夢を見たの?
張り詰めた緊張が緩むと、途端に眠くなってきた。
コルセットのせいであまりお腹に食べ物を入れていないのにお酒を飲んだせいかもしれない。
チェルシーを見ると、同じように眠そうでウトウトしている。
「カサブランカまで」
辻馬車に行き先を告げたところまでは記憶にあるけど、そこで意識が途切れた。
誰かに手を触れられて目を覚ます。
ストレッチャーに乗せられている?
ぼやけた視界に映るのは、見覚えのある男性とアッシャーさんだ。
眠気に勝てずにウトウトしながら周囲を見渡す。
なんだか殺風景な部屋。
体が重だるい。
なんとか手を動かそうとしたけど、拘束されていて動かない。
拘束されてる?
今は考えるのも辛いくらいに眠い。
うっすら開けた瞼が、眠気で閉じてしまうが、辛うじて意識はある。
「検査結果は?」
アッシャーさんが誰かに呼びかける。
「血中からは何も出ませんでした」
「追跡の魔力痕跡があります」
「胃の内容物からは微量な魔法薬が出ました」
アッシャーさんと、目の前の男性以外にも数人の人がいるようだ。
「出発前に帽子屋で無効薬入りのお菓子を食べてもらったのが効きましたね」
「もしもに備えて、召し上がってもらってましたが、本当にそんなに危険だったとは…」
無効薬…。
帽子屋で食べたワッフルとコーヒーは薬入りだったんだ。
毒薬を盛られた時用の無効薬が入っていたから、私達は無事だったんだ。
あれ?
もしかして、危険な場所かもしれないと思っていたってことよね?
それならそうと事前に説明して欲しかった。
だんだん頭が冴えてきたので、またうっすら目を開けるが、しばらくどんな話をするのか聞きたいから、寝てるフリを続ける事にした。
「自分の婚約者をこんな危険な目に合わせていいのですか?」
アッシャーさんの隣にいる男性が口を開く。
この人、どこかで見た事ある。
あっ!
さっき乗った辻馬車の御者だわ。
アッシャーさんが迎えを寄越してくれたんだ。
辻馬車までも、先ほどのパーティーの関係者だとしたら、本当に危険だったわ。
そこまで考えが至らなかった。
でも、それ以外でも見たことがある気がする。
どこで見たのかしら…。
えーっと、思い出した。
ハートフォード侯爵邸の執事室付きの侍従だわ。
確か、名前はイーロン。
執事室にはほとんど行かないし、そもそも何故、部屋付きの侍従がいるのか不思議だったのよ。
「申し訳なく思っているよ?見てて飽きないし、いい拾い物だしね」
アッシャーさんが答える。
「婚約者を『拾い物』って、酷い言い方をしますね?罵倒されるのがお好きなセオドリック様」
侍従の男性が答える。
もしやセオドリック様がこの部屋にいるの?
「罵倒が好きなのは影武者だけだ。アイツのせいで、変態趣味の公爵だと思っている使用人は多いだろう。幸いにも、メイド達の口が硬いから、社交界での醜聞にはなっていないけどね」
アッシャーさんが返事をする。
私が見たことあるセオドリック様は影武者なの?
本物はどこにいるのかしら?
「いつまで執事のフリを続けるのですか?」
イーロンの質問を聞いてアッシャーさんは笑い出した。
「当面は辞められない。他人になりきるのも悪くない。そのお陰で、前の婚約者であるローレッタ・バーセック侯爵令嬢の醜聞を発見できたし、自分で新しい婚約者を選べたのだから」
「確かに。あのまま結婚していたら大変でしたから、婚約者変更できたのは良かったですね。ダニエラ嬢を婚約者に据えるために、こちらも根回ししたんですよ?クルーガー子爵家の内部調査をしたり、ダニエラ嬢に来る婚約を阻止したり。外堀を埋めるのは大変だったんですからね」
「何がいいたい?」
「セオドリック様は、いつまでもアッシャーさんの姿で婚約者に接していないで、素顔で接してください。でないと、変態影武者を本物だと信じたら逃げられますよ?」
イーロンがため息を吐く。
「それは心配ない。何のためにクルーガー子爵家に多額の資金援助をしたと思ってるんだ?」
「逃げられないためですかね?」
呆れた声でイーロンが答える。
「わかってるじゃないか。よく働いてくれるから手駒としてはピッタリだ」
「そんな酷い事、婚約者に言ったら確実に嫌われますよ」
「嫌われないようにするよ。だって」
アッシャーさんの話を遮るように、バタバタと足音がして、「報告です」と聞こえた。
「チェルシー嬢の薬が切れそうです」
女性の声だ。
「ということは、ダニエラ城の薬も切れそうなのか。まだ検査は終わっていないから、2人に薬の追加を」
アッシャーさんの声と共に、また強い眠気に襲われた。
私の事についての話…だって、の続きが気になる……。
「お目覚めですか?」
にっこり笑うアッシャーさんを見て冷静になる。
古めかしい壁紙に、決して豪華ではない古臭いだけの家具。
掃除すらちゃんとされてなさそうな室内だ。
先ほど見た真っ白な無機質な部屋とは違う。
という事は先ほどのは夢?
