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婚約の現実3-1

〜遡る事少し前〜

アッシャー・キンレイ氏がクルーガー邸に来た翌日の朝、ダニエラ・クルーガーは自分の変な声で目が覚めた。

「ぁぁぁぁぁ!」

投獄されて「檻から出して」と叫び続ける夢を見ていたのだ。


視界に入るものがいつもと違う。

何故、天蓋付きのベッドに寝ているのかしら?


昔使っていた天蓋付きのベッドは売り払ってしまい、今は使用人のベッドを使っているはずなのに。

まだ…夢の中?


いや、違う。

起き上がってあたりを見回した。

オシャレな装飾を施された暖炉に、大きな絵画。

どの家具を見ても、オーダーメイドの高価なものである事がわかる。

そして、ナイトウェアはシルク。

なんだか急にお金持ちになったみたいだが、そんなはずはない。

室内を寝ぼけた頭で見回していると、見慣れた壁紙に少し凹んだ部分がある。

あれは、引っ越してきた当初、魔法の練習をしていて付けたものだ。


……目が覚めてきて、昨日の事を思い出した。

昨日はお母様を人質に取られて連れて行かれ、パニックになりながらもローズサファイアさんとカサブランカに行き、帰ってきたら、まるで別の家のようになっていたのだ。


自分の部屋なのに、そんな風には思えない。

狐に摘まれた気分だが、どうも現実らしい。


起き上がり、カーテンの隙間から外を見る。

日が昇る直前で、まだ薄暗いが外の景色はいつもと同じ。

お母様ご自慢の食べられる庭と、葡萄の東屋を眺めて、いつもとは違う室内で落ち着かない気持ちを鎮める。


出勤は朝早いと言われていたんだったわ。

大きく深呼吸をしてからクローゼットを開けた。

そろそろ着替えないといけない時間なので、いつもの通り国税庁の制服を着る。

今日からハートフォード公爵家に出向するらしい。


国有林を管理する公爵家でどんな仕事をするんだろう。

着替えて髪をハーフアップにする。

いつものヘアメイクはやめた方がいいわよね。

派手なメイクは自主規制するが、エラと同一人物だとバレないようにビジネスナチュラルメイクをした。


廊下に敷かれた、昨日まで無かった濃紺の絨毯の上を歩き、ダイニングへと進む。

どこを見たって、昨日までのクルーガー邸とは違う。

これって夢じゃないかしら?

夢だとしたら、これから始まることは、いい夢なのか悪い夢なのかどちらなんだろう。

望まない婚約に、部署移動。

お母様は無理やり連れて行かれたが、借金の心配や資金繰りの事は心配しなくて良くなる。


ダイニングに入ると、お茶の準備をしているご婦人がいて、こちらを見てにっこり笑った。

メイドではない様子だ。

誰だろう。

「おはようございますダニエラ様。私はアッシャーの妻のマギー・キンレイです。ダニエラ様のお輿入れまで、色々とお手伝いいたしますね」


やっぱり夢じゃないんだ。

これからどうすればいいか聞こうとした時、アッシャーさんがダイニングに入ってきた。

「おはようございます。ダニエラ様、名乗って頂かないとわからないくらい雰囲気が変わりますね」

「そうですか?元のメイクの方がよろしいでしょうか?」

「もちろんです。いつものメイクでお願いいたします。それから、お召し物は、こちらでございますよ。あまりお時間はございませんから急いでくださいね」

洋服を受け取り、急いで部屋に戻る。


「淑女は走ってはいけませんよ」

後ろからマギーさんの声が聞こる。

できる限りの早歩きで部屋まで戻り、渡された服を見て驚く。

もしかしてコレ、メイド服?

