ダニエラは婚約を断れない2-1
「おかえりなさいませ、お嬢様」
普段とは違い、メイドの口調の母が出迎えてくれた。
顔には緊張と困惑が見て取れる。
「お嬢様にお客様です。サロンでお待ちでございます」
口の中で「誰?」と聞くと、「突然来たのよ。国税庁の関係者だって方が先触れもなく」と焦った様子で囁くように答えてくれた。
職場の関係者って誰かしら?
母の前では、仕事の時のそっけない様子を見せてことがないが、普段の立ち居振る舞いをディナーの時に話しているので、きっと大丈夫。
ゆっくりと息を吸って、無表情になる。
もしもの時に備えて、最低限の物は残してあった質素だが面目は保たれたサロンに入ると、グレイヘアーで品のいい紳士が窓際に立って外を眺めていた。
ウチの庭は……庭というより畑だが、今、さつまいもとキャベツの収穫期だ。
「お待たせして申し訳ありません。ダニエラでございます」
私の声で男性はこちらを向いてにっこりと微笑んだ。
「先触れもなくお伺いして申し訳ありません。こうでもしないと入れてもらえないかと思いまして」
うやうやしく礼をしてくれたが、表情からは何も読み取れない。
屋敷には絶対に誰も入れないと決めているのを知っていたから、先ぶれもなく国税庁の職員を名乗ってきたのね。
「そのような事はございませんわ。母が伏せっているので、ここでは静かに過ごしていますの。ですから何かあればお伺いいたしましたのに」
表情を変えずに答えるが、これは嘘。
外出用のドレスは春用と夏用の二着しかない。
だから軽々しくは出かけられない。
「そうでしたか。申し訳ございません」
言葉とは裏腹にあまり謝っていないかのような口調だ。
「いえ、よろしいですわ。母の様子が気になりますので、ご用件をお伺いしても?どちらの方からのご連絡でございますか?」
抑揚のない声で質問をする。
「おや!まだ名乗っておりませんでしたね、申し訳ありません」
誰がどう見たってオーダーメイドだとわかる仕立ての良い執事服の内ポケットから、真っ白な封筒を出した。
「わたくしは、ハートフォード公爵家の執事、アッシャー・キンレイでございます。アッシャーとお呼びください。こちらをダニエラ様にお渡しするようにと申しつかって参りました」
封筒を差し出されて受け取る。
この中には何が書かれているのかしら?
ハートフォード公爵家と今言ったけど…そんな由緒正しい高位貴族がなんの用だろう。
全く交流がないし、ワイナリーの取引先でもない。
ハートフォード公爵家といえば、国有林を管理する王家の血筋の高位貴族だ。
今は、国王殿下の末の妹君であるシータ王女殿下がその名を名乗られており、貴族に疎い私でも流石に知っている。
もしかして、私が勤めている輸入関税の部署と何か関係があるのかしら?
ゆっくりと封筒を開け、中の便箋を出すと、白紙だった。
揶揄われているの?
思わず取り繕った無表情が、ピクリと歪む。
「ダニエラ様、それからヒラリー様」
アッシャーはサロンの端で、メイドとして待機している母を見た。
母の正体がバレた!
冷や汗がダラダラと出てきたが、表情はかろうじて保つ。
「母は上で伏せっておりますわ」
「いえ、メイドの服装でそちらに立っていらっしゃいますのがヒラリー様ですね。全て存じております」
お母様の顔が真っ白になり、足がガクガクしているのが見て取れる。
しかし、私は毅然とした態度を続ける。
「メイドに向かって何をおっしゃいますの?」
冷や汗が背中を伝うが、もう後戻りできない。
「クルーガー子爵家をからかいにいらしたのなら、即刻お帰りくださいませ」
ソファーから立ち上がり、出口に案内しようとしたが、アッシャーさんはニコニコ笑ったまま動かない。
「わたくしは、クルーガー家の内情を暴くために参ったのではありません。王家からの依頼を持って参りました」
「…王家から?」
「さようでございます。王家は何もかも存じておりますよ?8年前に、トーマス・クルーガー様が全ての資産を持ち逃げした事や、現在のヒラリー様の事も」
「何もかも……。ご存じなんですか…」
「ええ。それを暴露しても王家には何のメリットもござまいませんので、責めているわけではございません。むしろ、8年間、よく隠し通せておりますね。その努力に大変感銘を受けております」
「は…い…」
力が抜けて、ソファーに座り込む。
お母様はブルブル震えていた。
「今からお話することは、王家からのお願いでございます。お願いですので、断ることはもちろん可能でございますが。まあお断りになられましたら…この先のクルーガー家の未来はどうなるのか、わたくしには想像もつきません」
人畜無害な笑顔を浮かべてこちらを見るが、悪魔の微笑みにしか見えない。
要件なんか聞かずに追い返せばよかった。
こんなの脅しだし、断ることなんてできない。
「わかりました。ご用件を伺いますわ」
「お話を聞いてくださるのですね?ありがとうございます」
渋々だが、相変わらずの無表情を貫く。
何も悟らせないためにはコレが一番だ。
「先ほど、王家の使いと申しましたが、ハートフォード家の執事とも伝えました。不思議だと思いませんか?」
「ええ。思いましたわ」
深入りしたくないから聞かなかったのに。
「わたくしは来週から、ハートフォード家に配属になる予定でして、執事の傍ら、怪しい人物からの接触がないかどうかを見張る事も仕事の一つとなります」
「はあ…」
相槌をうつしかない。
「今申し上げたように、怪しい人物は全て排除しなければなりません。今回、排除されることになりましたのは、嫡男であるセオドリック様の婚約者、ローレッタ・バーセック侯爵令嬢様です」
