ダニエラの副業
オークションから数日後、ダニエラ・クルーガーは変装をして馬車で市内を移動していた。
髪は三つ編みにして、髪にお母様お手製の洗い流せる染料を塗る。
ウチの庭で採れた、薬草でお母様が手作りしていて、髪色がダークブラウンになるのだ。
コレで目立つオレンジの髪色は封印した。
メイクは薄化粧にして、太い黒縁フレームのメガネをかける。
貴族であることを周囲には隠し、エラと名乗ってアルバイトをする日だ。
沢山のドレスやメイク道具を横に置いて、向かいに座るローズサファイアのネイルを塗っていた。
「今日のネイルはストーン2つつけて頂戴」
「わかりました」
馬車の中なのに全く揺れないのは、魔道具のおかげらしい。
まだ裕福だった子供の頃にも乗ったことがない高級馬車を所有するローズサファイアさんはかなりのお金持ちではないかと推測する。
「ねえ、あなたのお母様にお願いしておいて欲しい事があるの」
ローズサファイアさんは母の古い友人だ。
しかし、昔の話は聞いたことがないので、いつの知り合いなのか、爵位はあるのかとか細かいことは知らない。
もちろん本名も年齢も。
「なんでも伝えますよ」
「じゃあね、空いている部屋に住まわせてちょうだいって伝えて。三ヶ月後に、住んでいるアパルトマンが老朽化で解体が決まったのよ。次の所が決まるまででいいの」
「え!ローズサファイアさんがうちに越してくるんですか?」
あまりの驚きに声が裏返る。
「嫌だっていうの?冷たい子ね」
「そんな。反対しているわけでは…」
笑ってみせるが、本心では反対も反対。大反対よ!
こんな目立つ人がウチに越してきたら近所から丸わかりじゃない。
「じゃあ必ず伝えて頂戴。ああ!念の為、もうお願いの手紙は送ってあるわ」
思わずネイルがはみ出しそうになる。
「動揺したわね?フフフフ」
「違いますよ」
「エラってすぐ態度に出ちゃうのよね。わかりやすいわ」
普段、無表情で過ごしているのに、何かあったら顔に出る?いや、そんなことは無いはずよ。
ここは話を変えてこの話題から離れるしかない。
「今の話で動揺したのではなくて、心配事があるんです」
「どうしたの?珍しいわね」
「前座の歌手のチェルシーって子が先週、国税庁のアルバイトに来たんです」
「チェルシーって、不定期に呼ばれる一番手の歌手ね?マッチ棒みたいに凹凸のない体型と、さして特徴のない歌唱力の子」
散々な言われようだが、今はその事は関係ない。
「ええ。その子です。今までダニエラとして過ごす時間に会う人と、エラとして過ごす時間に会う人は全く違ったのに。同じ人と仕事をするなんて、そんな偶然今まで無かったわ」
「あなたを見て『ダニエラ』だと気がつく人はいないわ。なんのために厚化粧をして、派手な外見を保っているの?『エラ』の生活をバレないようにするためでしょ?」
この二重生活を知っているのは、ローズサファイアさんと、家族だけだ。
「相手は歌手だから、声には気をつけなさい。声でバレるからね」
指摘された内容に頷く。
「残念なお知らせだけど、今日の前座はチェルシーなのよ。なるべく姿を見せないようにね」
「わかりました」
馬車を降りて、裏口からカサブランカに入る。
ローズサファイア専用控室に入り、舞台衣装に着替えるのを手伝ってから、メイクを施して行く。
メイク台横のテーブルには今日もプレゼントでいっぱいだ。
「ねえ、エラ。このプレゼントに薬が仕込まれていたり、追跡魔法がかけられたりしていないか
確認して頂戴」
「わかりました」
沢山のプレゼントを一つずつ鑑定魔法で調べていく。
クルーガー家で受け継がれている能力は、『鑑定魔法』と『ミドリ魔法』と呼ばれている植物育成魔法。
主に植物を育てる能力で、ワイン酵母の活性に役に立つ。
どちらも特殊魔法で、習得すればできる人もいるらしいが、私は遺伝のようだ。
「いくつか、追跡魔法タグや惚れ薬が混ざっています。追跡タグを取っても、危険は排除できませんので、こちらは全部破棄。残りは大丈夫です」
ヤバいプレゼントを捨ても、かなりの量だ。
「化粧品やパヒュームは持って帰ってね。私は専属契約のメーカーの物しか使わないから。鞄や靴、スカーフなんかも好きなデザインのものがあれば持ち帰って。残りはショーハウスの従業員にあげるわ」
ローズサファイアさんはプレゼントを持ち帰らない。
自分が好んで購入したものしか使わないというのが、主義らしい。
頂き物は高級品ばかりなので、安全な不用品は私がもらい使っている。
もちろん、濃いメイクをするための化粧品も、こうやって貰ったものだ。
