彼女に会いたいとき、悲しい音楽を聴く
彼女が部屋に来ない時期があった。
私は高校生で、まだ実家に住んでいた。
当時の私は真剣に命を絶とうとしていた。
明確な理由はなかったが、総括すれば、生きる理由が見いだせなかったからだ。楽しさや快楽をプラス、苦労や心身の傷をマイナスとして計上したとき、人生とはあまりにも損なものに私には思えた。だから死にたがった。
苦しいのは嫌で入水は除外した。首吊りも同様だが、脱力すると肛門から内臓が飛び出て掃除が面倒だという話を耳にして憚った記憶がある。楽で一瞬の択としては電車か飛び降りだったが、前者は賠償金がどうとかという話を調べるうちに識り、後者は深夜に忍び込んだショッピングモールの屋上があまりにも寒すぎて、どちらも実行には至らなかった。
結局、死ななかった。私が激情だと思っていたものは決心の一つすら実行できない陳腐なものだと思い知らされて虚しくなった。
いつもなら、そんなとき彼女がそばにいて、その感情を受け入れてくれた。
しかし、彼女は突然姿を消した。
今の私は彼女と会う方法も場所もたくさん知っている。どこか知らない遠くへ行こうと言えば来てくれるし、広いフードコートの窓際の席で待っていると彼女は遅れてやってきてくれた。歌を歌わないカラオケボックスも、深夜の高速道路も、生きていくうちに私は知っていった。
高校生の私はどれも知らなかった。普通に生きているだけでは知れないように社会が作られていたのだ。
抑圧的で限定された社会構造。年齢によって時間に制限を掛け、学生という肩書を逆手に取って自由を奪い、日陰者は訪れるべきではないという社会通念が居場所を奪った。
普通で真面目に生きた私は、学校と家庭以外の居場所を知らないまま生かされてきた。学校は想像する刑務所を思わせ、家庭以外のまともな居場所がなかったが、ついにはその家庭すら高校生の私は失った。
ある日、ふと、当たり前のように聞き入れていた親の言葉に嫌気が差した。言葉に不快感を抱き、気付けば親自身を嫌うようになった。
それからは地獄の日々だった。
階段を登る足音。スイッチの音。シャワーの音。電灯の明滅。料理の匂い。家の中で起こる何もかもに私は神経質に反応した。部屋の中に閉じこもっても落ち着かず、気を擦り減らし、眠れない夜が続いた。
特に音が私を刺激し、些細な音にほど敏感になった。ひどいときは家電の電子音ですら耐えられなくなり、空気清浄機の電源を引き千切って捨てた。
そんな私に会うのが嫌だったのだろう。気を狂わせ始めてから、彼女は部屋に来なくなった。
待てど待てど彼女は来なかった。
平静を装い、まともであろうとした。体調を戻すべく無理やり寝付こう学校から帰ってすぐに布団に潜ったが、寝れなかった。睡眠導入剤を買って帰ると母に激怒され、私は諦めた。
寝ることを。食べることを。生きることを。死ぬことも諦めたが、弱って死ねるなら一向に構わなかった。
真夜中。私は布団を頭から被って、延々動画を見続けた。短く、情報量が少ない、一瞬脳に感情の起伏を与え、三つ別のものを見たらすっかり忘れてしまう、一種の認知シャッフル。
いくつ見たかは数えていない。数えても終えることはないし、疲れるのは嫌だ。
壁に頭を預け、時折足先の上下を入れ替え、永遠とすら思える時間の中、一つの音楽の動画が流れてきた。
悲しい音楽だった。まるで今の自分のことを歌っているみたいに思えた。死にたいも生きたくないも生まれたくなかったも殺したいも、吐き出せなかった心臓の奥をすべて代わりに叫んでくれた。
涙が出た。ずっと苦しかった胸にぽっかり穴が空いた感覚があった。
聴き終えると、周りはやけに静かだった。一切雑音がしない。死んでしまったのかと被っていた布団を押し退けるとやっぱりそこは部屋の中だったが、彼女がいた。
その日から、私の日々の地獄は変わらなかった。
神経を削り、死んでしまっていいと思い続けた。
それでも死なず、今日まで生きられたのは、私が高校生にしてようやく、社会から一歩だけ道を外れることができたからだ。
彼女に会いたいとき、今でもたまに悲しい音楽を聴く。