濃紺のスクエアネックでふくらはぎ中程の丈のタイトスカートのワンピースと、黒いストッキング。

メイド服なのにタイトスカートだなんて、奇抜なデザインだわ。

袖を通すと、肌触りが良い上に動きやすいし、意外に歩きやすい。

上質の生地を使っているんだ。

シルエットも綺麗で、エプロンがなければ、メイド服だとはわからない。

フリルのついた白いエプロンは汚したら困るので、馬車の中でつけよう。

ワインレッドの口紅に、長いつけまつげ。そして、オレンジの髪をカールさせる。

これでいつものダニエラの完成だ。


客観的に考えて、婚約者になるのは応急措置なんだわ。

嫁ぐ予定の公爵家のメイドになるのは、おかしい。

普通は婚約者になる時って、綺麗なドレスを着て薔薇園やガーデンオペラなんかに行って、顔合わせをし、デートを重ねていくのが普通じゃないかしら。


もう一度ダイニングに向かうと、初めて見るメイドに「ここは使用人のダイニングですからこちらへ」と今まで使っていなかった大きなダイニングルームに案内された。

何も置いてなかったメインダイニングには、長いテーブルに背もたれの高い椅子があり、お皿の上に綺麗に折り畳まれたナプキンとカトラリーが並べられている。


驚きながら椅子に座ると、ダイニングのドアが開いた。

入ってきたのはローズさんだった。

「あら、ダニエラ、おはよう」

大きな縁無しのメガネをかけ、癖の強いブラウンの髪は引っ詰めて綺麗に結い高い位置で留めてある。


「まるで別人ですね。おはようございます、ローズさん」

「おはよう、ダニエラ。新しい職場に派手なメイク?それにメイド服なの?」

すごく驚かれたが、私だっておかしいと思うわ。

でも選択肢がないから仕方がない。

「そのようです。私に選択権はありません。ローズさんこそ、100年前の女スパイみたいなダサい格好してますよ?その髪は…ウィッグですか?」

「ええ。ローズサファイアの時は、プラチナ色に染めてストーレートにしているけど、ゴルボーン家の本来の髪色と髪質はこちらなのよ」


「もしかしてわざと野暮ったくしてます?」

「そうよ。今の私を見てローズサファイアだと気がつく人はいないでしょ?」


若いメイドが運んできた朝食を食べる。

給仕してもらう経験が乏しくて、ビクッとなるがそこは耐えないといけない。

昨日までは、何もなかった屋敷内は、家具や調度品でいっぱい。

目の前にはお母様の代わりにローズさん。


これが夢じゃなくてなんなのよ。

到底現実だとは思えない。

夢ならもうちょっと私の希望に沿ってほしいわ。

早朝から派手な夜会メイクにメイド服だなんて悪趣味な夢よ。


「ところで、ローズさんは朝早過ぎませんか?」

今は6時を過ぎたところだ。

「今日は、助手が珍しい出土品を運んでくるの。その準備をしないといけないのよ」

「それは忙しいですね」

ローズさんとは長い付き合いだが、考古学者として働いているのは知らなかったし、想像すらできない職業だった。


「ダニエラ、これから一緒に住むからよろしくね」

紅茶を飲み終えて、席を立ちダイニングを後にする。

ローズさんの立ち居振る舞いって優雅だわ。

こんなにオシャレとは程遠い格好をしていても、品位が滲み出ている。


食事を終えてエントランスに向かうと、アッシャーさんが荷物を運んでいた。

馬車に積む準備をしているようだ。

「ダニエラ様」

呼ばれて振り返るとマギーさんが立っていた。

「本日から日中のクルーガー子爵家を預かりますが、メイド長と執事は今日着任予定です」

すでに違う邸宅のようになってしまったのに、更に変わってしまうかもしれないのね。


「お願いがあるのですが、前庭はお母様自慢の食べられる庭なのです。できれば変えないでくださいね。もし変えるとしても、染料の草は抜かないでください」

「かしこまりました。本日はお父様とお兄様をお呼びだてしておりますので、お早いお帰りをお待ちしております」

きっと二人は驚いて腰を抜かすかもしれないわ。

家族会議の事を想像して、もう頭痛がしてきた。


アッシャーさんと馬車に乗り、これからの仕事内容についての説明を受ける。

話し方も、いつもと同じで良いと言われたけれど、本当に大丈夫なのかしら?