無言で辺りを見回す。
「おわかりになりませんか?ここは医療院ですよ」
「全くわからないわ。古臭いだけの家よね。そういえばチェルシーは?」
「チェルシーさんもいらっしゃいますよ。ほら、奥のベッドに」
アッシャーさんの視線を追うと、部屋の隅に診察用のベッドが数個並んでおり、その一つにチェルシーが寝かされていた。
確かによく見ると治療院だ。
薬草棚に、人体模型、それから診察台。
「お二人を危険な目に遭わせて申し訳ありませんでした。変な魔法薬を飲まされなかったかの健康チェックと、変な魔道具を付けられていないか検査いたします」
「変な魔道具?」
「追跡用の魔道具を着けられていたら、今後の生活が危なくなります。精巧な魔道具の場合は1センチくらいのサイズですから、ドレスに着けることもできますしね」
「初めて会った私達にそんなもの装着しますかね?小さな魔道具でも高価なものでしょ?」
「知識のある方であれば、追跡魔道具を安価で作れますよ。効果は1時間ほどで切れてしまいますがね」
やっぱりさっきのは夢だったのね。
目の前にいるのが執事に変装したセオドリック様だなんて、そんな事あるはずないもの。
「そのようなものがあるのですか。存じ上げませんでした…って、もしもその魔道具を着けられていたら何処にいるのか特定されてしまっているということですよね」
「さようでございます」
「私達はカサブランカからここに連れてこられたのですよね?それってカサブランカがバレているんじゃないですか?」
「大丈夫でございますよ。ちゃんと手は打ちましたので」
「???というと?」
「お二人にゆっくりおやすみ頂きまして、こちらにいらっしゃっていただいたのです」
「おやすみ頂いた後って…疲れて眠ったのでは無く魔法で眠らされたの?」
「お言葉が過ぎます。おやすみ頂いただけでございます」
「聞くのが怖いですが…どうやって?」
「辻馬車の御者は、こちらの機関の者です。何処の所属かはきかないほうがよろしいかと思いますが、乗車の際に」
「わかった!手を貸してくれた時ね」
「違います」
「じゃあ、庫内に睡眠ガスを充満させた?でも、窓は半開きだし」
「答えはご自身でお考えください。とにかく、追跡されないように、王都の貴族街を周回しました。念には念を入れて、ですよ」
色々と考えてみるが、皆目見当がつかない。
「全くわからないわ」
「かしこまりました。では、あまり時間もないので、チェルシー様を起こしてください。お二人とも検査いたしましょう。これは、深い眠りでも目が覚める薬です」
渡されたのはショットグラスに少量入れられた緑色の液体だった。
「疑わしい顔をしないでください。ただ単に苦いだけのものです。何なら舐めてみてください」
同じものが少しだけ入ったショットグラを渡される。
一口分もない。
本当に味見程度だわ。
疑いながらも勢いよく飲み込む。
「苦い!!苦いなんてもんじゃないわ!口が痺れるか曲がるかしそう」
「オレンジジュースで中和できますよ」
差し出されたコップを受け取り、一気に飲み干す。
「もう平気でしょう?これが魔法チェック薬です。今ので無効化できました。では、チェルシー様を起こしてください」
この不味い液体は、見たところ口いっぱいに含む分入っていた。
ごめんね、口に入れるのを許してね。
王子様からの口付けだったらどんなに幸せな目覚めかしら。
チェルシーの口に液体を流し込む。
途端に大きく目を開いてチェルシーがガバッと起き上がった。
「まっずーーーーい!!」
大きな声が、小さな診療所に響き渡る。
チェルシーに差し出した1リットルのオレンジジースはあっという間に無くなった。
「お目覚めですか?」
アッシャーさんはチェルシーに話しかけて、検査を行うことを伝える。
私達は説明の後、イヤリングと魔法石のネックレスを外し、奥の部屋へと進む。
室内は狭いが、透明なカーテンで仕切られていて、カーテンの向こうには椅子が置いてあった。
『魔道具の存在鑑定をいたします。お手元の魔道具は全部無効化いたしますので、装着している魔道具を外して、足元の箱にお入れください』
私達は急いで靴を脱いで、箱に入れた。
