この物語を書くにあたって 上
初めて彼女と出会った日のことを思い出そうと思う。
覚えている、のではない。既に言語化されたものを排出するのではなく、記憶の中の映像と感情をこれから言葉に変換していくのだ。
きっと辛い作業になるだろう。私の性分の基盤を築き上げるに至った人生の分岐点で、古い井戸に分厚い木の板で蓋をして、重い石を乗せて長い間使わないようにしていた記憶。たまに立ち返ろうとして覗き込むと、そこにはむせ返るような酸の深い湖が広がっている。所々に浮いて見えるのは剥け落ちて溶けずに腐った私の皮膚で、水が赤黒いのはそこから流れ出た私の血が混じったからだ。
近くから、あるいは遠目からそれを見ては、鳥肌を立てて背を向けるばかりだった。一度として爪の先すら触れなかった。
だが今日は入ろうと思う。
つま先から頭の天辺まで。痛みなくして、私は彼女を語ることはできない。
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この話の終わりは中学一年生の冬になる。起点を置くとしたら、明確に感情を思い出せる限り小学校高学年のときで、私は何も持っていない子供だった。
他人の後ろを従順についていき、他人が指し示した先に向かって待っているだけの、親を安心させ、教師に気に入られるような子供だった。
自分で何一つ決めた記憶がない。四年生のクラブ活動は仲の良い友人と同じバスケットボールクラブに入り、委員会では字が綺麗だからと書記を任せられ、討論会では多数派の意見に賛同した。バスケットボールが好きか嫌いか考えなかった。ノートには綺麗な字で意味を読み込めない文字列が並んでいた。討論会での議題は思い出せなかったし、それ以降なにかクラスでの生活に変化があった記憶もなかった。
小学校の最後の二年間担任だった先生から言われた言葉を覚えている。「君はたくさん水が入る広いボウルだ」と。
要領がよく、飲み込みが早く、いつも広い視野で周りを見ている。色々なことを覚えて、幅広いことができる君は、この先うまくやっていける大人になれる。
当時の私は嬉しかったのを覚えている。
でも、先生。その後で私が器用貧乏という言葉を知ったとき、そんな自分を後押しした貴方を恨みそうになった。
非凡でありたかった。少なくともなにか一つは。人気で輝けるものでなくて構わない。地中深くででも、捨て置かれた倉庫街の陰の中ででも、尖っていられる自分が欲しかったんです。
誰かがいないと動けなくなるような自分でだけはいたくなかったんですよ、先生。
もし、そう言葉にできるようになった後で会う機会があったなら、懐かしみを込めて伝えたかった。過去の怒りではなく、感情が風化した後の事実だけを思い返した、今の私の感情を。
そうして、私は何も持たないまま中学生を迎えた。
肩書が移り変わり、年を取ったが、小学生と中学生の間に大人への階段が一段たりともあったとは思わない。子供から大人へ、白から黒へ少しずつグラデーションができているのではない。大人にならなければいけない直近の未来を見据えたとき、唐突に真っ黒のインクが空から落ちてきて白に滲むのだ。そして先に目を凝らすと、暗くて見えないと思っていたそれが黒いインクだと知る。長い時間をかけて『大人』に身体を慣らしていくのではなく、苦痛を伴って短期間で克服し、できなければ溺れる。
私が小学生と中学生に差異を認めるとするならば、害意に自覚があるかないか、たったそれだけだ。
小学生の間にもいじめは起こる。だがそれは自分が気に入らないものを遠ざけようとする防衛本能の裏返しと言っていい。暴力か、あるいは大きな声で、たとえ理不尽でも子供の考えられることではない。
だが、中学生は害意を自覚して人をいじめる。
精神がより鋭敏になり、気に入らないと知覚する範囲が広くなる。所謂パーソナルスペースというやつだ。そしてそれは大抵、暴力や大声ではどうにもできないことばかりになる。
だから考えるのだ。相手が嫌がり遠ざかっていくように、意図的に害をなそうと模索する。中学生、高校生に進むほどいじめの内容が複雑で陰湿になっていくのだろう。
何も持たない私は、中学生になっても相変わらず誰かの後ろをついて回った。ぴったりと、パーソナルスペースに図々しく踏み込んでいるとも知らずに。




