愛しているつもりだった
彼女への愛が偽りではないかと、自分を疑ったことがある。
彼女と出会って以来、私は彼女といることを優先して生きてきた。
他の異性と浅かれど関係を築こうとしなかったのは、別に一途でありたかったからではない。彼女といる時間が私にとって最も安らげる瞬間だと信じてやまなかったからだ。
彼女以外の人と関わる時間はすべて私を疲れさせた。
だから深く関わりもせず、彼女と二人きりの日々を続けた。
特別も繰り返せば日常になる。
彼女に感じていた安心感も例外なく特別感を失っていった。部屋に一緒にいても、彼女の存在を次第に意識できなくなっていった。
悲しいことがあった日には彼女の存在を強く身に沁みて感じられたが、人との関わりを極めて少なく生きるようになると、そもそもとして激情も劣情も悲情も抱くこと自体が少なくなっていた。
大学生でゼミナールに所属したときの話だ。
サークルはもちろん、慈善団体にも自衛目的の集団にも属さなかった私だが、卒業のためにゼミナール、つまりは人員が非流動的な関係にどう足掻いても属す必要があった。
そも、私は人間関係自体を嫌っているわけではない。人間関係に伴ってくる負の感情を抱きたくないがゆえに避けているのだ。
嫌われる。怒られる。避けられる。虐められる。
そんなもの誰だって感じたくないだろう。不必要な人間関係の構築はデメリットにしかなり得ないから、必要最低限にとどめて距離を取り続けてきた。
そしてゼミナール内での人間関係は、その最低限必要なものだった。
少数で入れ替わりのない人集りの中で距離を取るとどうなるか。
孤立する。
物理的に一人であることは今までと変わりないが、孤独とはまるで別物である。
孤独に伴う静けさは静寂で、孤立に伴う静けさは沈黙だ。
静寂は心地良いが、沈黙は息が詰まる。
だから私は人間関係を築いた。
孤立して負の感情を抱かないために、最低限。
飲み会への参加はその一環のつもりだった。
総勢三十名弱。経済学部の二年と三年がおよそ半分ずつ。同じ学年同士で集まり、男女は無造作に座っていた。
そこで私は、久しぶりに味がする会話をした。
空気以外のものを吸って、水以外のものを飲んだ。
生きていくのに不要なものを取り込み、伝えるべきではないことを吐き出した。
名前。学部。取っている授業。それ以上に語るものはないと思っていたが、初めてのお酒に流された私は、話題こそ提示できなかったけれど、思い考えたことを止め処なく口にしていった。
特に、とあるの女子との会話は楽しかった。経済学部だが哲学や論理学といった文学寄りの講義を好んで履修しているという子で、私はその話し方に惹かれた。
その子は言葉選びが丁寧だった。会話を返そうとするたびに、途切れ途切れになりながら、感情を正確に言語化しようと知りうる限りの語彙を尽くして話しているようだった。
私も曖昧な言葉は避けたい性分だったので、自然と私たちの会話のペースはゆっくりになっていった。お互いが言葉を見つけ、話し終えるまで静かに待った。
あいにく何を話したかは覚えていない。
覚えているのは、良い感情で満たされた感覚だった。上手く言葉にできないが、楽しかったとか、面白かったとか、そのような感情が集まってできた精神的熱量。
またその子と話したいという願望。
マイナスの感情を回避し、プラスマイナスゼロの線上に身を置くことを常としてきた私にとって、激しいプラスの変化は初体験だった。
その後の鮮明な記憶は、家近くの通りの途中からだった。熱が冷め、感覚が具体的になっていく。
部屋に入ると彼女が待っていた。
そのときの彼女の存在感はやけに大きかった。
彼女に全身を包まれると、ドッと疲れが全身を襲った。
全身から力が抜ける。ここではそうしていいのだと彼女が教えてくれる。
私は薄れていた彼女の安心感を再認識した。
より彼女が愛おしいと思った。
この気持ちを忘れたくないと思った。
彼女をもっと強く愛したいと思った。
ふと、思う。
今までの私は本当に彼女を愛せていただろうか。
彼女は私が『唯一』愛している人で、『最も』愛している人ではなかった。
今日まで私は、私を満たしてくれる人を彼女以外に知らなかった。
それしか選択肢がなかったくせに、私が選んだつもりになっていた。
私の愛が偽りではないかと思ってしまった。
人と関わり、他を知り、その上で彼女が一番だと証明し安心したかった。
しかしそのためには、私は再びあの満足感とでも呼べよう感情を求めなければならない。
彼女を愛するために、彼女ではない人間に満たされにいかなければいけないのは、断固として納得がいかなかった。
私は、一体どうすればいいのだろうか。




