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埋もれた短編

吟遊詩人で飯を食う

作者: 平松冨永




 その建物は、奇妙だった。




 ラグナと名乗る流浪の民は、衛兵に入国税を払い、目的と技能の証明として愛器を奏で歌った。

 彼は吟遊詩人だった。

 各地の伝承や時事風俗を忠実に、時に誇張して面白おかしく歌って日銭を得、知的好奇心の赴くままに放浪を続ける生活を送っていた。


 ある村では歓迎され麦粥に困らず、ある町では拘束され隣国の侵攻準備状況を問い質され、ある国では異分子として石を投げられる。王の偉業を讃える歌だけを許可されることも、神の教えに沿った内容のみを強要されることもあった。

 ラグナは薄笑いを浮かべたまま、常に権力者や為政者の要請に従い、保身に努めた。我を貫けば終わる、己の命の軽さを知っていたからだった。


 その国に至ったのは、大陸で生きる吟遊詩人としては必然だった。東西南北に走る交易路の交差点、あらゆる隊商と旅人、流浪の民が通り過ぎる位置にあったからだった。

 おかしな国だ、ということをラグナは聞き及んでいた。

 農奴に至るまで教育が施され、辺縁の村落でも阿漕な商取引はご法度とされており。

 働き口に溢れた者を適職に斡旋する受け皿組織があり、ひどく治安が良く、ほとんどの国民が為政者や官吏を信頼し。

 飢えや乾きや重労働に喘ぐ者がいない、と噂される「おかしな国」と。


 どんなからくりがあるのだろう、と疑念を抱いたのは、ラグナだけではなかった。

 周辺国すべてが訝しみ、間諜を送り、外交に努め。

 宗教国よりも磐石な、皆兵軍事国家であるとの真実を知った。

 故の平穏、故の中立、故の非拡張。

 農耕適地を守り、鉱物資源を活かし、森林を無碍に消費せず、水を絶やさないよう。

 あらゆる産業の保護と維持のため、研究を欠かさない。そんな「おかしな」国だ、と。


 それらを事前に知り得たラグナは、いつもの薄笑いを保ったまま、入国審査を受けた。国や民への害意を見せれば、愛国心と戦闘技量が高い衛兵に即座に切り捨てられるかもしれない、と善良さを殊更にアピールした。

 特定の宗教や思想に偏っていない、と主張する代わりに、様々な国の言語や伝承を遣い、歌った。

 己が技術者である、と言外に知らしめるべく、最新の旋律や音階を用い、更には「大陸にはない」曲も奏でた。


 ラグナは入国を許された。

 逗留者の証である濃灰色の上衣を纏うこと、指示された建物に先ず向かうことを条件として。




 その建物は、奇妙だった。

 衛兵鍛練所に隣接し、上階が迫り出す構造でなく小さな窓は多く──税率を考慮しない真四角さは、国有機関の証だろうか──、中央扉に掛けられた看板には。

 明朗会計・無限。

 という、意味の分からない語句が刻まれていた。


 規律正しい鍛練の声や音を聞きながら、ラグナは建物へ向かう。扉横にある護衛兵詰所に、着せられた上衣を誇示しつつ声をかけると、立ち上がった一人に案内された。

 扉を開けてすぐの、前室へ。


 再度の手荷物検査を受け、病原菌保有の有無を「解析魔法」で確認される。また石灰粉を踏め、と命じられることはなかったが、荒縄の敷物に靴裏を擦り付けろ、と求められた。


 次いで小部屋に誘導され、ラグナは首を傾げた。「清浄魔法」で害虫が駆逐され、防虫ハーブを焚く小香炉が設置されたそこは、今までで一番、清潔な「個室宿」だった。

 寝台のシーツに染みや穴はなく、砂や埃の影もない。


「え、あの、まさか」


 こんな上等な宿を、と混乱するラグナに、護衛兵は荷を下ろすよう促してくる。歌の元になる書き付けと楽器のみを持ち、次の指示を待て、と告げて立ち去るのを、ラグナは呆然と見送った。

 替わって、年少の兵が現れる。個室の扉をノックされて伺われ、ラグナは遠い記憶を思い出していた。


 ──ああ、この国は「日本」のようだ、と。




 現代日本に生きていた記憶があったラグナには、この世界は苦痛の連続だった。第三国へのホームステイ、と己をごまかし続けた幼少期から、どれだけ泣いたか覚えていない。

 人命は比較にならないほど軽く、法や権利や概念はないものの方が圧倒的。文化も衛生面も前時代どころではない未発達さで、存在する「魔法」である程度補われていなければ、絶望で正気を失ったかもしれない。


