チームを組む
チェルシーの気持ちはどん底だ。
コーディが他の女性と婚約した。
今は何もしたくないし、考えたくない。
世界は真っ暗で、この世の終わりのようだ。
私の気持ちを知っていたはずなのに、何も知らなかったような顔をして報告してきたのだ。
その後の二人で食べたディナーは何の味もしなかった。
その時は、何も言えずに明るく振る舞ったけど、本当は泣きたかった。
『私の気持ちを知ってるでしょ?』って言えればいいのに、『だから何?』と切り返されると、黙るしかなくなると思って言い出せなかったのだ。
だって、手を握られた事もキスをされた事もない。
ただ、二人で何度もご飯を食べに行ってただけ。
定期的に二人で食事をするのはプラトニックな愛情表現だと思っていたし、なりすまし屋の仕事を沢山紹介してくれるのも私のためなのだと思っていた。
事実は残酷だ。
独りよがりの妄想だとわかった瞬間でも、ただ笑って事実を受け止めるだけ。
私は勝手に期待して、勝手に自滅した。
自分の馬鹿さ加減に呆れる。
コーディの事は考えたくないのに、彼の顔が頭から離れない。
だから、会う勇気がない。
でも、3日後のコーディからのなりすまし屋のオファーを断る事もできない。
……お金も必要だし。
私はまた何事もなかったような顔をして、いつものように、おどけた道化師のように振る舞うのかしら。
ハンガーに吊るしてあるドレスを眺める。
結婚を申し込まれると思って着飾って出かけたのに、他の女性と婚約していることをサラリと言われた最低な夜に着ていたドレス。
しかも、高級レストランに連れて行かれると思ったのに、向かった先はドラッグクイーンのお店。
ドレスに罪はない。
ため息を吐き、落ち込みながら出かける準備をした。
今から、歌劇団の時の友人とご飯に行くのだ。
玄関の鍵を掛け、歩いて20分のカフェに向かう。
繁華街は日中でも混んでいて活気がある。
普段は気にも留めないけど、何故だかカップルばかりが視界に入ってしまい、今は人の幸せを直視できずに、視線を落として早足で目的地まで向かった。
指定されたお店は、女性客が多い明るいお店だった。
店内では友人が先に待っていてくれたのだ。
「チェルシー久しぶり」
「セシル、元気だった?」
「ええ。仕事は大変だけど、元気に過ごしているわ」
セシルは、歌劇団の衣装担当だった。
今は、小さいけど自分の洋服店を営んでいる。
「チェルシー、まだその服着てるの?かなり前に一緒に買った服じゃない」
「服にかけるお金がないのよ」
「それって、コーディとご飯に行っていたからでしょ?手紙に書いてあったことは本当なの?コーディが貴族令嬢と婚約したって」
「うん。本人の口から聞いたの」
ランチを2つ注文して、食べながら話をする。
「あの男、本当に嫌な奴ね。チェルシーの気持ちを弄んで」
セシルは勢いよく、チキンにフォークを刺した。
まるで憎しみがこもっているようだ。
「弄んだなんて…私達何もなかったもの」
「それは知ってる」
にっこり笑うが目は怒っている。
「ずっと前、チェルシーが『貴方が好き』って、衣装部屋でコーディに告白したでしょ?あの声、外に聞こえていたの」
思わずジュースを吐きそうになるが、なんとか飲み込む。
「ほら、衣装部屋の壁、ペラペラだったから。板一枚だったし。でね、偶然、壁の補強の作業をしている時だったの。チェルシーが告白したのが」
「じゃあ、歌劇団のみんなは知ってたの?」
「まあ、あの告白を聞いていたのは10人くらい。端役と、大道具と、わたし」
つまり、劇団員の3分の1が直接聞いてたのね。
今更知る事実に恥ずかしくて、どこかに隠れたい。
「あの男、思わせぶりだったじゃない?しかも、チェルシーが告白した後も、二人でご飯に行ったりとかね」
「うん。ご飯だけしか行かなかったけど」
「チェルシーが知らないだけで、パン屋の女の子や、雑貨店の子を誘ったりもしてたけど、みんなチェルシーの気持ちを知っていたから。誰も誘いには乗らなかったのよ」
びっくりして咽せる。
「みんな?」
「ええ。あの告白を10人が聞いていたから、色々な人に言っちゃうわよね。結果、劇団員が行きつけのお店の店員はみんな知ってたわよ」
セシルは怒りながらフォークの先をクルクル回す。
「アイツ、貴族の息子のくせに、チェルシーが多く払ってたんでしょ?」
「そこまで知ってるの?」
「あんた達が行きつけのバルのウェイトレスに聞いたの」
セシルの怒りはおさまらないようだ。
「でも、あの頃はみんなお金がなかったし、コーディはお給料をレッスンに注ぎ込んでたしね。多く払っていたのは、コーディに成功して欲しかったからなのよ。だから怒らないで」
「イラついてるのは、多く払う事じゃなくて、コーディが貴族だって事よ」
確か、コーディは皆に内緒にしてたはず。
「何で知ってるの?いつから知ってたの?」