ハートフォード公爵家って、メイドにどんな教育しているのか不安になるけど、私は応急措置の婚約者だから言われた通りでいるわ。

自分で言うのもなんだけど、ハートフォード公爵家で一番態度の悪いメイドになると思う。

「いいですか?素のダニエラ様を誰にも悟られないようにしてくださいね」

「わかりました」


安請け合いしたけど、どうしよう。

すごく緊張する。


まだ静かな街の景色を眺めながら、この現実をどう受け止めればいいのかと複雑な気持ちになる。

なんで婚約者の話を頑なに辞退しなかったのかしら。

昨日の私はどうかしてたのかもしれない。

後戻りできない事はわかっているが、なんとか逃げ出したい。


なんて考えていたのは束の間で、あっという間にハートフォード家についてしまった。


裏口から入ると執事のスーツを着た男性がいて、アッシャーさんと何やら話をしたあと、私の方を向いた。

「ダニエラ嬢だね。早速だけど、そこにいるフランカが教育係だ。今から一緒にセオドリック様を起こしてきてください」

私の横にフランカさんと呼ばれた女性がやってきた。


背の高い女性で、年齢は30歳前後くらいだろうか、鼻筋の通った美人で、ミルクティー色の癖毛の髪はベリーショートにしている。手には男性用のスーツを持っていた。

驚いた事に、真っ黒なピンヒールを履いている。

メイドって、ヒールのない靴を履くんじゃなかったのかしら?


「では、ついてきてください」

「はい」

フランカさんは振り返らずに話し出した。


「あなた、クルーガー子爵令嬢ね?噂は聞いていたから、いつかこの職場にスカウトされると思っていたのよ」

まさか素性がバレているなんて!

バレてまずいことはないけれど、なんだか嫌な汗が出てくる。


「氷上のドライフラワーという異名があるくらいですもの。この職場向きだわ」

どういう意味かわからない。

褒められているのかけなされているのか。

「そうですか…」

抑揚のない返事なのは同じだが、少し気の抜けた声になってしまった。


「その返答はダメ。前の職場である国税庁の時の態度のままでいてもらわないと困るわ。今のそのハリのない声なんて最低よ。気が抜けた状態みたい。もっといつも通りいてね」

キツめに注意されて「はい」としか返事できない。


「この職場はね、強い女性が求められるのよ」

強い女性って、辛抱強さが必要なのかしら?

「強さですね。かしこまりました」

国税局の時のように返事してみる。


「その素っ気ない感じ。それがこの職場に求められているのよ」

なんだか不安しか感じないので、どう返答するか迷っていたら2階の廊下の中程にあるドアの前で足を止め、強めにノックする。

中から返事が聞こえる前に、フランカさんは勢いよくドアを開けた。


「セオドリック様!早く起きてください。何時だと思ってるんですか!」

大きな声で、乱暴に捲し立てながら、スーツをベッド脇の小さなハンガーラックにかけ、カーテンを開けている。

無駄のない動きで手際がいい。


「セオドリック様!30分前にも他のメイドが参りましたが無視しましたね?起きていただけないと私達のボーナスが減給されるんですよ!」

大声で起こされたにもかかわらず、セオドリック様は、ゆっくりのんびり目を覚ます。


こんなに乱暴な物言いで起こされているのに、気にする様子はなく、のそのそと起き上がった。

「おはよう。えーっと、ライザ」

「ちがいます。フランカですよ!いい加減覚えてくださいね?」

呆れたように答えている。

未来の公爵様にすごい態度だ。


「わかってるよフランカ。ちょっとからかっただけだよ。それよりも、朝食は部屋で食べたいな」

緊張感のない話し方で、ベッドから出る様子はない。


「セオドリック様、それはできません。ちゃんと一人で着替えて、ダイニングに来てくださいね?」

大股で、廊下の方に向かったフランカさんは、立ち止まり振り返った。

「そのナイトウエア姿で下に降りてきたら、髪の毛を丸坊主にして、馬車に押し込み、社交クラブまで連れて行きますよ!」

返事は聞かずにドアを閉めて、また階段の方に向かうので、後をついていく。

脅しまでするメイドって怖い。


「アレだけ強く言っても全く効果なしなのよ」

独り言なのかなんなのか、フランカさんは呟いた。

この家でやっていける自信はゼロになった。

怖くて話しかけられないが、平静を装う。

起きてもらえなきゃ本当に全員のボーナスが減給されるのかしら?