 その「魔法」も、創作物のような破壊攻撃に長けた効果ではなかった。

 わずかな濁水を清めるもの、伝染病を防ぐもの、石鹸でも落ちない汚れを落とすもの、寝台から害虫を追い出すもの。

 火種を創ることすら不可能で、食料や資材を生み出したり加工したりなんて──御伽噺の中にしかない。

 万人に「魔法」は見えても、行使できるのはほんの僅か。町に一人、いるかいないか程度だった。

 そしてラグナに、「魔法」の才はなかった。


 だからラグナは、流浪の民になった。

 一処に留まれば、便利で科学的だった日本環境の記憶に苛まれ、比較し、苦しむ。常に旅空の下であれば、自分をごまかすことができる、と。

 「魔法」の才があれば、村でも町でも生活は保証され、最低限の納得はできただろう。実際に道中、そういった面子には遭遇していた。

 生まれた国の人足場で金子を貯め、必需品と小さな弦楽器を購入できたラグナは、その足で飛び出した。

 現実逃避のため、この世界で生きるために。


 ラグナにとっての武器は、日本の「音楽知識」だった。

 作詞作曲の経験はなかったが、義務教育に含まれていた歌唱と音階構造、氾濫していた娯楽音楽のフレーズといった記憶、楽器演奏の基礎は、この世界では特級の技術に値したのだ。

 突出しすぎ目立たぬよう、同類の平均値を窺う気質。社交辞令と敬語とアルカイックスマイルの重要性と活用も、強みになった。

 保身に長けていたからこそ、知的好奇心が強かったからこそ、娯楽の意義を知っていたからこそ、生き延びることができていたのだ。


 そんなラグナにとって、この国の在り方や与えられた部屋は、懐旧の念を大いに刺激するものだった。パーソナルスペース、衛生環境、人権、法治、安全。すべてが貴重で懐かしく、永住を希望するほどに有り難い。


 ラグナは涙ぐみながら、少年兵の設備案内に同行した。汲み取り式トイレに設置された藁紙と石鹸がある手洗いに声を上げ、多様な調味料が備えられた調理場に舞い上がり、腐尿を用いない洗濯場に万歳までした。

 そして最後に率いられた部屋で、腰を抜かしそうになる。




 そこは「図書館」の「書庫」のようだった。

 羊皮紙、植物紙が混然となった大量の書物が壁棚に並び、分類され、写本をする者や修理をする者が座り仕事に勤しんでいた。


「……ああ」


 ラグナはとうとう泣いた。知的財産、知的権利がここにはある。必要最低限の文化的権利、が限定的であっても存在している。どれだけ飢えていたか、どれだけ恋しかったか、どれだけ夢見ていたか。

 この世界では、どれだけ異常で「おかしな」ことか、と。

 この桃源郷に至るために、己は吟遊詩人になったのか。その選択は大成功だったのか、と。


「主がお待ちです」


 感涙に咽ぶラグナに、少年兵が声をかけてきた。頷き、頬を拭うラグナの表情は輝いていた。

 自分に求められているのは、旅路で得た知識と情報だろう。すべてを吐き出すまでは、ここに滞在できるだろう。足りなければ、日本のそれで補えるだろうか、と思った。




 この施設の管理主は、老年手前の痩躯の男だった。如何にも執務室、といった実用的な調度品の中で、羽や炭片でなく金属製のペン先とインクを用いて書き物をしていた手を止める。


「聡き者よ、望みを叶える代償は」


「私が知り得るすべてでしょうか、最新に届かずとも経由国すべての風潮や世俗、経済や国勢、伝承でしょうか」


 ラグナの応えに、管理主は薄く笑んだ。

 案内役の少年兵を下がらせ、侍従に茶を煎れるよう命じる。

 貴重で高級なもてなしをされる、という常識と、紅茶か緑茶か青茶かな、と浮かれ懐かしむ日本の記憶に挟まれ、ラグナは背もたれのない椅子に腰を下ろし。


「──ボカロと歌い手とJ-POPの最新情報」


「は?」


 告げられた「日本語」に、絶句した。




「いやさあ、ギターコード使って改造アニソン歌ってる吟遊詩人なんて、現代日本の転生者以外いないでしょ。舐めてんの?」


「……はい、ごもっともです」


「音叉もないのに四弦調律とか、専門家? 絶対音感?」


「いえいえただの素人……でした。こっちの楽器って、教会以外だとこう、音がブレブレで和音が気持ち悪くて。ボカロPどころか一曲も創ったことなくて、そうなったら知ってるあれこれの替え歌くらいしか」


