってうなずいた。魔女というだけでも恐ろしいが、森の所有者とあってはなにをされても不思議ではない。
「ウゴさん。あなたがいない間の話で申し訳ないのですが……。グナフ様によれば、私にも強い魔力があるそうです。亡命はやめて、公爵を倒すことにしました」
「そうか」
ウゴはあっさりうなずいた。なんの反対もしなかった。ウゴからすれば、自分のあやふやな亡命計画よりもはるかに有意義な可能性があることだろう。彼自身の生死はさておき。
「話は固まったようだな。では、師弟のちぎりをかわす。ウゴは立会人になるといい。断っておくが、ウゴにせよアンにせよ、これからは働いてもらう」
「わかりました」
「わかった」
アンとしても、なまけてのらくらするつもりはない。ウゴも同じようで、二人は即座に肯定した。
「師弟のちぎりそのものは、大した儀式ではない。契約書を二枚用意して、サインをかわしたものを肌に埋めこむだけだ」
末尾の部分はものすごく大したことだ。
「誤解するな。痛くも痒くもない。私生活にはなんの影響もない。服ごしに、たがいに紙を押しつけあえばすむ。まあ、とにかく席につけ」
グナフは、室内にある丸テーブルを指さした。茶色い木製で、大人が七、八人はならんで座れる。椅子はちょうど三脚あった。
アンとウゴは、おたがい遠慮して席一つ分をへだてるように距離をとった。グナフは二人のまむかいに座り、どこからともなく二枚の紙と羽根ペンをだした。
「私のサインはすでにすませてある。中身を読んで、異存なければ二枚にサインしろ。立会人も読んでおくように」
アンとウゴは、グナフがテーブルの表明をすべらせるようによこしてきた契約書をそれぞれ手にした。師匠は弟子をかわいがり、弟子は師匠を尊敬し、両者が納得いくまで教え学ばれる……そんなことが綴られているだけだ。
念のために、二人は紙を交換して読んだ。いずれもかわらない内容だった。
「読みました。サインしたいです」
「俺も読んだ。異存ない」
「よし」
グナフは、羽根ペンをさっきの要領でアンに渡した。アンは二枚にサインをすませ、羽根ペンごと一枚を返した。
「ならば、席をたて。ウゴは座ったままでいい」
「はい」
アンは椅子をうしろに引いた。
「どっちの手でもいいから契約書を持って、私の腹に押し当てろ。私もそうする」
「はい」
二人して押し当てあうと、グナフのいうとおりにずぶずぶと契約書がめりこんでいった。本当に、なんの感触もない。
「これで契約は始まった。師匠である私は、お前の行動を部分的に支配できる。たとえば、逆だちしろ」
アンは、自分の意思とはなんの関係もなく床に手をついて逆だちした。
「もういい」
グナフの一言で元のようにたった。
「いまのが私の命令でやらされたことなのは、アン自身が理解したはずだ。ただし、めちゃくちゃな命令……自殺しろとか金貨を即座に百億枚だせとかいったようなことは実行できない」
「そ、そんなことは契約書になかったぞ!」
ウゴは理不尽さへの怒りを隠さなかった。
「魔法使いにおける師弟愛とは、最初からこうしたものだ。なにも私は、アンの身柄や人格をどうこうするつもりはない。こうしないと、自分が学んだ魔法で師匠を殺害したり罠にかけたりする者もいる。いわば、私にとっての保険だ」
「なら、最初からそういえばいいじゃないか!」
「私の一族は、口約束をうのみにして惨殺された。心配するな。公爵を倒したら、契約はそこで満了だ」
なにか簡単すぎると思ったら。
「私は、それでなんの問題もありません。私も、イリグムにひどい仕打ちを受けましたから。はっきりした、強制力のある契約はむしろ頼もしいです」
「話が早くて助かる」
「だから師匠、私が危ないときは命がけででも助けてくださいませね」
それもまた、契約の一節だ。
「むろんだ。あくまでこれは、公平な約定なのだ」
ウゴも、アンが納得しているからには不平を訴えられない。
「では、さっそく修行だ。ウゴといっしょに、いまから紙にまとめた内容の動植物を森で集めてきてもらう。道具は貸そう」
アンの右手に、いつのまにか小さなメモ帳が収まっていた。背表紙と頁の間に細長いペンがさしこんである。
「要領はそのメモ帳にまとめてある。すぐにかかってもらおう」
グナフはぴしぴしといい渡した。アンは恐る恐る頁を開いた。




