チェルシーは婚約を夢見る3-1
チェルシー・アドラーは上機嫌で鼻歌を歌いながら、古いアパルトマンの5階まで階段でのぼる。
「鍵出さなきゃ」
少し酔っているせいか、風が気持ちいい。
特別可笑しいこともないのに笑みがこぼれ、薄手のコートのポケットに手を入れた。
鍵、どこやっただろう?
見つからない。
カバンの中身を逆さまにして廊下にぶちまけ、鍵を見つけてやっと中に入った。
ベッドに倒れ込んで、それから壁の日に焼けて色が褪せてしまったポスターを眺め目を細める。
主役であるコーディ・ガルシアが踊っているポスターで1番のお気に入りだ。
配役の欄にはチェルシーの名前も出ているが端役だった。
コーディってなんでこんなにかっこいいんだろう。
あまりにも素敵でニヤけてくる。
さっき、アルバイト終わりに届いた魔法便の手紙をコートのポケットから出して読み返す。
『特別なチケットが手に入ったんだ。1週間後の7時に迎えに行く。ドレスコードがあるから、ヒールのある靴で待ってて。チェルシーへ、コーディより』
ドレスコードを指定されるなんて初めて!
どんなお店に連れて行って貰えるのかしら。きっと高級なお店よ。
薄暗い照明に、オーケストラの生演奏。
きっと周りはいいドレスを纏った貴族ばかりだわ。
1週間も前に手紙をくれるんだもの。
きっと特別なお店よ。
そんな特別なお店に二人で行くなんて!
もしかして……プロポーズ?
いつもより綺麗だって思って欲しいもの。
結婚を乞われたら、絶対に「はい」って言うの。
いい奥さんになるように努力するわ。
芝居小屋の衣装を拝借するのじゃダメね。サイズが合ってないもの。それから、念入りにメイクをしなきゃ。
そうだわ。
ローズサファイアさんの専属メイクのエラに手紙を書いてみよう。
うまく行けばメイクを教えてくれるかもしれない。
起き上がって急いで手紙を書いた。
エラのパーソナルアドレスを知らないから、『カサブランカ』宛に送る。
パーソナルアドレスを聞いておけばよかったわ。
そうしたら、相手がどこにいても現在地に魔法便が届くのに。
翌日、二日酔いで目が覚めた。
頭痛い。
よろよろと立ち上がってコップに水を注ぐ。
ふと我に帰って、頭を抱えた。
昨日、ご機嫌で帰って鞄の中身をぶちまけて、コーディからの手紙を何度も読み返しながら眠ったんだった。
昨日…酔った勢いで、エラさんに手紙を書いてしまった気がする。
そんなはずない。
気のせいよ。
水を飲み干してから、引き出しにしまってあった二日酔い用のポーションを飲み干す。
今日はウェイトレスのアルバイトの日だ。
着替えてバイト先に向かう。
沢山のバイトを掛け持ちしながら生活しているから、毎日が慌ただしい。
あっという間に時間は過ぎ、気がついたらもう翌日に迫っていた。
酔った勢いで送ったエラへの手紙のお返事は忙しいから暫くは無理だと書いてあった。当然よね。
メイクも、ドレスも自分で準備するのは当然のこと。
第一、手紙にお返事がもらえただけでも奇跡だわ。
ほとんど話した事ないのに、丁寧なお返事をくれたんだもの。
なんの準備もできずに焦りながらアルバイト先から帰る道すがらの事だった。
何故かいつもの道が通行止めで、遠回りする事になってしまったのだ。
普段歩かないバザールを抜けることにして、足を踏み入れた。
少し暗くなった通りを沢山のランタンで照らして、バザールが行われている。
夜市だ。
こんなところで夜市をやっているなんて知らなかったわ!
沢山の出店が並び、色々なお店がある。
果物の屋台に、ホットワインの屋台。
古い食器を並べた店や、民芸品。
その一角に、占い小屋があった。
東屋くらいのサイズで、紫色のパラソルの屋根に布製の衝立で仕切られているだけの簡素なものだ。
占いなんて信用しない。
だって子供の頃、『貴女は将来、大女優になるでしょう』なんて言われたけれど、場末の芝居小屋で端役をやっている。
所詮、占いなんてそんなもんだと思っていたのに、何故だか吸い込まれるように中に入ってしまった。
外から見ると小さな小屋なのに、中は入り組んでいる。
空間魔法なのかしら?
薄暗い螺旋階段を降りると、そこには顔をベールで隠した修道女がいた。
「こんばんは、可愛らしいお嬢さん」
しゃがれた修道女は水晶玉の置かれたテーブルの前座り、向かい側の椅子を指さしていた。
そのシワシワの手から、かなりの高齢であることがわかる。
「こちらにお座りなさい」
促されるまま、椅子に腰掛ける。不思議と胡散臭さは感じない。
「星の導きでここにきたのは、貴女で2人目ですよ」
大きな布を出して、水晶玉の置かれたテーブル全体を隠す。
星の導きってなんのこと?
「ここに来たということは、運命の分かれ道が迫っているということよ。貴女を護る守護星がここに導いてくれたの。ここは時空も時代も何もかもごちゃ混ぜの空間」
「はあ」
なんと答えていいかわからずに相槌をうつ。
「今の貴方に必要な物がこの箱に入っているけれど、選べる箱はどれか一つ。さあ、お好きなのを手に取って」
気がつくと、テーブルは消えていて、私と修道女の間に、大きさはそれぞれ全く違う箱が5つ並んでいた。
一番大きな箱は両手で抱えきれないくらい大きくて、一番小さい箱は手のひらサイズだ。
最初に見た水晶とテーブルはどこに消えたのかしら?