「セオドリック様が、すぐに出かけられるように馬車を正面玄関に回しておいて」

「かしこまりました」

フランカさんはダイニングに向かい、私は馬車の格納庫に向かった。

お屋敷もお庭も広いため、格納庫までは遠い。

どんだけお金持ちなのかしら?庭木を生垣のようにカットして道を作ってある。

その奥には蔓薔薇で作ったアーチが見えるが、反対方向に厩舎があると聞いたのでそちらに向かう。


このお屋敷のメイドってみんな気が強いのかしら。

いや、気が強いのとはちょっと違う。

フランカさんだけが乱暴な物言いだとか?

私、婚約とか無理かもしれない。

国税庁での立ち居振る舞いは、プライベートを聞かれないように虚勢をはっていただけだ。

本当の私は氷上のドライフラワーなんかじゃない。

不安になりながら向かう。

男性職員もあんなに口が悪かったらどうしよう。


格納庫の横では、馬車が出発できるようにと整えている最中だった。

「すいません」

車輪を磨いている最中の男性に声をかける。

「なんだい?」

こちらを見た男性は、目が合うとニヤリと笑った。

「今日から入った子だね?馬車の準備ならもうすぐ終わるよ」

年齢は二十歳前後で、人懐っこい笑顔をしている。

よかった。普通の人だ。

でも、この人にも国税庁の時と同じ対応をしないといけないのよね。


「セオドリック様がすぐに出かけられるように馬車をお願いします」

「わかったよ」

抑揚のない声でお願いするが、気分を害することなく普通に返事をしてくれた。

本当に、この態度でいいということに驚きつつ、屋敷に戻る。


ダイニングに向かうと、フランカさんはテーブルセッティングを終えており、新聞をテーブル脇に置いているところだった。

「もうすぐこちらにいらっしゃると思いますが、セオドリック様は朝は温度を下げたお茶をお好みですから、まずお茶の準備をします」

説明を受けて驚いたが、ハートフォード公爵家では、時間や天気によって飲むお茶の銘柄が違うらしい。


お茶それぞれに、最適なお湯の温度や入れ方があるようで、それを覚えるのは大変そうだ。

準備を終えてから、壁際に立って、セオドリック様が来るのを待ったが、なかなか来ない。


そこから15分ほど皆無言で壁際に立ち、セオドリック様を待ったがやはり来ない。

すると、執事がダイニングに入ってきて、

「全てを、移動式トレーに入れてすぐに馬車に積み込んでください。急いで!」

と一声かけてからエントランスに向かっていく。

皆慌ただしく、動き出した。


フランカさんの後について厨房に入る。

「サンドウィッチの準備だ。ぼっちゃまの為にスープと、フルーツを!」

料理長が叫び、コックたちが慌ただしく準備する。


それを銀製のトレーに並べ、ティーポットなどと一緒に馬車に馬車に乗せた。

その他にも、洋服ブラシに靴用ブラシなど身だしなみ用品一式も積み込まれる。


程なくして、セオドリック様がゆっくりと歩いてきて馬車に乗ると、執事も乗り込んだ。

今から給餌をしたり、身だしなみを整えるお手伝いをするのであろう。

私達は玄関前に並んでその馬車をお見送りする。


周りが急がせないと、動けない人なんだろうか。

きっと大切な約束だろうに、のんびりしてるわね。


お見送りを終えると、それぞれが持ち場に戻っていく。

私もフランカさんについていこうとしたが、アッシャーさんに呼ばれた。

「ダニエラ嬢、君は経理見習いだ」

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