第1話 鬼教官、覚醒
王宮のサロンに、陶器が割れる音が響き渡った。
「セドリック! この紅茶、ぬるいですわよ! 新しいものを淹れてらっしゃい!」
豪奢なドレスに身を包み、燃えるような赤髪を縦ロールにした美少女――公爵令嬢エリザベートが叫んでいた。 彼女の足元には、無惨に砕け散ったティーカップ。そして、その向かいで青ざめて震えているのが、この国の第一王子、セドリック……つまり、今の俺だ。
(……思い出した)
脳内に奔流のように流れ込む記憶。 前世、俺は過労で死んだサラリーマン。そしてここは、妹が愛読していた少女漫画『薔薇と剣のロンド』の世界だ。
目の前にいるのは、俺の婚約者であり、作中屈指の悪役令嬢・エリザベート。 原作のセドリックは、彼女の癇癪に怯え、すべてを言いなりにしてしまった。
その結果、彼女は「王子の寵愛を笠に着る傲慢女」として周囲の恨みを買い、断罪イベントで国外追放、最後は貧民街で孤独に死ぬ。
(そんな結末、俺が許すわけがないだろ……!)
俺は前世で、エリザベート推しだった。 彼女のワガママは、幼少期の愛情不足と、誰も叱ってくれない孤独の裏返しだと知っているからだ。 原作のセドリックよ、お前の「優しさ」は優しさじゃない。ただの「事なかれ主義」だ。それが彼女を殺したんだ。
「ちょっと! 聞いていますの!? さっさと片付けて紅茶を……」
エリザベートが扇子で俺の胸を小突こうとした、その瞬間。
バシィッ!!
乾いた音がサロンに響いた。 俺は彼女の手首を掴み、その扇子を叩き落としていた。
「え……?」
エリザベートが、信じられないものを見る目で俺を見上げる。 俺はかつて、新入社員を震え上がらせた「新人研修の鬼」としてのスイッチを、静かに入れた。
「……エリザベート」 「な、なによ。痛い、離して……」 「紅茶がぬるい? それでカップを割ったのか?」
俺は彼女の手首を掴んだまま、一歩踏み出す。今まで猫背だった背筋を伸ばし、彼女を冷徹に見下ろす。身長差と威圧感に、エリザベートが後ずさった。 背中が壁に当たる。いわゆる「壁ドン」だが、そこに甘い雰囲気は微塵もない。
「わ、私に、こんな乱暴な真似をして……お父様に言いつけて……」 「甘えるな」
低く、腹の底から響く声で俺は一喝した。
「は……?」 「カップを割れば、破片が飛び散る。使用人が怪我をするかもしれない。新しいものを淹れ直させる手間もかかる。お前のその一時の感情の発露が、どれだけの『無駄』と『リスク』を生んでいるか考えたことがあるか?」 「な、何を……私は公爵令嬢で……!」 「公爵令嬢だからなんだと言うんだ!!」
サロンの空気がビリビリと震えるほどの怒号。 エリザベートの瞳が点になり、唇がわなないた。彼女は生まれて初めて、他人から本気で怒鳴られたのだ。
「お前は次期王妃だ。国の母となる人間だ。それが、たかが紅茶の温度ごときで理性を失い、物を破壊する? ……三流以下だ。いや、ゴブリンの方がまだ建設的な生き方をしているぞ」
「ゴ、ゴブリン……!?」
「いいか、よく聞けエリザベート。今のままのお前は、ただの『金食い虫のワガママ女』だ。いずれ誰からも愛されず、野垂れ死にする未来が待っている」
俺は彼女の顔の横の壁に、拳を叩きつけた。ドンッ、と重い音がする。
「だが、俺はそれを許さん」
俺は彼女の瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。
「お前には素質がある。誰よりも美しく、気高くあるための素材は揃っている。腐っているのは、そのひねくれた根性だけだ」 「…………」 「だから、俺が直してやる。今日この瞬間から、俺がお前の教官だ」
俺はニヤリと、凶悪な笑みを浮かべた。
「まずはそのヒステリックな精神を叩き直す。庭へ出ろ。ドレスの裾をまくって、スクワット100回だ。」 「はあぁぁぁぁぁぁ!?!? 正気ですの!?」 「返事は『ハイ』か『イエス』か『喜んで』だ! 口答えするたびに回数を増やすぞ。さあ、立て! 自分の足で立つことの意味を、その軟弱な筋肉に教えてやる!!」
こうして、俺と悪役令嬢の、血と汗と涙の婚約生活が幕を開けたのだった。