「驚いていてはダメよ。さあ直感に従って」
どうしていいかわからない私をせっついてくるので、真ん中の箱に触れた。
40センチくらいの大きさの正方形の紙製の箱だ。
「フフフ。守護星はあなたの強い願いに負けたみたい。頑張って」
少ししゃがれた声だったはずなのに、最後は澄んだ女性の声へと変わってった。
「あの!」
話しかけようとした瞬間、目の前で花火が爆発したようにチカチカと眩しくなって、何も見えない。
「目が痛いわ!」
ぎゅっと目を閉じていたけれど、暫くしてまた暗がりが戻ってきたのを感じて目をゆっくりと開く。
「あれ?」
目の前に広がるのは、お店が全部閉まった大通りで、私はその交差点に立っていた。
バザールの出口を出たところで、振り返るとすぐそこは賑わう夜市だ。
夢だったのかしら?
嫌、そんなはずない。目の前には大きな紙製の箱がある。
さっき選んだ箱だ。
この箱どうしようかしら?
開けるのが怖いから持って帰らないという選択肢もあるわね。
ここに捨てて帰る?
でも何が入っているのかしら。
箱の周りをぐるりと歩いてみたけれど、別に箱は動き出さない。
耳を澄ましてみたけれど、箱からはなんの音も聞こえない。
箱をそっと触ってみた。
暖かいわけでも冷たいわけでもないし、手が吸い付くとか魔法がかかっていそうな感じでもない。
ここは大通りだし、何かあれば大声を出して助けを呼べばいい。
意を決して箱の蓋に手をかける。
そっとゆっくり蓋を開けると、柔らかい布が見えた。衣装小屋でドレスを保管する時に使う、柔らかくて上質の布だ。
洋服類かしら?
布の折り目をそっと開くと、中からピンク色のドレスが出てきた。
手触りでシルクだとわかる。
何故これが?
箱を抱えて引き返す。
何かの間違いよ。こんな高級品タダで手に入るはずがないし、どんな怪しげな魔法がかかっているのかわからない。
鑑定魔法が使えれば調べるのに、自分で使えるのは付与魔法だけ。
バザールに戻り占い小屋を探すが見つからない。
確か民芸品のテントの側だったはずなのに。
「すいません、占い小屋この辺りにありませんでした?」
その辺の屋台の店主に聞くが、「占い小屋?知らないね」と言って、みんな首を傾げる。
「あそこだよ」
と教えてもらった占い小屋は、椅子とテーブルが置いてあり、太ったおばさんが、ハートがたくさん縫い付けてある悪趣味な服を着て、お客を待っているタロット占いのブースだった。
見つからない。
夢でも見たのかしら…違う。この箱が証拠よ。
明日、おじいちゃんのところに行こう。
いつも、付与魔法付き靴を作ったら、正しく作れているかどうか鑑定する魔道具で調べている。
その道具でこのドレスを鑑定してみよう。
大きな箱を持ってアパルトマンに戻り、ドレスがシワにならないようにハンガーに吊るす。
一見するとベビーピンクのプリンセスラインのドレスだが、違う。
まず落ち着いた赤色のタイトなドレスを着て、その上からベビーピンク色のふわふわのジョーゼットで作られたプリンセスラインの素材を羽織るんだわ。
スカート部分は幾重にも生地が重ねられ、綺麗な丸みをおびたスカートになる。
すごく手の混んだ作りだけれど、これを見ず知らずの人から貰うなんて、裏があるとしか思えない。
着てみたい気持ちが疼くが、もしも怪しげな魔法がかけられていたらどうなるか身の安全が脅かされてしまう。
色々な事を考えて眠れなかったが、お肌のだめだと考えてなんとか眠りについた。
いよいよコーディに指定された日だ。
自分の持っている靴にドレスと合うものがない事に今更気がついた。
靴をどうしよう。
それよりもまず、おじいちゃんの所に行ってこのドレスを調べてもらわなきゃ。
ドレスを昨日の箱に入れて、急いで部屋を出る。
おじいちゃんのお店で、鑑定魔道具で検査しなきゃ。
その後で靴を買いに行かなきゃ。
大きな箱を抱えて、アドラーの魔法靴屋に向かった。
お店は、いつもの通り、ショーウィンドーに並んでいる品物も含めて全く変わり映えしない。
今は朝の8時。
こんな早朝からお店を開けているところも同じだ。
ドアを押すと、来客を知らせるベルが鳴る。
「おじいちゃん?今いい?」
奥に進むと、いつもの通りおじいちゃんが修理で預かった靴を直していた。
「チェルシー、こんな朝早くからどうしたんだ。まず、お茶でも飲むか?」
大きなマグカップを出して熱いお湯を注ぎ、テーバックを入れてから手渡ししてくれた。
「ありがとう。実はね」
昨日の占い小屋の話をして、大きな箱を開ける。
「これが問題のドレスなの」
二人で箱を覗き込む。
「なんとも高そうなドレスだな。とりあえず箱に入れたまま鑑定機にかけてみよう」
おじいちゃんは大きな鑑定魔道具に箱の蓋を開けて入れる。
スイッチを推したが何も変化はない。
「箱もドレスもなんの魔法もない。もしかしたら、チェルシーは『運命を司る魔女』に出会ったのかもしれないな」
「それ、この国の建国時の話でしょ。都市伝説だわ」
『その人の運命が左右される転換点で、進む道を指し示してくれる魔女。古くは、この国の初代王妃様が湖のほとりで、運命を司る魔女に出会って大きなスタールビーのような魔法石を渡された。その魔法石の力で混沌とした戦国の世を終わらせて、このウオルコンドール国を建国した』
壁にかけた建国記念日を祝うタペストリーを眺める。