ダニエラはどんどん深みにハマる3-3
朝、チェルシーに手紙を送った後は気持ちがザワザワしたままメイドの仕事をした。
その後、一旦クルーガー邸に戻り、エラの格好をする。
あまり気が進まない。
チェルシーを危険に巻き込んでしまうかもしれない。
でも、これってそもそもコーディが持ってきた仕事なのよね。
という事は今までチェルシーは知らないうちに危険に巻き込まれていた可能性があるって事?
チェルシーのところに向かうためにアッシャーさんと馬車に乗る。
「あの、疑問に思ったのですが。コーディ・ガルシア子爵令息の周りには怪しい人が多いんでしょうか?」
思い切ってアッシャーさんに聞いてみる。
「私の業務内容では、そうとも違うとも申せません。チェルシーさんに出席を依頼したガルシア子爵令息も何も知らないかもしれませんし、全て知っているのかもしれません。そちらはわかりかねます」
「そうですか……」
「裏事情は抜きにして、お二人はただパーティを楽しんでください。それから、チェルシーさんに説明する内容につきましては、口を挟まないでくださいね」
「わかりました」
もうなるようにしかならない。
足掻いたとて、何も変わらないわ。
権力には逆らってはダメなのはよくわかっている。
「貴女様は今後もエラとして活動していただく事になるでしょう。という事で、エラの身分証を作っておきました」
渡されたのは市民証で、そこには『エラ・ライト』と書かれていた。
「偽名ですから、特に意味はありませんが、これからたまにお仕事を依頼させていただく事になるでしょう」
もう、カゴの鳥だ。
覚悟を決めないといけない。
しばらくしてサカブランカの前に到着すると、既にチェルシーが待っていたので、馬車に招き入れる。
「こんな豪華な馬車、乗った事ないわ」
あまりにも場違いすぎて居心地が悪そうだ。
少し、オドオドしながら私の横に座る。
不安で一人で座りたくなかったのだろう。
「あの…この状況って?」
耳打ちするようにチェルシーが囁くが、アッシャーさんには全部聞こえているようだ。
「この馬車は、ローズサファイア様のパトロンである、とある貴族の馬車の室内でございます。どうぞおくつろぎくださいませ」
そんな事言われたって、貴族の邸宅でのメイド経験があるならまだしも、こんな空間に足を踏み入れたことのない人なら誰だって恐縮するだろう。
馬車の中なのに、全く揺れず、豪華なテーブルに座るのに勇気が必要な豪華なソファー。
床は手織りの絨毯が敷かれており、角には大きなフラワーアレンジメントが置かれている。
外から見ると小さな窓も、室内からは大パノラマで見晴らしがいい。
少し震えているチェルシーにたいして、アッシャーさんは紅茶を入れてフィナンシェを出してくれた。
私の紅茶は新しいものに変えてくれる気遣いも忘れない。
ティーカップ1つがきっと庶民の年収くらいなのだろう。
「そんなに緊張なさらずお召し上がりください。こちらには私達しかおりませんから、どうぞお寛ぎくださいませ」
庶民にも丁寧な態度を崩さないアッシャーさんが、逆に怖い。
どんな無理難題を言われるのか不安でたまらないようだ。
私が紅茶を飲むとチェルシーが驚いた顔をする。
「このカップがいくらするのか怖くて待つことすら出来ないのよ。手に取る勇気があるなんて凄いわね」
「落とさない限り大丈夫よ。持ったからといってお金を請求されるわけじゃないわ」
「そうだけど…。メイドの仕事って、これを洗ったり片付けたりするのよね。でも、私はおっちょこちょいだから、縁遠い仕事なの」
そう言いながら、カップを手に取りゆっくりと口元に持っていき、驚いた顔をする。
「すごくいい匂い!普段の紅茶と全くわ」
ゆっくりと一口飲み、驚いている様子をアッシャーさんは笑顔で眺めている。
「お気に召していただけましたか?こちらは、ローズサファイアさんが普段飲んでいる茶葉でございます。実はお願いがございまして。これは内密なお話なのですが」
ここからどのような話をするのか私も知らない。
「実は、ローズサファイア様のパトロン様と親交の深い貴族のお嬢様にお見合い話が持ち上がっているのです。その素行調査の最中でして。お相手の方が今回、こちらのパーティーに出席予定だそうなのです」
アッシャーさんは名乗らないどころか、身分なども明かさずに話を始めた。
「しかし、その貴族のお知り合いにパーティーに出席予定の方はいらっしゃらず。主催者にコネもないので、招待を受けることもできずに悩んでいたそうで、こちらにも招待状は手配できないかと相談を受けておりました」
私達は頷きながら聞いていた。
「そんな時、エラさんがローズサファイアさんに
お休みの相談とドレスのレンタルをお願いしていると伺いまして。理由をお伺いしたのです」
「エラ、そんなに私に協力してくれようとしたのね」
チェルシーは申し訳なさそうにこちらを見る。