「だからってさあ、クラシックとジャズと四七抜き音階と童謡を渾然一体でジャカスカ弾いてちゃダメでしょ。お前の頭の中の音楽は無尽蔵か、って思われちゃうでしょーが」


 どうやらラグナは「異世界転生者」というやつであり、目の前のおっさんも同じだったらしい。

 一瞬で看過され、ラグナはすべてをゲロった。恐らく同時代の日本人だったおっさんは、執拗にあれこれを聞きたがったので、覚えている限りの知識を語り、双方で擦り合わせた。


「決め手はきらきら星とチューリップだよ。あとCMソング。浪速のモーツァルトを弾いてたって判明した時は、爆笑したよ」


「いやだって、あれ一発で民衆の耳目を集められて」


 改造しまくったリュートで「とーれとーれピーッチピッチ~」とラグナが奏でると、おっさんは涙を流して笑った。


「米津○師は? 藤○風は? ミセスや髭ダンとか」


「何曲かのサビくらいが限界です。あと高音出ません歌えません」


 渋い紅茶で喉を潤しつつ、ラグナはリュートを奏でる。おっさんは四十代まで日本で生きた記憶があって、この世界にラグナより二十年ちょっと早く転生したとのことだ。

 矢継ぎ早にリクエストされたバンドナンバーは、ラグナの世代で教科書に載っていたからある程度再現できた。


「偉いぞ良く頑張った、君を令和の嘉○達夫と呼ぼう」


「すんません、分かりません」


 そんな間抜けなやり取りをしながら、ラグナはこの世界ではじめて、心からくつろぎ笑う。

 異国で出会う同郷の存在とは、ここまで胸襟を開いて信頼できるのか、と安堵し、また泣きそうになった。


「で、ええと、なんでしたっけ。知識チート? とかは俺にはないです。学生でしたし、マクドのバイト経験しかありませんし」


「イエーイ関西人仲間ー、じゃなくてね、うん、そっちは割と間に合ってる」


 おっさんは、この国には今までにぽつぽつと「日本からの転生者」がいたらしく、その積み重ねで様々な分野の進化は頭打ちになっている、とラグナに説明する。現時点で再現や生産可能なものは一通り揃い、量産や改善ができないために周辺国に波及していない、と。


「なんでまあ、タイムラグはあるけど平民以下の目線から見た周辺情報が欲しいのと、ラグナ君の技術を活かしたお仕事をして欲しいなあって」


「流石にここに安住はできませんか」


「一生いて欲しいけどさ、ほら、僕の方が先に逝っちゃうでしょ年齢的に。そしたら君の後ろ楯なくなっちゃう」


 ごめんねえ、と寂しそうな顔を向けるおっさんに、ラグナは悔しそうに笑った。

 せめて彼と同世代に生まれたかった、そう思いつつ、彼が先に生まれたからこそ、この国は今に至ってもいるのだ、と納得する。

 それまで雑然と保管されていた書物の、保存と再編と分野別整頓を進めたのはこのおっさんだったからだ。司書、という職業や言葉を定着させたのも。


「じゃあおっさ……ユイン様の下で働いて、墓を守ります」


「いやそれうちの子孫の役目ー、って、あー、ラグナ君より年上だけど、末の娘どうかな。寡婦になってうちに帰ってきたんだけど働き者で変わり者で、男の子が二人いるんだけど」




 斯くしてラグナは妻帯者となり二児の父となり、様々な替え歌を引っ提げて国内を巡回する吟遊詩人となった。

 恙無く国籍も得て、各地で娯楽の伝道者として歓迎されつつ──プロの間諜とは異なる視点からの情報を持ち帰り、後進の育成にも励む。


 司書たちやおっさん義父と情報を捏ね繰り回し、衛兵を護衛に周辺国にも旅立ち、歌った。

 各国の為政者に楯突かぬよう、かといって盲信しないよう、情勢を考慮し、煽動者にならない程度、ガス抜きを心掛けて。




 ロックやパンクに生きられなくしてごめんねえ、と呟く老いた義父に、中々上等な人生をありがとうございます、とラグナは返す。

 貴方の葬儀はJ-POPメドレーで賑やかにしますよ、と軽口を叩けば、元おっさんは笑った。


「いや、ふるさと、がいいなあ」





閲覧下さりありがとうございました。

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[良い点] 最後の1行でバカ泣きしました……適応して、変化させて、ある程度満足して受け入れてるように見えても「忘れがたきふるさと」なんですね……
[良い点] 地味な恩恵で何とか生き延びたあと安住の地を見つけたところ。最後にふるさとを望むあたりも含めて、全体的に優しい空気が好きです
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