リクエストカードを見ながらローズサファイアさんは困った顔をしてこちらを見る。
「ねえ。今日のエラの星占い最悪でしょ!」
「星占い?そんなもの見ませんよ」
「あらそう。それなら、覚悟した方がいいわ」
数枚のリクエストカードを内容が見えるように開いて手渡してくれた。
内容を見て、顔が歪む。
今日は国税庁の査察官達が懇親会で来ているようで、数曲のリクエストが書いてある。
彼らは、隠し事を暴くプロで、変装して隠蔽をはかろうとする人を見抜くプロだ。
見つかるわけにはいかない。
「きっと支配人と一緒に楽屋に来るわよ?」
「確かにそうですね…」
想像して震えが止まらなくなる。
「今日は隠れてなさい。そうね、照明室がいいわ」
「そうします」
照明室はホールの上部だ。
非常階段を上り、ドアを開けて、機材の間を抜けて行く。大きなガラス張りの空間で、高い位置から会場全部が見渡せる。
ガラスの前には明日があり、テーブルや足元の沢山のスイッチは、音響や照明の操作に使う。
今日の照明係と音響係はそれぞれ1人。
「すいません。今日はここから見せてもらってもいいかしら?」
お願いすると、快諾してくれた。
大きなガラスから下を見る。
全席満席だ。この会場は軽く1000人は入る。
それが全て満席なのだからすごい。
舞台前のVIPエリアをじっと見ると、その中の何人かに見覚えがあるように思う。
書類を何度か持ってきた人だわ。素敵な男性だと同僚達が騒いでいたので覚えていたんだろう。
査察官はエリートだもの。
他にも見知った顔がないかじっと下を見ていた。
「ねえ、今日はこの曲をかけて欲しいの。いつもの曲じゃないから」
いきなり真後ろから話しかけられて、驚いて振り向くと、会いたくないと考えているチェルシーが立っていた。
「音響は僕だ」
焦って声が出なかったが、先に音響係が答えてくれた。
音響係は楽譜を受け取ると、大きな魔道具の中に入れる。
「曲変更は昨日までだったはずだ。うまく行く保証はないから」
ぶっきらぼうに言われて、チェルシーは苦笑いをする。
「本当にごめんなさい。急に変更をお願いして」
「わかったよ。じゃあ早く出て行って。君は出演者だろ?ここは関係者以外立ち入り禁止なんだよ」
沢山の魔道具があり、迂闊に触られて壊れてしまったり誤作動を起こしたら困るからだ。
「音響さんと間違えてごめんなさい」
申し訳なさそうに謝ってくれるが、途中で動きが止まった。
「ねえ、貴女もしかしてローズサファイアさんの付き人のエラさんよね?」
「ええそうよ」
まずい。
会いたくなかった人の一人だ。
「エラは今日、ここから見るそうだよ。ほら、チェルシーは早く控え室に行って。出番まであまり時間はないよ?」
私を庇ってくれる音響のボブは、年齢は同じくらいで、いつもフレンドリーに接してくれている。
たまにご飯に誘われるが、平民のフリをしているとはいえ、異性と二人で過ごすことに抵抗があるからお断りしている。
平民では、恋人じゃない異性と外で会うことは普通らしいが、貴族社会ではそれは禁止だ。
チェルシーは出て行かずに私の前に来た。
「あの、ローズサファイアさんの歌い方が本当に素敵でファンなんです。楽屋挨拶は禁止されているから面と向かってお会いしたことはないけど」
はにかみながら説明して、何故か私の手を両手で包み込むように握ってくる。
「是非、今の話伝えてくれない?私はチェルシー。不定期に、前座で歌わせてもらっているの」
それは知っているわ、とは口に出さずになんとか笑顔を作る。
「わかったわ。手、離してくれない?」
「あっ。ごめんなさい。つい興奮しちゃって」
チェルシーの様子を見て不穏な気配を感じる。
なんだかうっとりしてない?
もしかして、恋愛対象は女性なのかしら?
私はノーマルだから誤解されたら困る。
そういえば、大楽屋で他の演者やスタッフと恋愛話をしているのを何度か見かけたけれど、頷いているだけで自分からは話してなかった。
「ねえ、エラさん。あなた相当美人なのに何故ノーメイクなの?」
いきなり何を言い出すかと思ったら。
ダニエラじゃない日は、顔の特徴を消すようなぼやけた感じのメイクをしている。
こんなにじっと見てくるなんて、チェルシーって女の子が好きなのかも。
「メイクはちゃんとしているわ」
そっけなく答える。
「あなたメイク下手なの?勿体無いわ。わたし、人の顔は一度見たら忘れないの。どんなメイクをしていても必ず判別できるのよ。あなたみたいな整った顔なら忘れるはずないわ」
控えめだが自信はあるようだ。
これって彼女の口説き文句なのかしら?