「エラさんのお休みの理由は、なんとしても内情を知りたいパーティーへの出席だと聞きましてね。こちらとしましては、誰かにパーティーに出席して、状況を教えて欲しかったのです」
「はぁ」
わけがわからない理由に相槌を打つ。
「その役割を、エラさんとチェルシーさんにお願いできますか?勿論、ドレスなどはこちらで用意致しますし、調査料もお支払いいたします」
「えっ?調査料を頂けるんですか?」
チェルシーは驚いてカップから紅茶を溢しそうになる。
「はい。お受け頂けますか?」
「よっ、喜んで!」
「依頼内容は、参加者の中に、身長190センチで赤毛で眼鏡をかけた男性が、他の女性を同伴していないか。浮気しそうになっていないか、の調査です。男性の名前はカル」
「カルさん、ですね?」
「素行調査されている事を気づかれてはいけませんし、相手に接触してハニートラップを仕掛けることも禁止です」
「ハニートラップって!!ベッドに誘うってこと?ないない。絶対に無いわ」
顔を真っ赤にしてチェルシーが否定する。
ベッドに誘う事を想像したみたいで、恥ずかしそうに顔を覆っている。
「ありがとうございます。素行調査を依頼しますと、あらぬ誤解をする方もいらっしゃるので全うに受けてくださり感謝します」
「では、今回の服装や髪型などはこちらで決めさせて頂きます。ところで、お二人はチームで働くそうですが、お互いにパートナーであるという事業の契約書は交わしましたか?」
まさかの質問に驚く。
「私はたまにチェルシーを手伝う事にしただけなので契約書までは…」
アッシャーさんの意図がわからずにアタフタしてしまう。
このお仕事に深入りするつもりはないのに、なんで焚き付けるような事を言うのよ。
「では、お二人は正式な誓約書を交わして、こちらに控えをください。依頼者は貴族の方ですので、なんでも正式な手順を踏んでください」
「そっそうですよね」
アタフタするチェルシーが可哀想だ。
私とアッシャーさんは真実を知っているけれど、チェルシーだけが知らずに踊らされている。
「控えを頂いた後、こちらとも契約書を交わして頂きます。そうしますと、報酬はこちらです」
見せられた紙には、30万セプトと書かれていた。
パン屋さんの時給が1000セプトなのに、一度パーティーに出るだけでこの値段?
「わかりました。今から契約書を交わしますが…初めての事なのでどうしたらいいか」
チェルシーは金額に舞い上がってしまったようだ。
「ではお二人の意見を聞きながら、この場で作成いたしましょう」
アッシャーさんが指を鳴らすと、紙とペンが目の前に出てきた。
「お二人の立場は対等で、お仕事は二人で話し合って決めるのですか?」
「そうよ。エラとはまだ仲良くなって一ヶ月だけど、色々と器用ですごいと思うの。だから私一人で仕事は決めないわ」
「どの仕事を受けるか決めたら、今後はちゃんと契約書を交わしてから受けるのがいいでしょう。依頼しておいて、お金を払わないケースもあるとたまに聞きますので」
「確かにタダ働きは嫌だからそうするわ」
「では、現在、お店の名前はお持ちですか?」
「ええ。『チェルシーとエラ』よ」
「それを全てこちらの書類に書き起こしました。ちなみに、もしも今後仕事でトラブルが起きた時の為に、どこかに所属しておいた方がいいと思いますが」
「誰かと雇用契約を結ぶって事?」
「違います。顧問契約ですよ?チェルシーさん」
「顧問契約料は発生するの?」
ここからは、チェルシーでは知識がないだろうから口出しする。
「今後も同様の依頼をお願いする可能性が高いので、私どもの依頼を第一に受けてくださるなら、発生致しません。トラブルは全て解決しますので」
痛いところを突かれた。
でも、これでチェルシーがコーディに結ばされた一方的な契約を破棄できる。
「危険は無さそうだし、いい話だわ。しかもエラの雇い主の知り合いなんでしょ?」
「そうね。相手はしっかりした方よ。でもちゃんと考えないと」
無邪気に笑うチェルシーを見て、私も笑ってみせる。
アッシャーさんに踊らされているけど、指摘事項に反論できない。
「では、こちらがお二人の意見を総合して作成いたしました契約書でございます。もしも追加点があれば書き加えますが?」
上質な紙に、魔法インクで書かれた契約書を見せられて、チェルシーはウキウキして、出されたペンを取ると署名した。
チェルシーの名前がキラキラと光る。
「エラさんはいかが致しますか?」
「私も署名します」
文面を読むと、顧問の名前がアッシャー・キンレイさんになっていた。
弁護士欄もあり、知らない名前が記載されている。
念には念を入れたのであろうが、キンレイ子爵家に文句を言える貴族は…数少ないだろう。
私もその一人だ。
深呼吸をして、エラ・ライトと書くと、文字が光り、複製が4枚作られた。
「この一枚を顧問に送りますね。続いて、今回の契約書を作成いたしましょう」
それから数分で今回のパーティー出席のための契約書を交わした。
大きな掌の上で踊らされている気分だ。