他人の彼女
ごくたまに、一年に一度あるかないか頻度で彼女が他の人といる場面に出会すことがある。
相手が男性のときもあれば女性のときもあって、中年の社会人のときもあれば、ランドセルを背負った子どものときもあり、二人のときもあれば、四人や大勢のときもあった。
私は意外だと思った。人を惹きつける魅力的な容姿ではなく、懐に入り込めるような話上手ではない彼女が他人と一緒にいるのがうまく想像できないかったからだ。何度か経験した今でも、まるで映画館のスクリーンを眺めているみたいな異質さを私は見て思わされる。
だからこそ、偶然見かけた姿のどれも鮮明に覚えている。
土曜日。東京にオールナイト上映を観に行ったときのことだ。
二十二時から早朝の五時頃までの四本立てで映画が見れるチケットを買い、量り売りのグミとマシュマロを袋に詰めた。
映画館の席はいつも一番後ろの端っこを選んだ。人に挟まれて出入りに気を遣ったり、退場を急かされたりせず余韻に浸れるのがいい。
しかし、今回に限ってはこの劇場に私以外の誰もいなかった。
私が見たい映画は一番最後の上映だった。外で時間を潰してもよかったが、チケットに支払った金額を思うと一本だけ観るのは割が悪い気がした。興味のない、あるいは面白くないと知っている映画に時間を割くのは癪だが、金を溝に捨てるような真似はもっと嫌だった。金を追加で払って外で満足するより、損をしない生き方を選びたい質だった。
一本目は胸糞悪い映画だった。連続殺人犯を追う刑事の話。追い詰められ撃たれようとしていた犯人だったが、主人公に殺されることこそが狙いだった、と。犯人の目的を達成させたくない思いと、妻を殺した犯人を生かしておけない思いの葛藤。誰も何も救いのない話だった。
二本目は味のしない映画だった。カジノに出入りする主人公がギャングと不本意に関わってしまう話。映像の緊迫感の割に情報量が非常に少なく、画角の切り替えと音楽が下手に浮いて見えてしまい集中できなかった。
三本目は覚えていなかった。手洗いに立つこともなく、相変わらず角の席に居たのだが、始まったところで一人の客が入ってきて水を差されたのだ。
暗くてよく見えていないが、男だった。スーツを着ていて、若く、細い。彼は一番前の真ん中の席に着くと、私がいることを知らないでか、膝を抱えて肩を震わせ始めた。
泣いていた、のだと思う。理由なんて知らない。知る由もない。少なくとも彼が三本目の映画だけを好き好んで来場したシネフィルにはとても思えなかった。
画面が明滅するたびに彼の背中が逆光で浮き彫りになって、スクリーンに集中できなかった。早々に三本目を諦め、手元のマシュマロを消費するのに努めた。
私は映像ではなく、彼を見ていた。最初から答え合わせをする気なしに、彼が泣いている理由を想像した。残業終わりで自分の人生のお先に絶望したか、彼女に別れを告げられたか。好んで映画を見に来ているくせして、凡庸な想像しかできなかった自分が少し嫌いになった。
しばらくして、左前の劇場の扉が開いた。知った人が入ってくるとは思うはずもなく、まさかそれが彼女だと知ったときには天地がひっくり返されたような感覚に陥った。
長年彼女と付き添ってきて、私は感覚的に彼女を見かけてもおかしくない場面と、絶対に会わないであろう場面を見分けられるようになった。
私が自分の外側に存在する物事に意識を向けているときは、決まって姿を見せなかった。
そしてそれは間違っていなかった。
彼女が私に気付いた素振りはなく、まっすぐと彼の方へ向かい、隣に腰掛ける。
最初は優しく手をつなぎ、やがて彼女は彼の頭を両腕で抱え、全身を使って抱きとめた。
最初に言っておく、私が愛している人が他の男といるからといって、身を乗り出す気は一切なかった。彼に嫉妬心はなく、彼女に裏切りの念を抱くこともない。
私は彼女の関係は社会通念で用いられる恋人や婚約者とは一切かけ離れた、概念に近い関係だった。彼女との間に信頼や情といったものはなく、彼女が私の前に二度と姿を現さないことはないと確信していた。
だから彼といることに思うことはなかった。
彼女は他の誰もいないときはもちろん、大勢の中でも隣にいてくれることもある。大勢だからこそ、彼女の存在が返って際立ち愛おしく感じられることも。
けれど今、彼と一緒にいる彼女は前者の彼女だろう。二人きりだと思っているから彼は彼女を受け入れることができている。きっと私がいると知ったら、私に認知されていると気付いたら、彼女はこの場にいられなくなってしまう。
私は息を殺して彼と彼女を視界の中心に置き、もう一つの映画のスクリーンのように捉えていた。
彼が劇場を出ていったのは、三本目の映画が終わった後のインターバル中だった。ふらついた足取りで、始終私に気付かなかった。
彼女もまた、彼のあとに続いて出ていった。このあとも一緒にいるのかはわからない。私の隣に来てくれてもよかったのだが、四本目が始まれば彼女には帰っていただくことになってしまうので、声は掛けなかった。
空港でハンバーガーを食べるシーンに腹を空かせ、私は映画館をあとにした。