けれど、ダニエラとして数日前に出会っているのに、そこに気がつく様子はない。
「ちゃんとメイクしたら驚くほど美人になるんでしょうね」
引き気味の私を見て、音響のボブがため息をついた。
「エラはローズサファイアさんのヘアメイク担当だよ。それに何度も言うけど出番に間に合わないよ?」
「ローズサファイアさんの、あの完璧なメイクはエラがしているの?てっきり衣装係だと思ってた」
早く行けと言われているのに無視しているのか、聞こえていないのか。
すごくマイペースだ。
「確かにヘアメイク担当よ。私は、ローズサファイアさんの指示でここにいるんだけど、貴女はそろそろ出て行った方がいいんじゃない?」
苦笑いしながら忠告してみる。
「ほんと!急がなきゃいけないのに。ごめんなさい。お邪魔をしてしまったわ。私、メイクが上手くなくて、悩んでいるの。よかったら教えてくれないかしら?今度連絡するわ」
私の返事を聞かずにいなくなってしまった。
今のは何だったのかしら?
気にしちゃ負けだから、もう何も考えない。
下にいる国税庁職員にさえ見つからなければとりあえずいいわ。
公演が終わり、お客が全部帰ったことを確認してから照明室を出る。
ショーを見にきていた国税庁の職員達に会うことなく、帰路に着くことができた。
今までも国税庁の人がVIP席で公演を見ていた事はある。
でもリクエストカードが来たのは初めてで、こんなにも自分の正体がバレる事に怯えるとは思わなかった。
今までバレるリスクが無かったから気が緩んできていたのかもしれない。
だから焦ったのかも。
これからは気を引き締めて行かなきゃ。
硬い決意をした5日後の事だった。
国税庁からの帰り道、歩いて帰るために誰にも見られないように物陰に隠れて靴を履き替えた時だった。
「そこのマントを着て、ハイヒールを脱いだお嬢さん」
わざわざ私を追いかけてきた老婆がいたのだ。
裏通りに入る時、誰にもつけられていないか、見られていないか確認したはずなのに。
こんなヘマをするなんて!
自分に腹を立てたが、声をかけた老婆に罪はない。
顔を上げて毅然とした態度、というか、ダニエラ・クルーガーのいつもの口調で返事をする。
「どう致しましたの?マダム」
振り向くと、そこに立っていたのは修道女だった。
普通の修道女と違うのは、顔をベールで完全に隠しており年齢を推測することはできない。
声を聞く限り、かなりの高齢であると思われる。
「あなたの運気が大きく変わる出来事が目の前に迫っているわ。これから、いくつもの大きな波が押し寄せるけれど、逃げてはダメよ」
何を言い出すのかと思ったら、驚いて固まる。
「あなたに押し寄せる波はあなただけの問題ではないわ。あなたの決断によっては、周りの人も大きく運命をも変えてしまう。だからこれを持っていなさい」
シワのある温かい手が右手を優しく包み込んでくる。
手の中に入っていたのは手鏡だった。
「困った時にこれを覗くと、きっと答えが見つかるわ」
老婆はそれだけを言うと、ゆっくりとした足取りで大通り方へと向かって行った。
何が起きたのか理解するのにはしばらくかかった。
追いかけようとは思わなかったが、知らない人から渡された手鏡はなんだか気味が悪い。
試しに鑑定魔法を使ってみる。
『気持ちが前向きになる鏡』初めて聞く魔法だわ。追跡魔法も、怪しげな魔法もかかっていない。きっとおまじない程度のものだろう。
自分の正体がバレたわけではないと安堵して、手鏡を眺める。
鏡の枠は木製で、花柄が描かれていた。
デザイン的には古く、昔からの魔道具だろうと想像がつく。
古い魔道具は、黒魔術の類いでない限り、大切にした方がいい。
いつもの革の鞄に入れてからアイテムボックスにしまい、靴を履き替えて、家路を急ぐ。
今日は運良く、道端にレモングラスが自生しているのを見つけたので、摘み取って帰ってきた。
乾燥させてハーブティーにしようと考えながら、屋敷の前について足を止める。
見たことのない馬車がエントランスに停まっていた。
明らかに高そうな馬車だ。
商談はワイナリーのサロンでするので、街の屋敷に来るお客様なんていない。
だってここには不治の病のお母様(本当は元気が有り余っている)がいるのたから、お客様は尋ねて来ない。
この屋敷の中は何もないのだから、絶対にお客様を招かない事にしているのに。
不審に思いながら、大きな両開きの扉を開ける。