人見知り
彼女は酷く人見知りである。
当然だが、私が部屋にいない時間、彼女がどこでなにをしているかは知る由もない。しかし帰ると彼女はいつも部屋で待っていて、外に出て行こうとすると一緒に来ることはなかった。
それでも、何度か彼女を見ることがあった。
お互いで待ち合わせたことはなく、それは決まって偶然だった。
大学を出て、働き始めたころの話だ。
私はリユースショップの店員になり、地方のとある店舗に配属された。
休日は家族連れでの来店や不用品の大量持ち込みで忙しいこともあったが、平日は暇を持て余す日もあった。
その日は雨で一際仕事が少なかった。カウンター内には主婦と大学生とフリーターの人たちがいて、昨日買い取ったものに値札をつける作業を、今日一日かけて終わらせられるように時間をかけて貼り付けていた。
その間、私を除いた皆が手元を疎かにしながら雑談していた。
私は黙々と手を動かしていた。自分の持ち分がなくなって先輩に声を掛けると、焦げ付いて店頭に出せないでいたオーブンレンジの清掃を頼まれた。
私は必死に手を動かした。少しでも脳みそが考える余裕を減らそうとした。
彼らの会話が煩いとか、仕事が遅いとか、お客さんへの挨拶をしていないとか、是正させたいわけではなかった。
しかし私は苛立っていた。表情に出るほど激しくはなく、ふつふつと喉から泡が上がるような苛立ちだった。
何故かは言葉にできず、何かに理不尽さを感じていた。
そうして手元に視線を落として作業していると、目の前に人が立っているのに遅れて気付いた。
来店の鈴の音は聞こえなかった。それだけ集中していたのかと思うと私は悔しくなった。
顔を上げると、居たのは彼女だった。
私の視線を受け取ると、彼女はカウンターの内側に入ってきた。咄嗟に止めようとしたのは、そういう規則だからではなく、他の店員に気付かれてはいけないという思いからだった。しかし誰一人彼女に気付くことはなかった。こちらを見ているようでも、まるで視界に入っていない振る舞いをしていた。
彼女は私の隣に並び、手を重ねてきた。
そのとき、すとんと苛立ちが腑に落ちた。
彼女と一緒にいるとき、決まって私は寂しさや悲しみを抱えていた。歯の間に挟まったような小さな寂しさでも、胃に穴を開けるような思い悲しみでも、彼女は姿を見せた。
私は今、寂しいのだ。
彼らの方を見る。カウンターのブース一つ分しか離れていないのに、床に目を落とすと、そこまでの道のりは眩んだときみたいに歪んで長かった。
それが私の心象だった。苛立ちの正体は、疎外感が裏返しにされた羨望だった。
私は雑談というのが苦手だった。言葉に込められた意図を読み解こうとするばかりに、相手の軽はずみを深読みし、返答するまで遅く、見当違いばかり吐き出してしまう。
共感を求めているだけの会話に意義を見出だせず、正論を返してしまい失望される。
人より少しだけ言葉を知っているせいで、言外で補完すべき言葉の選択肢が膨大になり、逆に相手の意図が見えなくなる。
だから人と距離を置いた。彼らもそれを察して私をひとりにしてくれる。
それでも人と話したくない理由にはならないと、彼女が証明していた。
どこまで行っても隣の芝生は青かった。
最初から枯れた野の上に立ち、これ以上は色褪せることはないと安心するのはあまりにも悲しい考え方なのだろう。
青々しい芝生に踏み込めば咲いた花を見ることができるかもしれない。けれど私は躓き転んで土を抉ってしまうのを恐れた。
結局、私はその日、彼女と一緒にいた。
今でもたまに彼女は店を訪れる。