「何故、私にその話を?ローレッタ・バーセック侯爵令嬢様は、こないだ絵画の輸入関税の関係で、私達の部署で秘密裏に調査しましたけど、そのことと関係が?疑いは晴れましたわ」
「さようでございますか。それは安心いたしました。それが怪しげなパーティーの対価だったとしても、証拠はございませんから」
「貴方様は何が仰りたいのでしょうか?」
話が見えないから単刀直入に言って欲しいと思って質問をする。
「ローレッタ様は、6年前セオドリック様の婚約者に決まりました。しかし、数年前、バーセック侯爵家の資金繰りが悪化してから、不可解な行動が増えたのです。調査の結果、いかがわしいパーティーの参加や旅行などの行動履歴がわかりました」
「パーティーや旅行など、高位貴族の方なら日常茶飯事ではないですか?ですから頻繁参加していたからといって、怪しい行動だとは思いませんわ」
「その対価として高価な宝石や絵画などが贈られていることも判明したのですよ。つまり、仕事として行っていたんですよ。その結果、婚約を解消する運びとなりました」
「じゃあローレッタ様はどうなるのですか?」
「どうもなりません。ただ、王家を護る王室庁から婚約解消の手紙が送られるだけです」
「パーティーや旅行くらいで騒ぎすぎでは?根拠は、海外旅行の後に宝石や絵画を輸入しただけですわよね?」
そんなの有り余る資産を持っているご令嬢なら普通のことだと思う。
「ダニエラ様は、隣国の侯爵令嬢が起こした高級娼婦事件をご存知ありませんか?」
「申し訳ありませんが、そのような事件は聞いたことがありませんわ」
突然、話が変わって困惑する。
いきなり何の話よ。
「まあ、そうだと思います。隣国のラブラジュリ侯爵令嬢が裏社会と繋がりを持ち、武器や宝石などの密輸と、要人専用の高級娼婦派遣業を営んでいたんです」
「隣国を揺るがす事件ですわね」
抑揚のない声で相槌をうつ。
他所の国の事なんて知らないし、なんの関係があるんだろうか?
「我が国にも大きな影響がありました。娼婦として登録されていたのは、各国の貴族の娘や未亡人でしたので。残念ながら我が国の貴族の名前もあり、ローレッタ様のお名前もありました」
予想外の話に、リアクションを取りそうになるが何とか我慢する。
「では…宝石や絵画などを輸入するご令嬢を逐一報告すればよろしいのでしょうか?」
私にできることを提案してみる。
「それはもう手配済みです」
「もしかして、今から国税庁にセオドリック様が入庁されるのですか?それで私にセオドリック様を監視して、怪しい人物が近づかないか見張って欲しいというご依頼でしょうか?」
「それも違います。貴女様には、セオドリック様と一年後、結婚して頂きたいのです」
私が声を出す前に、「はぁ???」と、メイド服を着たお母様が大きな声を出した。
それからアッシャーさんの前に少し震えながらやってきた。
「ご指摘頂いたように、ウチは貧乏貴族です。支度金がありませんから嫁入り道具は持たせられません。第一、普通のドレスですら用意できませんから」
お母様はかろうじて断りの言葉を述べる。
毅然とした態度を取ろうとしているが、手は震えていた。
いつもは、どんな困難にも向かっていくパワフルなお母様だが、瞳は正気を失ったせいか、ただのガラス玉のようになり、顔色は真っ青だ。
「ご心配には及びません。金銭的な事はお気になさらず」
お母様とは対照的ににっこりと余裕の表彰を見せる。
「ダニエラはうちの資金難を補うため、働いたお金を領地経営のために提供してくれているんですよ」
「それは存じております。素晴らしいお嬢様ですね」
「ダニエラがそのような方のところに嫁ぐとなると、面白くないと思う方々が、我が家の実情をきっと暴くでしょう。それでワイナリーにも影響が出てますます窮地に陥ります」
お母様はブルブルと震えながら言った。
「そのような事は絶対にありえませんよ。クルーガー子爵家は、品位維持のためまとまった資金が譲渡されます」
「はい?」
お母様はポカンと口を開けた。
想像していなかった事を言われたからだ。
「こちらから使用人も派遣します。ハートフォード公爵家に嫁ぐとなると、王家と血縁関係になりますから。もちろん、クルーガー家の方々は社交も必要となってまいりますから、その資金もお出ししますよ」
「お金が…出るんですか?」
お母様の目はガラス玉から宝石のようにキラキラと光出し、勢いよくこちらを見た。
「お金!」
私を見る目が本気だ。
「お母様、落ち着いてください。そんなうまい話、あるはずございませんわ。どんな裏があってワタクシが選ばれたのですか?」
「それは、明かすことはできません。ですが、一つ決め手になった事があります」
「それは一体なんでしょうか?」
アッシャーさんは表情を崩さずにお母様を見た。
「トーマス・クルーガー様の事です」
「何故、我が家を窮地に追いやったトーマス叔父様が決め手なんですか?」
「トーマス・クルーガー様は、潤沢な資金を持って、娼婦と海の向こうの国に逃亡されていました。そこで、とある伯爵未亡人に結婚詐欺を働こうとして、逆に罠に嵌り」
ここで会話をやめてにっこりと笑った。
意味深な笑顔が怖くなる。
「結婚詐欺をしようとしてどうなったのですか?」
「簡単な話です。伯爵未亡人とご結婚されて、伯爵様になられたのです。ただし、貴族籍は奥様がお持ちなので、なんの権限もない上に」
ここで話を切って咳払いをするので、気になって仕方がない。
「権限がない上になんなのですか?」
「嫉妬深いご婦人によって、塔に幽閉されております」
まさかの結末だった。