『1人ずつの検査となります。エラ様からです。奥の椅子に腰掛け、大きく息を吸って。鑑定いたします。眩しくなります。目を閉じてください』
魔道具の無機質な声が室内に響いた後、暗くなったので目を閉じたが、何が起きるのか知りたくて薄目を開ける。
室内が青白い光で満たされたと思ったら、いろんな方向から光があてられた。
『終了まで3秒、2秒』
プシューという音がして光が消え、ドアが開く。
明るい室内へと進むと、扉が閉まった。
「お疲れ様です」
作業用ゴーグルをかけて、白衣を着た背の小さい女性が駆け寄ってきた。
「私はシルヴィです。鑑定結果ですが、髪の毛と、ドレスに追跡魔道具が着けられていますね。取りますから動かないでください」
まさか魔道具を付けられているなんて思っていなかった。
「鑑定魔法って、『ここに魔道具があるぞ』ってわかるけど、何処にくっついているのかまではわかりませんよね」
シルヴィは話しながら、そっと魔道具を外してくれた。
「これで大丈夫です。ついでに『魅了』などの魔法がかけられていないか調べましたが大丈夫でした」
「私もチェルシーも?」
「はい。かけようとした痕跡は見られましたが、大丈夫のようでしたよ?早くこの魔道具を分析してみなきゃ」
急いで分析室に戻っていくシルヴィをポカンと眺める。
「何事も無くて安堵いたしました。こんなに危険な会場だとは知らずに申し訳ありませんでした」
アッシャーさんはすごく申し訳なさそうだ。
「…今までチェルシーが気が付かなかっただけで、危険な場面に遭遇していた可能性があるって事?」
「可能性はありますが、コーディ様自身が危険と隣り合わせであると気がついていない可能性が高いですね」
「やっぱり。チェルシーに対しての態度が最低だからコーディは助けるつもりはないけど、チェルシーは危険から遠ざけたいわ」
数少ない友達だもの。
安全くらい提供したい。
「それに、コレからもチェルシーを危険に巻き込む可能性があるなら、それ相応の保証なり手当を出してください」
私は、実家に莫大な資金を投じてもらったから断れないけど、チェルシーは違うもの。
「かしこまりました。準備が整い次第、実行いたします」
「お願いします」
「そろそろチェルシー様の検査が終わりますよ」
案の定チェルシーにも追跡魔道具が付いていた。
アッシャーさんは私とチェルシーをサロンに案内してくれた。
そして、改めてチェルシーに謝ってくれたのだ。
「お二人を危険な目に合わせてしまい、申し訳ございませんでした。それもこれも、安易にお願いした私共の落ち度です」
「そんな!気にしないでください。元々、はコーディ・ガルシア子爵令息から依頼された仕事です。こんな危険にエラを巻き込んで申し訳なく思っています」
チェルシーの声が少し震えている。本心から悪いと思っているのだろう。
「しかも、依頼された赤毛の男性は見つけられなかったんです」
平謝りに謝るチェルシーを見て、胸が痛む。
悪いのはチェルシーじゃない。
目立つ格好で参加させたアッシャーさんだ。
「そんな!チェルシー様が謝る必要はございません。迷惑料として、報酬は弾ませて頂きます。それよりも」
アッシャーさんが言葉を切った。
嫌な予感しかしない。
「チェルシー様は劇団での俳優業と、カサブランカでの歌手業を行っていると伺いました」
「ええ。そうです。どちらも月に数回ですけど」
「私共にささやかな金額ではございますが、劇団のパトロンをやらせて頂けませんか?その代わり、公演と稽古のない日の日程は、私共の仕事のお手伝いをして頂けないでしょうか?」
「パトロンですか?本当に?」
声が上擦っている。
本当に嬉しいんだわ。
でも、この取引、絶対に裏がある。
「当然でございます。明日にでも、劇団の責任者に会わせて頂きたいです」
「嬉しい!でも、それ以外の日は何をすれば?」
「簡単なお仕事ですよ。エラ様にもお願いすることが増えるでしょう」
簡単な仕事をアッシャーさんがお願いするとは思えない。
それに、ハートフォード邸のメイド以外にも働かせようなんて、ブラック雇い主だわ。
「おや?エラ様、震えていますね。チェルシー様と働けて嬉しいんですか?」
この腹黒!
と思ったけど、チェルシーの手前笑うしかなかった。
パーティー、初めは楽しかったのになぁ。