「数年前。歌劇団がなくなってからね。私のお店に来るお客様で、カフェの経営者とかいないか?って訪ねてきたもの。いたら是非紹介してほしいってさ。ガラス製品の営業よ」
「そうなんだ。わざわざお店まで会いにきたの?」
「そう。突然でびっくりしたわ。その時、偶然、バルのリニューアルを考えている人がお店のエプロンを新調したいって店に来ていてね。コーディの話を聞いてグラスを沢山買ってくれたの」
「へえ、そんなことがあったんだ」
「そうしたら、店の雰囲気には合わないガラスの仰々しい花瓶を持ってきたわけ。要らないって断ったら、ガラス製の万年筆をくれたわ。どっちも、ガルシアガラス工房の粗品なんだって」
「粗品、くれたの?その万年筆って、ガラス製の?」
「そうそう。ピンク色で可愛いのよね。粗品だから、どこにでも配ってるんでしょうけど」
私は粗品を貰って、特別なプレゼントだと喜んでいたんだ。
落ち込んだ気持ちに追い打ちをかける事実だった。
これは口に出せない。
「いい?相手はお貴族様なの。好きになっちゃいけない相手だったのよ。だから、もう忘れましょう?」
「……そうね。もう会わないわ」
仕事以外にはね。
3日後に会わなければいけないのは、言い出せなくて相槌を打つ。
フラフラとカフェを出た。
すぐに帰りたくなくて、フラフラとバザールを歩く。
魚屋を見たり、八百屋を覗いたりして、それから野良猫にソーセージのカケラをあげた。
どん底の気持ちだったのに、底がない崖に突き落とされたみたい。
どこまで落ちればいいの?
アパルトマンに戻って、キッチンの戸棚を漁る。
安いワインを出して、マグカップに注ぎ、煽るように飲んだ。
壁際のドレスも宝箱の万年筆ももう見たくない。
じっと眺めていて、急に大切な事を思い出した。
急いで魔法便を送る。
エラから借りた、ローズサファイアさんのコートとクラッチを返していない。
しばらくすると、エラから返事が来た。
この近くにいるから今から取りにきてもいいかと書いてある。
今日を逃すと、次はカサブランカで返却してもらうことになると書いてあった。
勝手にコートとクラッチを借りたのだから、ローズサファイアさん本人がいるところに返しに行くのは気まずい。
家で待っていると返事を出して、マグカップのワインを急いで飲み干し、洗って片付ける。
散らかっていたワインボトルをリサイクルの籠に入れて、やけ食いするために、いっぱい作ったポトフの鍋に蓋をして、魔道具である食料保管庫に入れた。
この陰気な空気を外に出すために窓を全開にして、新鮮な空気の匂いを嗅いだ。
秋の匂いがうっすらと感じられる。
その時、ノックの音がした。
「どうぞ、入って」
「突然来て、迷惑じゃなかった?」
「全然。返すのを忘れていたのは私だから」
エラは壁には沢山のポスターを珍しそうに眺めている。
「歌劇団ナルコス?メインで写っているのはコーディ?」
書いてある劇団名と、配役の名前を読む。
「そう。私とコーディが所属していた劇団なの。今は解散したけどね。コーディかっこいいでしょ?」
「で。結婚は申し込まれたの?」
思わず涙が出そうになり、我慢して平静を装うが、声が震える。
ワインのせいかもしれない。
「どうしたの?」
「コーディがね、他の女の人と婚約しちゃったの」
「大丈夫?ご飯は食べれてる?ねえ、これ一緒に食べない?」
紙袋をテーブルの上に置いてくれた。
心配してくれているんだろうけど……やけ食いの準備をしていたので、ポトフの鍋を入れた食糧保管庫をチラッと眺める。
「ご飯は沢山、食べているわ」
「そうかもしれないけど。カサブランカの従業員や出演者達はね、失恋した時は、時間が許す限りお喋りして、それで忘れるのよ?」
「うん。ありがとう。もしよかったら、話を聞いてくれる?」
「勿論よ」
「じゃあ、これを食べながらでもいい?」
食糧保管庫から大鍋を出す。
魔道具である保管庫は入れたままの状態を維持してくれるので、丁度いい温度のままだった。
「それ、作ったの?」
「ええ。…やけ食いしようと思って」
「ダメ。やけ食いしたって、きっと気分は変わらないわ。それどころかもっと落ち込むかもしれないわ」
「……そうね。ちょとやめとく。じゃあワインでも?」
「いいわね」
グラスを出してワインを注ぐ。
またぐいっと飲んで、深呼吸をした。
「何があったか教えてくれない?」
「コーディの婚約者って、貴族女性なんだって。家の発展のために婚約したっていうけどね、相手は18歳なのよ?」
「その年齢なら、貴族学校卒業してすぐよ?しかも家のために婚約?高位貴族くらいしかそんな事考えないのに。おかしいわね」
「でしょ?ってか何でいろいろ知ってるの?」
「細かいことはいいじゃない」
何だか貴族に対して詳しいけど、カサブランカって貴族も沢山来るからかもしれない。
「そう?この前エラにヘアメイクをしてもらった時はね、ドレスコードがあるお店に行くからって誘われたの。行ったのは、ドラッグクイーンの経営するお店だったよ!しかもシャンデリアの商談を兼ねて」
「商談のためにお店に行くなら一人で行けばいいのに。そんな意味深な誘い方して酷いわ。コーディって、女性の扱いがうまかったの?」
「ええ。多分」
歌劇団の時、よくファンからのプライベートなお誘いを受けていたけど、一度も乗らなかった話や、プレゼントは送り返していた事を話した。
「ローズサファイアさんは、プレゼントは基本的に全部鑑定をかけて、怪しい魔法や薬のない大丈夫な物だけ、私やスタッフに配って自分では使わないわ。お誘いも受けないの」
「何故?」
「ファンの場合、相手の人となりがわからないから、どんな行動を取るか分からないでしょう?いきなり、二人きりのの部屋に軟禁されたりするかもしれないし、誰もいない貸切レストランに行くかもしれない」
「それがダメなの?」
「相手が貴族でこちらが平民なら、相手が故意にしたことでも『狼藉を働いた』と言われて、罰を受けるかもしれないし。貴族同士なら、結婚しなきゃいけないわね」
「は?何それ」
「二人きりの空間はヤバいの。例外は、使用人と二人きりになる場合。メイドなら、雇い主の男性の部屋に入るでしょう?仕事だもの」
「…使用人?それって、雇用関係も含まれる?」
「そうね」
「雇用関係ってどこまでを言うの?コーディから仕事をもらっているんだけど」
今の話が気になり、キッチンの引き出しから、依頼書を出して、エラに見せた。
「副業の『なりすまし屋』は、親戚のフリ、恋人のフリ。それから店員に、通行人。何だってやるわ。一番多いのは、コーディからの依頼だから。この書類が…」
「これ、なりすまし屋の依頼書?」
エラは書類を見て、何だか怒り出した。
「この書類には、依頼者というより1年更新の契約書だわ。不定期で仕事を依頼するという内容だけど、雇用契約書と同じじゃない!ガルシアガラス工房営業担当コーディ・ガルシアって書いてあるのもずるいわ」
「どういうこと?」
「自分で事業をしていないコーディは、誰かを雇用しない。で、この書類ではあたかもガラス工房がチェルシーと自由雇用契約書を結んだように書いてあるわけ」
「つまり?」
「この書類を見ると、チェルシーはガラス工房の従業員で、監督者はコーディ。つまり、雇主と使用人だから、二人でいてもなんら不貞は疑われないの」
「それって、まだ意味わからないわ」
「二人でいる事を婚約者とかに咎められても、従業員だし恋愛関係とか個人的な付き合いではないと言い逃れできるのよ」
エラは自分の持ってきたパンを思いっきりかじった。
「最低!なんなの、この男!チェルシー、絶対に許したり優しくしちゃダメよ」
エラも、お昼に会ったセシルも、私のために激しく怒ってくれている。
なのに自分は何故こんなにメソメソして後ろ向きなのだろうか。
だんだんとこれまでに受けた理不尽な態度や、思わせぶりな態度に腹が立ってきた。
「もしかして意味深な態度で私を弄んでたのね!」
「意味深な態度を取り続けるなんて、最低な男よ。ありえないわ」
最低?
ちょっと悲しくなってエラを見る。
「最低とか言わないでよ」
「小さい声で、本音が出てるわ。ダメよ、庇ったら」
「え。あの…そんなわけじゃないけど。最低とまでは…何も無かったわけだし」
モジモジしてしまう様子を見て、更にエラの怒りが爆発した。
「まだ、あの男の罠から抜け出てないわ!もう会わないんでしょ?」
「なんでも屋の仕事で3日後に会うの」
「それがダメなのよ。そこで優しくされるとまた元に戻っちゃうじゃない」
「でも、生活のために働かなきゃいけないし」
エラはしばらく無言になり、天井を見つめた。
「仕方がないから、私も手伝うわ。二人なら、チームで行う仕事も請け負えるでしょ?」
「そうだけど、いいの?」
「渋々よ?チェルシーなら幸せになれるもの。私と違って」
「ん?エラは幸せになれないの?」
「チェルシー程にはね。まぁ言ってみただけだから気にしないで」
「そう。お互いに気持ちを切り替えなきゃね。今日は飲もう?もう、飲まないとやってられないわ」
二人でワインを煽って、色々な話をした。
子供の頃の事や、今の仕事。
嫌だと言えずに、誰もやりたがらない事を引き受けてしまう事。
最後は、グデングデンになって、二人でしっかりと握手をした。
「私達は負けないわ!」
「そうよ!世間の荒波に抗って幸せになるのよ」
謎の同盟を結成して、この日は別れた。
翌朝、目が覚めて部屋を見回す。
気がついたらエラはいなかった。
すごく飲んだけど、二日酔いにはなっていないわ。
ただし、記憶はないけど、少しスッキリした気がする。
どんな話をしたか記憶にないけど、コートとクラッチはちゃんと返却したみたいだから安堵した。




